Retire
ふいにやって来た彼は、師匠の遅刻を私に述べた。
それは、滅多とないことだった。
最近、師匠に対する襲撃の頻度が増している。
それにつれて、師匠の悪い病気はどんどんと悪化していた。
とても物騒な状況だったので、自身、できるだけ師匠と一緒にいようとしていた。
側で魔法の目を持つ彼のボディガード的な役割を果たすことが責務だと、考えていたからだ。
「昨日は?」
「昨日は、私は遅くまで残ってたから……」
その後の師匠の様子は分からない。
表情を曇らせるスクリムジョール。
「午前の仕事は?」
「魔法警察部隊と一週間後の計画についての打ち合わせがあるけど」
「では、ムーディの方へ行ってくれ」
は、ムーディと仲が良いとは決して言えないスクリムジョールの様子を窺った。
彼は、闇祓い本部長の顔をしていた。
その顔には僅かな心配の色が見えた。
は了承の返事をした。
姿現しで、一瞬の内にムーディの家の目の前に着く。
ピリピリとした空気をまといながら、はムーディの家の扉を開ける。
合鍵をマントから取り出し、鍵を回し、家の中に足を踏み込んだ。
もうそこそこの歳のムーディは、いくら悪い病気を悪化させても、にだけはそれを渡していた。
何かあった時のためだ。
奥に、人の気配を感じた。
ただ一人の人の気配が。
は杖を取り出し、足を速めた。
嫌な予感しかしなかった。
気配があったのは、家の一番奥の手入れの全くされておらず普段足を踏み入れない庭だったからだ。
そこに辿り着きテラスを開けると、人が倒れているのが見えた。
人が倒れている所の土は、赤黒く生々しく汚れている。
外の空気に鼻が触れた途端に、はムーディの側に駆け寄った。
出血の量から見て、意識はないだろう。
気道を確保し、胸が微かに動いているのを確認すると、激しく出血している片足を止血した。
その時、その足が根元から切られ、皮だけで繋がっているのが目下に見て取れたが、は表情を変えなかった。
杖を当てながら、その身体に触れる。
は、ムーディの身体をできるだけ動かさないように、その場から姿を晦ませた。
*
扉が開く音を聞いて、目線をそっちに向けた。
そこからやって来たのは、もう見慣れたヒーラーではなかった。
ムーディは心の中で嘆息した。
スクリムジョールは、眉を下げた。
「が来て欲しかったという顔だな」
「少なくとも、お前に見舞いに来てもらっても嬉しくはない」
「本部長の責務だ。私が闇祓いを見舞わっても、何もおかしくはない」
「本部長殿が直々にやって来てくれるとは、わしも随分と名を上げたもんだ」
ムーディの皮肉をひらりと聞き流し、スクリムジョールは椅子に座った。
「それで、足を失くした感想は?」
「これだけで済んだのが、今でも信じられん」
「君の足を切り取るのにゴーサインを出したのは、だとか?」
「腐る肉に未練はない」
スクリムジョールの頭の中で、表情を変えずにそう了承しただろうの姿が描かれた。
足を切り取られたはずのムーディは、先日まで見せていた顔と全く変わらぬ顔を見せていた。
目を失くした時と同じである。
しかし、次に以前に見せなかった苦笑をムーディは浮かべ始めた。
「スクリムジョール。歳は取るものではないな。
魔力のピークも過ぎ、反射神経も鈍り、頭も固くなり、どうしようもない精神病を患う」
「自覚していたのか」
「はわしのために精神科にまで足を運んだらしい」
新鮮な驚きを、スクリムジョールは感じた。
被害妄想という精神病を、この鈍感な彼自身が自覚しているとは思っていなかったのだ。
「魔法使いと言えども、所詮は反射神経が勝負だ。
なに、魔法の閃光に当たらなければそれで良い。ダンブルドアなどの特殊な例を除いてな」
「しかし、君は襲撃者を手負いの身で追い払ったのだろう?」
ムーディは眉を上げた。
「がそう言っていた。現場の状況からそう判断したらしい。は君に事情を聴取しに来たか?」
「まだだ」
「数日の内にやって来るだろうが……君が反撃しなければ、君はもうこの世からいない」
「せめてもの足掻きだ。わし自身、何をどうしたかは覚えていない――が、所詮は老人の悔し紛れの反撃だ」
「私は君と同じ歳なのだが」
ムーディは、表情を曇らせたスクリムジョールの言葉を完全に無視した。
確かな苛立ちを感じつつも、彼は手負いの身だと念仏のように心の中で繰り返して、スクリムジョールは柔和を繕った。
