相思草
もくもくと立ち上る白い煙に鼻を近付ければ、特有の匂いがする。
特に不快だとは私は思わなかったし、全く興味がなかった訳じゃない。
「美味しい? 」
「まずまず」
それってどうなの? 、とむくれて不満気な顔をするが、そんな事を彼は意にも介さない。
「じゃあ止めたら良いのに……」
彼の夫人がそうポツリと呟いた。
赤子のいる家庭では、確かにその言葉に納得出来る。
はあ、と息を吐くアリスにフランクは煙草を歯で銜えたまま、軽くケラケラと笑った。
「俺はヘビースモーカーでもないし、そんなにきつく言うなって」
「でも煙草ってある意味麻薬でしょ? 」
目の前のまだあどけなさの残るに、真っ向に黒い目を向けられて、一瞬フランクは押し黙った。
鋭い言葉に似合わない真っ直ぐな目が、心を打つ、だけれど…
「俺は止めようと思ったら止められるし、中毒になってる訳じゃない。
有効に活用すればドラッグだって、良い薬剤になるだろ? 」
その言葉にアリスは呆れて物も言えず、は顎に手を当ててその意味を自分の頭の中で判断し始める。
少しの間唇を閉じて押し黙った。
そして唇を開けて、いつもと変わりない口調で言った。
「私にもちょっとだけ頂戴」
「はいどうぞ」
「――ちょっと待って、…? 」
はあっけらかんとフランクの銜えていた煙草を受け取り、自らの唇に挟もうとしていた。
そのまま首を少し傾けて言う。
その様子は可愛らしいものではあったが、手に持っている似合わないものがいけない。
「何? 」
「どうして吸うの? 」
「フランクの言い分も一理あるな、って思って」
そう言ってぱくりと銜えた。
「――あなたの弟子煙草銜えてるわよ、どうするの? 」
「もう成人しているのだから、吸って何が悪い? 」
ムーディが何気なくさらりと答えるのにアリスは眉を寄せる。
過保護な師匠に、助け舟を望んで話し掛けたというのに…どいつもこいつも。
しかしそんな思いとは別に、ムーディはさも当然かの様に言葉を続けている。
「しかし、結果は目に見えて――」
その時大仰に咳き込む音が聞こえた。
それは、いかにもとても苦しそうなものだ。
「ゲホッ! ゴホ…ッ!! 」
「――いるだろう? 」
アリスは頷いた。
ムーディもまた呆れて肩を下ろし、愚かな弟子に目を向ける事さえせず、また黙々と自分の作業へ移っている。
涙ぐんで咳き込み続けるに、フランクは「あーあー」とでも言いながら背中を擦ってやる。
鼻にまできたようで、は鼻をすすってさえいた。
「ちょっとばかりきつかったか? 」
「…ゴホッ…な、何…吸って…ゲホッ…るのよ…!? 」
「何って、煙草」
そういう意味じゃない、と目で訴えるに、アリスは微笑む。
その微笑は他の意味も含んでいるのは、は容易に見抜けた…否、この微笑みは今まで何回も見た事があったから。
「煙草も無理ね、」
「酒も煙草も無理って、悲しいなあ、もういい歳してるっていうのに」
「そんな…事…き、決め付けないでよ……っ! 」
は憤慨したように夫婦を見上げた。
明らかに怒った形相で、まだ自由にならない喉をガラガラ言わせながら喋る。
すると目に溜まった涙をぐいと拭いた。
いかにも無様である。
見るに見かねたムーディが歩み寄って、の襟元を引っ掴んだ。
は声を上げたが、ムーディはそれにまともに相手をせずに、時計をちらりと見た。
そしてちらりと弟子の方を見遣れば、涙で目が未だ潤んでいて、溜息を吐く。
「さあ、行くぞ」
「ちょっ…待って、まだ――ちょっとアラスター!! 」
「下らん事をする前に、するべき事があるだろう。魔法警察部隊の本部だ」
確かにそういう予定が今日は入っていた。
しかし…
目の前でヒラヒラと手を振るフランク相手、苛立ちが募って募って募って――
「ちょっと…嫌、嫌だって、ちょっとだけ待って――!! 」
*
手に見慣れた煙草の箱を持ち、鼻歌でも歌いそうな上機嫌で、はカーテンを開けた。
「久し振り! 久々に休みが取れたの。
今日は良い天気ねえ、昨日は物凄い嵐だったのに…」
問い掛けるが、返答は帰って来ない。
しかしは微笑んだまま、二つのベッドの間へ歩いて行く。
「雷が鬱陶しかったわよね、チカチカ煩くって」
窓から黄色の太陽の明るい光が差す。
は備え付けの椅子に腰掛け、足を組んだ。
が黙ると、色のない沈黙が訪れた。
しかしそれを気まずく思っている様もない様子で、口を開けた。
「昨日はよく眠れた? アリス」
やけに大きく見える虚ろな瞳が空を過ぎり、一瞬と目が合った。
痩せた唇は動こうともしなかった。
「そう、フランクはどう? 」
こちらも、さっきと殆ど同じような様子で、首をちらりとこっちに向けただけだった。
その目に意思はあまり感じられない。
はうん、と笑って、手に持っていたものを嬉しそうにフランク側のベッドに備え付けてある、テーブルへ載せた。
煙草である。
小さな軽い箱が音を立てた。
「この前はたと思い出して。
中毒じゃない程度に好き、だったわよね?
