縛囚 中














確かに、私はかつてのこの人の許婚だった。
しかしそれは勝手に親が行ったもので、私の感情は反映されてはいない。

それに、それは私が家を出たことによって、完全に破棄されたはずである。


「……ほんの顔だけで、そんなことが判断出来るの?」

「学生だったころに、写真を見せられたことがあった。――ユリア・セン?」


久し振りに聞くかつての名に、拒否を示したかのように、は顔をしかめた。


「一度見た女性の顔は忘れはしないよ」

「その割りには、男にも見えるってさっき言っていたじゃない」


ルシウスは、の髪を撫でた。
まるで愛しむかのようなその動作に、は眉を寄せる。
傍違いな行為は止めて欲しい。


「男だったとしても、顔立ちは良いと思っていた。……まさか、闇祓いになっているとはな」

「どうして私がその人だと断定するの?」

「では、証明するか」


ルシウスは後ろを振り向き、その場にいた死喰い人たちにこの場から退場するように合図した。
ぞろぞろと死喰い人は列を成して、牢から離れて行く。

ルシウスはの左腕を捲り上げた。
すると、そこには半分欠けた闇の印があった。


「かつての私の許婚殿は、半分だけ闇の印を焼き付けられ、逃亡したと聞く。……これでも否定出来るかな?」


ルシウスは、が唇を噛んでいるのを見て、満足そうに微笑んだ。


「他の死喰い人をここから退散させたのは、私の親切心だ」

「……それは、ありがとうございます」


ルシウスはの刺々しい言葉にも、笑んだ。
そしてまた、まじまじとの顔を見つめる。
はルシウスを睨み付けた。

ルシウスは、の目を見て、またくすくすと笑い出した。


「名家のご令嬢が、なんて目だ」

「貴方には関係ないわ」

「よりによって闇祓い。それに、ムーディの弟子とはな」


ルシウスは、の汚れた頬に触れるだけのキスをした。
その後、ルシウスは、が目を真ん丸にしているのを見た。
……どうやら、慣れぬ行為だったらしい。

ルシウスは楽しくなり、そのままの唇に残っている血の塊に触れた。
それを擦り取ると、または驚いたような表情を見せる。

ルシウスは唇に笑みを浮かべた。
そして、目を細める。


「なかなか、楽しませてもらえそうだ」


ルシウスの微笑みを見て、はぞくりと背骨に冷たいものが走ったような気がした。
生理的に、この人に近寄られたくないような感情が沸いた。

ルシウスはそれを見透かしているかのように、の顎へ手を添わす。
はびくりと身体を動かし、初めて目が少しだけ恐々とルシウスを見つめた。


「――こちらに戻って来る気はないのか?」


じっとを見つめた後の、ルシウスの言葉だった。


「闇の帝王も、ユリア・センをいたく気に入っているようだった。
 お前の魔力は、強大なのだろう? そして、それは闇に強く傾いていると聞く」

「闇に傾いているなんて――」

「闇に傾いていないと?」

「傾いてなんか、ない。ただ、闇の魔術が少し……得意なだけ」


ルシウスの笑い声が地下牢に響いた。
は大声を上げる。


「でも、私はその力を貴方たちみたいに使いたくはない!」

「余程闇祓いに染められたようだな。必ず、お前はここに帰着するだろうに」

「そんなことはしない! 私は、貴方に何を言われたって、死喰い人に加わったりはしないわ」

「そんな有様になってもか?」


ルシウスは杖を振った。
の手首を縛っている縄が、強い力できつく手首を縛り上げた。
しかし、は笑みを見せた。


「あら、同情してくださるの?」

「同情はしない」


ルシウスはの身体の上に、覆い被さるかのように身を寄せた。
その表情は、獲物を見つけた蛇そのものだった。
の心臓が跳ねた。


「――お前の言い分は分かった。私の言葉は、お前の耳を通り過ぎるだけらしい」

「……よくお分かりで」

「いつか、私の忠告を聞かなかった後悔をするだろう」

「勝手に未来を予想なさっていれば良いわ」


ルシウスは杖を振った。
の地面に座っていた身体が上がる。
膝を着き、ルシウスとの距離が近くなる。

ルシウスは、の縛られた手首を掴んだ。
男の力に手首が悲鳴を上げるが、は毅然とした顔を変えない。
無理やりの顔を、己の方に向けさせる。

冷たい灰色の目が目の前にあった。


「温室育ちのご令嬢だと思っていたが、そうではなかったようだな」

「随分と根性は鍛えられたわ」


すると、は無防備な耳に何か柔らかいものを覚えた。
次に、ルシウスが自分の顔に顔を寄せているのが見えた。


「何を――っ」

「何を? 事前に予想はしていなかったのか?」


耳元で低く囁かれる。
は背を震わせた。

確かに、事前に予想はしていた。
しかし、こんなこと――。

ルシウスは、の首筋に顔を埋めた。
首筋にこれが何かを判別したくもない感覚が走り、はルシウスを弾き飛ばしたい感覚を覚える。
出来る限りで身をよじらすが、それは何の効力も発揮しない。

