全ての希望を背負って絶望へ向かって飛び込んだ














私は、決意した。
目の前の先生の私室の扉をノックする。
中から軽く返答が聞こえて、それに促されるまま扉を開く。

いつ見ても真っ黒なマントを着ている先生は、椅子に座って、何やら書き仕事をしていたようだった。
羽ペンを休ませてこちらを見上げる先生の顔には柔和な笑みがあって、人当たりの良い印象を受ける。
そして、あいも変わらず綺麗な顔をしていた。


「レポートの提出かしら? スネイプ先生は、今確か部屋を空けているわよね?」

「いいえ。違うんです。少し、お話したいことがあって」


先生の前に一脚の椅子が唐突に現れた。
優れた魔法の使い手である先生にとって、これくらい容易いことなのだろう。
その椅子にいそいそと座りながら、目の前に魔法によってティーセットが完成される様子を眺める。

差し出されたティーカップを口に運び、魔法でもこんな味の紅茶を淹れられるのかと感心した。
そしてその合間に、先生の方をちらちらと眺めた。


「それで、何を話してくれるの?」

「……あの、ですね……」


私はカップの底を見つめた。
僅かな茶葉が真っ白な陶器の底に模様を作っている。
そういえば、昔占い学の授業でこんなことをやったなあ、と頭の端が考えた。

先生は言い淀む私を別に言及することなく、ゆったりと構えている。
いざ言うとなったら、意気地がない自分に嫌気が差した。
きゅっとカップの持ち手を握る。


先生はスネイプ先生と仲が良いですよね?」

「ええ、まあそうね」

「それじゃあ、スネイプ先生の好きな女性のタイプって分かりますか?」


先生はキョトンとした表情をした。
暫し目を見開いた後、先生は私を特異なものを見るかのように見つめた。


「――私が今貴方について考えていること、貴方は間違ってると思う?」

「いいえ」

「そう、そうなの……」


感慨深げに先生はそう言って、私をまだじっと見つめている。
私はどういう表情をしたら良いのか迷ったけれど、とりあえず毅然としていることにした。
すぐさま返答をしない先生に、一抹の不安が生まれる。


「それとも、スネイプ先生と先生が付き合っているっていう噂は本当だったんですか?」

「まさか! そんなわけないわよ!」


即座に否定されて、私はようやく心が落ち着いた。
ずっと、このことが気にかかっていたのだ。

いつも側にいて仲の良い二人は、生徒の中でそのような噂を立てられていた。
先生がスネイプ先生に「お姫様抱っこ」をされて医務室に向かっていた、という噂が広まってから、この話題はよく生徒の口に上り始めた。
私はそれを目撃しなかったけれど、人伝にそれは嘘ではないらしいと聞いた。
今、この場でそれをはっきりさせても良かったけれど――別に、先生がそういう対応をするのならこんなことはどうでも良い。


「じゃあ、分かりますか?」

「分からないわ。だって、そんなこと普通聞かないでしょ?」

「スネイプ先生に彼女がいるような節は、ないんですよね? それじゃあ、探りを入れてもらえませんか?」

「……私が?」


先生は自分を指差して、微かに眉を寄せた。
そして、机に肘をついて唇に手を当てる。


「お願いします。頼めるのは先生だけなんです」

「……まあ、努力はしましょうか」

「ありがとうございます! ところで、先生は付き合ってる人はいるんですか?」


一拍の間があった。


「別に、いないわ」

「そうなんですか? 意外です。先生なら彼氏の一人や二人いると思っていたんですけれど」

「まさか。それに、貴方、一人や二人って……一人で十分でしょ?」

「そうでした」


私は小さく笑った。
先生もくすりと笑って、カップに手をつける。


「先生。どうしたら年上の男の人を落とせるか、教えてもらえますか?」


先生のカップを持った手が、止まった。
何気なく聞いた言葉だったが、予想外に先生は狼狽した様子だった。
何故だろう。
困ったような顔をした先生は、今まで明瞭だった言葉を濁して言う。


