インキュバス














「お姉さん」


お姉さんというのは誰だ?

は辺りを見回したが、それに相当するような人はいなかった。
手入れのされていない蔦の絡まった建物に囲まれており、四角く切り取られた空が遥か彼方からこちらを見下ろしている。
日の光は地上まで届かない。
ここには、以外に魔法使いはいなかった。

視界の中に入って来たのは、大きな帽子を被った女性だった。
少し時代錯誤な黒を基調としたクラシックなドレスを身に着けており、細かな刺繍から白魚のようなふっくらとした指が覗いている。
西洋人形のような長い巻き髪が背中に揺れ、くっきりとした二重がアーモンド型の目の上に刻まれている。

そんな彼女の指は、の腕に絡み付いている。
まるで、姉と戯れているような表情をしている彼女。


「お姉さん、占いをしていかない?」

「……占い?」

「そう。私の占い、よく当たるの」


ソプラノのよく通る声が、耳に心地良い。
より背が高い彼女は、半ば引き摺るように、を近くの小さな家へ連れて行く。
はそれに抗うことはしなかった。

彼女はニコニコと常に笑みを浮かべていて、紅を差した頬はピンクに染められている。
可愛らしい表情を浮かべたままの彼女は、家へ入ると、を椅子に座らせた。
の目の前の机の上には、ふっくらとしたクッションの上に水晶玉が置かれている。
彼女はの前に座って、もう一度微笑みかけた。


「――占いは? してくれないの?」

「せっかちなのね。少しおしゃべりしましょうよ」

「私、別に貴方と話したいことなんて……」

「お姉さん、正直者なのね。でも、私はお姉さんとお話したいの」


ならば、その、お姉さん、なんていう呼称を止めてくれ。
はうんざりした気持ちに襲われる。


「ね? 良いでしょ?」


彼女の瞳孔が開き、瞳の奥が燃えたように見えた。
同時に、先ほどまでとても可愛らしかった微笑が、蕩けるようなものに変わる。
は、彼女の言葉を紡ぐ柔らかな紅色の唇から目が離せなくなる。
魔法を唱えるかのように、唇はゆっくりと動いた。

彼女は立ち上がって、へゆっくりと近付いていく。
長いスカートの下の足は確実にへ歩みを進める。


「それとも、やっぱり、占いを先にして欲しいの?」


は自然に、椅子の上から彼女を見上げる格好になる。
彼女は膝を折る。
真っ黒なドレスの裾が床に流れた。

じっと見つめていた唇がこちらに近付き、捕食されるかのように唇を啄ばまれる。
二度、三度、啄ばんだ後に、先ほどより低い声で湿った言葉が吐かれる。


「それとも、こっちの方が好み?」


ふっくらとした唇から目を離し、は彼女の目を見た。


「帰らさせてもらうわ」


はっきりとそう言った後、は立ち上がってくるりと扉の方を向いて歩き出した。
後ろからマントが引っ張られる。
戸惑ったような声が背後からかけられる。


「え? 満更でもないんでしょ? どうして帰るの?」

「残念だけれど、そういう趣味はないの」

「そうなの? じゃあ――」


後ろの気配が様変わりしたのを感じて、は後ろを振り返った。
そこには、さきほどの女性と変わらない服装を身に付けた、男性がいた。
は目を見開けた後、激しく眉をしかめて、やはり出口へ向かい出した。


「どうして行くの!?」

「服装を見てみなさい」


首を締め付けられるかのように、後ろから抱きつかれた。
グエ、と喉から空気が抜ける。
とても重い。
そして、背後にとても大きな感覚がした。

これ以上進めなくなったのも手伝い、は恐る恐る背後へ首を回す。
の顔よりも随分高いところから、凛々しい男性に見下ろされていた。
女性と見紛うほどの滑らかな白い肌だった。
切れ長の目には、長い睫が縁取られている。

先ほどからの違和感を解消するために、は恐る恐る視線を下げる。
彼は、服を着てはいなかった。


「どうにかしなさいよ!」

「え? じゃあ……」


今度は、長い巻き髪に身体を包まれた女性が、の首を抱いていた。
巻き髪の所々から白い肌が露見している。
確かな乳房の弾力を、は背中に感じた。

それじゃない。
それじゃないけれど、さっきよりかはまだましだ。

はそう自分に言い聞かせて、冷静に話そうとする。


「それで、貴方は何者なの?」

「一般的には、夢魔って呼ばれてる」


――存在していない、とは聞いたことはなかった。
だが、夢魔については、魔法使いでもマグルと同様の知識しか持ち合わせていない者が大多数だろう。
それほど、彼らは珍しい生き物だった。


