縛囚 後
激しい衝撃を感じた。
まるで、殴りつけられたかのような。
目を開くと、目の前には男がいた。
しかし、ルシウス・マルフォイではない。
彼よりも背が低い、死喰い人のようだった。
腹部に鋭い痛みを感じ、その男が拳を作っていることを確認し、眠っていた自分に起きた事実が分かった。
「起きたか?」
男はいやらしい笑みを隠そうともせず、に近付く。
「昨日は、ルシウス・マルフォイとお楽しみだったようだな」
「そんなこと――」
頬を殴られた。
衝撃で身体が横に飛ぶが、鎖に繋がれた身体はその場から動くことは出来ない。
血の味がした。
「俺に楯突いて良いなんて、言っていない」
男はの顎を掴み上げた。
の頬が歪む。
フードの下の、男のまばらに生えた髭が見えた。
「生意気なことを言わなければ、なかなか良い女だ……いや、女というより少女か」
吟味をするかのような男の視線。
は、それに昨日のことを思い出し、背骨が凍った。
どうしようもない嫌悪感が身体に満ちる。
まさぐるようにのローブの上を手が這い回り、はそれに抵抗する。
今度は腹部を蹴られた。
そして、男が大口を開けて何かを言おうとした時――その男は飛んで行った。
「この牢に入って良いと私は言ったか?」
聞きなれた声だった。
その声には、怒りの感情がひしひしとこもっている。
杖を持ったルシウス・マルフォイが、地面に座っている男を上から見下ろした。
そしてそのまま杖を振り、男を牢からはじき出す。
男はそのまま呆気なく逃げて行った。
「――同輩が失礼した」
ルシウスは、水の入ったグラスとパンとチーズののったプレートを持っていた。
それを地面に置き、の腫れた頬へ手を寄せる。
「治療をしなければ……」
「貴方に謝ってもらう道理はないわ。それに、そんなことより……ヴォルデモートに私のことを報告していないの?」
闇の帝王の名前に、一瞬ルシウスはひるんだ。
「あの人が私が捕らえられていることを知ったら、案外早くここに来ると思っていたのだけれど」
「……まだ、一般に・とセン・ユリアはイコールで繋がってはいない」
「なるほどね」
ルシウスは、の頬へ杖を当てた。
一瞬はそれに眉を寄せるが、ただ頬の腫れを治療しただけだった。
同様に、ルシウスはの腹部にも杖を滑らせる。
「……どうして」
「このようにお前を痛めつける気はない」
あくまでも、杖と性的にいたぶることで、私を痛めつけたいらしい。
は目線を下ろす。
この男は――。
「何か、食べ物か飲み物はどうだ?」
目の前の男が分からない。
親切なのか不親切なのか。
は解ぜぬ男を前に、ぽつりと呟く。
「……結構よ」
「中に真実薬が入っているとでも?」
「敵の飲料や食べ物を口にするなんて――」
「そんなことをしたら、師匠に怒られる、か」
は、身体の後ろで凍えた指先を握り開きしていた。
杖を握れるような機会があった時、杖を握る手が凍えていたらどうしようもないのだ。
……杖を握る機会さえあれば。
ルシウスはの目の前で屈み込み、視線を合わせる。
「それでは、拷問でも始めようとするか」
「貴方の言うそれは、私の思っていたものとは大分違っていたようだわ」
「今まで、お前が狭い世界の中にいただけの話だ」
ルシウスの指がとても温かかった。
寒々しい牢の中、体温が少し下がっている。
「趣味が悪いわよ、本当に」
ルシウスの唇が瞼に降る。
は、嫌悪の視線でルシウスを睨み付けた。
ルシウスは喜々とした顔での唇に触れ、それを塞いだ。
は、また意識を無にしようと懸命になり、耐える。
嫌悪感に似た何かが喉から出かかっている。
口付けが離れると、ルシウスはの身体に触れ始めた。
マントを外し、ローブを肌蹴る。
初めて肌を、身体を触られる感覚に、は拒否したい感情を抱くが、拒否出来る状態ではない。
どれだけ身をよじっても、何も変わりはしないのだ。
ルシウスはそんなの顔を見て、呟く。
「……仮面がはがれ始めたか? 随分と早い」
は、ルシウスを睨み付けた。
ルシウスはその視線さえ楽しんでいるようだった。
裸の肩に唇が当てられ、肩がすくむ。
逃げられない。
逃げられない。
そう思う度、胸は震えた。
しかし、同時に諦めに似た感覚をは抱いていた。
もう、どうしようもない――。
意識を飛ばして、ことが過ぎるのを待てば良い。
どれだけいやでも、逃げられないのだ。
腹をくくるしかない。
金属音が耳に聞こえた。
鎖がゆるんで、音を立てる。
目の前には男の影しかない。
選択肢は他になかった。
絶望的な感情と純粋な嫌悪が渦巻き、胸が震え、とても気持ち悪かった。
背筋にはずっと冷たいものが流れていた。
ルシウスの手が、下着の中に入り込もうとする――。
はぎゅっと目をつぶった。
「マルフォイ。……その娘を放せ」
聞き慣れた声が聞こえた。
は瞬間、その声を発した人物へ顔を向けた。
まさか。
「ムーディさん!」
アラスター・ムーディは、呆れたような風情で牢の前に立っていた。
「こんな小娘相手、何が楽しいのだか……まあ、お前の趣味は言及すまい。とりあえず、放せ。戯れは終わりだ」