「……貴方の方がきっと、そういうことは得意だわ」


案外、この先生は、初心なのかもしれないと思った。
今まで抱いていた先生に対するイメージと、それは反していた。















「セブ。貴方の好きな女性のタイプを教えて」


セブルスは、思いがけない言葉を聞く。
到底彼女が言うような言葉とは思えなかった。


「どうした? 熱でも……」

「ないわよ。ねえ、教えて」


その声は別にこちらに媚びるような雰囲気を持たず、いつも通りの強い言葉だった。
セブルスはタイプも何もないだろうと瞬間に判断したが、とりあえず試しに考えてみることにした。


「……馬鹿は嫌いだ」

「私、貴方ほどの知識を持ち合わせなきゃ嫌われるっていうこと?」

「別に、勉学に限ってのことではない。勉学ができても馬鹿な奴は沢山いる。もっとも、一定以下の成績を持つ奴の中に、賢い奴がいるとは思えんが」


それって、勉強ができることは貴方にとって最低条件っていうことよね?
は言葉を飲み込んだ。
彼に馬鹿じゃないという認定をされていて、良かった。
いや、でも、怠けて何もしなかったら私も彼に呆れられて――はそこで、考えを止めた。


「それで、好きなタイプは?」

「お前、本当に我輩にそれを訊きたいのか?」

「……別に」

「そうだろうな」


セブルスは肩を下ろした。
ようやく納得する。
の唇は僅かに尖がって、とつとつと経緯を語りだす。


「生徒に貴方にそれを訊くよう頼まれたの」

「ほう」

「予想つくでしょ?」

「事実は語らなかったのか?」

「勿論よ」


ふ、とセブルスは意地悪な笑みを見せた。


「嘘を吐いたということか」


紛れもない事実に、は反論はしなかった。
しょぼくれたように自分の膝を眺める。
ますますその事実を露見させるかのように、セブルスはそうするの額に口づける。

意地悪。
は、セブルスを睨み付けた。


「貴方を好きになる物好きなんて、私だけだと思ってたわ。案外もてるのね」

「思春期の学生が、冷静にそんなことを判断できるとは思えんがな。熱に浮かされているだけに過ぎん」


軽くあしらうセブルス。
その様子から、セブルスにもそういう経験でもあるのだろうかと考えた。
の脳裏に必死の表情だったあの子の様子が浮かぶ。


「でも、彼女は本気らしいの」

「それで。その彼女とやらに協力して、どうにかするつもりか? 茶番に加わるだけ無駄だ、


そう思う節も確かにあった。
けれど、はそうしてこのことを切り捨てることは、どうしてもできなかった。















「彼の嫌いなタイプだけは突き止めたわよ。あんまり頭が良くない人は、嫌いみたい」


そう笑顔で言った先生は、とても頭の良い女性だった。


「それって、先生は好意の対象に入ってますよね」

「だから、友人なのよ」

「少なくとも、私よりかはスネイプ先生に好かれる要因を持ってますよね」

「……嫌いなタイプだけを私は言ったのよ? そこまで深入りする必要はないわよ」


小さく首を傾げた先生は、おあがり、とでも言いたげにまたティーカップを差し出した。
前と全く同じのカップだった。
細かいピンク色の花模様の描かれた白いカップを先生が差し出すと、少し違和感を感じた。
先生の服装も前回とほぼ変わらず、グリフィンドールの紋章のついた制服を着ている私にも変化はなかった。


「でも、貴方だって別に頭が悪いわけではないんでしょう? 確か、魔法薬学の授業を取っていたわよね」

「O.W.L.ではOを取りましたけど……」

「凄いじゃない! 十分だわ」


そう言う先生は闇祓いで、全く先生の言葉に信憑性はなかった。
心からこの人はそう思っているのだろうか、と考えたけれど、陰りのない顔色から先生が嘘を吐いているようには感じられなかった。


「卒業する前に、言ってみようと思うんです」


嫌われる要因を私はまだ持っていないのなら、試してみる価値があると思った。
この先生の部屋の扉を開いた時から、心は決まっていた。
明るい結果が待っているとは到底思えないけれど、このまま何もしないでいるのはもっと辛かった。