「私がコロコロ変わるのを見てそんなに落ち着いているのは、お姉さんが初めてだよ」


彼女が人あらざる気配をしているのを感じ、興味本位で付いて行ったのだ。
何が起ころうと、驚きはしない。


「両性に変化できるのね。人間が出産した夢魔の子は、両性具有だって聞いたことがあるわ」

「それをやったら、今のご時世、魔法省に怒られるんだよ」


はじゃれるように絡みつく彼女に困ってしまう。
そんなに身体をこっちに押し当てないで欲しい。


「男性型になって、人間に孕ませることは勿論できるよ。でも、そんなことをしたら、魔法省にすぐ嗅ぎ付けられちゃう。その人間の人権無視だ、ってね」

「貴方たちには生殖能力がないんでしょう? なら、貴方は女性型になって――」

「精子をもらって、自分で産むしかないよ」

「私は用済みのようね」


はサキュバスを振り払おうとするが、彼女の手はの身体に絡んで、離れない。
そんな隙に身体の際どいラインを触られ、背中がぞわっとした。


「人間は、食べて栄養をとるでしょ? でも、私たち、ものを食べても栄養はとれないの。
 栄養はね、男性からでも女性からでもとることができるの。精力はどっちも変わらないでしょ?」


耳元に、吐息が混ざった言葉が吐かれる。


「お姉さん、凄く美味しそう」


未だに身に付けていた大きな帽子を取ると、そこから小振りな角が現れた。















そのまま押し倒されると、何故か背中に柔らかなベッドが当たった。
これはサキュバスの魔力か、と考えると同時、手足を押さえつけられて唇も押さえつけられる。
ひとしきり咥内を味わわれた後、全裸の美女は美しい肢体を見せつけた。


「私は、貴方のおやつにも食事にもなる気はないの」


はそのまま振り払おうとする。
サキュバスは意外そうな顔をして、仕方がないなあ、と。


「お姉さんは、こっちの方が良いみたい」


男性の姿に変化した。
ベッドから上がりかけていた手首がベッドに再度押さえつけられる。

はその瞬間、インキュバスから芳香が漂ってくるのを感じた。
鼻腔を衝く甘い香りは、媚薬の香りと類似していた。
それを判断すると同時に、脳が溶けていくような感覚に襲われる。
思考が固まらない。
目の前に膜がかかったような気分だった。

再度唇に触れられ、それが離れた時は、の目の下はほんのり赤く染まっていた。


「後は、声を上げているだけで良いよ」


サキュバス、インキュバスに襲われた人間は、声を上げることしかできなくなる。
の脳は強力な甘い毒に犯され、目の前の男の姿をぼんやりと眺めているだけだった。
インキュバスは満足げに微笑んだ。

ローブの足の方から手を差し込み、服を捲り上げていく。
指に足をなぞられ、胸元に差し込まれ、動けない身体は抵抗なくそれを許容する。
身体の先はピリピリと媚薬と戦うように、痺れていた。

鈍く身体が疼き、の意識は立ち上がりかける。
掠れた視界の中に、こちらに労わりもせず、全くの無遠慮に触れようとする男がいる。
無遠慮に――。
の胃に氷がずさりと落ちた。

インキュバスの目を睨みつけ、は身体を起こした。
インキュバスの身体は空に浮き、遠くの壁へ放り出された。


「ったた……何? こんなこと珍し――」

「私、薬の類には他の人より少しだけ抗体があるの。ごめんなさい。私は、貴方の食料には適さないみたい」


はそのままベッドから下りて、部屋から出て行こうとする。


「……相手、してくれないの?」

「まず、服を着てからそういうことを言いなさいよ」

「これが私たちのアイデンティティなんだけど。むしろ、どうして服を着てるの?」

「習慣みたいなものよ」


むう、と拗ねたような顔をしてから、インキュバスは女性体に変化した。
こちらの姿の方が気に入っているらしい。


「こっちの要求に応じないなんて、馬鹿みたい。十分過ぎるほど対価は払うのに」

「私は、何というか……そういうことに淡白っていうか……」

「じゃあ、離れられないようにしてあげる!」


駆け寄ったサキュバスは、の腕にまた腕を絡めた。
胸を押し当てるようにするのは、サキュバスの生来の癖なのだろうか。
男性相手ならば、きっとこれは喜ばれることなのだろう。

は息を吐いた。


「サキュバスにとりつかれて精根を取り尽されるのは、遠慮したいわね」


全身を抱き込まれた。
男性体で抱き込まれると、全身がそこに埋もれてしまって、身動きが取れなくなる。


「気が向いたら、また来てくれる?」


そうだと答えないと、この状況から逃れられないような気がした。


「気が向いたら、ね」


慣れた動作で顎を持ち上げられ、元からこれを企んでいたような様子で、再度唇をそれに押し当てられる。
彼はどれだけキスが好きなんだ、と思う。
今まで生きてきて、ここまで濃密な時間を過ごしたことがなく、頭がクラクラし始める。
それでも突き放して拒否をしないのは、彼が彼で、彼女が彼女であるからだ。


「やっぱり、美味しそう」


彼、彼女は、唇を離し、舌なめずりでもしそうな調子でこう言った。















ガバリと身を起こした。


「……え?」


夜中、一人ベッドの中、僅かな外からの光だけが自分の姿を照らしている。
は、自分の身体を確認した。
着ていた寝巻きのボタンは真ん中ほどまで外され、下のズボンが少しずれている。


「……」


夢魔がやって来ていた形跡があった。
唇に指を当て、脱げかけた寝巻きを着た身体を見下ろす。
そして、ズボンのずれを直し、寝巻きのボタンをかけて、もう一度ベッドの中へ潜り込んだ。

今度は、別の夢をみよう。



























2009/10/9






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