淋しげな面影
ロングボトム夫妻襲撃事件が解決し、裁判が行われてから、二週間が経った。
裁判の結果には、闇祓いの立場からしても特に異論はない。
ただ一つそれによってもたらされた問題あるとすれば――次期魔法省大臣に一番有力だった者が、その裁判で失墜した位だろうか。
キングズリーはふと、その事件を解決した中心人物に目を遣った。
少し遠くのデスクで、は特に変わりなく羊皮紙に文字を書いていた。
は上司であるバーティ・クラウチに対して、当然ながら、ある意味自分のせいで名を失墜させて、すまないという思いは微塵もないようだった。
闇の魔法使いを捕らえた、それだけだとして。
はレストランジ夫妻、クラウチ.jrを捕らえた中心人物…というよりかは、ほぼ単独行動で彼らを捕らえた、という方がしっくりくる。
ムーディもこの件には、殆ど携わってはいなかった。
新聞はその事をこれ見よがしに書き立てて、の名を上げる媒体となっているのだが、当人は気にする風もなかった。
ただ少し、新聞を見て苦笑をするのみで。
キングズリーは気になる事があった。
と一緒に磔の呪文を掛けられた後のロングボトム夫妻を初めて発見した、それが切っ掛けで、彼女と一緒に行動する事がこの頃多かった。
元から親しくはしていたのだが、は今まで大体はムーディと行動していたので、前よりと接触する時間が長くなるのは必然的だ。
ロングボトム夫妻を発見した時の、の様子。
レストランジ夫妻を追い詰めた時の、の恐ろしい程の感情の激動と魔法。
キングズリーも驚いたそれで、溜まる物は全ては発散されていたのだと思っていた。
そして今、特に何気もなく其処にいるのを見て、それを確信していた。
しかししばしば、本当に時々、が淋しげな面影を顔に残しているのを見る事があって、目を疑った。
その面影はすぐに消えるけれど、数度それを目撃して間違いないものと認める。
年齢がまだこの部署の中では近い方だと思うが、その大きな魔力の割りに幼いを感じて、キングズリーはそれが心から離れなくて気掛かりだった。
確かに、彼女の生い立ちを考えても、それは当然なのだと思う。
それに……ムーディなんか、そんな事、放ったらかしだろうし、何もフォローなんてしないだろう…
お人好しだと人に言われるが、今になってそれをひしひしと感じる事が出来る。
それにこの頃仕事も一緒になる事が多くなってきて、の顔を見ると、やはりそれが気掛かりで気掛かりで。
――しかし、彼女を元気付けようとするには、何をすれば良いのか――?
数年付き合ってきた割には、いまいちぱっとした案が浮かばない。
キングズリーは眉を寄せて、デスク上に腕を着いた。
…そう言えば、仕事で薬品の買出しが必要だった、ダイアゴン横丁へ行かないと…
…そうだ、単純に考えてみよう。
だって二十代初めの、女性なのだ。
夕暮れの赤い太陽が目に入って、は目の上に手の平を当てる。
オレンジ色の風景、オレンジ色の石畳にトントンと足を落として、は後ろを振り返った。
「これで公用は終わり?」
石畳に大きな黒い影が、の横に現れた。
影の長さがのものと全然違い、の影に覆い被さるようだった。
「そうだ」
「終わったーっ」
は身体を伸ばし、黒いマントが頼りなげにはためく。
組んだ両手が空に向かって伸びる。
キングズリーはそんなを、観察するかのように眺めて歩を進め始める。
「で、…どうする?」
「は用事はあるか?」
「ううん」
「――それなら、一つ聞きたい事があるのだけれど、良いかな?」
「何?」
二人はダイアゴン横丁の道を並んで、歩いていた。
二人の黒いマントが靡いていて、それにこの二人のコンビは、何にしても目を引いた…凹凸が大き過ぎる。
それにはこの頃有名人となっているので、見て指を指す人もいたりするが、二人ともそれを気に掛ける事はない。
それに言うなれば、キングズリーも元々その大きさから、人目を引く容姿をしている。
キングズリーは事も無げに口を開いた。
「今欲しいものはあるか?」
「……何よ、キング、私に何か買ってくれるって言うの?」
は思わず笑って答える。
「そうだが」
「…何で私、貴方に何か買って貰わなきゃいけないの?
