憤りの表現














は、ふいと近くにある空のデスクを見て、唇を尖らせた。
空のデスクは二つ。

無断で休んだ、という理由のみだと断言出来ない。
特殊な職業上、極秘任務だとかも有り得る、ヴォルデモートが目前からはいなくなったとはいえ、全く闇の魔法使いがいなくなった訳ではないのだ。
あの時代と、常に危険と隣り合わせなのは変わらない。

周りの人に聞いても、ロングボトム夫妻がそういう任務に就いているとは聞かないし…まあ、そうだとしても、外部者の私にそれを教えてくれなくても仕方がないけれど。

しかし、夫も妻とも闇祓いで、それでいてヴォルデモートが台頭していた時代に、子供を生んだのは彼らしかいまい。

そういう意味ではかなりタフで、ちょっとした事では何も動じない、そういう信頼を彼らには持っている。
実際夫妻ともかなりの魔法使いだ、というのは、世間にも知れ渡っている。


自身それはよく心得ていた。

この目で、彼らの活躍を見てきたのだ。

このような事、何も言わずに闇祓いがいきなり消える事だって、前は特に珍しい事じゃなかった。
周りだって、この夫妻がいなくなっても、何の心配もしていない。
それはそういうものだから――もとてもよく分かっていた。

でも、でも。

この心の中の落ち着かないものがもしなかったら、も周りの人と同じ振る舞いを出来たかもしれない。


はこの数年で、自分は人より動物的直感が優れていると、自覚していた。
周りの魔法使いの気配が分かるのもそうだし、何かにかけて、予想した事はあまり外れた事はない。

はガタリと立ち上がって、羽ペンをインク瓶の横に視線で置いてから、出来上がった報告書を持って歩き出した。


「ルーファス、この前の夜の闇横丁の報告書出来たわ」


ルーファス・スクリムジョールは目を落としていた羊皮紙からを見て、その報告書を片手で受け取る。
それにさっと目を通していると…


「フランクとアリス、仕事なの?」

「私の把握している範囲では、そうではないと言える」

「範囲外では何してるか分からない、っていう事よね」


の台詞に、スクリムジョールは眉を寄せた。


「何だ、あの夫妻が心配なのか?」

「ええ」


スクリムジョールはを訝しげな眼差しで見て、溜息を吐く。
それは半ば呆れられているように、には思えた。


が心配しようが好きにしたら良いが、無駄な事だと思うがね」

「無駄? 一概にそう言い切れる確証がある訳でもなし…」

「いや、無駄な事だと思う。
 それに無断で本部に来なくなって、たったの二日ではないか」


は眉を寄せたと思えば、むくれて身を翻した。

子供のような行動を取る若い魔女に、そう言えばまだ彼女は若いか、とスクリムジョールは考え直す。
スクリムジョールは何事もなかったように、また書類へと視線を戻した。















は魔法省から出て、姿眩ましをした。
それにこっそりと付き合ってくれるのは、黒人の闇祓いしかいなかった。
彼女の師匠は今不在で、とキングズリーは周りの目から易々と魔法省を抜け出した。

それにしても、結構ノリの良い先輩の闇祓いに、少し舌を巻く。
数年の付き合いはあるが、元々何かに掛けて、規範に則らず適宜に身を変えてくれる彼だったが、此処までしてくれるとは思っていなかった。

目の前の大きな背中を見ながら思う。

はよく考えたらロングボトム夫妻の家なんて、知らなかった。
だから、キングズリーがその場所を知っているので、後に付いて行っているのだが…


マグルの住居から離れた、人気のない場所にその家はあった。
とキングズリーがロングボトム夫妻の家を遠くから目で捉えると、はそれを睨み付け、キングズリーは表情を険しくした。

二人同時に杖を抜いた。


空には闇の印。


久々に空に浮かんでいるのを見たそれは、薄らいでいて、時間が経っているものと思われる。
二人の間の空気が張り詰めた。

土を蹴って其処へ駆け寄ると、ドアを殆ど蹴り開けるようにして中へ入った。


は玄関に立って目を瞑って、精神を統一する。

玄関はランプの灯りが点ったままで、明るかった。


「あっち!」


魔法使いの気配を感じ、はキングズリーを引き連れて角を曲がり、ある部屋へ入る。

その間にも荒らされた家の様子がありありと広がっていたが、見慣れているそんなもの、視界に入らなかった。
ひたすら足を動かす。
はこの時点で自分が大量の冷や汗を掻いているのを、感じていた。

