縛囚 前














意識ははっきりとしていなかった。
視界もぼんやりとしており、身体も芯が抜けているかのように力が入らない。

やっと意識して吸った空気が咥内を通り、喉へ通り抜けて行こうとする。
が、喉で何かに引っかかった。


ゲホッ……


己の咳の音だけがしんとしたこの場所に響き渡る。
空気は淀んで地面に溜まっているようだった。
そこで、自分の存在だけがその空気に波紋を広げていた。

息を吸って吐いたことにより、やっと鼻と舌の存在を思い出した。
自分の咳の音で、やっと意識が少し回復する。
数度瞬きをして、瞼をきゅっと上げた。

真っ暗で光源がないせいか、目を広げてもそこをよく見ることは出来ない。
目が暗闇に少しでも慣れるのを待つ間に、鼻が異様な臭いを嗅ぎつける。

血の臭いがする。
それから――なにというのか、まるで肉が腐敗したかのような臭いがしている。
良い臭いとは言えない。

身体はカチコチに固まっていた。
筋肉が冷え冷えとした空気によって固まり、乾いた皮膚は冷たさしか感じることが出来ない。
口の中では血の味……もとい、鉄の味がしていた。


目で見なくとも、ここが地下牢だということは明白だった。
空気に漂っている魔力を感じ、ここで魔法使いが魔法使いによって禁じられた呪文で拷問されている光景が目に浮かんだ。
そしてきっとここで――死に絶えたのだろう。

薄っすらと見えてきた視界は、それを肯定するものだった。
金属の棒が何本も立ち並んでいる。





――ヘマをした。

軽い自己嫌悪に陥りながら、輪郭がぼやけている過去の記憶を思い出し、思考を固めていく。

くくっていた髪が顔に落ち、鬱陶しいので払い除けたいと思うけれど、それが出来ない状態にいるようだ。
凍った身体を少しでもほぐすため、この状況を確認するために、身体に力をいれてみた。

腕に力を入れてみると、万歳のような状態で上げられている手首に縄が食い込んだ。
そして、ガチャガチャと金属音が鳴る。
どれだけ動かしても、それ以上ことに変化はない。

手の平は、まるで血が通っていないかのように、とても冷たくて固い。
自分の手ではないようだった。
数度握り開きをしてみる。
肩と腕の筋肉が完全に固まっているようで、すこし手の平を動かそうとしただけでも、そこに鈍い痛みが走った。

足を動かしてみた。
どうやら石の冷たい地面に座り込んでいたようで、こちらは随分と余裕がある。
足は動かそうと思えば、痛みを伴いながらも動いた。
着慣れたローブとマントが衣擦れの音を立てる。

つまりは、腕を身体の上で拘束されているらしい。


――悪趣味だ。


髪は落ちないということを知らないらしく、また髪の房が頬をくすぐる。
やはり鬱陶しいと思いながらも、何とか首を曲げて腰を確認する。
腰に携えていた杖は、さすがにない。

は歯を噛む。

……こんな風に死喰い人に捕らえられるなんて。

今まで陥ったことのない状況について、必死で頭を巡らせる。
最後に記憶にあるのは、目の前で弾けた閃光だ。
その前に、師匠がこちらに声をかけていたのが、僅かに思い出せる。

手首には魔力を封じる手錠、辺りには沈黙した地下牢が広がっている。
闇の勢力に捕らえられたのは明らかだった。


「……助けて、くれるの?」


自分だけでの脱出は不可能のように感じられた。
声は情けなく広がった。
はその声に気づき、きゅっと口を引き締め、目を見据えた。
弱気ではいけない。

禁じられた呪文を受けることを、予想しておかなければならない。
仮にでも、私は闇祓いだった。
情報はほとんど持ってはいないものの、それを漏洩することは決してあってはならない。

ムーディから耳に蛸が出来るほどにそう聞かされていた。

もし耐え切れず漏洩しそうになるのならば、自ら死を選べと。

禁じられた呪文の二つには、ムーディの指導によって防衛手段を身に付けていた。
最後の一つは……恐らく、生け捕った死喰い人相手に使うまい。


無意識に、は胸元の魔力抑制鉱石のついている金の鎖を見下ろそうとした。
これは、ムーディから与えられたものだった。
その姿はここではあまり見えなかったが、は少し胸が苦しくなった。

……誰か、自分を助けに来てくれるのだろうか。
こんな新米相手に、誰かが徒労を――いや、それはありえないな。

闇祓い本部の様子を思い出し、は考えを改める。
私が何も情報を持っていないことは、周知だった。
そんな新米相手に――いや、そんなことをしているより、自分でここからの脱出方法を考えるべきだ。

