09/操られた記憶














体内時計は正確だ。
身体が重みを訴えているのにも関わらず、意識がはっきりとしてくる。
上瞼と下瞼がくっつきたがっているが、それに逆らう。

染みのついた天井が見えて、は目線を横へ向けた。
忙しく動いているヒーラーたちの姿が見える。
ぼんやりしていると、ふいに頭に頭痛が走って、ぎゅっと目を閉じてそれに耐えた。
心なしか、脳の動きが鈍い。

目線の中に見慣れた闇祓いの姿が見えて、は力のない声で言う。


「記憶は?」


キングズリーはのベッドの横まで歩み寄り、を見下ろした。


「修復は出来なかった、また、その断片を引き出すことさえ出来なかったらしい」

「――そうよね――」


彼女がそんなヘマをするはずない。
は深く息を吐き、額に手を当てた。
キングズリーもそうだと思っていたのか、彼は平静だ。


「身体はどうだ?」

「だるいわ」


キングズリーも溜息を吐く。
彼女に昨夜に施された施術は、強く身体的にダメージを与えるものだった。
それを基準値を超えるほどに施されたは、ぐったりとベッドに身を横たえていた。


「起きられたんですか?」


中年の顎鬚を生やしたヒーラーがカルテを持ってやって来る。
顔には驚きがあった。


「昨日の処置の結果は、Mr.キングズリーにお話したのですが……」

「はい、聞きました」


苦々しく笑うに、ヒーラーはまた苦々しく微笑み返した。


「こちらも出来る限りのことを行ったのですが――力及ばず、申し訳ありません」

「彼女の体力を回復していただけませんか?」


ヒーラーは、キングズリーの言葉に黙った。
そしてほんの少し眉を顰めた。


「……すぐに、省へ戻られるんですね」


は僅かに微笑み、キングズリーは小さく会釈をした。


「でも、私からの頼みなんですが、二時間ほど時間をかけて欲しいです。――眠くて眠くて仕方がなくって」


ヒーラーがそれに承知の返事をして立ち去った後、は枕の上でキングズリーを見上げる。


「良いわよね?」

「駄目だと言ったら?」

「貴方は、言わないわ」


自信たっぷりのの言葉に、キングズリーは頬をかく。
は初めてこの場で微笑んで、シーツを被った。


「お休み」


そう言ってすぐに眠り出したを見て、キングズリーはの寝つきの良さに感心する。
椅子を引き寄せ、のベッドの側へ腰掛けた。
今、彼女は必死で体力の回復を行っている。

キングズリーは書類に目を通し始めた。
彼女が目覚めるまで、こうして待っているつもりだ。















省へ戻ると、すぐには向かう場所を示される。
辺りは吼えメールの処理で騒然としていたが、はそれには目もくれず指定された場所へと向かう。
吼えメールのほとんどは、ワールドカップの騒動での私物の損害についてのものだった。
にも責任があるのだからスルーするのは悪いとは思っているが……。

は見慣れた廊下を通る。
無機質な白い廊下だ。
ここは、魔法警察部隊や闇祓いなどの研修などに使われることが比較的多いが、その用途は様々だ。

廊下の壁には間隔を空けて白い扉が続いている。
それぞれには部屋の番号のプレートがついている。
部屋には魔法が施されていて、外見だけでは中の様子は広ささえ全く分からない。

その一番奥の部屋にはは良い思い出がなかったが、幸運にも、指定された部屋はそれより手前だった。

扉を開くと、魔女が暇そうに机に肘をついていた。


「お。やっと来た?」


想像はついていた。
は表情を緩ませて、彼女の対面の椅子へと座る。


「貴方だと思ってたわ。アリア」

「随分待ちぼうけをくったわよ」

「ごめん」


魔法警察部隊の制服に身を包んだ女性は、より少し年下に見えた。
金髪のショートヘアーが肩の上で揺れている。
くるくるとよく動く目が、を見据える。


「珍しく、ヘマ続きね」

「あー――頭痛くなるから、それ以上言わないで。これでも病院帰りなの」

「シリウス・ブラックに続いて、今回も。あんたがあんなに容易くやられるなんて」


はアリアの視線から、目を逸らす。


「重ね重ね、らしくないわ」

「もうそのことは良いでしょ? 貴方の任務を果たさないといけないんじゃないの?」

「随分疲れているみたいね」

「……ちょっと、余裕がないのかもしれないわ」


やっぱりらしくない、とアリアはを見る。
目の前の彼女は、少し焦燥しているようだった。
またあまり顔色も良くない……今まで彼女は、聖マンゴで記憶修正の処置を受けていたらしい。