この弱った魔法使いの感覚には、覚えがあるのだ。

でもその感覚を否定したい、そう思って思い切りそのドアを引いた。

同時にツンとした、それ特有の気配がの全身を襲った。
黒い目が部屋の有様を捉えた。



「――――っ…フランクッ…! アリスッ!」


は思わず高い悲鳴のような声を上げた。
声はキンと部屋に響く。

一瞬立ち竦んだより早くキングズリーは彼らに近寄り、起こし上げてヒーリングを始める。
散乱している床の壊れた家具を払い除けて、それだけが出来る場所を作る。


「磔の呪文か…!」


アリスの症状を見たキングズリーが、感情を抑え込もうとしているように、呻いた。
彼らしくなく、その表情にはそれでも明確な怒りの様相が見えていた。

もすぐにフランクに近寄り、助け起こす。
キングズリーに自分のヒーリングの力が及ばない事は分かっていたが、それでも懸命に、杖をあてがう。


気が狂ってる。

身体も壊れてる。


それをとても自分が治せるとは思えなかった。
磔の呪文については、知識はあるつもりだったから。

それにまして憎らしい事に、の感覚がまた彼女に、彼らの症状があまりに深刻で改善する見込みがない、という事を知らせていた。

でも信じるものか。

はそれしか出来る事がなくて、懸命に杖をあてがっていた。
の数年間で培われた闇祓いの部分が、震える事無く、冷静に、杖を彼に向けている。


フランクはトロリとした目でを見ていた。
全身はぐにゃりと蒟蒻のようだ。
口からだらりと涎が流れ、のマントに染みを作った。

目には前の、数日前に会った彼の目の光なんかなくって、焦点の定まらない生気のないガラスの塊が、埋められている様だった。
ぐるぐると彼らと過ごした時間が、の周りを回る。


……どうして…?

は膝を立ててゆっくりとフランクから離れた。
キングズリーはそれに気付き、を目で追ってから、フランクを自分の元へ寄せる。

の役割をキングズリーは知っている。


は目を瞑って精神を統一させる。

杖をぎゅっと握り締めて、酷く散乱している崩れた部屋で、ツンとした臭いのある空気の中で、探る。
探る、探る…

は目を開いた。


「ベラトリックス・レストランジ…」


この夫妻を、このように扱えるのは、確かに現時点では彼女だ。
磔の呪文にかけては、かなりの術者である。

の言葉は微かに震えていた。


は、自分のこの能力を初めて本当に呪った。

知りうれない事を、知りたくないのに、知ってしまう。

感じたくないものを感じてしまう。


は心臓が潰されるような痛みを胸に感じていた。
本当に、潰されているのではないのかと見紛うようだった。


でもそれを知ってしまった以上…

はフランクとアリスのいる床に膝を着いた。
床に向かって叫んだ。


「絶対に…絶対!、私がっ!…っ……捕まえてやる――!!」


憤りの表現のように、拳を床に叩き付けた。
しかしその拳も震えていた。

今まで生きてきて感じた事のない激情が、鋭く身を走っていた。


キングズリーはそのの行動に同感はしていたが、少しだけ、驚いた。
闇祓いをしているのなら、人の死や、その他の世からおぞましい事とされている事も、慣れっこだと思っていたのに。

そうか、彼女は今まで、最も親しい人物を亡くしたり、失った事がなかったんだ。



は蹲っていた床から身体を起こした。

何かに気付いたように部屋を出て行くのを、キングズリーは止めなかった。

は小さな感覚に気付いて、それの方向へ足を進ませていた。
悲惨な状況の家の中、の足は淀みなく進む。
とても、とても小さな気配…今にも消え入りそうな、か弱い…

は目を瞑ってそれの感覚を鮮明にし、またある部屋の扉を開き、足を踏み入れた。


その部屋だけは、部屋を荒らされている形跡は全くもってなかった。
それに一種の異様な雰囲気を感じる。

茶色いふさふさとした、赤いりぼんを首につけた大きなテディベアが座っていた。

パステルカラーの人形が、こてんと倒れているのが、窓からの光で分かった。

小さな積み木の箱の横に、沢山の色鮮やかな小さな車がある。

山のようなおもちゃが、木の低いタンスに整然と並べられていた。


ふんわりとした感覚が足元にして、それが青色のカーぺットだと気付く。
自分の黒色がとても場違いで、心に温い衝撃が走る。


その部屋の端に、小さなベッドがあった。

小さな子供が、ぐっすりと眠っている。


「……ネビル……」


はロングボトム夫妻が溺愛していた、息子の名前を呟いた。

ネビルは薄い布団を被りながら、夢を見ている。


子供の抱き方なんて全く知らなかったけれど、はその小さなお尻と脇の下に手を回して、壊れ物を扱うようにそうっとネビルを掛け布団ごと持ち上げる。
今にもネビルが壊れてしまうように、は本当にゆっくりと、ネビルを腕の中へ誘う。

腕に連れて来れたら、起こさないように細心の注意を払って、ネビルの重心を自分の胸の方へ傾けた。
何か、世のお母さんは、こうやっているような気がしたから。


そしてゆっくり身を返して、夢の世界から出て行く。
ブーツの一歩一歩が柔らかくって、罪悪感が生まれた。


でも私は、こうしなければいけない。















キングズリーがいた部屋へ戻ると、フランクとアリスはキングズリーが手配して、既に聖マンゴへ送られたようだった。

キングズリーはに気付き、ネビルの存在に気付いた。


「…無事だったか、良かった」

「本当に」


キングズリーはネビルを抱いているの目に、只ならぬものを感じた。
何かを強く決意したような目が、鋭く、瞬いている。
しかし、キングズリーもに似た感情を、また、持っていた、それも堪えられない程に。

魔法省の役人が集まってくるこの家の中、はぎゅっとネビルを抱いた。

それでもネビルは深く眠っていた。



























2006/11/20






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