通り慣れた道を進み、目当ての店へと歩む。
がその扉を開けると、奥の方でベルが鳴った。
04/グレゴロビッチの杖
「こんにちは」
小さな店内に声が響き渡る。
奥の方からコツコツと靴の音が聞こえてきて、その店の店主が姿を現す。
「Ms.。そろそろあなたがやって来る時期だと思っていました」
「ええ。やっぱり、私の手では整備をするにも限度があって」
はゴソゴソとマントを漁り出す。
杖をどこからか取り出し、それをカウンターの上に置いた。
「プロの技には適いません。貴方の手で磨き上げられた後の杖は、使い心地が素晴らしい」
「あなたほどの方にそう言っていただくと、こちらも光栄じゃ。
必ず年に一度、こうして杖の整備を行う方はなかなかいますまい」
オリバンダーの、世間の杖を軽視する人々への皮肉に、は苦く笑う。
「私は特別ですよ。この職業をしていたら、杖の不調は死活問題ですから」
「あなたのような職業をしている方でも、こうしてやって来られる方はほとんどおりません」
オリバンダーはそう呟きながら、の杖を両手でそっと持ち上げた。
目はじっとの杖を追っている。
は堅気な職人相手に苦笑する。
「貴方には感謝しています。大きな仕事の前には、必ず貴方に杖を磨いてもらいました。
今回もよろしくお願いします」
「分かりました。それでは――」
「あ、ちょっとその前に……」
杖を持って店の奥に姿を消そうとしていたオリバンダーに、は声をかける。
オリバンダーは訝しそうにに振り返った。
月のような薄い色の二つの瞳がを見据える。
「一本、杖を購入したいんです」
は変わらない表情で言ったのだが、声はの思惑と反して虚しく響いた。
「――あなたには、これまで十分過ぎるほどに杖を売ったと思っていたが」
「諸事情ありまして」
シリウス・ブラックに渡した杖の分、の腰には空きがあった。
ワールドカップを控えて、その空きを埋めておきたかったのだ。
オリバンダーはじっとの姿を見つめる。
尋問されているかのようなその目だが、は動じなかった。
「勿論、私は一般の魔法使いより丁寧に杖を使っているつもりです。粗野に扱っているつもりは全く――」
「それは、この杖を見れば容易に分かることじゃ。仕方がないのう……」
の杖をカウンターに置き、オリバンダーは奥へ向かった。
は胸を撫で下ろす。
オリバンダーは細長い箱を次々と持ってきて、はその中の杖をどんどんと振っていく。
オリバンダーはそれを品定めする目で見ている。
小言でブツブツと、一人で何かを呟きながら。
十本目にもなるだろうか、その辺りでオリバンダーは杖の箱を持って来るのをやめ、今まで持ってきた杖を見比べる。
「あなたの感覚ではどれが良い?」
「そうですねえ。それぞれ、特質が異なるから何とも言えませんけど……」
はじっと考えた後、一つの杖を手に取る。
「これなんかどうでしょう」
「マホガニーにユニコーンの毛、二十五センチ、滑らかな振り心地」
はそれを使って、不意にそばにあった椅子を大きな陸亀に変化させ、戻した。
「力はそんなに強くはないが、コントロール次第でどのような細かな術も発動出来るじゃろう」
二人の目がじっと杖に向けられている。
オリバンダーは、微かに眉を顰める。
その表情には微かに落胆があった。
「あなたは、いつも力のそんなに強くない杖を選ぶ。
杖もあなたを選んでいないわけではないが、わしはあなたに本当に適合する杖を提供出来ていない」
「いえ、最初からなかなか良い杖を持って来て下さっていたと思いますが」
「それは、あなたの幾回にもわたる杖選びからの経験からじゃ。
これであなたに全く合致しない杖を渡すことなど、出来ん。あなたの特徴は掴んでおったつもりじゃったが……」
オリバンダーは、の黒い小柄な杖を見た。
「……このような強力な杖を持っているからこそ、あなたはあえて力の強くないものを選ぶのか?」
「この杖だと、たまに都合の悪いことがあるんです」
オリバンダーの手は恭しくの杖を持っている。
目はまじまじとその杖を見つめている。
「ニワトコとドラゴンの牙、闇の魔術に秀でておる」
「「ニワトコの杖」とでも呼びますか?」
は此処に来て初めて笑みを漏らす。
それは嘲笑に似ていた。
オリバンダーはその笑みにとがめるような視線を送った。
「「ニワトコの杖」、「死の杖」、「宿命の杖」――もしこの杖がそうであるとしたら、わしは落胆を隠し切れぬ」
「冗談ですよ」
はここまで睨みつけられるとは思っていなかったので、肩が強張った。
にとっては軽い冗談だったのに、オリバンダーはそうとは捉えていないようだった。
はここで微笑むのもどうかと思ったので、普通の顔を装う。
「確かに、力の面ではそれに劣らぬかもしれん。闇の魔術や戦闘にはもってこいの杖じゃからな。しかし――」
オリバンダーは杖を振った。
すると、店全体がまるで地震が起きたかのように揺れだした。
沢山杖の箱が収められた棚の上から、ぽろぽろと箱が落ち出す。
は焦って呪文を唱えて、それを止めた。
「これほど適合者が限られている杖を、わしは今まで見たことがない。
杖の魔法使いの好みがかなり偏屈じゃ。今も、わしは杖に拒否をされた。
それに、これが「ニワトコの杖」だとしたら、特化している能力以外は貧弱過ぎる」
「だから、日常で困るんですよ。これは戦闘用の杖です」
「ここまで杖と魔法使いが適合しているパターンは、珍しいじゃろう」
