水に濡らしてはいけません。














!」


返事はない。


!」


ムーディはの姿を探していた。
本部内をの姿を探して歩き、返事をしない弟子にイライラする。
もう深夜と呼ばれる時間だが、彼の弟子はほぼ四六時中この本部にいる。

むしろ、此処にいないのをほとんど見たことがない。

目の前に仮眠室の扉を見つけ、その扉を特に何の感情も持たずに開ける。


バタン!


其処で寝ていた人は不幸にもその音で起こされてしまう。
しかし、その部屋には今は一人しか人がいなかった。

ビクリと反応してベッドの上で身体を起こし、入り口に現れた人へ目を向ける。
そうしながらも寝惚けた目をこすっている。


「ムーディさん……何かありましたか?」


すぐに寝惚けた目を覚まし、はしっかりとした声でこう言った。
しかし、ムーディはその場の異様な光景に目を奪われていた。

のいるベッドの周りには、所狭しと彼女の日用品が置かれている。
本や羽ペンは元より、マントは控え目にハンガーにかけられ、くしや鏡やローブの着替えまでも……。
その狭い一画が、彼女の私室のようになっていた。

勿論、仮眠室の他のベッドに影響は出ないよう、整頓はされていた。
しかし、それはあまりにも異様な光景で、その中にぽつんと埋まっているはなんとも――。


「――此処に住んでいるのか?」

「え、あ、はい。お金がなくって……邪魔だとおっしゃるのなら、何とかして違う場所を探しますけど」


確かに、此処で生きていくのに必要なものは揃う。
シャワールームもあるし、外へ出れば食事も買える。
寝床があれば、確かに住める。

ムーディは、の特異な出生と此処に来るまでの経緯を都合良く忘れていた。




「はい……って!?」


は自分のマントを頭の上から勢い良く被され、驚く。
ゴソゴソと大きくて黒い視界から抜け出す。

其処から抜け出すと、目の前にあったはずの自分の荷物が減っていた。


「え……?」


ムーディがそれらをトランクへ詰めていた。
綺麗な詰め方とはいえないものの、の荷物はどんどんとベッドの周りから消えていく。
は半ばパニック状態になる。


「何を――っ?」


ベッドの周りにはもう何もなくなってしまった。
それらは全て、の持ち前のトランクに収まってしまう。

ムーディはそれを手に持ち、に言う。


「行くぞ」

「何処へ!?」


ベッドの上に座り込んでいるに、ムーディは呆れて言う。


「お前はマントも満足に着れんのか」

「着れますよ!」


はマントのボタンを締める。
しかしまだベッドに座ったまま、訝しげにムーディを見上げる。


「では、行くぞ」


ムーディは動かないの腕を掴んだ。
はどうしようもなく立ち上がらされて、ベッドの隣に置いてあった靴を履く。


「そんなに不安そうな顔をするな」


だって、行き先も知らされず、行くぞ、だなんて。
ムーディは初めて口に笑みを見せていた。
あまりにが不安そうな顔をしていたらしい。


「わしの家へ行く」


は目を見開けた。
次の瞬間、はムーディに連れられて姿を晦ます。










*











マントが姿晦ましの衝撃でふわりとなびいた。
次の瞬間、は見慣れない家の中にいた。

質素な家だ。
必要最小限のものしか置かれていない……どうやら此処はキッチンらしい。
しかし、整えられたキッチンは、確かにその住民によって使われている雰囲気があった。

キッチンのテーブルには、預言者新聞がのっている。

隣で重い音が立って、ははっと隣を見る。
の足元に、のトランクが置かれていた。


「自分で持て」

「はい」


条件反射には答えトランクを持ったが、はっと自分が未だこの状況を把握していないことに気付く。
ムーディはに背を向け歩き始める。
は、またも条件反射にその背中を追う。

全く掃除がされていないわけではないが、それほど綺麗にされているわけでもない壁と床。
しかし、其処には明らかに対死喰い人用らしき呪詛が施されているのに、は気付いた。
所々に何かしら、魔法がかかったものが置かれている。

本当に、此処はアラスター・ムーディの家なのだ。

はそれで思う。
男の一人暮らしにしては、とても綺麗な家だ。
こんなにこの師匠にマメな面があったなんて、初めて知った。

そんなに広い家でもなく、ムーディはすぐに目当ての部屋へ辿り着いたようだ。
家の奥の方にある部屋の扉をムーディは開いた。
中は、ベッドが一つ、テーブルが一つ、クローゼットが一つ。


「住む場所がないのなら、此処に住めば良い」

「……は?」


はすぐにその言葉を処理出来なかった。
間抜けな声が口から出る。


「まあ、お前が嫌なら無理強いはしないが」


部屋の入り口にもたれ、唸るように言い、腕を組むムーディ。
は目を見開き、ムーディの姿とその部屋を交互に見た。
部屋はこじんまりとしているが、人が一人寝るのには十分過ぎるほどの大きさだ。