目の前には、蝋燭の光で輝く手入れの行き届いたブロンドの髪があった。


「どうして、こんなこと……っ!」

「強気な仮面をはがしてみたいと思ってね。?」


首筋から顔を離したルシウスの言葉は、の精神をどん底へ突き落とした。
全身が総毛立ち、胃の中が目まぐるしく回り、吐き気に似た感覚に襲われた。
身体がかすかに震え始めるのを、何とかは堪える。

弱気なところを見せては駄目だ。
しかし、彼の指先を見ると、の心は激しく動揺した。
逃げようと身体を動かしても、金属音が響くだけだった。

血の滲む手首をまた握られ、痛みに堪えるの指先をルシウスは舐める。
うまく動かせない指は、それを享受するしかない。

肌を弄ぼうとするルシウスの指は、の肌を掠っていく。
は、ただ良いようにはされたくないというだけの思いで、ルシウスを睨み付けた。
屈服だけはしたくない。

の目へ、ルシウスはほくそ笑んだ。
そしてそのまま、慣れた手つきでのネックレスを持ち、そのまま引いた。

徐々に首に食い込むチェーン。
は抗うことが出来ず、そのまま首を前に倒して行く。
顔が、ルシウスに近付いて行った。

彼は、いやらしい顔をして、待ち構えている。
はそれを見て身体をすくめ、チェーンの動きに逆らって身体を後ろに引いた。
首にチェーンがこすれた赤い跡がつく。


「こんな子供相手っ……まともな神経!?」

「よく自分をわきまえているようだ」

「それじゃあ、どうして――」


それが見えた時には、もう遅かった。
身体は壁に押さえつけられ、逃げようがなく、唇を塞がれた。

頭が真っ白になった。
何も考えることが出来ず、目を見開いたまま身体を固まらせる。

しかし、次に与えられた刺激で自我が戻り、目をぎゅっと閉じた。
唇を抉じ開けられたのだ。
何とか逃げようと身をよじるが、容易く押さえ込まれてしまう。

その間、はこの事実を考えることを止めようとしていた。
ただ感じていたのは、血の味だけだった。

好きなように遊ばれ、やっと唇が離れる。


唇を離されて最初に出たのは、咳だった。
胸を上下させ、ルシウスを見上げた。


「口の中を切っているのか?」

「貴方が一番、分かったでしょう?」


まだルシウスを睨み付ける


「生意気なものだ」


吐き捨てるかのように良い、好色に満ちた顔での全身を眺め出す。
は悪寒が走った。


「いつまでそれが続くか、見せてもらおうではないか」


ルシウスの指先がへ伸ばされる。
は、それを避ける術を持たなかった。
表情は変えないが、内心では目の前の男が、恐ろしくて、堪らなかった。

すると、その時、の左腕が燃えた。
ルシウスも腕を止め、己の左腕を見つめた。
ヴォルデモートから召集がかかったのだ。


「――また来る」


ルシウスはローブを翻し、牢から出て行った。
はルシウスが立ち去るまで、その姿を毅然と睨み続けた。














牢の鍵が回され、足音が遠ざかって行く。
暗い世界がまた訪れる。

は、床に唾を吐き出した。
血の混じったそれを吐き出すと同時、胃の中のものまで吐き出しそうになり、は堪える。

気持ちが悪い。
咳き込む度、胃に違和感を感じ、内容物を吐き出しそうになった。
しかし、は息を落ち着かせ、何とか自己を確立させようとする。

屈服など、するものか。

その言葉を繰り返し唱えた。
身体に悪寒が止め処なく走っているし、またあの男に触れられることを考えたら、反吐が出そうになる。
しかし、何があっても屈服などするものか。


彼のお陰で、以前の師匠に関する惨めな気分が半減したことは、感謝すべきだと思った。

気持ち悪い唇を舌で舐め取ると、先ほどのものが初めて異性と唇で交わした接吻だったことを思い出した。
はまた別の意味で惨めな気分になり、足元を見つめて軽い微笑を見せた。



























2009/1/20






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