生憎、此処は病院で火をつける事は出来ないけれど…そっちの方がアリスは良いし、まあ物だけ持って来たわ」
またコトリとがそれを立てて、フランクによく見えるように向けた。
しかし相手は際立った反応を返さない。
「私もやっと、ちょっとだけ吸えるようになったのよ!
まあたまには良いかな、程度のものでだけど…ドラッグの有効活用法みたいな感じで。
身体に悪いのは知ってるし、馬鹿みたいに吸う事はしないわ。
――お酒は結局無理だったけれど、煙草位はちょっと嗜める程度になったわ…見て貰えるのなら、それを見て欲しいけどね」
此処じゃなあ、とは病室を見回して言う。
はくるりと方向をアリスの方へ変えた。
「ほら吸えるようになった!
私だって大人だもの、その位は――…アラスターには子供だ子供だって、未だに窘められるけれど…
その頻度も少なくなってきたし…私だってそこそこ働けるようになってきたんだから。
流石に貴方には劣る、とは思うけどね、この前も――……? 」
は言葉を其処で途切らせた。
目を瞬きさせて、アリスの身体を通り抜けて、カーテンの境目に目線を遣った。
低い所から丸い目が見えた気がしたのだ。
その向こうから大人の追い立てるような声が聞こえて、はますます疑問を強める。
するとカーテンの境目の低い所から、小さな顔が現れた。
は目を見開いてその顔を見ると、カーテンがパサリと開かれる。
その人物を見て、は椅子から立ち上がった。
決して良いとは呼べない記憶に伴った、懐かしい人が其処にいた。
「度々息子夫婦を見舞いに来てくれる人がいる、と聞いていましたが…あなたでしたか、Miss.」
「Mrs.ロングボトム――お久し振りです」
突然の来訪者に、は驚きを隠せなかった。
それにあの時以来、全く顔を合わせた事もなかった。
向こうも同様の様子だった。
「声が少し漏れていましたよ。
有難う御座います、そんなに息子夫婦に目を掛けてやって頂いて…あなたには何とお礼を言ったら良いのか」
「アリスとフランクには、とてもお世話になりましたから」
彼女が自分に対し、何を言いたいのか分かったが、それは彼女にお礼をして貰う様な事ではない。
完全な自分のエゴだった。
そしてはまた、アラスター・ムーディを連れて来ようと思ったが、彼には仕事があって無理だった、という事を含めて話した。
それを聞いて目の前の壮年の女性は、穏やかに微笑んだ。
は其処で、ずっと気になっていた事の中心に話を振る。
「ところで――」
は膝を折って、身を屈めた。
目の前には小さな少年がいる。
膝が地面に着き、マントが広がった。
「――ネビル――? 」
ピンク色の真ん丸な頬をした少年は、自分の名前を呼ぶ、初めて見る女性にきょとんとした目を遣った。
しかしその女性が目の前で人懐こく笑ったので、つられて笑う。
はその少年の柔らかい髪を、ゆっくりと撫でた。
2007/6/23
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