ムーディは、ルシウスに真っ直ぐに杖を向けていた。
ルシウスはから目を離し、背後のムーディを確認して眉を寄せた。
のろのろとの前から退いて、距離をおいてムーディの前に立つ。
そして、頭上を見上げた。
「お前の仲間どもも、今お前と同じような目にあっている。さあ、まずは鎖を解け」
低く唸るような声が響いた。
ルシウスはムーディを睨みながらも、ゆっくりした動作でマントの中から錆びついた鍵を取り出す。
の手錠へ鍵を差し込んだ。
次の瞬間、の手首に巻きついていた縄が千切れ、地面に落ちた。
ムーディが切ってくれたのだ。
の腕が重力に従い、落ちた。
途端骨が軋むような痛みが走ったが、は肩に手を当て、ずれ落ちていたマントとローブをたくし上げた。
四肢は自由になった。
しかし、足を立たせようとするとまたそこに痛みが走る……が、なんとか無理やり立ち上がる。
反動で身体ごとこけそうになったが、なんとか持ちこたえた。
危うい歩調で、はムーディの方へ歩き出す。
「牢を開けろ」
ルシウスが緩慢な動作で、今度は牢を開け放った。
は危なげな小走りで、ムーディへと向かった。
ルシウスはそれを細めた目で見ている。
「ムーディさん! あの……」
「杖を探して来い」
はその命令に素直に従った。
身を翻し、己の杖を探しに行く。
が行ったことを確認し、ムーディはルシウスに話しかける。
「――あれが、お前の拷問か?」
「趣味が良いとは思わないか?」
「わしには許容出来ん」
「心配なさっているようなら進言しておくが、彼女はまだ何も情報を吐いてはいない」
「当然だ」
次の瞬間、ムーディは呪いを放った。
ルシウスはそれを見透かしていたかのように防御し、次の呪文をも避け、その場から姿を晦ませる。
ムーディは舌打ちした。
「逃がした……んですか?」
戻ってきたが初めて言ったのは、この言葉だった。
変わらずムーディを見上げている。
ムーディは答えず、そのまま素っ気無く身を翻した。
は急いでそれについて行き、後を追いかける。
「ありがとうございます」
軋む足を何とか動かし、はムーディの隣を歩いた。
ムーディはちらりとを見下ろした。
「助けてもらって……」
「お前が簡単に口を割って情報を漏らすのを阻止しただけだ」
は一旦口を閉じるが、微笑みながらまた口を開ける。
「助けてもらえない、って思ってました。だって私、ムーディさんにとっては邪魔者ですよね。
それに、いつも自分の身の世話は自分でしろ、っておっしゃっていたし。助けられることなんか考えるな、っていつも口酸っぱく――」
「容易く助けられる闇祓いを助けない策があるか?」
呆れた口調のムーディ。
は、やっとこれでムーディの行動に合点がいった。
そして、はたと気づく。
「どうして私がここにいると分かったんですか?」
「何も策もなしに、わしがお前を野放しにすると思うか?」
は考える。
「……ネックレス……?」
ずっと身に付けているネックレス。
ただ、これは魔力の調節のためだけのものだと思っていた。
ムーディは肯定するかのような視線を落とした。
さすが、私の師匠は何枚も上手である。
「それで――大丈夫だったのか?」
「はい?」
何が大丈夫だったって?
珍しい身体への心配の言葉に、は仰天した。
こんな言葉、初めて……いや、初めてではないとは思うが……。
なかなか返事を返さないに、ムーディは苛立ったようだ。
言いにくそうにしながらも、言葉を紡ぐ。
「マルフォイについてだ」
「……心配してくれるんですか!?」
「その様子なら大丈夫だな」
ムーディの中ではそのことが完結したようだった。
しかし、はそれで完結させようとはしない。
は屈託なく微笑んだ。
「ありがとうございます。心配してくれて。でも、私、大丈夫です。それに、もう別に良いかなあと思ってますし」
明るいその口調の言葉に、ムーディは引っかかった。
「何が良いんだ?」
「そういうのは、もう良いかな、って」
だから何が良いんだ、とムーディは心の中で繰り返す。
「女だとか男だとか、もう良いです。この仕事をしていく上では不要ですよね?」
そう言って、は上機嫌のまま髪をひもでくくり直した。
不穏なムーディの視線にも気付かない。
「ムーディさんだって、そっちの方が良いですよね」
別に、良くはない。
勝手に一人意気込んでいるに対し、ムーディは沈黙していた。
上階を見上げ、物音が立っているのを確かめ、はぐっと杖を握って目を見据えた。
「行きます」
その顔はとても男前だった。
ムーディは口を閉ざしたままだ。
はそれ以上、そのことを言及する様子はなかった。
同様にムーディも、今、これ以上何かを言おうとする気にはならなかった。
確かに、今現在、このようにして生きていくにはその方が楽かもしれない、と思ったからだ。
ムーディは沈黙を守ったまま深く息を吐き、若い闇祓いにならって杖を抜いた。
2009/1/20
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