寝殿造りに似た建物の中、西洋風の黒いマントを着た少女が我が物顔で歩いていた。
マントの下には、仕立ての良いビロードのワンピースを着ていた。














01/feel light














「母様」


通りかかった庭園に、彼女の母親がいた。
母は着物を着て、黒い髪を綺麗に結い上げている。
その手には杖が握られていた。


「またやってるの?」


十一歳にもなるのにそうとは見えない幼い容姿の少女は、少し呆れているように言った。
長い艶のある手入れの行き届いた髪が肩で揺れた。


「やり過ぎ、なんてものは存在しないのよ、ユリア」


ユリアは唇を尖らせた。
そしてその場を立ち去ろうとした時。


「待ちなさい。またそれを着てるの?」


尖った母の声に、娘は急いでその場から走り去ろうとした。
バタバタとマントが揺らめき、骨っぽい細い身体に巻きつく。
しかし次の瞬間、ユリアの目の前に大きな壁が現れた。


「……母様。魔法、上達したね」

「ありがとう、ユリア」


母はにこりと微笑んで、ユリアの元まで歩み寄る。
そして、ワンピースに対してみすぼらしい薄いマントを見て、また笑みを浮かべる。


「余程、父様が買ってきたこれが気に入っているようね」

「うん、そうなの。じゃあこれで……」

「待ちなさい」


母の言葉に、ユリアは表情を強張らす。
しかし、母の目はユリアの姿を通り越し、ユリアの背中にいる三人の女性たちへ注がれた。
彼女たちは柄の揃った母のものより質素な着物を着て、すっきりと髪を結い上げていた。


「貴方たちも。どうしてユリアにこれを渡すの? もう渡さないで、って言っていたでしょう?」

「お嬢様が――あの……」

「はっきり言いなさい」

「そうしないと私たちをこの姿にさせない、とおっしゃって」


ユリアは眉を上げて、後ろを振り返った。
途端、後ろにいた女性たちは紙に変わり、床へヒラリと落ちた。


「ユリア。そういうことは簡単にしてはいけない、って私は何度も言っていたわね?」

「……だって、出来るもん」

「出来るからって、それをしては良いことにはならないの。――分かるわね?」

「……はい」


しょんぼりしたユリアの姿に、母は息を吐く。
買い与えている高価な衣服より、娘は父が戯れで買ってきたマントの方が好きらしい。
それに、下手に力が強いと、何でも好きに出来てしまうから困りものだ。

ユリアは母の視線に気付き、後ろを振り向いて指を振った。
途端、三人の女性がそこに現れる。


「……ごめんなさい」


すねたようにそう言うと、ユリアは目の前にある壁を睨み、消してしまった。
ユリアは廊下を逃げるように駆けて行く。

母は額に手を当てる。


「杖も持たない娘に、簡単に魔法を破られるとは……」

「お嬢様は特別ですよ」

「そうです。この屋敷の者みんながお嬢様に期待しています」

「そうかしら? ……魔力は強いにこしたことはないけれど、ユリアは強過ぎる気がするのよ」

「魔力に、強過ぎるなんてことはありません」


母はユリアの後姿を見つめる。
後姿はマントの影で、揺れていた。















ユリアは母親から逃げる最中、ある部屋の前で立ち止まった。
じっとそこを見つめて、可愛らしい顔を少し歪める。
神妙な面持ちでゆっくりと足を進め、畳が敷かれた広い部屋の中へ入って行く。

ある一点を見つめる。
黒い目が何かをしっかりと捉えた。


「お婆さん、誰?」


その姿は透けていた。
出窓がその姿越しに見える。


「見えるのか?」

「うん」


少女は特別な能力を母親から引き継いでいた。
魔力を感じ取れるのだ。
魔力を宿すものが、動物でも、幽霊でも、何であっても。

ユリアは物珍しいものを見るように、その幽霊を見ている。
マントを着た鋭い茶色の目の銀髪の人は、明らかに西洋人で、魔女だ。
幽霊の老婆もまるで珍しいものを見るように、ユリアを見下ろした。


