圧倒的な闇が蹂躙する














体内時計はとても正確だった。
毎朝起きる時刻は厳密に決まっている。
目がパチリと開き、はそのままいつものようにベッドから身を起こそうとした。

途端、世界は揺らいだ。

揺れる身体を両手でちゃんと立て直し、自分がベッドの上にいることを再確認する。
目覚めた感覚が、熱を訴えた。
身体の中に酷く篭る熱は、肌という薄い膜で外に出ることを許されない。

久し振りの感覚だった。
学校を卒業してから、病気にかかったことは皆無だった。
昔、高熱を出して寝込んだ時の感覚を思い出す。
今の感覚は、その時の感覚にとても似ていた。

敏感になった皮膚は寝巻きの微かな擦れにさえ、敏感に感覚を伝えた。
しかし、このままベッドの上にいるわけにもいかないと思い、はベッドから立ち上がって着替えを取りに行こうとする。
立ち上がった途端に、胃がひっくり返った。
思わずその場に屈み込み、腹を押さえる。
胃酸さえ吐き出しそうだった――とても気持ち悪い、三半規管が狂って酔った時の感覚に似ていた。

何とか口を閉じ、床で団子虫のように丸くなって、この感覚が過ぎ行くのを待つ。
体中にじっとりと嫌な汗をかいた。
少しましになったら、はベッドに這い戻った。

籠もった熱が胃にやって来て、目をギュッと閉じて気持ち悪さを耐える。
平衡感覚が揺らぎ、上下の区別さえ段々つかなくなってきた。
また、胸元のネックレスがとても熱かった。





が、この時間に現れないのは初めてだった。
ムーディは気を揉んで、の部屋へ足を向ける。
朝食が冷める。
夜中に何かがあったのか――この物騒なご時世、そのような可能性はなきにしもあらずだった。

の部屋の前に来たムーディは、ドアノブを握り、そのまま引こうとする。
が、思いとどまり、ドアノブから手を離して、ノックした。
返事はない。
それを確認したら、ムーディは遠慮なくドアを開いた。

目の前に、寝巻きのままベッドにうずくまっているがいた。
一瞬寝坊でもしているのかと思ったが、近付くにつれて、彼女の様子がそれではないことに気づく。
の額に手を伸ばすと、そこは今にも火を噴くかのように熱かった。

ムーディの来訪に気づいたは、目を薄っすらと開いた。


「……お早う御座います……」


小鳥の鳴くような声量で、顔中に汗を流し、シーツをぎゅっと掴みながらは述べた。


「ああ」


ムーディは表情を変えず、体温計を魔法で取り出し、の寝巻きの下に挟みこむ。
はもぞもぞとそれを脇に挟んだ。
そして、また魔法でグラスに入った水を取り出して、ストローをつけてに差し出した。
親鳥から餌を受け取る雛のようにはストローに口を着け、ゆっくりと水を飲む。

ムーディはの様子を眺めた。
熱は随分と酷そうで、先ほどからは腹を手で押さえていた。
病気か――魔法疾患か――呪いにでもかかっているのか。

体温計は高熱を示した。
ストローから口を放したは、掠れる声で呟き始める。


「熱くて……胃が気持ち悪くて……平衡感覚が掴めなくって……」

「緊急を要すると思うか?」

「……いえ、多分、ただの病気だと……」


魔力を感じる能力があるらしい彼女がそう言うのなら、そういうことにしておこう。
ムーディは息を吐き、杖を振った。
側のテーブルに、水の入った容器と、軽い食べ物が現れる。


「一日、大丈夫だな? 何か今の内にしておいて欲しいことはあるか?」

「……冷たいタオルが欲しいです」


途端、の額に冷えたタオルが落ちて来た。
暫しの様子を眺め、ムーディは部屋から出て行った。
出勤するのだ。










*










自宅に戻ったムーディは、一息吐いた。
こちらを罵るフランクやアリス、無言の圧力を加えてくるキングズリーからやっと離れることが出来たのだ。

足はそのままの部屋へと向かった。
そうしないと、明日は彼らから人間としての対応をされないかもしれない。

いつもの調子でドアノブを掴んで引こうとしたが、はたと気づき、極めてゆっくりとドアノブを引いた。
部屋の中は真っ暗で、微かな月の光が窓から降り注ぐだけだった。
足音を忍んでベッドに近付くと、は朝と変わらない体勢で眠っていた。
ムーディはの様子を凝視する。

汗も朝の時ほどにはかいていないようだったが、安らかに寝ているとは見えなかった。
どこかうなされているように見える。
側のテーブルに目をやると、水差しからは確かに水が減り、オートミールが入っていた小さな皿は空になっていた。
……胃が気持ち悪いとか、言っていたなかっただろうか?