「じゃあ、さっさと済ましちゃおうか」


アリアはマントから杖を取り出した。


「私もあんまり時間がないのよ」

「副隊長さんは大変ね」

、あんた、ちょっと前まで闇祓いのボスだったじゃない」

「確かに、ボス猿でいるのは大変だったわ。改めて、ルーファスのこと、本当に尊敬するわ」

「あれ、あんたからそんな言葉を聞けるとは思ってなかったわ」


アリアはにやにやと笑う。
は心外な言葉に反論する。


「別に、私はルーファスのことは嫌ってないけれど」

「そうだったっけ? 同期のムーディとスクリムジョールは、全くそりが合わなかったって言うじゃない。
 ムーディと生真面目なクラウチの不和と比較にならないくらい」

「師匠がそうだからって、私までそうだと決め付けないで。
 私よりもキャリアを持つ年配者には、一定の尊敬は持っているわ。それにルーファスは優秀な闇祓いよ」

「ふうん。そうなの」


アリアは軽い言葉で返し、杖の調子を窺うように、手の平の中で杖をクルクル回している。
すると、アリアは鋭く杖を握った。


「私は、あんたへの開心術の処置を、アメリアとスクリムジョールから頼まれたわ。
 聖マンゴでは何のきっかけも掴めなかったそうね?」

「ええ」


は姿勢を正した。


「だから、次は貴方。魔法省随一の開心術の使い手へ期待がかかっているわ」

「言ってくれるじゃないの。聖マンゴの優秀なヒーラーが束になっても引き出せなかった記憶を、私が引き出せる、と」

「最後の可能性よ」


アリアは、の目をじっと見つめた。
まだ開心術は使ってはいない。
暫しその目を見つめてから、アリアは無言で頷いた。


「開心術を行う前に、ニ、三、言っておきたいことがあるわ。
 まず一つ目に、あんたは私に全くの無防備な状態をさらけ出す必要があるわ。
 そうすることで成功率は指数関数的に増加する……良いわね?」


目の前の、普段全く隙を見せることのない闇祓いへ向け、アリアは言う。
は了承の返事をする。


「二つ目に、私は今回の目的以外の記憶を掌握することはない、ということを理解して欲しいの。
 もしも、不慮の事故で私がそれ以外の記憶を見ることになったとすれば、私はその記憶を抹殺するわ」

