慟哭はやまない














専らこの頃噂になっているのは、一人の若い魔法使いだった。


どうやらその魔法使いは、学校を卒業してすぐにこの闇祓いの試験を受け、史上最高の点数でこれを遣り遂げたらしい。
史上最高、といっても年によって、特に筆記試験は難易度は様々であるし当てにはならない。

しかし、ヴォルデモートが台頭してきたこのご時勢。

闇祓い達も闇祓い研修生に時間を作って、様々な事を教えるのも難しくなってきたし、実際魔法省の組織が麻痺してきているのも目に見えてきていた。
新人を育成するのは大切な事だと分かってはいても、実際問題、闇祓いの数も減ってきているし、手が回らない。
勿論、闇祓いの数が減っているというのは、新人育成を推進しなくてはならない理由でもあるのだけれども…

そういう理由で、闇祓い達は試験の合格ランクを何段も上げたので、ここ数年、新しく研修生となるような魔法使いは現れなかった。

まあ、何段もランクを上げなくとも、毎年何年間もの勉強を乗り越えて闇祓いになる者は珍しく、実際はあまりその事情は変わらなかった。
元から闇祓いになる者がいない年が、寧ろ、多い位だった。


そんな中。

育成するのが難しいから、という理由でかなり狭くなった研修生への門に、その魔法使いは滑り込んだらしい。
元々誰か合格するなんて期待していなかった闇祓い達にとって、それは驚くべき事だった。
そしてこれから人手がいないのに、どうやってその魔法使いを研修させようかと、困る。

すると、魔法法執行部長から直々に、その者の研修期間をなくしても良い、という命令が下ったのだ。

その異常時が気に掛かった闇祓いは、そんなに素晴らしい成績だったのかと、それを調べてみた…ところ、特に実技が恐ろしく高得点である成績に驚愕する。
確かに成績書類に書かれている内容は、執行部長がそう言うのも納得する、というようなものだった。


そして飛び込んできたのが、あのムーディがその魔法使いの世話をする、という信じられない情報だった。

…どう考えても、あのムーディが面倒見が良いとは思えない。

寧ろムーディは、その若い魔法使いを殺してしまうのではないか、という意見が多数派だった。

それは、今まで彼らがムーディと仕事を共にしてきた経験に、裏付けされた意見だ。
どう考えても若い未熟な魔法使いの世話を出来るなんて、思えない。


だから、「殺す」為にムーディの元にやったのか。
それとも、その若い魔法使いが、それ程までに、恐ろしく見込みがあるのか。

この二通りの意見が交わされていた。





「ねぇねぇ、あの子、今日からなんでしょ?」

「…あー、ムーディと?
 今日からその子来るんだったっけ…一度も姿は見た事ないし、どんな子かは知らないけれど。
 ああ可哀想に、ムーディに殺される」


「あの子」や「その子」という名称で交わされている、この頃話題の若い魔法使い。
その子は数回は本部に入った事はあるらしいが、その者の姿と名前を知っている者は、今此処にいる闇祓いにはいなかった。
おおよその闇祓いが、姿も名前も知らないのだ。