怪我人相手に声を荒げるほど、もう若くはない。
「まあ、良い機会になった。手足が一本でも多く残っている内に、早く隠居をしたい」
ムーディの放った言葉を、スクリムジョールは反芻した。
目を細めてムーディを見た。
ムーディは言葉のわりに、飄々とした表情をしている。
「もうこんな職業は真っ平だ。人から憎まれ、精神を病み、得することは何もない。精神を病んだ時点で、もう終わりは見えていた」
「……はどうするんだ?」
「あの娘はもうわしの手助けを必要としない。もうわしの手を離れている。お前もそれは分かっているだろう?」
スクリムジョールの頭の中で、真新しい情報がくるくると回り続けている。
「それに、足がなくなった時点でもう終わりだ。に守られるなんて真っ平ご免だ。退職金くらいはもらえるんだろうな?」
「ムーディ。君は、どうして闇祓いになったんだ?」
饒舌だったムーディの口が、やっと止まった。
考え込むように黒い目が止まっているが、魔法の目はクルクルと回り続けている。
やっと開いた口は、ぼそぼそとこう呟いた。
「わしは、お前が望んでいるような答えは持ってはいない」
「では、訊き方を変えよう。どうして今まで闇祓いを続けていたんだ?」
「――あの人は、自分が作ったこの本部の行方を、出来る限り見守って欲しいとわしに言っていた」
聞き取れた言葉に、スクリムジョールはこめかみに手を当てた。
懐かしむように目を細めつつも、目下のムーディを何ともいえぬ感情をはらんだ視線で見下ろす。
「アンジーか……」
「もう出来る限りは見守ったつもりだ。目と足を失うまでだ。もう十分だろう?」
少し前――スクリムジョールの感覚でいうと少し前にこの世からいなくなった彼女が、今までムーディをここにいさせたという。
スクリムジョールは頭が痛くなった。
「アンジーが君にそう言っていなければ、アズカバンの半分を埋めた英雄は存在していなかったわけか。彼女に感謝しなければな」
「後進の育成ももう十分に行った。申し分がないだろう」
「だけ、だが」
低い言葉の皮肉に、ムーディはスクリムジョールに敵意を持った視線を向けた。
スクリムジョールはやけに落ち着いた表情で、それを受け止める。
「私個人としては、まだ仕事をしてもらいたい。一線で働くことができなくとも、他にも仕事は多くある」
「御免だ」
「数少ない闇祓いの技術を伝えていくのは、生半可なことじゃないんだよ、ムーディ。
半ばで死んでいく者が多い中で、生き残った君はとても貴重だ」
「御免被る」
そんなムーディの答えはもう予想し切っていたことなのか、スクリムジョールは立ち上がった。
柔和な笑みを浮かべる。
ムーディには、その表情の裏に腹黒さが見えた。
「ムーディ、知っているか? 本部長の権限の範囲を」
「さあな」
「そんな生ぬるいことは、私が許さない」
「お前が許さなくとも、わしには関係ない」
「君をここに引き止めたアンジーを呪うんだな」
恐ろしい言葉を一言吐いて、スクリムジョールは病室から出て行く。
ムーディは結局あの男は何をしに来たのだと思いつつ、腑に落ちないスクリムジョールの態度に苛立つ。
足を失った人に対しての配慮が全くない。
十分過ぎるほどに務めを果たしたと自負しているのに、まだ働かそうというのか。
杖をついて足を引きずりながら立ち去って行くスクリムジョールを、ムーディはちらりと見やる。
もうそろそろ後進に譲っても良いだろう。
自分たちはもう身体を酷使し過ぎた。
*
は、あっさりとムーディを襲撃した犯人を捕まえた。
数々の証拠をきちんと提示し、ついでに捜査で判明したその犯人の今まで犯した罪を提示し、犯人はアズカバンへ送られることとなった。
ムーディは義足をこしらえ、まともに歩けるようになるまで聖マンゴで入院生活を送った。
その後、辞表を提出した。
辞表をつっぱねる方法を持ち合わせていなかった魔法省は、それを受理した。
これでやっと厄介者を追い払えると歓喜した者も、多くいたという。
段ボール箱を片手に、は歩いていた。
あまり整理されていなかったムーディのデスクの荷物をまとめるのは、時間がかかった。
足が不自由な師匠に代わり、は荷物を運んで整理する。
は、歩く度々にちらちらとこちらに視線を送られるのを感じていた。
