合言葉
スリザリン寮監から、きちんと合言葉を受け取っていた。
晩秋の空気は冷たい、その空気を切ってある地下の壁へと向かう。
そしてその前で合言葉を唱えると、石造りのスリザリン寮へと続く扉は開いた。
教師という役割上入った事がない訳ではないが、こんな深夜に此処に入るのは初めてだ。
真っ暗闇の中で、物に躓かない様に気を付けながら談話室を通り過ぎて、男子寮へ続く階段を上る。
とても静かなものだった。
そして目当ての部屋を発見すると、そろりとその中へ踏み込む。
他の生徒を起こしてはならない。
は夜目を利かし、目当ての生徒のベッドへ辿り着いた。
ドラコ・マルフォイは深い眠りの中にいた。
しかし肩をゆさゆさと揺らされる感覚がして、ぼんやりと深い眠りから浮き上がってくる。
うっすらと目を開くと…何だ、まだ夜じゃないか。
重い頭を持て余し、何故か真夜中に自分を起こそうとする同級生に怒鳴ってやろうと思って、目を開ける。
すると目に入ってきたのは、男子寮にいる筈がない、女だった。
それも――
「!? ――」
「御免、黙って…」
は手馴れた動作でドラコの口を塞ぎ、小さな声でドラコに話し掛けた。
顔は苦笑している。
ドラコが落ち着いて――いや、目は真ん丸に開かれてこっちを見ているけれど、そうなってからは人差し指を唇の前に立てて、口を塞いでいた手を離した。
「…な…何ですか…!?」
「訳は付いて来て貰ったら分かるから、黙って来て貰えないかしら?」
は困り果てたような様子だった。
このような深夜に、二人ともコソコソ声で喋っている様子は、奇妙なものだった。
それにこのシチュエーションも追加効果にある。
「…何処へ…? 」
「スネイプ先生の部屋」
は苦い表情のままだった。
不承不承、不本意、という言葉がの様子にぴったりと合うだろう。
ドラコは自分に強く頼んで来るに対し、断る事は出来なかった。
ドラコがそのまま出ようとすると、が「寒いから、マント着て行きなさい」と保護者のように言うと、ドラコは顔を赤らめてマントを被った。
こうする事になった理由を語るには、時を数十分遡る必要がある。
その時の出来事に戻ろう。
セブルスはの私室の扉をノックした。
非常識な時間だ、と言われても仕方のないような時間だったが、は案外早く扉を開けた。
寝ようとしていたらしくパジャマ姿で、裸足だった。
髪は後ろに一つに括ってある。
「何? 」
は目の前の男を見て、屈託なく尋ねた。
セブルスはまさにベッドに入ろうとしている彼女を見て一瞬戸惑ったが、意を決するしかなかった。
「申し訳ないのだが、今、我輩の部屋に来て頂きたい」
「…え? 何かあったの? 」
「…ある、と言えば、大事がある」
「それは大変。じゃあ今――」
「ちょっと待て! 」
彼がこう言うからには大変なのだろう、と真剣な顔をしてそのままの格好で部屋を飛び出そうとしたを、セブルスは引き止めた。
はますます訳が分からない。
セブルスをじっと見上げる事しか、出来なかった。
「あー……出来れば、いつもの格好に着替えて欲しい。化粧もいつも通りして」
「今から? こんな時間に? 」
「頼む」
は、そこそこセブルスを信頼していた。
その彼らしくない、言い淀んでいる様な物言いにまた疑問符を増やすも、此処まで言われたからには従うしかない。
何故か切迫しているような雰囲気が、彼から感じ取れたのも、その理由の一つにあった。
黒のマントを着て、見慣れたセブルスの私室のドアを開いた。
訳が分からないままもローブを着て、ブーツを履いた。
そうした結果の姿で、彼の部屋の中へ目を遣った…
…何…?
ルシウス・マルフォイが仲良さ気に、セブルス・スネイプと談笑していた。
しかしセブルスの方は何処かしら、それに完全に乗り気でいる様子ではないようだ。
確かにこの二人は先輩後輩同士だというのは知っている、スリザリン寮でも、死喰い人の関係でも…
そう思っている内に、ルシウスと視線が合う。
「、元気そうで何よりだ」
「貴方もお変わりなく、Mr.マルフォイ」
は笑みを作って顔に貼り付け、長身の男の前に立った。
「どうして此処におられるんです? 」
「私が理事をしているのは、も知っているだろう?
何、たまには息子の顔でも見たくてね…」
「そうですか」
それなら何故昼に来ない?
セブルスも同様の事を思っているらしく、ちらりと見た所、憮然とした顔をしていた。
よし、味方がいる。
「セブルス、私はともう少し話したいのだが、席を外して貰えるか? 」
「此処は我輩の部屋ですが」
ナイス!