「どなたですか?」

「名乗る必要はないと、私は思う。
 この世から切り離されているというのに、未だこの世に未練を残し彷徨う存在に、名など必要はないよ」


年齢の割には若い言葉遣いをする幽霊だ。
ユリアは、まじまじと幽霊を見つめる。
幽霊はその視線に笑みを零した。


「ユリア・セン。純血のお嬢さんで間違いないかな?」

「どうして私の名前を……?」

「色々とわけがあるんだ」


そのわけを知りたがっていそうな少女に対し、幽霊は部屋を見回した。

ここは少女の部屋らしい。
畳の部屋に、異国の言葉が書かれた本が並び、マントが壁にかかっている。

今、幽霊と少女が話している言語は英語だった。
ちなみに、先ほど母と会話をしていた時は、少女は日本語を話していた。


「今年、進学かな?」

「……そうですけど」

「学校はどこなんだ?」

「ダームストラングです」

「なるほど」


幽霊は納得したように、顎に手を当てた。
ユリアは意味が分からない。
それに、どうしてこの幽霊にそこまで個人的なことを明かさなければならないのかが、分からなかった。

納得のいかない顔をしているユリアに、幽霊は気付く。


「そうだったね。どうして私がここに来たのか、理由を言っていなかった」


幽霊はユリアをじっと見下ろした。


「私は、君の両親に殺された」


その言葉を言うには、幽霊の表情は明るかった。
だから、ユリアはすぐにその言葉を飲み込むことは出来なかった。
固まった表情の中で、口が初めて動いた。


「……どうして? 悪いこと、したんですか?」

「君の両親にとって、私は目の上のたんこぶだったようでね」

「悪いことをしたんですよね?」

「君の両親にとっての悪いことなら、していたように思う」

「――限定しないで。社会的に悪いことを、してたんですよね?
 それに、私の両親が貴方を殺しただなんていう証拠は何もありません。私をからかっているんですか?」


少し考えてからのユリアの言葉に、幽霊は感心した。
ただの温室育ちの頭の回らない少女ではないらしい。

ユリアの向ける目は、見た目の割りに鋭かった。


「日刊預言者新聞はあるかな?」

「父様の部屋にありますけど」

「取って来れる? 出来れば、誰にも見られない方が良いんだが」


ユリアは黙って、頷いた。
身を翻して駆け足で部屋から出て行く。

数分経つと、ユリアは新聞を携えて戻って来た。


「誰かに見られたか?」

「ううん。もし見られたとしても、記憶を変えておくから大丈夫」


記憶を変える。
彼女が軽々しく言った言葉は、通常考えられないことだった。

英国の魔女は、日本と英国では法律が違うのかもしれないと思ったが、どちらにせよこの少女が際立った能力を持っているのは間違いなさそうだ。
――噂通りだ。

ユリアは紙面を眺めている。


「今まで、読んだことは?」

「いいえ」


ユリアは少し眉を寄せていた。
見慣れない単語が多いせいだろう。
文字を見ながら、その綴りを頼りに発音する。


「Death Eater?」

「Auror?」

「You-Know-Who?」


最後の単語に、ユリアは明様に眉をしかめた。
私はその人の名前なんか知らない。
わけが分からない。

幽霊はそんなユリアの様子を、腕を組んで眺めていた。


「君の両親が、その死喰い人だ」


ユリアは空に浮いている幽霊へ顔を上げ、もう一度紙面へ目を落とした。
目が真剣に文字を辿っている。


「そして、私がそのAurorこと闇祓いだった」

「……英国では、魔法使いの間で戦争をしているんですか?」

「そうだ。それで、君の両親と私は敵対していた。だから、私は彼らに殺された」


ユリアは事実が飲み込めていなさそうだった。
ここからはるか遠くの島国のことなんて、今までそれほど触れたことがないのだろう。
父親の母国だという認識しかないのかもしれない。