「プロだもの。当然だわ」


目の前の、闇の魔術のプロにそう言われ、アリアはふっと笑った。


「あんたの様子を窺いながら、処置するわ。どの程度の処置をお好み?」

「私がおかしくならないギリギリまで」


アリアは杖をマントで丁寧に拭い、立ち上がる。
を見下ろし、青い目でじっとの黒い目を食い入るように見つめる。


「分かったわ。、今その身を私に無防備に晒すことは出来る?」


まだ常人よりも遥かに神経を張り詰めているへ、アリアは問う。
は自分の手の平、身体を眺める。


「完全に、は難しいと思うわ。でも、努力してみる」

「よし」


アリアは呪文を唱えた。





アリアは杖を拭う。
目は、瞑っていた。

はその姿をぼんやりと眺めている。
アリアは頭の中で何かを整理しているようだった。


「……大した魔法使いね」

「何か、見えたの?」

「その魔法使いが施したトラップは、何度か潜り抜けたわ。でも、それを潜り抜けた後、私は完全に目標を見失ってしまった……」


には、彼女の言葉を深く捉えることは出来なかった。
記憶や心を巡る世には出ていない古代からの術は、には未知の領域に近かった。


「つまり、してやられた、ってこと」

「珍しいわね」


今度は、がにやにやとアリアを見る。
アリアは不貞腐れたように唇を尖らせた。


「……さっき、あんたを散々コケにして悪かったわね」

「Ms.ボードからそんな言葉が聞けるとはね」


は、彼女の姓を口にした。
結婚してから、仕事の事情で改姓を行わない女性もいる中で、アリアは同じ省勤めの夫がいるのに改姓を行っていた。


「――あんたも、内心、記憶が発掘されないと思ってたでしょ?」

「どうして?」

「あんたの目にそれがありありと映ってたもの。開心術をしなくっても、そんなの一目見たら分かるわ。
 私も、あんたがそう思っていた意味がやっと分かった」


アリアは大きく溜息を吐いた。


「私じゃ、真っ向に太刀打ち出来ないわ」

「貴方がそんなに弱気じゃ、どうしたら良いのよ?」


アリアは、目の前の魔女を見つめた。
彼女はこの現魔法省で随一の魔法の使い手だ、と言われているし、アリア自身もそう思っていた。
先ほどギリギリまで開心術を行ったのに、そこそこ元気そうに見えるに、改めて感服する。

別に、に魔力で対抗しようというわけではない。
それぞれに与えられた役割があり、アリアにも定められた役割があった。
それに絶対の自信を持っていた――が、今、それは破られた。

ここまでコケにされたのは初めてだ。

あらゆるアプローチで記憶を探ったのに、何のきっかけも引き出せないとは。
アリアはの見えない所で拳を握った。


「二人共、完敗ね」


もアリアと似た思いを持っているようで、表情を曇らせた。
二人とも、己の仕事に対してのプライドは異様に高かった。


「目星はついてるの?」

「まあ、ね」

「それはそうよね。あんたがしてやられる魔法使いは、少ないわ」


アリアはこれ以上の言及はしなかった。
部署の違いから生まれる隔たりを、踏み越えることはしない。
ただ、に目星がついていると知り、アリアは少し安心したようだった。


「一つ、貴方にお願いしたいことがあるの、アリア」

「ん? 何?」


珍しい頼みごとに、アリアは興味津々で目を向けた。


「閉心術を教えて欲しいの」

「一通りの訓練は受けるんじゃないっけ、闇祓いって」

「「一通り」はね。それ以上のスキルが欲しいの。貴方が暇な時で良いの。たまにで良いから……」

「「例のあの人」を騙せるほどのスキルが欲しい、とでも言うんじゃないでしょうね?」

「――言ってみましょうか」


の大きな発言に、アリアは思わず吹き出した。
はじっとりとした視線をアリアへ送る。
アリアはクスクスと笑いながら、口を開ける。


「これほど志が高い生徒は初めてだわ」


はアリアの言葉に微笑み、感謝の言葉を述べた。
が用が済んだとばかりに席を立つ。
そして扉へ向かおうとすると。


「ねえ、。あんた、丸くなったわね」


はアリアへ振り向く。


「去年の初めまで、所構わず鋭いナイフみたいだったのに、ホグワーツで何かあった?
 久々に会ったら、何かボールみたいに真ん丸になってる。
 勿論、ある所ではまだ鋭いナイフなんでしょうけど――ワールドカップの会場での活躍は聞いたわ」


は頬をかいた。


「丸いかしら?」

「以前よりかは、ずーっと」

「……まずいことだと思う?」

「別に。むしろ周りの人間からしたら、有り難いことなんじゃない?
 所構わずナイフを振り回されちゃあ、困ったもんだわ」

「……そう」


は部屋を出た。
歩きながら、自分の手の平を見つめる。
私はいつの間にか変わっていたようだ。
変えられた、と言うべきなのか?

鋭さを失ったナイフは、ただのなまくらだ。

大腿に隠されている杖が、疼いたような気がした。
昨日の夜の出来事を思い返す。
疼く血、興奮した身体、熱い杖――こんなことを強く感じたのは初めてだった。

丸くなんかなってない。
少なくとも、戦闘の場では。
むしろ以前より鋭くなった気さえする。

は、見つめていた手の平を握った。

セブルス・スネイプの存在が私の心を蝕む。
多分、私はこのままで良いのだと思う。
しかし、私は同時に、ホグワーツという夢から出て外界に晒され、何とも言えぬ危機感と不安感を抱く。