椅子を引き寄せ、ベッドの隣に座った。
ふと、の胸元で何かが光っているのが見えた。
そっと寝巻きの布をめくると、以前与えた魔力抑制鉱石が埋め込まれたネックレスがの肌の上にのっていた。
そして、それが、微かに震えていた。

ムーディは目を細めた。
その鉱石に手を近づけると、少し離れた所からでもそこから発せられる熱が感じられた。
ムーディは考えて、今度はの手に触れようとする。
手の平から一センチ離れた所で、ピリリとこちらに痺れるような感覚が訪れた。
さらに手を近づけ手の平に触れると、雷に似た小さな閃光が走って、一瞬で指が痺れた。

痺れた指を振り、ムーディは目下の少女を眺める。
――抑制されるべき魔力が身体の中に篭っている――のだろう。
このような鉱石を身に付けるのは初めてだと、は言っていた。
この鉱石を身に付ける副作用が、彼女の身体に現れている。

元々魔力を抑制することに無理があるのだ。
それも、彼女の抑制したい魔力は大きく、強い。
多くの魔法使いはこんな方法を使って、己の魔力を封じることはしない。

むしろ、魔力を抑制したいという願いが、他の者から見たら贅沢だ。


――こんなことをすべきではなかったか。

ムーディは考えるが、この鉱石をつけなかった時のの様子を思い出し、その考えを肯定することは出来ない。
あの時の彼女は、首輪をつけない猛禽類のようだった。
制御できない巨大な魔力ほど恐ろしいものはない。

環境が変わったから魔力を抑制できなくなる、だなんて彼女に特異的なことだろう。
元々彼女の魔力も普通のものではないから、普通の一般的な見解など彼女に当てはまらないのはおかしくないことだ。


「ムーディさん」


は目を開けていた。
どこか空ろな目線で、こちらを眺めている。
朝よりかは、口調はしっかりしていた。


「起こしてしまったか?」

「朝からずっと寝てました。これ以上寝ていることなんて、できません」


そう言って、はムーディから視線を離して天井を見上げた。
微かに眉を寄せて、じっと天井を凝視している。
熱のせいか、その目は濡れていた。


「……怖い夢を見てました」


は手を握り締める。
その時、そこから耐え切れず出てきた僅かな光の閃光を、ムーディは見た。


「真っ黒な闇の力が、私の視界を覆う夢です。何も見えなかった……」


は先ほど握り締めた手の平を、自分の目の前に持って来た。
手を握り締めると、またそこから閃光が溢れる。
はそれを冷静な瞳で眺め、手を揉んでいる。


「怖かった」


ムーディは誘われるように手を伸ばし、の額へ触れようとする。
途端、は飛び退いて、その手を避けた。
触れられるのを拒むようだ。


「大丈夫だ。早く熱を測らせろ」


ムーディはうんざりした口調で言う。


「でも、あの……」

「お前の状況は分かっている。わしには経験がないことだからよくは分からないが、体内に魔力を貯めこむという話なら聞いたことがある」

「……」


は唇を噛んで、動かなかった。
……闇の魔力が貯まっている身体を、触らせるだなんて……。

ムーディはこれ見よがしに溜息を吐き、の腕を掴み、無理やり額に手を当てた。
電気が走るような鋭い刺激が手の平を走るが、その熱は朝より随分低かった。


「良い子だ。回復が早い」


ムーディはの身体から手を離し、が気が抜けたようにこちらを眺めるのを見た。


「明日にはもう全快してくれ。そうしなければ、またフランクにひどく罵られる。
 お前が病気になったのは、わしがお前を酷使したからだのなんだの、もう耳に蛸が出来た」


はそれは絶対に不可能だと思っていたが。


「……頑張ります」

「よし」


ムーディは立ち上がり、側にあった水差しと空の皿を手に取った。


「それと、お前の見た悪夢は熱のせいだ。わしが保証する」


はキョトンとした表情を見せた後、表情を曇らせた。


「……でも、私は……」

「何だ?」

「……でも……!」

「ダンブルドアが言っていた」


え?
は、ムーディを見つめる。


「これからどうするかが大切なんだと。生まれ持っての資質より、本人の選択が重要らしい。
 ホグワーツの組み分け帽子はそうして、生徒を寮に振り分ける」


黙ったを確認して、ムーディは部屋から出て行った。

それから一週間後、はようやく全快した。



























2009/6/28






close