ムーディの引退の話は魔法省中に広がっている。
その弟子である自分に注目が集まるのも、分からなくはない。
あの師匠は、良くも悪くもとても有名な人だった。
ただ一つ気になったのは、闇祓いたちの腫れ物に触れるかのような態度だ。
――別に。
これで金輪際の別れだとか、そういうわけでは決してないのに、彼の引退で私がしょぼくれたり気落ちしたりするわけがないじゃないか。
もう仕事については師匠がいなくても大丈夫だということは既知であるのに、周りのそのような噂話に辟易する。
中でも、キングズリーのこちらへの気の使いようは異様なほどだ。
まるで大切なおもちゃをなくした子供相手のような対応をしてくる。
箱を床に置き、デスクの上に積み上がったものを整理し始める。
すると、コツコツという音が耳に入った。
慣習づいた動作では顔を上げる。
「どこに行っていたの?」
「スクリムジョールと歓談をしてきた」
「……」
義足の立てる音が止まる。
は、この二人が歓談している様子がどうしても想像できなかった。
スクリムジョールは、どうやらムーディを引退させまいとしているらしい。
彼の能力をまだ保持していたいようだ。
案の定、ムーディは機嫌の悪そうな顔をしていた。
触らぬ神に祟りなしと、はまた整理の作業を始める。
すると、何かがマントに落ちてきた感触がした。
マントから落ちて地面に落ちたそれを、は拾い上げた。
鍵だ。
「三時にここに来い」
拒否権がないのは昔からのことで、はその鍵についている番号を目に留める。
この部屋は、あそこだ。
英国魔法省に対して治外法権を持っている、警察部隊や闇祓いの演習用の部屋だ。
また義足の音が耳に聞こえ、ムーディがその場から立ち去ったことが分かった。
「ここで雑談をする……わけじゃないわよね」
部屋に入った途端のの一言に、ムーディは顔をしかめた。
はのほほんと微笑んで、はぐらかした。
目の前のムーディは既に杖を握っていた。
予想はしていたが。
「杖を取れ」
最後の景気づけだ。
今まで、幾度となくこのような状況でムーディに苛められた。
その光景が走馬灯のように頭の中を回り、は腰のベルトから杖を取る。
「そっちではない」
は、ムーディの顔を見つめた。
ムーディは表情を変えない。
は、のろのろと手に取った杖を腰に仕舞って、ローブの中に手を突っ込む。
大腿に忍ばせていたもう一本の小柄な杖を手に取る。
ムーディ相手にこの杖を使うことは、今まで一度もなかった。
隠していた杖こそ、普段はほとんど使うことはない、戦闘に特化した杖だった。
「大丈夫だ。お前ごときに心配される筋合いはない」
呆れたムーディの言葉に、ははっと我に返った。
どうやら、ちらりちらりと不安げな視線を送っていたらしい。
杖に指を添わせると、そこから染み込むような熱い鼓動を感じ始める。
「禁則事項はなしだ。どちらかが絶対的な一手を取るまで。良いな?」
珍しくないルールを胸の中で繰り返し、低く言う。
「良いわ」
決着が着いたのは、二人ともの息がすっかり上がった後だった。
の杖先がムーディの喉元を捉え、杖先が喉に食い込んだ。
「Avada」
沈黙が過ぎ、は杖を下ろし、立ち上がる。
ムーディは大きく息を吐き、また立ち上がる。
その時、ムーディは壁に手を当てながら立ち上がった。
「及第点ぎりぎりだな」
「……え?」
額の汗を拭い、ムーディは地面に置いていた魔法の杖ではない杖を取り上げた。
まだ足元が覚束ない彼は、これをまだ手放せなかった。
「まともに歩けない病み上がりの老人相手、情けない。手こずり過ぎだ」
「……でも、私の動きとか魔法はほとんど貴方は掌握しているし……」
「わしのことだって、お前は掌握しているだろう?」
は視線を浮かす。
頬を伝う汗を拭った。
ムーディは、これ見よがしに溜息を吐いた。
「これでわしに勝たなければ、辞表を取り戻しに行っていたところだ」
「――不甲斐ない弟子で申し訳ないです」
「全くだ。もっとできるものだと思っていたが……」
最後に小声で呟いたムーディの言葉を、は聞き取れなかった。
「仕方ない。これで、お前と杖を向け合うのも最後になるだろう」
ムーディは警告するかのように、声を張り上げた。
「わしは、お前が、わしがまだ全快していないからといって手を抜いていないと、信じているが」
じっとりとした視線を全身に浴びる。