彼の嫌味がこんな風に煌びやかに聞こえたのは、初めてだった。
しかしルシウスは表情を崩さない。
「じゃあ、私がドラコを連れて来ますよ? 」
「が行かずとも…」
「これでもスネイプ教授の助教授してますから、雑用は私の仕事です。じゃあ行って来ます」
はルシウスに言葉を言わせる事を許さず、そう言ってドアからさっさと出て行った。
その速さはまるで風のようだった。
ルシウスはが出て行くとマントを翻して、ゆったりと足を組んで椅子に腰掛けた。
セブルスがそれをちらりと目に咎めるも、ルシウスはそのままセブルスをじっと見出す。
にやりと笑って、ぽつりと呟いた。
「惚れたか? 」
「あなたこそ、彼女はあなたの好きなタイプでしょう? 」
セブルスは眉間の皺を緩める事はなかった。
口は敬語を喋っているが、真意はどうなのかは、この閉心術士からは窺い知れない。
ルシウスは楽しそうだった。
「それが分かっているのなら、どうして邪魔をする?
お前は、どうでも良い女には何も関心を示さないだろう? 」
「確かに、あなたの毒牙に彼女が引っ掛かるのを止めてやろうとは一瞬思いましたが、生憎彼女は自分でそれを回避出来るようで。
それは無駄に終わりましたね」
ルシウスは含んで笑った。
「そうだな。
今日はお前の隣に彼女がいると知っていたから、お前の協力が得られたら、あの女を今度こそ無理にでもどうにか出来ると思っていたのだが――それは無理なようだ」
ルシウスはセブルスの険しい目を見て、笑いを強める。
それだ、らしくなく、その目がその心を語っているではないか。
低い声でセブルスが言う。
「あなたともあろう人が――」
「セブルス、変わったな」
ピクリとセブルスがその言葉に反応する。
そして口をもう一度開き直す。
「…ふざけないで下さい」
「ふざけて等いないが、セブルス。
まさか今、お前が本気で惚れるとは……流石、私が目をつけていただけある」
「彼女はあなたの愛人になんかなりませんよ」
強い口調のその言葉を、ルシウスはさらりと受け流した。
やけに自信満々の顔であった。
「私とは、お前が想像もつかない昔から、繋がりがあるのだよ」
「でも恐ろしく嫌われてましたね」
嫌味大王であるセブルスの素早い言い分に、ルシウスは少しだけ笑みを曇らせた。
やっとセブルスは其処意地悪く微笑んだ。
「お前こそ、数ヶ月一緒にいるだろうに、何もなさそうな様子だったが」
「あなた程ではありません」
「嫌いという感情が好意に変わるのは、よくある事。
興味の対象外、というのが最も辛いものだ」
「…それならば、まるで昔のように、我輩を手下に使うような事はせずとも良いでしょう? 」
「もう小手先で動いてくれないか、セブルス? 」
「この件に関してはそうです」
「セブルスを此処まで虜にするとは…もよくやるものだ」
息を吐いてルシウスが言った。
しかしその心境は、絶対にその言葉と一致していないのは、明らかだった…どうも彼は楽しげに見えるのだ。
セブルスは胡散臭そうな目で、ルシウスを見ていた。
「手強い女だろう? 」
完結にルシウスが言った。
セブルスはその真意を、すぐに掴んだように見えた。
「…確かに、あの鈍感さには、賞賛を送りたいと思いますよ」
「鈍感? 」
ルシウスの問いにセブルスが答える前に、がドラコを連れて戻って来た。
目の前でルシウスとドラコが何やかんやと話しているのを見ながら、はセブルスの方へ近付いた。
背伸びをして彼の耳元で囁く。
「有難う。ちゃんと服着て来い、って言ってくれて。
あの人の前で少しでも隙を見せたら、どうなるか分からなかったから…」
「こちらこそどうしてもあの人の言葉を、断り切れずに――」
「それは貴方のせいじゃないわ」
セブルスは小さく苦笑して、の言った事に従った。
彼女もどうやら経験があるらしい。
「セブルス、ドラコを送ってやってきて貰えないか? 」
数分の話が終わると、途端にこれだった。
が一人急いで立候補する。
「じゃあ私が行きますよ? 」
「には言っていない…セブルス? 」
「我輩が付いて行かずとも、彼は一人で戻れるのでは? 」
寮監の言葉に、ドラコは一人で戻ると強く言い出す。
ルシウスはその言葉を退ける事も出来ず、事はそのままになった。
ドラコは一人で外に出て行き、大人三人がこの部屋にいる。
はさっきのセブルスの言葉でも、やはり彼が自分に味方してくれる事を、確信した。
一人じゃない。
「ところで、その格好で今までいたのか? 」
「ええ、ちょっと本を読み耽ってしまって…気付けばこんな時間で」
「何の本を読んでいたと言うのだ? 」
「闇魔術の本を…」
「こんな時間まで…夜更かしは美容の大敵だというのに」
「いやあ…そうですか? 」
は軽い感じで答えた。
ぶっちゃけ、どうでも良い。
しかしルシウスはまだまだ突っ掛かって来る。
「しかし、其処まで読み耽ったという書籍には多少興味が湧く」
「やだ、ルシウス、闇魔術の本読むなんて、また悪い事でもしようって? 」
