17/Reality of Blank
カーテンの向こうに、ハリー・ポッターがダンブルドアと黒い犬――とても見覚えがある――を連れ立って、医務室にやって来るのが見えた。
ハリーの周りにロンとハーマイオニー、ビルとモリー・ウィーズリーが群がる。
ダンブルドアは話を訊きたがる彼らをいさめて、ハリーは何も喋らずにベッドの中へ入った。
は一人で、ムーディのベッドの隣にいた。
立ち尽くしているに、マダム・ポンフリーは椅子に座ることを促したが、はそれに従うことはなかった。
痩せ衰えた師匠の姿を見るだけで、の胸は締め付けられていた。
ずっと手の平は拳を作っている。
唇は一文字に引き締められている。
アラスター・ムーディは意識が浮上をするのを感じた。
羽布団の温もり……このようなものを感じるのは、久方振りだった。
目を開くと、目の前にはとても情けない顔をした弟子の姿があった。
魔法の目は眼窩になく、本来の自分の目がその姿をしっかと捉える。
ムーディの顔に、一年前までよくしたような人を小馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。
「ひどい顔だ。見てられん」
「ごめんなさい!」
間髪なくそう叫ぶように言って、は頭を下げた。
ムーディは横目にそれを見やる。
「あんな、喧嘩をして、あれから何があっても意地を張って貴方の所へ行こうとしなかった……!
その結果がこんなことになるなんて……」
の目はしかめられ、僅かに光って見えた。
泣きそうな目。
そんなものを久し振りにムーディは見て、少し驚く。
「それに、あんなこと、言うべきじゃなかった」
「あんなこと?」
「……貴方と私は、何の繋がりもないって」
苦虫を噛み潰したような表情の。
ムーディは悪戯心が沸いた。
「真実だろう。何も、目で見える関係はない」
「……目で見えない関係はあるはずよ」
「前言を撤回するというわけか」
「ええ」
はいとおしむような視線をムーディへ向けていた。
しかし、一瞬目をムーディから離し、また彼を見下ろした。
の顔は強張っていた。
「……怒ってないの?」
「以前喧嘩をした内容についてはまだ清算はついていない」
「それは、良いの。今回のこの状況について……」
「ダンブルドアさえ騙されていた。お前が何かをできるとは思っとらん。
それに、過去はどうだったであれ、現在やっと状況が落ち着いた。過去の失態について、今更どうこう言おうとは思わん」
そのムーディの言葉は、かえってに苦痛を与えた。
声を大にして怒られた方が、随分と楽だった。
しかし、ムーディはそれに気づいていないようだった。
「――十何年も前の言葉、覚えてる?」
は低く呟く。
「貴方を守りたい、って。私はそう言ってた」
はひどく眉をしかめ、更に低く言葉を呟く。
「その結果がこれよ……」
ムーディはまたひどい顔をしているを見上げ、手を伸ばした。
の強く握られている拳に触れ、それを解く。
は驚いたように目を少し開いて、表情を少し緩める。
ムーディはそれを確かめる。
「安心しろ。救われている」
「……え?」
は間の抜けた言葉を吐いた。
「。ここにいるより、するべきことがあるだろう?」
「……」
はムーディの手を握る。
その手は、思っていたよりも年老いていた。
それを見下ろし、はすっと背を伸ばす。
身体をベッドの方へ倒し、ムーディの頬に軽く口付ける。
そして身体を起こしたの顔は、笑みを湛えた良い面構えをしていた。
「行って来るわ」
一つ会釈をしてから、は身を翻した。
