愛称
ハロウィーン前のある日。
ハッフルパフの五年生が、スネイプ先生が部屋にいなかったから、と私の所にレポートを置いていった。
何処に出掛けているのかは知らないが、明日も授業があるので、夜にはもう戻っているだろう、とは羊皮紙の束を手に彼の研究室の扉を叩く。
コンコン
「スネイプ?」
返事はない。
そして幾ら待っても、ない。
コンコン
コンコン
「いるんでしょ!?」
中を探ってみれば、確かに彼の気配がある。
声を大きくしてはそう言うが、やはり開けられる気配はない。
はいい加減鬱陶しくなり、杖を取り出し、振った。
カチャリと柔らかく鍵が回る。
彼は此処にいるのだから、開けない方が悪い、そして早くこの預かり物を渡さなくてはならないと思う。
生徒達のレポートの束が部屋にずっとあるなんて、身分不相応だ。
それに元々彼が持つべきものなのだから。
が扉を開くと、柔らかくて滑らかな香りが鼻腔を擽った。
はそれに不思議な感じを覚えながらも、彼の姿を目に捉えた、が…
「…スネイプ先生? 何をしていらっしゃるんですか?」
セブルスは椅子にどっかりと構えて、グラスを傾けていた。
磨き上げられて光り、優美な曲線を描いているグラスの中には、赤いシロップのような液体が魅惑的に流れている。
「何だ、教師は酒も飲んではならないと?」
「いえ…そういう訳では…ないけど」
少し意外に感じて。
紛れもなくアルコール臭を感じ、は少し彼が酔っているのか、と思う。
見た目は何も変わっていないけれど。
一見して、彼の言動が少し普段と違うと、は鋭い観察眼で察す。
同時に果実の甘い香りを嗅いだ。
「良い所に来た、どうだね、君も?」
「いえ、私は下戸なので」
正直にそう言うと、酔っているらしい彼は眉を寄せた。
しかしその様子は、子供が拗ねる様子に心なしか似ている。
「付き合いが悪い…」
「いえ、私、バタービールで普通に酔えるんで――」
セブルスは杖を振った。
すると机の上にはバタービールとガラスのコップが。
「…頂きます」
正直、この人が酒に酔うなんて思ってなかった。
結構ストイックな感じで、それも閉心術のエキスパートだと言うし、自分自身の管理には長けていると信じ込んでいたから、そう思っていた。
しかし現実、素面の彼ではありえない接待を受けている。
「あの、ハッフルパフの五年生のレポートを預かったんですが、此処に置いておきますよ」
側の机の上に置いて、指を指して幼児に教えるように丁寧に言うが、やはり明日言い直した方が賢明だろう。
証拠に次にこう言われた。
「…どうして敬語なんだね? 此処に着てから、ずっと」
「え?」
彼の目は酔った人に特有の据わった様子でいる訳でもなく、いつもの黒さだった。
それでじっと見られたのでは、居心地が悪い。
正直、酔っ払い相手には敬語で話した方が良いと思ってこれを続けていたのだが、正直にそう言う事も出来ない。
「良いわ、止めるわ。単なる気紛れだと思って、スネイプ。
それにしてもどうしたの? 貴方がお酒こんな風に飲むなんて、初めて見た」
「数ヶ月隣にいただけで、我輩の事が全て分かったとでも?」
「…そうじゃないけど…」
やっぱり酔ってるよ。
いつもの嫌味が、何割か増してる。
ちらりとその瓶を見てみれば、酒について全く詳しくない私でも、その包装や瓶の形等の雰囲気から、かなり高いものであると分かる。
貰い物だろうか。
それにしても、彼がこんな風に酒を飲むなんて…何か、癪に障る事があったとか…
「飲まないのか?」
「あ…飲むわ」
はバタービールの喉に流した。
甘い。
バタービールが通った喉が温かみを持つ。
しかし流石にバタービールを少し飲んだ位で、酔える訳はない。
は横目でセブルスを見遣った。
もし彼が正常な神経をしていたとして、今の生徒に嫌われている状態に耐えれなくなったとか…それでリーマスに嫉妬、とか………ある訳ないか。
セブルスは最後の一滴まで、赤い酒を自らのグラスに移した。
そしてそれに唇をつけて、一口飲み、それをテーブルに置く。
「…、正直、我輩の事をどう思う?」
愛称で呼ばれた。
…あれ?
