大声をあげてはいけません。














ある闇祓いが服従の呪文をかけられ魔法省の情報を吐露し、磔の呪文をかけられ廃人同然で見つかった、というニュースが広がった。

隣で日刊預言者新聞を目をしかめて読んでいる師匠は、忌々しそうに「馬鹿者」と同情する様子もなく呟いていた。
そこにフランクが、「服従の呪文をかけられて本部に戻られるよりまし」とまた冷静に言う。

服従の呪文、磔の呪文……許されざる呪文である。
それに死の呪文を合わせて、禁呪の三つが揃う。
――死喰い人と対面する中でそれを向けられることはあったけど、多分私、それを避けてたよなあ?

は過去を振り返りながら考える。
緑色の閃光、死の呪文なんか、今までどれだけ避けてきたのか分からない。
まだここに落ち着いて、数ヶ月も経っていないというのに。

この師匠について回っていたら、なかなかスリリングな体験ができる。

それに自然に慣れてきている己の身に目を合わせることなく、はうんうんと頷く。
するとふいに視線を感じて、は首を傾げた。


「ムーディさん? どうかしたんですか?」


まだそんな険しい目で見られるようなことは、今日はしてないはず。

そう思っている内にはぐいっと腕を引かれ、転びそうになりながらも、ムーディに引かれた。
本部のプレートの下をくぐる。
早足で歩くムーディに小走りになりながらも、はその背中を追いかけるしかなかった。


この場所は――。
の顔が蒼褪めた。
あまり有り難い思い出のある場所ではない。

魔法法執行部、闇祓い本部のあるフロアであるはずなのに、はここには数度しか来たことはなかった。

連れられて来た場所には、無機質な白い壁の廊下に、小刻みに白いドアがついている。
このところ人があまり訪れたことがないのだろう、埃っぽい場所だった。
小部屋ごとに仕切られているが、その中は魔法がかかっていて広さは窺い知れない。

