ロンドン、英国魔法省地下八階、アトリウム。














05/Bartemius Crouch














黒いマントと背にかかる黒い髪を揺らし、身体の至る所に包帯を巻いた少女が、其処を走り抜けていた。
少女は言う。


「クラウチさん……!」


ヴォルデモート卿凋落後、その直後よりかは人通りは収まったものの、やはり其処は人で溢れている。
黒色の磨き上げられた木の床に魔法使いのブーツがコツコツと音を立てている。
青い天井に浮かぶ金色の記号が煩雑に揺れ動いている。
煙突飛行ネットワークに組まれている暖炉も、絶え間なく人々によって利用されていた。

変わらなく、ホールの中央には「魔法族の和の泉」と称される像が虚しく建っている。

少女は、その全身の包帯、そして走るという行為によって、その場の人々の注目の的となっていた。
人々は少女をチラチラと見つつ、各々己の行き先へ歩いて行く。

そして名前を呼ばれた男性は、呼ばれた方向へ軽く振り向いた。

小柄な女性がマントを翻して走ってくる。


女性は魔法法執行部長の前へ辿り着き、その目の前で息を一回吐いた。
するとくっと胸を張って、背の高いその人を見上げる。
あらかじめ言葉は決めていたようで、苦しい息の下からも、その言葉はすっと流れ出た。


「クラウチ部長。シリウス・ブラックが、裁判を受けずアズカバンに送られたのは本当ですか?」


黄金のゲートへ人へ流れて行くのに逆らい、二人の魔法使いは、ホールの中央に立ち尽くしている。
傍には例のあの像が立っている。

の視線は、ほとんど彼女の上司を睨みつけていた。
クラウチはそれを軽く受け止めて受け流す。


「本当だ」

「クラウチさんが、命令なさったんですよね?」


若い闇祓いは、魔法法執行部長に少し皮肉るような口調で話していた。

闇祓いは師匠譲りのふてぶてしさを持ち合わせている。
そして魔法法執行部長も、それに直に反撃するほど愚かではなかった。

はクラウチをじっと見据えている。


「どんな罪人にも、裁判を受ける権利があります。
 シリウス・ブラックがどのような罪を犯していたとしても、はっきりとした判決なくアズカバンに送られるのは、間違っています。
 罪を明確にした上での投獄ではないのですか?」

「では、君は今すぐブラックをアズカバンから呼び寄せ、ウィゼンガモットで裁かれることを望んでいると?」


が冷たい口調で吐かれたその言葉に肯定の返事をする前に、クラウチは言葉を飛ばした。


「君は事件当日その現場へ赴き、不可思議な行動を取ったようだね。その傷だ――正気でなかったとしても、仕方がない」

「貴方は、私が今も正気でないとおっしゃっているんですね」


は冷めた目でクラウチを見ている。
クラウチはの格好へ、何の躊躇いもなく刺すような視線を送る。
確かにこの格好は格好が良いとは言えない、ということは自覚している。


「ブラックの罪状は既にはっきりとしている。
 君の折角の忠言だが、申し訳ないが、今は私は君に付き合っている時間はないのだ、君」


は頭に何かの感触が降りてくるのを感じた。
まさか……。


「君の働きには感謝している。魔法界を代表して、こう言おう。
 今は、僅かな間だが、傷を癒す間ゆっくり養生したまえ。君の師匠殿によろしく」


頭の上には手の平が乗せられていた。
はすんなりと子供扱いされ殺気をまとっていたが、クラウチは飄々とこう述べた。

は自分がまともに相手にされていないことに、憤りを感じていた。

クラウチの手の平はの頭から降りると、それは下に下がって、の首のネックレスに辿り着く。
それに触れるか触れないかの所で。


「これが例の、ムーディが君にくれたネックレスか」


まじまじとクラウチは、その銀の鎖を眺める。
そして、それに繋がっているへ視線を移動させた。


「ムーディの期待にそぐわないよう、頑張りたまえ。
 あの男がこんなに個人に世話を焼き、興味を示すなんて、珍しいことだ。
 戯言を言っている間にも、君の才能はもっと伸びるはずだ。これからも期待している」