はぱっと視界が開けた。


「いえ、そんな、嫌だなんて! 本当に良いんですか!?」


ムーディは小さく息を吐く。
しかし、その口元が安堵して小さく笑ったように、には一瞬見えた。


「再度確認せずとも、そうだとさっき言ったはずだ」


はムーディに抱きつきたい気持ちに襲われたが自重して、ペコリと頭を下げた。
そしてそのままその部屋の中へ入る。
トランクを地面に置き、くるりと周りを見渡した。


「本当に……有り難う御座います!」

「礼には及ばん。元々部屋は空いていた」


軽く手を振って立ち去るムーディを、はにこにことした笑みで見送る。


「風呂を入れておくから、勝手に入れ」


最後に一言もらって、はまた歓喜した。
正直、あのシャワールームにはもう辟易していたのだ。















ムーディに一言断りを入れて、は風呂に入った。
久々にバスタブにお湯を溜めてその中へ入る。
温かいお湯の中で体操座りをして丸くなる。

じんわりとした感覚が何ともいえない。
元々幼少期から日本にいたので、西洋のシャワー中心の風呂には慣れているものの、これに勝る幸福はない。

今日だけ、今日だけ。
お湯が沢山必要なのは分かっているので、はそう心の中で唱えながら、お湯を堪能した。

一ヶ月と少しの付き合いで、あの師匠のことはちょっとだけ分かる所がある。
未だよく分からない所が多いけれど、多分、あの人は私を哀れんでくれたのだ。
基本は厳しい人だけれど、時々そういう優しい面が見えるのだ。





「お先でした」

「ああ」


ムーディは椅子に座り新聞を読みながら、上の空で返事をした。
はその姿を見送り、ヒタヒタと床を歩く。

ムーディは何気なく顔を上げる。
そしての姿を捉えて、僅かに眉を寄せた。


――そうだった、女だった。


いつもは束ねている髪は濡れて艶めき、の肩へ落ちている。
上気してピンクに染まった頬が機嫌良さげに笑んでいる。

元々顔立ちは整っていると思っていたが、僅かな状態の変化でこれほど変貌するとは……。


しかし、彼女を男だと錯覚させる要因は目に見えていた。
薄い寝巻きの上から、の身体つきが容易に分かる。

もう成人もしているだろうに、身体の肉付きは悪い。
薄い身体だ。
上半身も、腰も、臀部も、足も、脂肪がのっておらず、とても薄くて細い。

女性の身体として脂肪が乗るべき場所に、まだ脂肪が乗り切っていないのだ。
少女が女性となる過程を見るようなその身体は、彼女の歳にそぐわない。
胸の膨らみさえはっきりと分からない。


「発達の遅れは魔力のせいか?」


は頭を拭いていた手を止め、冷静な言葉の発せられた方へ向く。
そして自分の首にかけているネックレスを目に留めてから、ムーディの方を再度見た。


「多分、そうだと思います。母もこんな体質だったらしいですから……母は私ととても魔力的に似ていて」


は頭を拭いていたタオルを首にかけた。


「幼児期が人より少し長いんです。精神的な発達は変わりませんけど。
 けれど、思春期の身体の発達は個人差が大きいですし、私のこれも個人差と言い切ればそうなる程度ですよ。
 まあ、三歳から五歳位、成長の早い人よりかは発達が遅れてるかもしれないですけど、それで今まで困ったことはありませんし」

「大きな魔力を持つ恩恵か?
 高い魔力を持つ魔法使いは長生きだということは有名だが、成長が遅いというのは初めて見た」

「私もよく分かってはいません。
 個人差といえばそうなる程度ですし、ムーディさんも私の魔力が強いってことを知らなかったら、きっとそんなことは言わなかったでしょう?
 私の家系の血に特異的なこととしか言うことが出来なくて……。
 けれど、歳を取った時に周りの人よりちょっとだけ若いっていうのは、結構良いことかな、って思ってますけど」


は胸元のネックレスを寝巻きの中に入れて、キッチンの中へ入る。
ムーディに断りを入れてコップに水を汲み、喉へ流し込む。


「もうちょっと経ったら歳相応の身体になることを望んでるんですが」

「そうだな。そんなに細い身体では体力的にきつかろう」


だからといって、きっとこの師匠は体力的なハンデに対する計らいを何も見せてくれないんだろうな、とは思う。
別に、私もそれを望んでいるわけじゃないから良いのだが。

はコップを洗って、脇に置く。
そしては不安げな顔をして、ムーディの傍に寄った。


「……本当に、良いんですか? 私、此処にいて……」


風呂に入ったせいか少し潤んだように見える黒い目が、一心にムーディを見つめている。
身体からは知った石鹸とシャンプーの香りが漂ってくる。


「何度も言っただろう? 何が不安なのだ?」

「後から何か色々言われたら……」

「安心しろ、後から何も言わん。
 それに、ずっとあんな生活をしていたらお前の身がもたんだろう?
 そっちの方が、わしにとっては迷惑だ」


はそのムーディの言葉で合点がいったようだった。
は無邪気に微笑んで、そのまま自分の部屋へ足を向ける。

ムーディはその後姿を見送り、思いを巡らす。


――あの娘は、化けるだろう。


もう少し女らしい身体つきになって、身を着飾ったら、随分と化けるだろう。
今だって、構う所を構えば随分印象は変わるはずだ。

しかし、今はそれは必要ない。
これ以上のはみ出た要素は必要ない。
未熟な彼女はまだこのままで良い。

また、ムーディは彼女が自分と同じ石鹸を使っているようだから、後日買いにいかせなければ、と思う。
流石に同じ香りを身体からさせるのは気持ちが悪い。

ムーディは、自分がまるで父親のような気分になっているのに気付いた。
そういえば、まともな生活を送っていたとしたら、彼女位の娘がいたっておかしくはない。
ほとんど生まれて初めてだという位に、保護欲がこの身に溢れて来ているのをムーディは自覚していた。

大きく息を吐く。

厄介なものを抱え込んでしまったようだ。


次の日、は、食卓に見事な朝食が出来上がっているのを見て驚愕した。
……なんてマメな人なんだ。
この日以来、の食生活は安定した。



























2008/8/26






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