その一つ一つにプレートがかかっていて、何かしらの文字が書かれていたが、それを読む余地は今はなかった。

転びそうなほどに勢いよく引っ張られて歩かされていたら、唐突にムーディは止まる。
は方向転換がすぐにできずに、ブーツがズザザッと埃を上げた。

ムーディはどこからか取り出した鍵でその扉を開けた。
とムーディはその部屋へ入る。


廊下と同様に壁が白い部屋だ。
中には何もない。
ただ思い出したかのように、窓が一つついていた。
床の磨き上げられた板張りがピカピカと光っている。

が物珍しげに辺りを見回しながら入ると、ムーディはを掴んでいた腕を外し、と距離を取るように奥に歩いて行った。
はそれに無意識に恐怖心を抱いたが、口は開かなかった。


「さて」


はその声に敏感に反応し、目の前のムーディを見た。


「お前は研修を受けていないのだったな」

「……はい」


ムーディは溜息を吐いた。
は理不尽なそれに少し眉をしかめかけたが、止めた。


「許されざる呪文に抵抗する訓練を受けたことは?」

「いいえ」


ムーディはまた溜息を吐いた。
こんな魔法使いを闇祓いとして死喰い人と戦わせていたなんて、とでも言いたそうだ。


「分かった。今からわしがお前に服従の呪文をかける。お前は――」

「同種であるヒトに許されざる呪文を行使したら、アズカバン送りになるのでは?」


ムーディは呆れたような顔をした。


「――前に、お前にこの中ではいかなる法も適用されんことを教えたが? もう忘れたのか?」

「……すみません」


呆れ顔の師匠には平謝りをした。
禁呪までがそれが適用されるなんて……背中から汗が噴き出した。


「とにかく、これから服従の呪文をかける。お前はわしをどんな方法でも良いから、武装解除してみろ」


その言葉の瞬間、はこの数ヶ月でつちかった反射能力で、即座に杖を抜いた。

冷や汗は頬を伝ってはいるものの、目は確かに閃光を追っていた。
その呪文を身体に当たる前にかき消そうとしたが、ムーディの巧みな杖さばきによって、それは叶わない。

ドン、と呪文が身体に当たる。


ふんわりとした幸福感が身体を包んだ。

目が周りを意識を伴って写さない。
白いもやがかかっているような感じだ。

今まで感じたことのない、最高の気分だ……意識がぼんやりと浮かび上がる。
――いや、これはおかしい。

己の頭が考えることを放棄してきているのに、別の自分が気づいた。
頭の中で理性が回る。
服従の呪文の効果そのままのことが、自らの身体に起こっていることに気づいた。


――その場に膝を着いて杖を下ろせ――。


ムーディの声が、どこからか頭に響いてくる。
己を見失わないように、現実の自分に魔法をかけている目の前の彼を意識した。

膝を折りかける足を叱責し、架空の幸福感と現実との狭間にある己を奮い立たす。


――膝を着いて杖を下ろせ――。


膝が痛みを訴えていた。
曲げようとする身体に、意思が抵抗する。

腕はプルプルと震え、何とか杖を下ろそうとするのに抵抗していた。


「嫌……だ……っ!」


――杖を下ろせ――!。


は足を一歩踏み出し、杖を振った。
武装解除の呪文が迸り、ムーディは簡単に防ぐこともできたであろうそれをわざと受けた。
杖がするりと手から抜け、その辺りに転がった。


「まあ、最初はこんなものか」


は息を荒げながら、痛みを訴える腕と膝をさすった。
杖をぎゅっと握り直す。

ムーディは杖を握り、息を荒げているを見て無情に言い放つ。


「次は磔の呪文だ。構えろ。前と同じように、わしを武装解除しろ」


えっ――。
顔を上げると、寸前に魔法の光があった。

ドスリと重い感覚がして、すぐに身体に異変が起こる。


「ぐ……!」


息が詰まり、あれほど堪えていた膝が簡単に折れた。
床に這いつくばった。
次の瞬間に、喉が今まで出したことのない悲鳴を上げた。

熱い、痛い。
皮膚を余す所なく刺激が駆け抜ける。

身体の組織全てに熱い痛みが走り、全身をかき抱いた。
そうする腕にも激痛が走っている。

割れそうな頭を何とか持ち上げた。
カラカラに乾いた眼球は、悠然と立っている師匠を捕らえた。

床に膝を立てるくらいまで何とか身体を起こす。
腕がガクガクと震えるが、指先を彼に向けた。

手から杖さえ放させれば――。

その思いが全身を駆け巡った。
息を大きく吸った。
決死の覚悟で武装解除の呪文を唱え、またお情けでムーディはそれを受けた。

ポンと杖が彼の手から抜けると、激痛が身体からゆっくりと離れていく。

はその場に座り込んだ。
嫌な汗をかいている。
肩は激しく上下していた。
まだ身体の中が、熱い。

ムーディはそのを見下ろし、目を細める。


「もう一度立ち上がれ。今度は前ほど手は抜かん」


は絶望的な気分に襲われた。
はのろのろと立ち上がった。
逆らうことはできない。

じっと目の前の師匠を見る。
歯を噛み締める。

また前と同じように呪文が身体に当たるが、その後の衝撃が前とは全然異なった。


「あああぁっ!」


身体はまた前のように床に倒れた。
しかし、全く四肢に力が入らない……いや、それをどうにかしようという意思が働かない。
気が狂いそうだ。

激痛に身体がうねる。
目は何も映さない。
頭は何も働かない。

痛みに喘ぎ、悲鳴を上げることしかできない。
頭の中は真っ白だ。


「――止めて、止めてっ!」


ガンガンと頭が鳴る。
このまま死んでしまうのかもしれない。


「いやだ、いやっ、いたっ、いたい! ムー、ディ……ムーディ、さっ……」


に自覚はなかったが、彼女は知らず知らずの内に彼女の師匠の名前を唱え始める。
ムーディは腕を組んでそれを見つめていた。


「ムーディさん……やめ……ああぁ!!」


痛みで虚ろになりながらも必死で己の名前を叫ばれて、ムーディは眉を寄せる。
眼下で痛みに身を捩じらせ這いつくばっている少女は、うわ言のようにそれを叫んでいた。
彼女がこのように悲鳴を上げるのは、初めて聞いた。

ムーディは、哀れに思う気持ちがどこからか込み上げてくるのを感じた。
芋虫のように地面に這いつくばっている彼女に、らしくなく少し呪文を緩めた。

途端にはがばりと起き上がった。


パン!