「……勿体無いお言葉、有り難う御座います」


は嫌味を込めてそう言った。
次に言葉で反撃しようとすると、急に口が何かで塞がれた。

いきり立っていた目線が、キョロキョロと戸惑う。
口を塞いでいるものが、誰かの手の平だということを判別する。


「すまんな、クラウチ」


耳に自然に響く声。


「ムーディさっ……」


口を塞がれているせいで、言葉は途切れる。
クラウチとムーディは、の様子など気にも留めていない。

クラウチは口元で微笑む。


「ムーディ。君の弟子殿がお待ちかねだ」

「クラウチ、お前はこんな所で時間をつぶしている暇はないだろう?」

「その通りだ。それでは、さっさと仕事へ戻らせてもらうよ」


お互いに友好的とはいえない言葉の応酬をした後、二人はくるりと身を翻す。
そして反対方向へ歩いて行く。

はムーディに引き摺られる。
歩幅が違うので、不恰好には小走りになる。


「ムーディ……さんっ……ちょっと、歩調を緩めて!」


ムーディはが仮にも怪我人だったことを思い出し、言われた通りに歩調を緩めた。
はいきなりのそれに反動で一瞬蹴つまづきそうになったが、何とか踏み留まる。
それでも二人は、周りの人々より足早に歩いている。


「何で止めたんです――何で止めたのよ……!」


は反射的に敬語になる言葉を改めた。


「ブラックが裁判も受けずにアズカバンに収監されるなんて、おかしい!
 まだちゃんとした捜査も終わっていないし、不明確な点も多くある!
 あのブラックだからこそ、ちゃんとした裁判が必要なのに……」

「今の法廷の現状を知っているか?」


不機嫌な顔ではムーディを見上げる。
ムーディは敬語を使わないを咎めることはしないようだ。


「大渋滞で、パンク状態だ。
 ヴォルデモートが凋落してから溢れ出た死喰い人で、法廷は溢れ返っている。
 それに、お前は事件に不明確な点が多くあると言うが、一般にはそうと捉えられてはいない」

「どうして――もっと詳細な調査がなされるべきなのは、今までの事例からも明らかなのに……」

、犯人はブラックに間違いないのは明らかだ。あの現場を見ただろう?
 ブラックが悪だと分かれば、それだけで良い。アズカバンへすぐさま送れ。
 それがクラウチの方針だ。
 我々もその方針に従わされてきた、そしてその方針を支持している奴らは多くいる」


方針――闇祓いは、禁じられた呪文を死喰い人へ行使しても良い、というものだ。
は明様に不快を露わにする。


「……アラスターも、その一人?」


ムーディは応えない。
が初めて言った彼のファーストネームにも、反応はしない。
は納得のいっていない声、疑惑と強い感情を含んだ声で、また言う。


「現場を見たら、分かるじゃない……!
 指が一本しか残らないなんて、私、今までそんな風な人の殺され方は知らないわ。
 アラスター、貴方だってそうでしょう?」

「何故そこまでブラックの肩を持つ?」

「私、微かにあの時の記憶を覚えているの。
 そしてアラスターも、私がその時に言った言葉を教えてくれた。
 その言葉はブラックの罪を肯定しているものじゃなかった……」


記憶操作の魔法。
ブラックじゃない。
この二つの言葉を私は呟いたと言う。
そしてそう言いながら、私はブラックの方へ向かったらしい。

はその記憶をおぼろげにしか覚えてはいない。


「私の感覚が嘘を吐いたことはない、だから、私はそれを信じてる……他の誰が何を言おうとも。
 それに、アラスター。貴方だって、そう思っているのなら、どうしてそのことを私に伝えてくれたの?」