「貴方は……悪いことを、してたの?」


そう言うユリアの顔には、ありありと戸惑いがあった。
紙面を読んだ彼女は、闇祓いが政府に属している者だと判断出来たらしい。


「善悪の判断は、人による。誰もが己の正しいと思っていることを、しているはずだよ」

「……意味が分かりません」

「まあ良い。君はまだ幼い」


幽霊はユリアの頭に手を伸ばした。
まるでその頭を撫でるかのように。
しかし手はユリアの身体を突きぬけ、空を掴んだ。

幽霊はその手をまじまじと眺めて、空に浮かんでいた身体を床に沿って下ろした。
しかし、それでも背の高さの高低差は覆されることはなかった。
幽霊は、女性の中でも長身のほうだった。


「今、英国では、例のあの人ことヴォルデモート卿が死喰い人という軍団を束ね、非魔法民族を殺している――分かるかな?」


表情を変えないユリアに対し、幽霊は訊いた。
ユリアは一つ頷いた。


「そして私はそれに対抗する魔法省の闇祓いとして、まんまと死喰い人にやられてしまった。まあ、私も歳が歳だった。
 しかし、このままじゃあ死ぬに死に切れない。だから、わざわざ遠くの東の果てまでやって来たんだ」

「……人を、殺してる、ってことは新聞に書いてあったから信じます。
 でも、それに私の父様と母様が加わってるってことは、信じられません」

「もし本当に加わっていたら、君はどうする?」

「……」

「そして君もそれに加わる運命だと知ったら、君はどうする?」


ユリアは驚いたように目を上げた。
じっと幽霊を見つめる。


「まずは、一つ目の疑問から片付けようか。君は、両親の腕に刺青を見たことがあるかな?」

「……あります」


いつからか母の腕についていたそれ。
母の腕に似つかわしくないと言い、どうしてこんなものをつけたのだと言ったが、母は曖昧に微笑むだけだった。

幽霊は紙面を指差した。
そこには、母の腕と同じ蛇と髑髏のマークがゆらめき、空に浮かんでいる写真があった。


「ヴォルデモート卿の印だ」


黙ったまま視線をそれに向けているユリア。


「疑問は解けたかな? 彼らは闇の魔法を使い、罪のない非魔法民族を次々と殺している。君はその存在をどう思う?」

「母様は――」


唇を噛んだユリアは、まるで睨み付けるかのように幽霊へ顔を上げる。


「母様は、誰にだって同等に振舞うべきだって、ずっと言ってた。それがヒトの姿を取ってなくても……」

「魔力を持っていなくとも?」


ユリアはますます唇を噛み締めた。
そのような言葉を言われたことは、ないらしい。

幽霊は少女の母親の今まで知らなかった面を知り、意外に思っていた。
しかしそれを今知ったところで、どうすることも出来ない。


「君は、それに加わりたいか?」

「――貴方の言うことが本当なら……でも……」

「突然にこんなことを言われて頭を整理出来るはずはない。
 私の言うことが真実かどうか判断する機会は、これからいくらでもあるだろう。答えはまた後で良い」


幽霊は、生前ある噂を耳に入れていた。
この夫婦の娘が大きな魔力を持っている、という噂だ。
それにヴォルデモート卿が目をつけているらしい、とも聞いていた。

闇祓いであったこの身で最後に出来ること。
それは、この娘が闇の勢力につくのを阻止することだと、考えた。
無論、その娘が既に純血思想を持っているのならば、今更そのようなことは不可能かもしれないと思っていたが……目の前にいるのは、何にも染まっていない真っ白な少女だった。

両親と自分の間で葛藤を覚えているのだろうか、ユリアはマントの端をぎゅっと握り締めていた。


「君の力にヴォルデモートは目をつけているらしい」


どうして、と言いたげなユリアに、幽霊は口を開く。


「君の力は強大だ。そして発展途上にある……」

「どうしてそんなことを――」

「君の母親が、そう売り込んだらしい。それに、自負もあるだろう? 自分は周りの者とは違う、という」


昔から、人には見えないものが見えて、人には聞こえないものが聞こえていた。
魔力を持つ者の中でも、その力は特異なものだった。
人に出来ないことが出来て、出来ないものなんかないと思っていた。

ずっとそういう考えを持ってきていたユリアは、黙った。
幽霊は微笑する。


「――大切なものは、選択だ」



























2009/1/21






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