そんな義理ないわよ…」
言っている事はきついけれど、はそれを笑いながら言っていたので、その言葉の意味は薄くなる。
はああおかしい、とキングズリーを見上げると、彼は笑ってはなく、ましてや真剣みを帯びた顔付きをしていた。
するとまたその唇が開く。
「今まで、あのムーディに、付き添って色々頑張って来ただろう?
少し位、闇祓いの先輩の言う事を聞かないか?」
「…本当に?」
が問うと、キングズリーは頷いた。
は数度瞬いて、すっと微笑む。
はキングズリーを先導して、欲しいものが売っているという店に行こうとしていた。
は嬉しそうにしていて、キングズリーも思わず顔に微笑を浮かべる。
しかしが通って行く道について、妙な心当たりが思い出されて、キングズリーは少し顔を曇らせた。
まさか…
キングズリーの推量が、確信に変わった時、キングズリーはの腕を引いた。
は顔を傾げて振り返った。
「ノクターン横丁のものは駄目だ」
「…えー」
「買ってやる人が駄目だと言っているのなら――」
「…分かった」
はくるりと身を翻して、ダイアゴン横丁の方へ戻る。
キングズリーは少し溜息を吐いて、彼女は一体何を買わせようとしていたのか、想像したくはなかった。
は古本屋で、キラキラとした目で闇魔術書を品定めしている。
キングズリーはその様子を見ながら、少し自分の思っていたものとは違った、と目を細める。
自分はの事を深く知らなかったらしい。
若い女性なら、装飾品や、服や、そういうものを欲しがると思っていた――けれど今までの経験の中で、確かにがそういうものに気を配っている様子は、皆無だった。
少し考えたら答えが導き出せたのに。
しかしまさか欲しいものが、古本、それも闇魔術の本でこのように目を光らせるなんて、思ってもみなかった。
…そういえば、その片鱗を、考えてみたら沢山目撃していたか…
キングズリーは肩を下ろし、一般常識に当てはまらない女性を見遣った。
しかしまあ、少しはの気分転換の役には立っていると思って、最初の目論見が果たされた事に嬉しさを感じた。
結局は三センチ程の厚さの魔術書を、一冊だけ買わせたのみだった。
はとても嬉しそうにその本を両手に抱えて、すっかり蒼くなった空の下に歩を進めた。
「キング、本当に有難う!」
「いや、大した金額でもない」
「ううん、本当に嬉しい」
ニコニコ微笑んでいる視線が、キングズリーに向けられた。
蒼くなった空気には、周りの店のランプの灯りが映えていて、もそれに照らされていた。
はたと、キングズリーは睫毛に縁取られた、の輝いている黒い目に気付き、長い睫毛にも気付いた。
さっきまでそんな事は何も思わなかったのに、キラキラとした表情であるに対しそういう思いを持って、キングズリーは少し戸惑った。
が立ち止まって、キングズリーに聞く。
「入る?」
は漏れ鍋を指差して、その扉の前に立ち止まっていた。
「…いや。明日も早いだろう」
「そうね」
はキングズリーの言葉にすぐに納得した。
は本をまた大切そうに腕に抱え直し、少し話して二人ともその場を姿眩しし、別れた。
次の日から、キングズリーはの、前のような淋しげな面影を見る事はなくなっていた。
キングズリーがの方をちらりと見ると、はその視線に、すぐに微笑んで返して来る。
――嗚呼、自分の思惑は彼女に知られていたのか――
自分がを手の上で踊らせていたつもりだったのに、反対にの手で自分が踊らされていたようだった。
自分がの様子に心配して前のような事をした、というのをは分かっている。
だから今彼女は、微笑むのだ。
…この前、自分のいきなりの要望に対して頷き、従ってくれたのは、こういう理由があったからか。
ムーディが散々、に弱みを見せるなと言っていたのは聞いていたが、まさか自分がその対象になるとは思ってなかった。
いや、そうではなくて、単にが自分に対して気遣ってくれているのかもしれない。
しかしどちらにせよ、が本心を見せずに弱みを見せずに、自分に接しているのには違いはない。
キングズリーはふと小さく笑って、思った。
もしが将来、感情を少しも隠さずに付き合える相手がいたら、その人は――
2006/12/31
close