黒い影がカーテンに遮られて見えなくなると、ムーディは息を吐く。
あの娘の意気消沈を、何とか直せたようだ。
あの弟子は、ああして笑みを湛えている様子が、一番しっくりくる。
疲労が溜まって鉛のように重い身体をベッドに預け、そのまままた目を閉じる。
あのように、大きないとおしみを含んだ目線を向けてくれるのは、現在はだけだ。
それに、あの娘に全てにおいて守られるほど、まだこの身は老いて落ちぶれてはいないつもりだ。
目を瞑れば、崩壊したポッター家の傍らで、がこっちに縋るように呟いた言葉が回想される。
あの時は、守られるなど、ただの戯言としか捉えることができなかったが。
今回は全て己の過失である。
ああ、それにしても、今のこの身の重さ……思考は全て融けていく……。
*
医務室を出て、クラウチJr.が捕らえられている部屋へ向かう。
そこに近付くにつれ、は嫌な気配を感じ出した。
の足は、早歩きから全速力の駆け足に変わる。
昨年、この気配にはとても慣れ親しんでいた。
先ほどダンブルドアは、セブルスに魔法省大臣をクラウチJr.のいる部屋に連れて来て欲しいと指示していた。
そしてマクゴナガル先生に、あの部屋でクラウチJr.の見張りをしていて欲しいと。
は疑う余地もなくその気配を確信し、闇の魔術に対する防衛術の教授の私室へ辿り着く。
足を緩める間もなく、その部屋の中に飛び込む。
吸魂鬼がクラウチJr.に死の接吻を施行していた。
は、吸魂鬼とクラウチJr.の間に、無理やり割って入ろうとした。
マクゴナガル先生の悲鳴が微かに聞こえた。
途端、は背筋が凍りつくような感覚を覚える。
吸魂鬼が立てるガラガラという耳障りな音が脳を支配し、その肉のない指がへ伸びる。
その指がの顔を掴み、麻痺して動けないの身体を――。
「Expecto patronum!」
その声で、は正気に戻った。
目の前に銀色の牝鹿が現れ、と吸魂鬼の間に隔たりを作る。
は、それでもなお吸魂鬼からクラウチJr.を引き離そうと、また吸魂鬼へ足を進めようとする。
「馬鹿なことをするな」
の手首を、拘束するかのようにセブルスが握った。
耳元で焦りをもって低く囁かれた声には難色を示し、まだ足を進めようとするが、セブルスは今度はの腕を握り締めた。
「見ろ。もう無駄だ」
「……そんなこと……!」
吸魂鬼の姿越しに見えるクラウチJr.は、目に生気がなかった。
いや、一目見て、その身体の魂が壊れてしまっていることは明白だった。
身体は壁にもたれかかり、己で動こうという意志が皆無だ。
は自らの杖を抜いて守護霊を呼び出し、目の前の吸魂鬼をなぎ払う。
セブルスの拘束を解き、クラウチJr.の前に立った。
あれほどまでに、私に執着をしていた彼は、私を目の前にしても微動だにしなかった。
目線を合わすように跪いたが、彼はもう……。
「? どうしてここに――」
「――大臣、どうしてここに吸魂鬼を……?」
「君がいると知っていたら、こんなことはしなかった」
は立ち上がり、魔法省大臣へ振り向いた。
大臣はの顔に胸を震わせた。
の目にも、クラウチJr.と同様に生気がなく、ただ目は暗い洞窟のように大臣を見据えていた。
「どうしてここに私がいるのか、訊かれましたよね」
は躊躇いなく唇を開いた。
「ヴォルデモート卿に呼ばれたんです」
大臣とセブルス、マクゴナガル先生と連れ立って、医務室へ向かった。
大臣はダンブルドアを探しているらしい。
道々、大臣とマクゴナガル先生はずっと先ほどの事件についての言い争いをしていた。
――吸魂鬼を校内に入れるなんて――!