ならば、私は戦闘に特化した存在であると言いたいのか。
は自分でそう考えて、確かにそうかもしれない、と思った。
「グレゴロビッチの作じゃったな?」
「はい。随分幼い頃の記憶なので詳しいところまでは覚えていませんが、それに間違いありません」
「わしは思うのじゃ」
今まで何度も、この杖を見せる度に繰り返されてきた話がまた始まる。
はマントの中でこっそり腕を組んだ。
「これが、「ニワトコの杖」の不完全な模倣品ではないか、とな。
以前、グレゴロビッチがその杖を手中に入れた、という噂を聞いたことがある。
そしてこの杖には、文献で語られている「ニワトコの杖」の特徴が幾つも存在しておる。わしは一目で分かった」
「しかし、これは「ニワトコの杖」ではありません」
の冷静な声が、オリバンダーを夢から覚ませようとする。
「もしかしたら、模造品かもしれませんけれど。
私は誰かを殺してこの杖を手に入れた覚えもないし、誰かから常につけ狙われるのは真っ平です。
それに、私は以前に貴方ががもう良いと言うまでこの杖を研究のために貸し出しましたし、私の覚えている限りのことは話しました。
これ以上の探求は不必要です」
「――そうじゃ、そうじゃった」
オリバンダーは目を伏せた。
は、改めて己の杖を一瞥してから、目線をオリバンダーへ移す。
きっと、彼はグレゴロビッチへ、この杖が「ニワトコの杖」の模造品であるのかどうか、手紙を出しただろう。
もしその問いに明確に返事が返されていれば、彼は今ここで私にこのようなことは言わない。
にとって、それが模造品であるのかどうかは全く関心がなかった。
どの魔法使いだってそうだろう。
自分の杖がいつものように自分に応え、魔法を発動させてくれるのならば、それ以上に望むことは何もない。
杖職人の心情を少しは理解したから杖を貸し出したけれど、この様子では分かったことなど雀の涙程度なのだろう。
「「吟遊詩人ビートルの物語」に――」
が突拍子もない言葉を吐き出して、オリバンダーは驚いた。
「いえ、この頃本棚を整理していたら見つけて、流し読みをしたんですけれど。
その物語に、「ニワトコの杖」について記述がありますよね。一番上の兄が所持していたやつです」
「ただの御伽噺じゃろう」
「ええ。しかし、その杖は実在するものだと、貴方は確信していらっしゃいますよね。
私も、貴方の話を聞いてそう考えるようになりました。魔法史の教科書にもその軌跡は載っていますし」
「それが何だと言うのじゃ?」
が黒い目をじっとオリバンダーの目に向け、至極真面目な様子で口を開く。
「じゃあ、「蘇りの石」と「透明マント」も存在するのでは?」
妙な間があった。
しかし、にはその間が耐え切れずに、笑い出した。
「す、すみません……。でも、そう考えることも出来ると思いません?」
「あなたはまた冗談を吐く」
オリバンダーは珍しく、本当に呆れた様子だった。
はその視線を捉えて、少し首を傾げる。
「いえ、本当に存在するかもしれませんよ。誰も、存在しない、とは言えませんし」
「誰も、存在する、とは言えんがね」
「――貴方のおっしゃる通りです」
は笑っている顔を引き締めて、笑いたくなる感情を押し留める。
奇妙なものを見ているかのようなオリバンダーの視線が、に突き刺さっている。
「まあ、存在していたところで、誰の目にも触れないのならば、それは存在していないと同義ですしね」
*
それからは、は自分の家にかけておいた魔法も解かないくらい――これはムーディの家に入り浸って怠慢していた、といえばそうだが――忙しかった。
ワールドカップについては、実際現地へ行ってマグル避けの魔法をかけることもした。
それに決勝戦に該当する国の魔法省大臣も来訪する可能性があることも加え、警備も綿密に行う必要がある。
ワールドカップという大きな行事に関わり、には自由な時間が少なかった。
たまに自宅に行くのは、郵便受けを確かめるためだけだ。
元々生活に必要なものは、去年荷造りしたトランクに全て入っていた。
宛のふくろうは今はほとんどムーディの家へやって来るから、自宅にはそれほど頻繁に行かなくても良い。
その頃、ムーディにダンブルドアからの手紙がやって来た。
ダンブルドアは、今年、アラスター・ムーディをホグワーツに呼びたいらしい。
ムーディは冗談だろうと言っていたし、もそれに近い気持ちを持っていた。
二年連続、現役、そして元闇祓いを学校に置いておきたいのか。
しかし、ダンブルドアからの幾度もの熱烈なラブコールに、ムーディは重い腰を上げるようだ。
は良い傾向だと師匠を眺める。
引退してから元々の被害妄想に拍車がかかっていたが、この頃は随分とましになった……そしてこの経験でもっと良くなったら良いのだけれど。
しかし、師弟は何も言わずとも同じ思惑を持っていた。
恐らく――ハリー・ポッターと三校対抗試合が、ムーディをホグワーツに置いておきたい動機だろう、と。
そしては思う。
ムーディが行ってしまったら、本当に自分で独立した生活を送らなければならない……。
荷造りを始めようとするムーディを見て、はちょっと寂しいような気持ちに襲われる。
去年も全く会わなかったのに、今年もそういう状況になるだなんて思っていなかったからだ。
2008/9/20
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