ムーディは初めて気まずそうに顔を顰める。


「……わしは、多少はお前のその能力を信用しているからな」


経験から、その能力の信用は確かだった。
と一緒にいた年月分、信用は固い。
確かにその能力が嘘を吐いたことはない。

そしてそれによって助けられたことがないとは、決して言えない。
は嬉しさから目を輝かせた。
そんなことを言われたのは初めてだ。


「しかし、今回もそれが間違っていないという根拠はない。理解しているな?」

「……ええ」


自分自身が、若く、人から幼く見られ易く、この能力の魔法の法則に従った証明がされていないことは理解している。
でも――。


「でも、と言いたそうだな」


は次に言おうとしていた言葉をそのまま言われて、目を丸くした。
どこまで師匠に見通されているのだろうか。


「わしに反論しても仕方がないぞ。お前が、自身で周りにそれを納得させない限りはな」


この師匠は無茶を言う。
しかし、それしか手段はないのは分かっている。
彼は確かな道をいつも示してきてくれた。


「……そのためには、地位と力がいるわね」

「それを得るための助言はわしには出来ん」

「分かってるわ。誰も、貴方に聞こうとは言ってない」


無礼な言葉に、ムーディは自分の弟子を少し睨む。
はそれを受けて、微笑む。

省内で地位と力をつけて、損になることは一切ない。
それは、一人の若い女性が考えるのには壮大な理想だった。
しかしムーディは彼女を見て思う。
彼女なら、不可能ではないかもしれない――ある意味、彼女は己をはるかに超えて器用に立ち回ることが出来る。


「アラスター、結局貴方は、私の考えについて肯定的なの?」

「事件を深く探ることは無益なことではない。しかし、下手に立ち回ると思わぬ落とし穴にはまるぞ。
 例えば、他に多くの事件が構えているのに、以前の事件についてごちゃごちゃ言っていると……」

「はい、時と場所をわきまえ……ます」


は最後の言葉を、自分に言い聞かすように言った。

今すぐ詳しく調べたい自分を自制しなければならない。
ぎゅっと、胸にたぎっている熱いものを押し固めなくてはならない。
気持ちの悪さを胸の中に仕舞い込まなければならない。

そういう感情を持て余し、瞬きを繰り返すの肩を、ムーディは軽く叩いた。

は、ムーディがクラウチの方針に完全に賛同していないことを感じた。
何だかんだと言って、自分に道を示し、それを歩むことを薦めてくれるように思う。

それ以上の関与はしてくれないけれど。

は、自分自身の中に思いを閉じ込め、自身だけの手でそれをなすことを決意する。





「それで、どうしてその傷を負ったのか、詳しい話を聞かせてもらっていないが」

「あ、あれね……」


は言いたくなさそうに口を塞いだ。


「い、言わなくちゃ……」

「言いたくないのか?」

「いえ、言います……」


ムーディの目に無言の圧迫を感じ、は視線を逸らす。
一人で行動し不始末を起こした弟子に興味があるのだろう。
今までも傷を負ってきたが、その中でもこれは酷いものだった。

ヴォルデモートがいなくなった今、この傷はいつものようなものではなくなった気がする。
いつもは、傷なんて、特に目新しくもなく興味を惹くこともないものであった。

は、記憶しているあの日の出来事の概要を話した。
話し終わった後に来るだろう叱責を恐怖し、は話し終わった後に身をすくませる。
しかし、何故かムーディは押し黙っていた。

は恐る恐るムーディを見上げる。
彼は、何とも言えない複雑な表情をしていた。
それがかえって、に恐怖心を植え付けた。


「ごめんなさい! 私が、未熟でした……」


ムーディは何も応えずにを見ている。
まずい。
は苦笑いを浮かべる。


「いや、確かお前――」

「何ですか?」

「……いや、何でもない」


はその場で苦笑いを浮かべ、平然と立っていた。
ムーディはどう考えたら良いのか分からなくなる。
目の前の若い女性の思考が掴み取れない。

そんな時に、そんな風に唇を奪われたのならば、もっと違う反応をするのではないか。

は怒ろうとしないムーディの姿を見て、首を傾げる。
今日の師匠は機嫌が良いのだろうか。
じゃあ、怒られるのに構えなくて良いか?