そうとは分かってはいるものの、頭の中に師匠の姿が過ぎる。
すると、コクンと喉が鳴った。
知らず知らずに、唾を飲み込んだ。


――そうだ、元々私は邪魔者だったのだ。


自分の身の上を、やっと思い出した。

元々、ムーディの情けで、こうして何事もないように闇祓いという職業に就いていられた。
彼がもう私はいらないと言うのなら、闇の印を腕に持った私はアズカバンに送られても不思議ではない。
アラスター・ムーディは、が闇祓いに配属されてまもなく、容易くの出生を探し当て、彼女の闇の印をその目に見たのだ。

私が殺された方が、あの師匠にとっては好都合だ。
こんなに手のかかる小娘のお守りも不要になる。
師匠の性格がなまじ分かってきているから、それが身に染みて分かるのだ。

自嘲の微笑が浮かんでくる。
私は厚かましすぎる。
本来の身の上を忘れるだなんて、あってはならないことだ。

ムーディからは、未だ危険人物扱いをされていたように思う。
最小限の情報だけしか知らされず、ただあの人の後をついて回るだけ……。

喉から自嘲がせり上がってくる。
惨めな気持ちが身体に広がっていった。
唇の端を上げ、少しだけ唇を開いて声帯を震わせた。















ゆらゆらとした弱い光が見える。
誰かの足音が聞こえた。


コツ


は顔を音の聞こえる方向へ向ける。
細長い人影が見えた。
影は、足音に従って少しずつ大きくなってくる。

地下牢は少しずつ明るくなり、その様子が露見してくる。
同じような拘束具が備えられている牢が見えた。

急に蝋燭の明かりが大きくなり、は目を細めた。
暗闇に慣れた目は、蝋燭の灯りさえ強い刺激だ。
一人の黒いフードを被った者が蝋燭を片手に、牢の前にやって来た。

その人物は後ろに数人の同じ格好をした者を連れ立っている。
その人物はマントから鍵束を取り出した。

重苦しい音が立って鍵が回される。
牢は金切り音を立てて、開かれた。
マントを着た者は牢の中へ入って来る。


「Ms.? お加減はどうかな?」


男の声だった。
はその姿を見上げた。
まだ蝋燭が、少し眩しい。


「お陰様で。とても気分が悪いわ」


男は低い声で笑った。


「正直なものだ。これからのことを考えたら、良い気分でいられるわけもないが」

「とても退屈だったの。これから楽しませてくれるのでしょう?」


怯えても弱気にもなっていない声に、男は意表を突かれる。

は内心では冷や汗を流していたが、これが元々の性分なのか、皮肉を言う口は止まらなかった。
フードの影から、男がゆっくりと唇の端を上げるのが見えた。


「なるほど。あのムーディが弟子にとるわけだ」


男はフードを掴み、下げた。
蝋燭の灯りに、冷たそうな目と、シルバーブロンドの長髪が映し出される。


「しかし、それもいつまで続くかな?」

「ご期待に沿えるかは分からないわ、Mr.マルフォイ」


ルシウスは膝を折り、と目を合わせた。
視線が同じ高さにくる。
は視線を離しはしなかった。

端正な顔つきが目の前でありありと見せつけられる。
はじっとそれを見据えた。

ルシウスはの顔に指先を添わせる。


「なるほど。確かに、男にも見える」

「……何ですって?」


思いもよらない言葉がルシウスの唇から発せられ、は拍子の抜けた声を上げた。
私について、妙な噂が立っているようだ。

するりと頬を撫でられる。


「それにしても、酷いものだ。もう少しどうにかしないのかね?」

「あの……怪我をしたら、手当てをするのが当然だと思いますが」


ルシウスの手は、の額に当てられたガーゼに掠るほどに触れた。
ルシウスはまじまじとの顔を見つめ、するするとそれを触っている。
は、居心地の悪さを感じた。

なんだか気持ち悪い……。

ルシウスは、何かに気づいたかのように、ピクリと眉を上げた。
がわけが分からない。

ルシウスは、ふとの髪に手を当て、不意にそれをくくっていた紐を解いた。
不精して伸び切っていた髪が、の肩に落ちた。
ルシウスは慣れた手つきで、の髪を撫でて、すく。

が驚いて目を上げると、ルシウスと目が合った。
目の前の男は、驚いたかのように少しだけ目を見開いていた。


「――かつての許婚殿ではないか」

「……!」


その言葉には、一切の間違いは含まれていなかった。
は、かつて、違う名で呼ばれていた時の記憶を思い出した。




























2009/1/20






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