「少なくとも、スネイプ先生に嫌われていないのなら、私、やってみます。
 先生、背中を押してくださってありがとうございました。応援してください」


先生は驚いた表情をしていた。
この頃思うのだけれど、この先生のこういう驚いた表情をこんなに沢山見るのは、このホグワーツで私だけかもしれない。


「……ええ、勿論」


私は微笑んで、先生の部屋から出て行った。















「失礼します」


見知った扉を開くと、見知った研究室が目の前に広がった。
昔から率先して魔法薬学のレポートを集め、この研究室へ持って来ていた私は、同級生から有り難がられていた。
そして、今日も、私は片手にレポートを携えていた。


「先生、お話したいことがあるんですが」

「質問か?」

「はい。そんなものです」


スネイプ先生は暫し眉を寄せたが、少し待つようにこちらに指示を出した。
私は立ち尽くして先生が話を聞いてくれるまで待つ。
今までの素行が良かったお陰だな、と私は自画自賛した。
先生の言っていたことは、あながち間違いではないらしい。


「何かね?」


スネイプ先生は椅子に座ったまま、視線をまだ机に下ろしながら言った。
羽ペンの動きはまだ止まらないが、羊皮紙の終わりが見えていた。


「先生にお伝えしたいことがあるんです」

「さっさと言いたまえ。時間が惜しい」

「はい。私は、前から先生のことが好きだったんです」


羽ペンの動きが緩まるのを見て、私は嬉しくなった。
いざこうなってみると、私は思いの他大胆で、堂々としていた。
ほら、笑みさえ浮かべる余裕さえある。


「それが伝えたかったんです」

「同じ言葉を二度繰り返さなくてよろしい。君の言いたいことはよく分かった」


――よく分かったって?
胸の中に希望が迸るのを止めることができなかった。


「だが、ミス、君は――」


否定の言葉を紡がないで、とこちらをやっと振り向いた先生の口を指で制止すると、驚いたことに先生は唇を止めた。
そして、私の方を見た。

私は床に膝を着き、そっと先生のそれを私の唇で塞いだ。
制止をするように肩を掴まれたが、それを振り払うと、また驚いたことに先生はそれ以上こちらを突き放そうとしなかった。
でも、ぎゅっと閉じた私の瞼は何も映さない。

そっと唇を離すと、目の前のスネイプ先生は私とは違う方向に目を向けていた。
そちらに目を向けると、そこには知った綺麗な顔をした黒い影。

私が口を開く前に、先生はこちらに足を進めた。
私とスネイプ先生との間に割って入ると、スネイプ先生の身体を掴み、慣れた様子でくいとスネイプ先生の顎を確保すると、それに唇を押し当てた。
さっき私がやったものよりも、それは大人のものだった。
気が済むまで唇を貪った先生は、眉を下げながらも、ほんの、ほんの僅かに笑みを見せた。


「ごめんなさい。こういうことなの」

「……先生、正直、見損ないました」

「本当に、貴方に対しては申し訳ないことをしたと思ってるわ。許して欲しいとは思わないわ。でも……」

「そうならそうって、早く言ってくれたら良かったのに。私、先生にそう尋ねましたよね?」


私は先生に一先ずそう言ってから、標的をスネイプ先生へ向けた。


「スネイプ先生。先生、私がキスする前に先生のことに気づいていたんでしょう? どうして私を意地になっても振り払わないんですか?」


先生とスネイプ先生は、一瞬不意を突かれたような表情をした。
私がスネイプ先生の唇を制止した時、きっとスネイプ先生は先生がいるのに気づいていた。
私じゃなくて、私の背後にいた先生を見ていたに違いない――。
私は眉を寄せて、先生へ振り返った。


先生も言ってやってくださいよ! 彼女の前で他の女とキスするなんて! 考えられない!」


にわかに、先生にスイッチが入ったようだった。
すうと目を細めた先生は、今まで見てきたどんな様子よりも迫力があった。
スネイプ先生は、足を一歩、先生から離れるよう動かした。