は、胸の中が熱くぐるぐると回り出したのを感じた。
幾度と見えた隙に、師匠の義足が目に入り、そこを突かなかったことが頭の中で回る。
手に持っているのがこの杖だという事実が、またを蝕んでいたのだ。
図星の色がありありと見える弟子。
ムーディはこめかみを揉んで、唇を奇妙に歪めているを見る。
「信じていて良いだろうな?」
「……ごめんなさい。どうしても、この杖を貴方に向けるのが……」
「」
ムーディは、の杖を持っている腕を掴んだ。
はびくりとムーディを見上げる。
「この杖は、この先、使うのか?」
「――いいえ。出来る限り、使わないわ」
「では、このネックレスを外す予定は?」
「……ないわ」
恵まれた魔力を使うまいとする。
ムーディは、の首に下げられた魔力抑制鉱石を手に取った。
これは、与えるべきものではなかったのかもしれない。
「わしが、今更どうこう言うべきことではないな。お前の判断に任せる。
しかし、その甘い精神をどうにかしないと、後々痛い目に合うぞ」
「……忠告、ありがとう」
苦笑したの甘い顔に、ムーディは歯を噛んだ。
忠告が全く効いてない。
むしろ、彼女はそういうところは、昔から全く変わっていない。
それとも、それは彼女の個性なのか。
諦めに似た感情を持ちながら、ムーディは最後に言った。
「――後は好きにしろ」
「じゃあ、また家に行くわね。ずっと一人でいるのは寂しいでしょ?」
にっこりとのん気に微笑んだの顔に、ムーディはまた溜息を吐きたくなる。
しかし、こんな風でいて、はやって来る困難を次々と乗り越えるだろうことは、容易に想像できた。
自慢ができない弟子ではない。
*
ムーディが魔法省を去って数日後、はどこかしっくりとしない感覚を覚えていた。
何となく、喪失感がある。
ムーディという強烈な個性を側に過ごしてきた日々が長過ぎたのか、は自分の軽い身体に驚いていた。
今まで数々の師匠の起こした事件の後始末をしてきたが、もうこれからそんなことをする必要はないのだ。
喜ばしいことなのだが、不思議に何かが物足りない。
そんなことを思いながら魔法省の中を歩いていたら、そこにいるはずのない人がいることに気づいた。
一瞬目を疑い、感覚を疑った。
しかし、その感覚が告げるのは紛れもないその人で。
「アラ……スター?」
マントの下の木製の義足、魔法の目。
これだけの特徴を持つ人物は、他にいないだろう。
「どうしたの?」
ムーディは無言で、へ羊皮紙を渡した。
手紙には目を通す。
「スクリムジョールに貸しを作ることにした。……こうしなければ、あの男、いつまでもわしに付き纏うぞ」
「――貴方たちがそんなに仲が良かっただなんて――」
「いや。そうしないと、過去にわしが法規に触れた行為をしたことを、曝露すると脅されてな」
淡々とした言葉は、物騒なことを物語っていた。
はスクリムジョールはそういう人だっただろうか、と考えたが、答えは出ない。
「時々、研修を行うアルバイトだ」
「パートタイムにしては、過激ね」
「過激? ただの研修だぞ」
「貴方にあたる研修生に同情するわ」
ムーディは訳が分からなさそうにしている。
そういう所の勘が鈍すぎるのは、デフォルトだ。
「じゃあ、度々魔法省に来るのね?」
「ここから手を引くことになるのは、随分と先のことになりそうだ」
忌々しそうに言うムーディの姿に対し、は微笑んだ。
「何がそんなに楽しい?」
「別にー」
にやにやとした表情を崩さない。
ムーディはどこか腑に落ちず、を睨み付ける。
「……実は、今日から新しい仕事に臨むのだが、最初に指導してやろうか?」
「……普段の杖を使わなくて良いなら、良いけど」
「その杖は出来る限り使わないと言っていただろう?」
「そうだったっけ?」
「お前が思っているより、わしの頭ははっきりとしている」
はにやにやとした表情のまま、無言でマントを翻した。
そのまま立ち去ろうとしたが、の手首をムーディは握り締めていた。
「もらう給料分は働かねばな。都合が悪くなったら逃げるのは、改めた方が良い」
「……ご忠告、ありがとう」
は苦々しく笑んでいた。
軽くなった身体が、一気に重くなったのを感じた。
2009/4/19
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