「酷いな、それは偏見だ」
「冗談よ。まあまあ、本読む位なら別に何も言わないわ…なら、持って来ましょうか? 」
「そちらの部屋に伺わせて貰うのはどうだ? 」
「困るわ、汚いのに…」
「そんな事など気にしないが」
セブルスは、この辺りでチラリチラリと、の視線を受け取っていた。
助けて欲しいらしい。
確かにセブルス自身、自室で、とても暇だった。
その成り行きを何も口を挟むことも出来ずに、見ていただけだ。
しかし、このルシウスから彼女を解き放つとは難しい――
しかし出来ない事はない。
役得のある方法を思い付いて、セブルスは少し考えたが、が視線を沢山寄越してくるので実行に移す事にした。
後から彼女に何かと文句を言われるかもしれないが…
「ルシウス。が困っているではないですか」
「セブルス、何処がどう困っていると? 」
ルシウスとセブルスの視線が噛み合った。
はセブルスが動いてくれたと見えて、珍しくハラハラと成り行きを見守る。
タスキを受け渡したのは、自分だからだ。
「見た目通りですよ。
それに彼女は無断で、我輩以外の他の男を部屋に入れる事は出来ませんから、ご遠慮下さい」
「どういう意味だ? 」
「そのままの意味で受け取って貰って構いません」
「……ほう…」
とセブルスの目線が噛み合った。
は頷いた。
意図を掴んだらしい。
セブルスの芝居に乗って来る構えで、セブルスに寄った。
「つまり、恋人同士であると? 」
セブルスの腕が腰に回されたのには一瞬驚いたが、その後寧ろ自ら後ろ手で、その腕を引き寄せた。
もっと寄れ。
その気迫が伝わったのか、セブルスは強く腰を引き寄せた。
「そうです。だから人の女には遠慮して下さい、ルシウス」
ルシウスはじっととセブルスを見た。
そして唇の端を上げながら言う。
「そう言うのなら、証拠を見せて欲しい」
はセブルスを見上げた。
がどうしようかと一瞬迷っている隙に、あっさりと頬にキスされた。
…こいつ、慣れているな…
妙な苦笑感に襲われながらも、それでルシウスの方を見た。
「そんな事、友人同士でもやる事だぞ」
呆れた様な顔だった。
は少し眉を寄せ、思索する。
しかしこのに何か案が出て来る訳もなく、それは無駄だった。
するといきなりセブルスががばりと上から被さって来て、は一瞬身構えるが…
「我慢しろ」
耳元で小声で言われて、防御体勢に入っていた身体を解く。
身体を完全に抱え込まれて、は慌てる。
…ちょっ…っと…!
しかし腕で拒否の合図をする事は出来ないので、はセブルスの腕の中で行き場を失くし、どぎまぎとされるがままにしていた。
こんな事、久し振り過ぎる。
セブルスの手が腰から身体をなぞる様に上へ上がり、唇の横にかけてルシウスから巧く見えるよう、顔が寄られている。
彼がしようとしてくれている事は分かる、分かるが、これもしんどい。
手が行き場を失くしてふら付くが、それの在るべき場所へそうっと寄せてみる。
セブルスの顔が上がって、も合わせて顔を上げた。
「――邪魔したな」
ルシウスの表情が笑みを含んだまま先程と全く変わっていないのが気になったが、ルシウスは出て行った。
するとセブルスがの腰から手を離す。
セブルスは神妙に言った。
「…殴るなよ」
「まさか。ちょっと驚いたけど、有難う。結局効果的に働いた事だし」
は微笑み、そしてマントの中で腕を組む。
「でも、ルシウスにこの嘘を言い触らされないかしら…? 」
「あの人はそんな事はしないだろう」
それに、これが嘘だと言う事は、彼は知っている。
先程までの会話をセブルスは思い出していた。
はセブルスのその言葉に納得したように見え、表情を明るくさせる。
「借りは返すわ。
魔法省からまた貴方が気に入りそうな珍しい品、取り寄せておく」
「それは有り難い」
裏ルートというものが魔法省にも存在するらしく、セブルスは素直に喜んだ。
二重の役得だ、と内心思いながら。
「そうだ、また此処でこういう事あったら、また頼まれてくれる?
貴方がしたくない、って言うならもう良いんだけど…」
「…まあ良いだろう」
「良かった」
あの師匠には自分自身女として酷い言われ様だが、彼は応じてくれた。
良かった、これで逃げ道が作れた。
「今度あったら頼むわね、じゃあお休みなさい」
はそう言って手を振り、部屋から出て行った。
セブルスはそれを見届けて一つ息を吐く。
そして居場所がなさそうに立ち尽くしていた。
しかし、はたと先程までルシウスが座っていたものと違う椅子にどっかりと座り、考え事をし始める。
役得はあった。
役得はあったが…
無関心が一番辛い、とルシウスが言っていた言葉が、頭の中をぐるぐる回っていた。
実際あっさりとは自室へ帰って行った。
……あの男、またいらぬものを振り撒いて帰って行った…
今夜はよく眠れるだろうか。
2007/6/23
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