はちびりとバタービールに口を付けた。
愛称で呼ばれた事によって多少の違和感は拭えないが、何しろ彼は酔っている。
言葉を選んだ。
「良い先生、だと思うけど。
リーマスなんか良い先生の代表だけど、私は昔から目に見えて優しいより、厳しい先生の方が好きだわ」
「…そうか」
そして赤い果実酒に口を付け、もバタービールに口を付ける。
しかし彼、酒の当てもなしに、よく一瓶飲んだな。
そして視線を浮かせると、セブルスの足元にもう二瓶転がっていたのに、目を見開いた。
「ブラックについてはどうだ?」
「…何も進展がないって言ったら、そうなるけど。
あまり明確にその事を言及されたら、困るわ…」
セブルスは小さく微笑んだ。
「そうか。…しかし、無茶はするな、無茶は」
「出来る限りは、ね」
「いや、もうそれ以上身体に傷を付ける等…」
「私の身体の傷、全身見た事あるの?」
セブルスは黙って、視線をの方へピタリと向けた。
そしてそのまま数秒間時間が流れる。
「…ないが…予想は出来る」
「でも心配してくれるのは有難いわ、有難う」
酔っ払い相手に言及はしない。
は微笑んでそう言った。
彼が多少機嫌が良くなった様子が、目に分かった。
こんなに分かり易い彼は初めて見た。
「ホグワーツはどうだ?」
「良い所よ。此処にいられるものなら、出来る限りいたいわ」
「…それは良かった」
何について彼が私に対して聞きたいのかは分からなかったが、とにかくそれで彼は酒を飲み干した。
もバタービールを飲み切り、セブルスの足元の瓶を見て苦笑した。
まあ、誰にしたって、酔いたい時はあるだろう。
は時計を見上げると、時刻は一時だった。
これからなら十分、寝れる。
「さあスネイプ、そろそろ寝ないと明日の授業に差し障りが出るわ」
「…」
セブルスは気だるげに時計を見上げた。
そして立ち上がろうとするが、ぐらりと重心が傾いて、立てない様子で、は慌ててそれを支える。
じっと、セブルスはを見た。
「これだけ飲んだら立てないわよ。さ、私の背中に凭れて、ベッドまで連れてってあげるから」
「――我輩は自分で――」
「自分で行って貰うより、こうして貰った方が、早く行けるの。だから早く」
ぐらぐらしている彼を支えながらベッドへ行く方が、面倒だ。
セブルスは観念したように、の背中に身体を倒した。
はその腕を自らの腰に回し、掴まっていて、と声を掛けてから歩き出す。
ずりずりと後ろのセブルスを引っ張り、は彼のベッドルームを探し出して入る。
必要最小限のものしか置かれていないベッドルームだ。
シーツが、白い。
「着いたわよ」
そう言うも、後ろの男からの返事はない。
寝てしまったか、とが思った所。
「…、腰が細い…」
「腹筋割れてるわよ、見てみる?」
は息を吐いて、腰に回されている腕を除けて、セブルスをベッドに寝かす。
真っ白なシーツがしわりと皺を寄せ、大の大人を受け止めた。
「じゃあ、ちゃんと寝てね。明日の朝、二日酔いの薬持って来るから」
「片付けを…」
「私がやっとくから、安心して寝て」
「…」
「何?」
「お前は、酔わなかったな」
「酔って欲しかった?」
「少し」
「それは残念、じゃあお休みなさい」
はセブルスの身体に毛布を掛けた。
セブルスは目の上に右手を当てながら、大人しく横たわっていた。
はまるで子供相手のお母さんじゃないか、と思いながらも、案外すぐに寝入ってしまった彼を見る。
まさか自分の目の前で、彼が無防備に寝てしまうなんて。
は微笑を顔に浮かべながら、セブルスがいつもの服で寝てしまったので、その苦しそうな服を脱がそうと手を掛けるが――待って。
は失礼にならない程度、襟元を緩め、上着のボタンを少し外した。
これで良いや。
は明かりを消して、部屋を出て行った。
セブルスは次の朝、ベッドルームに朝に現れたにうろたえ、痛む頭に薬を渡された。
そしてきっぱりと、風呂に入って着替えて来い、と言われ、自分は外で待っているから、とも言われてその言葉に従うしかなかった。
は石鹸の匂いを漂わせて出てきた、いつものセブルス相手に微笑んで、朝食の席へと歩き出す。
もう酒の匂いはしない。
やっぱり、彼に愛称で呼ばれたのは、あの夜だけだった。
2007/8/3
close