合鍵
アラスター・ムーディ――一般にはマッド=アイ・ムーディと呼ばれている――の家は、マグルの町の郊外にある。
そのマグルの町、というのも言い方が悪いが言うなればド田舎で、静かで人も少ない場所だ。
だから別に、今の御時代にマントを着たってローブを着たって、通りかかるマグルがいなければ全く大丈夫なのだ。
それに今は夜だ。
寧ろこの黒いマントが闇と同化しているのかもしれない。
こんな時間にこの道にいる人がいれば、それはきっと変質者か犯罪者か…もしくは、襲撃を狙っている魔法使いとか?
勿論杖は彼女の腰に、そしてローブの下の大腿に一本、合計二本常備している。
は自分の考えている事にふふんと自嘲の笑いを見せ、ポケットから古めかしい銅の鍵を取り出した。
灯りが漏れてきているこざっぱりとした家の前。
何か妙な仕掛けをあの師匠がまたこしらえているのじゃないかと、自分の身の注意もしながらも、その合鍵を錠に差し込んだ。
容易くそれは回って、ドアが開く。
は注意深くその隙間から中を窺い、また注意深くその家に入った。
そしてドアに振り向いて呪文を強く掛け直し、ゆっくりと家の奥を見る。
「来たわよ、アラスター? 」
適度に通る程に声を出し、いつでも杖を取れるようにマントの下で構えながらも歩を進める。
そして彼の姿を目に確認したと同時、は両手を上に上げて降参のポーズを取った。
ムーディはその場で、青い目をクルクル回してを余す所なく凝視する。
手には杖、完全に攻撃態勢に入っているようだった。
「ふくろう、受け取ったでしょ? 昨日着いた筈よ。
約束していたものは、マントのポケットだわ」
魔法の目はマントを見た。
それからまたの身体を上がり、顔を見る。
は妙に微笑んでいた。
「だな」
「前よりちょっと私に警戒している時間、少なくなってきたじゃないの」
「無用心か? 」
「ううん、別に良いと思う」
は至極リラックスした様子でリビングへ入り、椅子へ腰掛けた。
ムーディもさっきまでの様子は何だったのか、義足をごとごとと鳴らして、キッチンへ戻る。
はマントをごそごそと探り、小さな紙袋を取り出した。
そしてそれを空に投げるような所作をすると、その紙袋は空を飛んで、後ろを向いているムーディの手に綺麗に収まる。
彼はその紙袋を開けた。
「よし、上等だ」
「…シチューね? 」
は鼻を鳴らす。
それにしてもこの師匠、隠居生活をし始めてから、やたらと料理に気合が入ってきたのじゃないか…?
元々神経質というか、被害妄想というか、そういう性質で、他人の調理したものを口にする事はあまり好きではないらしい。
その理屈は分かる、とても分かる。
かといって全く他人の調理したものを食べない、という生活を取る事は不可能だ。
それに彼だって今もそれをしない事はない。
昔、此処に居候していた時、毎日まともに朝食が普通に作られていた事に、私は驚いていた。
一人身で生きていく上で、それは必要だという事は理解はしているつもりだ。
でも今のこれは限度を超えているのじゃないか…?
は首を傾げて言う。
「月桂樹の葉を頼まれるって、思いもしなかったわね」
「どうせろくなものを食べておらんのだろう?
健康管理は第一だと言うのに…」
「食べてはいるわよ。毎食、外食だけど…」
「身体に悪い」
「でも私が自分で作った方が、身体に悪い気がするんで…」
ムーディはそれに頷いた。
私が自分で食事を作れない事に納得していて、外食ばかりしているのを否定するなんて、道理に合ってない。
だから、此処で食べていけ、とでも言うのだろうか。
妙に古風で、器用で、お節介な師匠である。
少し煮込んだ後、のどかな夕食が始まった。
都合のつく時は週に一度位、は此処に訪れて夕食を頂く。
何せお互い一人で住んでいるので、やはり寂しいものだから。
それに引退したこの師匠が話し相手がおらず、早々に呆けてしまってくれても困るのだ。
「ねえねえ、気になってたんだけど、いつも私が来たらじっと見るでしょ?
何確認してるの? 」
前々からの疑問であった。
しかしムーディは淡々と答える。
「まずは杖の位置だな。
二本も身体に身に付けているような物騒な奴はお前位だし、付けている場所も確認する。
それにお前、他にも色々ローブの中に隠し持っているだろう? 」
「…貴方の教えの賜物です」
「まあ、こちらとしては分かり易いから良いのだが。
そんな重装備の女はまずお前しかおらん」
「じゃあ他の女の人の服を透かして見た事あるの? 」
ムーディは顔を顰めた。
「一般論だ。、お前、自分の身体を見た事がないのか? 」
「あるわよ。
って言うかね、言っちゃうと、結局何処まで見えるの? その目」
「この目を薦めたのはお前だろう? 」
そう言っているはにやりと笑っている。
何処までも見える、という事をは知っているのに、改めて聞くのが煩わしい。
「絶対、そうした事あるでしょ、そりゃ仕方ないわよね。
っていうか私だって、何処まで見られているのか…」
「お前の裸なぞ見たくはないが」
「…それは失礼」
は妙に神妙な顔付きになった。
そしてゆっくりと納得したように頷きながら、シチューを口に含みながら言い返す。
「そうね、選択権はあるものね」
「それを気にする前に、お前、風呂上りに無防備に歩き回っていただろう?