はムーディの背後に姿を現し、その杖を手からもぎ取った。
ムーディの冷静な黒い目が、確かにを追っていた。

は今度こそ地面に倒れ込んだ。
声も上げずに激しく息をしている。

しかしそれも程々に、は目をムーディに上げて彼が冷静にそれを見ているのを知って、ゆらめきながらも立ち上がった。
汗がの首を伝っていた。


「これから四六時中時間を選ばず、わしはお前にこの二つの呪文を放つ。武装解除まではしなくてもいいが、呪文に抵抗しろ」


口答えはできない。
突っ込みたい所はあるが、突っ込めない。
剣呑な光を放つ師匠の目に、は従うことしかできなかった。









*










どうやら何かしらの許可を省に取ったらしく、すぐさまその「訓練」が始動された。
四六時中ビクビクと神経をすり減らしながら過ごすことになる。
フランクにその話をすると絶句されて、アリスにその話をすると眉を寄せて何かを考え込まれたが、彼らはそれ以上に何かをしなかった。

闇祓い本部の魔法使いたちに、私まで変人扱いをされて心外だ。
これは、決して私から望んだことではない。
仕事中でもふいにこの呪文がかかって来て、何とか悲鳴を噛み殺そうとするのは日常茶飯事となった。

さすがに死喰い人と対面している時にそれはなかったが、その他の魔法省にいる時や師匠の家にいる時は、いつそれが降ってかかってくるか分からないのだ。
神経を張り巡らさない時はなかった。
食事をしている時も、シャワーを浴びていても、寝床に入っても、気が緩めない。
この師匠なら何でもするだろう。

日が進むごとに見る目に上達しているとフランクに言われたが、それと比例しての疲労は溜まりに溜まっていた。





ムーディはの寝室の扉を静かに開いた。
ベッドは盛り上がっていて、そこでが寝ている。

ベッドへと足を進めると、明かりのない暗い中だが、眼下で彼女が小さく寝息を立てて寝入っているのが見えた。
パジャマのボタンが上から二つほど開いていて、ムーディはしばし考えてから、一つボタンを閉じた。
風邪をひかれては困る。
それには少し身じろいだが、その後は何もなかったかのようにまた安らかに寝息を立てる。

ムーディはそれを確認してから、に杖を向けた。
呪文を唱える寸前、はぱちりと目を開けた。


「わっ……あっ!」


驚愕に目を見開きながらも、はベッドの上で一回転して、その呪文を避けた。
避ける前にいた所のシーツが黒く焼けた。

は素早く身体に身につけていた杖を取り出し、ベッドの上でムーディを睨み付けた。

ムーディは磔の呪文を素早く放った。
はそれを受けたが、すぐに身を翻し、ムーディの背後に現れる。

そのまま彼をベッドの上に押し倒し、上に乗りかかって、杖を振った。

身体から痛みが取れて、は息を吐く。
手にはムーディの杖をも持っている。


「……随分上達したでしょう?」

「最初が酷過ぎた」


はムーディの背中に乗っているので、ムーディはベッドの上で仰向けになっている。
完全に自分が優位な状態にいるのにこのような台詞が放たれて、は多少機嫌が悪くなる。
しかし、はまた息をすうと吸った。


「でも、少しだけ、ムーディさんを出し抜けて嬉しいです。あの……これ、いつまで続けるんですか?」

「自分が上達したから止めろ、と?」

「そういう意味ではなくて、ただ、これがずっと続いたとしたら、私はずっと健康でいられる自信はありません」


少しだけ気を遣って、疲労が大きい仕事が終わった時は、これを控え目にしてくれているということには気がついている。
でもずっとずっと、やってられない。
この頃身体がだるくてだるくて……疲労が取れない。

ムーディは身を起こす。
は同時にムーディの背から滑り落ちそうになるが、うまく地面に着地した。
ムーディが手をひらりと動かすと、彼は容易くの手から自らの杖を取り戻した。


「わしを出し抜けたと? 本当に思っているのか?」

「……いえ……大分手加減して、くれているんですよね……」


は緩い笑顔を見せた。
ムーディはその笑顔を目に留め、腕を組む。


「日にちが経った分は上達はしているだろうが、まだお前にわしを本気にさせることはできん。
 しかし、こればかりずっと続けていることができないことも、事実だ」


の目が輝いた。


「明日は大した仕事はなかったな。終わってから、前の部屋でお前の実力を確かめよう、















は、無事に試験をパスした。
しかしその結果、ますますがあの部屋にトラウマを募らせるようになったことを、ムーディは知らない。
そして、その後も度々あの部屋でスパルタをされることになるだろうことを、はまだ知らない。



























2009/3/9






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