その後ろで、セブルスとは無言で足を進めている。
ダンブルドアと話をするまで、私は大臣に話すことはない、とは大臣にきっぱりと言っていた。
大臣はの言葉を言及しようとしたが、頑固なはそれを許さなかった。
医務室で、大臣とダンブルドアは激しく言い争った。
大臣はヴォルデモートが復活したことを認めない。
クラウチJr.は単なる異常な殺人者であり、ヴォルデモートの復活を見たハリーは気が触れた少年であると、信じ込みたいようだった。
ダンブルドアの忠告、吸魂鬼をアズカバンの支配から解き放つこと、巨人に使者を送ることを、大臣は聞く耳も持たなかった。
今まで平穏に築いてきた土台を、彼は崩したくないのだ。
はそれを意外だとは、決して思わなかった。
半ば、予想はしていたのだ。
何と言っても今の立場を崩そうとしない大臣。
ダンブルドアは最終的に淡々と言葉を放った。
「目を瞑ろうとする決意がそれほど固いなら、コーネリウス。
袂を分かつ時が来た。あなたはあなたの考え通りにするが良い。そして、わしは……わしの考え通りに行動する」
はダンブルドアを見つめ、大臣を見つめた、
大臣は毛を逆立て、脅すように人差し指を振った。
「私はいつだってあなたの好きなように、自由にやらせてきた。
あなたを非常に尊敬してきた。あなたの決定に同意しないことがあっても、何も言わなかった。
そうしたことを黙ってやらせておく者はそう多くはいないぞ。しかし、あなたがその私に逆らうというなら――」
「わしが逆らう相手は一人しかいない。ヴォルデモート卿だ。
あなたも奴に逆らうのなら、コーネリウス、我々は同じ陣営じゃ」
大臣はかたかたと貧乏揺すりをして、山高帽をクルクルと回した。
目の前の魔法使いを相手に、何と答えたら良いのか分からないらしい。
ここは敵陣の中と等しかった。
すると、大臣の視線が不意にへ向けられた。
「……君は、ダンブルドアに従うのか?」
苦笑に似た表情だった。
しかし、それは嘲笑にも似ていた。
このような表情を大臣に向けられるのは、初めてだった。
今までの言い争いの内容を含んだその言葉に、は一言答えた。
「いいえ」
大臣の顔ににわかに勝機と好色が浮かんだ。
「貴方に従うのか、それともダンブルドアに従うのかと訊かれれば、私はどちらにも完全に従いはしません。
私は、大臣、貴方に与えられた職務に忠実でした。そして、これからもそれは変わりません」
大臣の表情が曇る。
「……私には、従わないのか?」
「貴方に与えられた職務に従います」
「さっきの言葉を、覆すつもりはないと?」
「さっきの言葉とは?」
「あー……「例のあの人」に呼ばれた、とかいう……」
は真っ向に大臣の目を見据えた。
躊躇のないそれに、大臣は軽く怯む。
「大臣は、それを疑われるんですよね?」
左腕で焦げている闇の印を見せつければ、話が早い。
しかし、そんなこと、衝動に任せてもするべきことではない。
大臣は黙り、の目を探るように見ていた。
まだが味方であると、そのような希望を模索しているのだ。
今まで忠実に職務をまっとうしてきたが、この場でただ一人の大臣に従うべき者だった。
たとえ、先ほど彼女がヴォルデモートが蘇ったと同等の言葉を吐いていても。
は、どこまで立ち居振舞ったら良いのか、少し決めあぐねていた。
心情は今すぐにでも闇の印を見せ付けたく思っていたが、理性はあくまで魔法省の人間として振舞うべきだと告げていた。
これからのためにも、魔法省での立場を崩すわけにはいかない。
しかし……。
は無意識に左腕を、右手で握り締めた。
セブルスは、ちらりとのその様子を目に収めた。
の心を代弁するかのように、セブルスが大臣へ闇の印を見せつけた。
大臣はそれに怯み、最後にハリーへ三校対抗試合の賞金を渡し、医務室から出て行った。
「らしくなく、焦燥めいているではないか」
セブルスは、小さく一言呟いた。
「分かってる。便利な立場を崩すわけにはいかない……」
自分に言い聞かせるように言った。
しかし、は心の中に今にも彼へ楯突きたい自分がいることを、否定できなかった。
私は――。
目の前で、ダンブルドアがハリーのベッドにいる周りの人物を見回した。
「やるべきことがある」
そう仕切る姿は、魔法省と離れた組織――「不死鳥の騎士団」のリーダーそのものだった。
職業柄、はその存在を知っていた。
ダンブルドアは、今すぐにそのメンバーに召集をかけようとしているらしい。
ダンブルドアは、この場にいる者は皆信用に値すると思っているようだった。
……私も?
は眉を寄せた。
2009/3/19
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