男性の闇祓いの言葉に女性の闇祓いは苦笑する。
それが冗談だという事は分かっているけれど、完全にその可能性がない訳ではないから、苦笑しておくしかない。

彼女個人的には、ムーディは殺す気はない、と良心の部分でとても信じたかった。


「殺され…る、とは決まってない…と私は信じたかった」

「希望? そして過去形?」

「――ねぇ、今日のムーディのスケジュール知ってる?」


彼女は身を乗り出して、隣の彼の方を見る。
彼はガサガサと散らかった机を漁り、そしてきょろきょろと壁に貼り付けた様々な羊皮紙を探すように見る。

彼女はそれを呆れたように見て、顎に手を当てて肘を着く。
その頬には真新しい傷がある。

彼はあった!、とある一枚の紙を取り出して目で追うと、青褪めた。

彼女もそれを覗き込み、瞬きをすると、眉を思い切り寄せた。


「…ムーディ、殺す気だ…」


彼女がそう呟くと、周りにいた闇祓い達にもそれが聞こえたようだった。
元からその子に興味を持っていた者は多かったので、各々その事実を知り、皆、口を揃える。


「いきなりこれはないでしょ…?」

「ベテランが行くような場所、だよな、これは。
 ってかムーディ、初っ端からいきなりどんな所に連れてってんだよ…少し前まで、学生だろ!?」


殺す気だ、と皆が木霊のように呟き、出来るだけ死喰い人を生け捕りをしようとしていたムーディも、ついに人殺しか、と囁き合う。


「…九割死体、一割が良くて何ヶ月も動けなくなるような大怪我。
 もっと良くて、普通の大怪我」

「――可哀想に…」


男性の闇祓いが同情を込めて言う。
その子の命は空前の灯火だった。




すると、闇祓い本部の扉が突然に開いた。

そして足音、この足音の主は…その場にいた闇祓いが、一斉にそっちに振り向いた。

アラスター・ムーディだ。

彼の姿が大股で進んできて、それを目線で追う。
そしてその後を見てみるも、其処には誰もいなかった。
皆が、まさか、と、さっきまで信じていたその事を恐れたが、その本部の扉が完全に閉まる前に、それが再度ガタリと開いた。


本当に、思っていたより、子供のようだった。

小さな身体に黒いマント、黒い髪を後ろに纏めて、中性的な整った顔立ちは男女の区別を難しくする。

しかしそんな事より、皆、その子の四肢を驚いて見ていた。


マントに破れた跡はある、そして汚れた跡はある。

――しかし、身体に傷がない。


その子は扉の敷居を歩いて抜け、生気のない目と感情のない表情で、するりとその視線の中を通って行く。
何処を見ているのか分からない、焦点の定まらない虚ろな目のまま、与えられたらしいデスクに向かっていた。

しんと静まった中を、当然あるべきだった赤い血を一切見せずに歩き、其処に辿り着く。

すると、その子は崩れ落ちて椅子にへたり込んだ。

力の入っていない膝で、片腕でデスクに肘を着いて、額に手をやって、掠れて呟いた。


「…死ぬかと思った…」


慟哭はやまない。
未だ、心臓がドクドクと波打っている。
あれだけの魔法の閃光、初めて見た…あの光が今も瞼に映る。


――でも死んでないじゃないか。


其処にいた闇祓い全員が、の内心に関係なくそう思い、本当に全く傷のない身体を見て、互いに顔を見合わせる。


――この子は、使える。


互いにゆっくり破顔し、にやりと笑う。
その光景が至る場所で広がっていく。

その子は、魂を失ったように項垂れてはいたけれど、そんな位で済むなら、精神的にも大丈夫だろう。

…二通りの意見、正解は、少数派の後者だった。

この子は、使える。




その事実が本部中を満たしたら、其処にはいつも通りの光景が広がっていた。
各自いつも通りの仕事をこなす。

でもその子はそんな事にも気付かないかのように、未だ椅子でへたり込んでいた。




「はい…っ!!」


大分聞き慣れ始めた声に、は敏感に反応し、咄嗟に背筋を伸ばした。
そして顔を上げると、さっき魔法の光線が飛び交う中、放って置かれたこの人と目が合った。

の反応に、少し怪訝そうに黒い両目を細めながらムーディは言う。


「報告書書いとけ」

「は……、え?」


「はい」と言い掛けた声を止めて、疑問の言葉を言うも、相手にされずにムーディは背を向いた。
は無言のままきょとんと、ムーディが何処かへ行ってしまうのを見つめた。

そしてもう一度目を瞬かせる。


「え――」

「書き方教えてあげよっか?」


ふいに背後からそういう声が聞こえて、はそっちを見る。

其処には人の良さそうな笑みで、を眺める知らない女性がいて。
その隣には知らない男性が、彼も軽く微笑みながらを眺めていた。

実は、二人共さっきからの、とムーディの様子に影ながら笑っていた。
それは同情と、微笑ましさが混じった笑いだった。

はもう一度目を瞬かせた。

そして。


「…宜しくお願いします」


此処からの受難の日々が始まった。




























2006/9/16






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