「その通りよ。セブルス。どういうつもりなの、貴方? 私と目が合っていたでしょう? どうして彼女を拒否しなかったの?」

「そんなことを言うのなら、お前も止めに入ったらどうだったんだ?」

「止めに入る? 貴方があんなことを元々しなかったら、私がそんなことをする必要性は生じなかったはずだわ」


の背後から立ち上るどす黒いオーラに、セブルスは怯えた。
これ以上何を言っても、彼女のペースに持ち込まれるだけだ。


「その通りです。そんな神経、考えられませんよね」


しかも、ここにはもう一人彼女の味方がいる。

女二人は気が済むまでセブルスを罵り、部屋を出て行った。
セブルスは反論さえしなかった。
二人が出て行った後、大きく息を吐く。

と視線が合った時、彼女はこれに同意をしてくれているとこちらは判断したのに、それはどうやら間違いだったようだった。
あの生徒に協力したいなどとのたまっていたのは一体誰だ?
あの生徒がこちらに入って来たのを察して、こちらの部屋に入ってくるだなんて。
は、きっとずっとこの部屋に意識を向けていたに違いない。
生徒が一人、入り込んで不審な動きをしてはいないかと。










*










「あの、改めて、ごめんなさい。何回も嘘を吐いちゃって……」

「先生、もう良いですよ。何だか冷めました」


湖を見下ろせる芝生に、二人は座り込んでいた。
魔法が解けたかのように現実に引き戻された私は、もうこの状況を冷静に見つめることができるようになっていた。
何かのネジが外れたのかもしれない。
恋なんてそんなものだ。


「それにしても、先生、必死でしたね。まさか、先生があんなことするだなんて思ってもみなかったです」

「……」


黙り込んだ先生の方に顔を向けると、なんと、先生は僅かに頬を染めて恥ずかしそうにしていた。
その様子があまりにも可愛らしくて、私はさっきの様子とは大違いだな、と感慨深く思う。
あんなに見せ付けるかのようにキスをしていた先生はどこにいったのだろう?


「……ちょっと、嫉妬しちゃって」


ポツリと呟いた。
この先生が何を私に嫉妬するのか。
先生は続ける。


「何と言うか、ちょっと、少しだけコンプレックスが刺激されちゃったの。貴方……スタイル、良いから」

「え?」


間抜けな声を上げてしまった。
先生は、まるで少女のような表情をして、気まずそうに足元の芝生を眺めていた。


「そんなことないですよ! 先生だって……」


そう改めて先生の身体を見てみると、先生の身体はスレンダー過ぎるほどにスレンダーだった。
私自身は標準的な体つきだと自負しているけれども、確かに先生よりかは――。


「スタイル良いですよ」

「ありがとう。鍛えているのも困ったものね。脂肪からなくなっていくもの」


苦笑した先生は、また視線を下ろした。
しかしそうしたと思えば、ふと気づいたかのように視線を上げて、私のほうを見つめた。


「貴方にお願いがあるの。このこと、秘密にしておいてもらえるかしら? ほら、お互い立場があって……」

「分かりました。私、応援しますよ」


また、先生は目を少し見開いた。


「だから仲直りしてくださいね」


先生は頷く。
その様子が、あまりにも初心な感じで、私はまるで下級生の恋路を見守っているかのような気持ちになった。


「ありがとう。……ねえ、貴方は本当にこれで良いの?」

「はい。一回唇はいただきましたし、良い餞別になりましたよ」


私は、少し頬を引き攣らせた先生を眺める。


「それに、まさか、先生からまだ奪えるだなんて思ってませんよ」


先生はその言葉を信じ切ってはいないような感じだったけれど、小さく笑みを見せた。
二人で顔を見合わせると、お互いにクスクスと笑い始めた。


「……良かった」


だって、若い人に勝てる気はしないもの。
ほら、彼だって、貴方を離そうとはしなかったでしょ?

そう言う先生は、和やかな表情をしていた。
私は、この先生の繰り出す様々なギャップに眩暈がしそうになった。
きっと、そういう所にスネイプ先生はロマンを感じたんだろうなあ、と他人事のように思った。



























2009/11/22






close