見たいのならその時存分に見れたが? 」
本気で呆れたように言われて、は記憶の糸を辿る。
…いやそんなに昔にいく前に、しかし今だって無防備と言われれば…
「見たくもない身体、見せつけてしまって申し訳ない――」
「そうだ、もう少し慎め、そうすれば最低限の女らしさは出て来る」
最低限、か…
ハハハと笑って、パンに手を付ける。
「そうしたら、私ちょっとはもてるかもね」
「もうその歳だ、さっさと…」
「え? アラスター、今まで私に寄って来た男散らしていたじゃない? 」
「適当な男だったら、そんな事はせん」
じゃあ今までの男は不適当だった、という事なのか。
しかし今までてっきり、アラスターは私に結婚して欲しくないのだと思っていた。
過去の記憶を思い返したら――まあ、確かにそれが思い当たるような節もあった。
しかし今現実に、「結婚」というものが自分から最も遠い言葉だった。
有り得ないなあ…
「ところで、私が来てちょっとは嬉しい? 」
「安心感はあるが」
「もし襲撃されたら、ね。
でもまあ此処の所それも減ってきたけれど…随分貴方、嫌われているようね」
はパンを食べながら、何事もないように言った。
ムーディは魔法の目をぐるりと回した。
「何も見えない…が」
「じゃあ何かでカモフラージュしてる。
――結構珍しい系統の魔法みたい――何処からこんなの見つけて来たんだか。
裏口に一人、玄関に一人、大仰に構える程の事はない魔法使いだわ」
この頃何もなかったから、師匠の症状も治まってきたのに、大した腕もない癖に面倒な奴らだ。
聖マンゴの癒師にまた報告しなければならない…嗚呼、本当に、ちょっと症状が改善されていたのに。
また悪い病気が酷く再発する。
「儂が相当嫌われているのなら、同じ様にも相当嫌われている筈だ。
他人事の様に言われるのは心外だぞ」
「それは言えてる。じゃあ私も嫌われている事だし、此処は現役闇祓いの私がちょっと追っ払ってくるわ」
は腕を捲くり、意気込んで杖を手に持ち立ち上がる。
しかしそれをムーディも立ち上がって、止めた。
また、手には杖だ。
はそれをちらりと見た。
「いや、儂も行く。お前は玄関に行け」
「…大丈夫? 」
「見くびるな」
「分かったわ」
はその言葉と同時、足音を潜めるように玄関へ向かう。
そろりそろりと、しかし堅実な歩調で見慣れた玄関へ近付く。
ガタガタと鍵穴が揺り動いていた。
先程からの気配からすると、何とか魔法で扉を壊そうとしたらしいが、それが不可能だったらしく。
今度は鍵穴からアプローチしているらしい…合鍵でも作ろうとしているのか。
しかし、あの師匠と私の総力を結成させて魔法をかけたのだ、そう簡単に破られるものではない。
屈み込んだまま扉に耳をつけた。
ガンガン、ガシガシと無理に鍵穴を傷付けている音が聞こえる。
この時点で襲撃者としては論外だな、とは思いながらは杖を握り締めた。
さてどうするか。
案外、こっちから此処を開け放ってしまってやろうか。
こんな相手に時間を取っている方が面倒だ。
そうしよう。
は簡単な即決で気配を埋めていたのが何の事だったのか、威勢良く立ち上がってドアを開け放った。
ドカンと襲撃者はいきなり開いたドアに当たり、地面に転がっていた。
外開きだから仕方がないと言えば仕方がないが、間抜けだ。
黒いマントをすぽりと被っている襲撃者は、を見て驚いた顔を見せたと同時、杖を持って襲い掛かってくる。
はそれを難なくあしらう。
そして次に杖を振ると、家に傷付ける事無く、一撃で襲撃者を地面に伏せた。
「たわいもない」
は溜息を吐き、縄を取り出して失神している襲撃者を縛る。
何でこいつが此処にいるんだ、という顔をされたが、それは彼らの拙過ぎる前調べのせいだろう。
確かに、魔法の目を誤魔化す魔法は見事ではあったが。
「アラスター? 」
ムーディはまたと同じように縛った黒いローブの男を、ずるずると引き摺って現れた。
襲撃者はマントで緑の草を引き摺っている。
そのままムーディは、意識を失った襲撃者の身体を、地面にどすりと落とした。
は溜息を吐いて、腕を組んだ。
「もうちょっと頑張って欲しかったわね」
「あまりに拙過ぎだ。、明日にでも頼む」
「ええ」
魔法省へ連れて行って正当な手続きを踏む、と約束された二人の倒れている男はそのまま外に放っておかれた。
とムーディはまた家の中へ戻り、冷めてしまった食卓へ着く。
そこではふいに気付いた事があった。
「…私に合鍵渡してる、って事は、それが私が持っている事で他の誰にも渡されない、という確証があるから、という事よね? 」
あの鍵は容易くこの家の扉を開いてしまうから。
「そうだ、確かにそういう意味での信頼はしている」
「あら、褒めてくれるじゃない」
「そういう意味では、な」
ムーディが意味有りげな目をに送る。
…
問わずにはいられなかった。
「じゃあ別の意味では? 」
「それを口にして欲しいか? 」
「……」
はそれが「冗談だ」という言葉を待ち望んでいたが、それが発せられる事はなかった。
まあ…魔法使いとしての魔法の腕は信用されている、という事で、良しとしよう、とは考え直してスプーンを手に取った。
2007/6/23
close