牙を抜いた獣が生きていくのには、世界は何と非情だろうか。
私はまだ牙を抜くことは出来ない。















闇祓い本部のプレートをくぐり、本部の中へ足を踏み入れる。
すぐにはスクリムジョールと目線が合った。
スクリムジョールは、ジェスチャーで資料室の方を示す。

は小さく頷いた。

が資料室の扉に入り、その部屋の灯りをつけると、すぐにスクリムジョールがその中へ入って来る。
資料室には二人以外の誰もいなかった。
埃を被った羊皮紙が棚の中へ乱雑に詰め込まれており、図書館に似た古い紙とインクの臭いが漂っている。

スクリムジョールは、何気なく部屋に防音の呪文をかけた。


「キングズリーから報告は聞いた。何も手がかりは掴めなかったようだな」

「ええ」

「「彼女」か?」


単刀直入な言葉に、はほんの僅かに眉を寄せる。


「前の戦争に携わったことのある勘の良い闇祓いなら、誰もが気付いている。
 君をこのように扱える魔法使いは、あまり多くはない」

「私は記憶を失ったわ。だから、そのことについて断言することは不可能よ。
 でも、前後状況、私のこの状態から判断して、そう捉えるのが最も適切だと、私も思う」


スクリムジョールは、手に持っていた歩行杖を握る。
そして、またへ意見を求める。


「どうして闇の印を上げたのだ?」

「それが、一番の謎よね」


は腕を組んだ。
そして、側にあった壁へ体重をかける。
これでも、さっきまで精神の限界に近いほどまで開心術を受けて来ていた。


「彼女が私に魔法をかけたのは、闇の印を作った彼女の姿を見てしまったからだと仮定するとしても、どうして彼女は闇の印を上げる必要があったの?
 闇の印によって、何か彼女と闇の帝王に有利なことがもたらされるかしら?」

「死喰い人がヴォルデモートの存在に恐れ慄くくらいだ。
 ワールドカップ会場の喧騒が収まり、こちらとしてはある意味有り難いことでもあったが」

「魔法省の役人が多くいる所へ忍び込むというリスクを犯してでも、闇の印を上げたかったということに、納得出来ないわ」

「景気づけの一発か?」


はスクリムジョールの一言に吹き出した。


「まあ、ヴォルデモート本人はそういうことが好きそうだけど。でも、彼女がそれを許すとは思えないわ」

「――が言いたいことは、闇の印の打ち上げは、彼女の思惑に従ったことじゃなかったということだな」


は頷いた。
スクリムジョールは、顎に手を当てた。


「闇の印を打ち上げた者は、別にいる。彼女はその者のフォローをしたということか」

「私の予測は、そうよ」

「我々の情報ではこれ以上の探索は不可能に近い。どのような意図で闇の印を打ち上げたのかは、未知だ」

「まあ、案外、騒ぐ死喰い人らがうっとおしかっただけかもしれないしね」


スクリムジョールはの言葉に唇を緩ませながらも、そうかもしれないと答えた。


「一つ確かに言えるのは、闇の勢力が再興し始めているということよ」


の言葉は静かな部屋に響く。
スクリムジョールは表情を変えない。
彼も、それは薄々感付いている――いや、魔法大臣のような再興しないなどという気楽な考えを、彼は持ち合わせてはいなかった。


「ルーファス、私たちはどう動けば良いと思う?」


の難問に、スクリムジョールは明確な答えを出すことは出来ない。


「再興を阻止することが……出来ると思う?」

「出来る出来ないに関わらず、我々が行うことは既に決まっている」


毅然とした年長の闇祓いの姿を、は見つめた。
それは彼女の師匠のムーディとはまた違うものだ。


「じゃあ、どうしたら良いの? アルバニアの森へ探索隊を送る?
 大臣はそれに良い顔をしないと思うわ。彼は、頑なにヴォルデモートの復活を認めないでしょう?」


は今の魔法大臣の性格を見極めていた。
アルバニアの森は、ヴォルデモートが潜伏していたとされる場所だ。


「ああ、アルバニアだ。バーサ・ジョーキンズの旅行先だ」


は少し目を見開いた。
彼が、このことに気付いていたとは思っていなかったのだ。
スクリムジョールは涼しげな顔で、述べた。


、君に、バーサ・ジョーキンズの探索を命じる」

「昨夜、バーティともその可能性について話し合っていたわ……やはり皆、考えることは同じね」


は微笑んだ。
ただし、旅に出るのは、せめて明後日からにして欲しい。



























2008/11/15






next

top