は肩の力を抜いた。
そして、思っていることをゆっくりと吐き出す。

強く胸に思っていることがある。


「セブルス・スネイプ――あの男、物凄い腹が立つ――」


静かな声だが、声には怒りの感情が込められている。
ムーディはそれでほっとした。


「あいつが私をこんなに怪我させなかったら、もっとヴォルデモートの気配を探れたかもしれないわ!
 それに、ブラックに対してだって、もっとはっきりとした現場検証が出来たかもしれない!
 あいつのせいで何もかもが台無しよ……それに、当分魔法を満足に使えないなんて……」


は細めた目で自分の杖腕を眺めている。
ムーディは、の口惜しそうな表情と声色に、何かが胸から転がり落ちた。


「私があいつを捕まえたら全てが解決していた、ってことは触れないで」


は忌々しげに言葉を吐く。


「……、他に言いたいことは?」

「? えっと、今のが主に言いたいことだけど」


誰がこんな風に育てた、いや、それは自分だ。

目の前でキョトンと立ち尽くしている
青年期の女の育て方なんか知るか。
知っているわけない。

ムーディは何ともいえない葛藤に襲われる。
いや、確か、彼女はそろそろ二十歳になる女で――分かった、今までほとんど女扱いをしていなかったからだ。
簡単に育て方の盲点が発覚し、ムーディは唸る。

そう言えば、彼女は前に――。


「「切り捨てた」って前に言ってたわよね。ルシウスとの一件があってから」


はムーディの考えていることを薄々と把握し、緩い微笑で答える。
女というものを、「切り捨てた」。

ムーディは、それは軽い気持ちでその場の勢いで言ってしまったものだと思っていた。
だから、がそう言った時に驚いた。
まさかそんなに根に持っているとは。

確かに、過去、彼女は女だからといって違う扱いをされると激昂していた。


「心配してくれて有り難う」


はそれだけを笑顔で言った。
その笑顔が駄目だ。
笑うような台詞じゃない。

ムーディは胸の底で深く嘆息した。
自分はそんなことは望んでいないのに、彼女はそっちの方が望まれていると信じている。

彼女は無茶をし過ぎるのだ。
何事も深くやり過ぎるのだ。

その原動力は一体どんな姿をしているのだろうか?
それは――それを考えるのをムーディは止めた。

そのおぼろげな姿がムーディには見えていた。





はムーディの思惑を気にせず、ふと背中で波打つ髪に手をやる。
バサバサと歩く度に広がり、うっとうしい。
前まではくくっていたから良かったものの……。


「どんな位に切ろうかな」


は呟き、顔をムーディは向ける。
ムーディは思ってみなかったの視線に、肩を落とす。


「何故わしに聞く?」

「だって、私、髪にあんまりこだわりなくって」

「わしにもない」

「堂々巡りじゃない」

「そうだ」


終わってしまった会話に、は頬を膨らませる。
そして自分の首元を見て、この傷が隠せるくらいは必要か、と一人考える。
あまりに傷をさらけ出すのも良くない。

そして、額に巻かれている包帯にもは気付く。
確か額に結構酷く怪我をしていたから、前髪も必要か。
今までは前髪がなかったから、作ってもらわなくちゃ。

よし。


「アラスター、この呼び方に何も言わないってことは、呼び方を許してくれたってことよね?」

「元々、わしは呼び方の制限などお前に言ってなかったぞ」

「そんな……。でも、貴方がそう言うのなら、それは肯定と受け取るわ。
 二年の付き合いで、大分私の師匠の性格は分かったつもりだから」

「ほう。お前は確実にわしの心理を捉えていると思っていると?」


は無邪気にムーディを見上げ、そのまま無邪気に微笑んだ。


「貴方は拒否するときは、真っ向に拒否するから。
 私が此処にいても、貴方のことをファーストネームで読んでも何も言わないのは、私のことを不快に思ってないからだわ」

「――不快、か」


樫の扉を押す。
上のプレートには、闇祓い本部と書かれていた。


「わしは、単にお前が足手まといにならなければ良いがな」

「ええ。もっと貴方の役に立てるように努力するわ」



























2008/8/20






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