04/赤い機関車に乗って 後














ドラコ・マルフォイは恐怖に腰を抜かしていた。
声にもならない声を発し、歩みにもならない歩み方で床を這いずる。

黒いマントらしきものを纏ったそれは、顔があったなら顔のある所をコンパートメント内に覗かせ、乗り込んでくる。

人間の息の音が、雨の降りつける音の中で、何故か鮮明に聞こえた。
彼らは生者の音を発しなかった。


「貴方を入れて、後四人」


人間の声が聞こえた。
良く通る、凛とした女の声だ。

コトリ

ブーツが床と音を立てて、その女性が歩んでいるのが分かる。
灯りはないが、そのシルエットだけは見て取れた。

長い黒いマントだ。

それだけ言えば吸魂鬼と変わりはしないが、彼女は全身から水を滴らせている。
そして口元に僅かに微笑を浮かべているのが分かった。


「大多数は逃げ去ったわ。
 だからこのまま無駄な事はせず、退散して貰えないかしら?」


どうやら目の前の黒いものに対して話し掛けているらしい。
しかし……


「……そうね、じゃあ仕方がないわ」


マントを翻す音と共に、大量の水滴が床に落ちる音がした。
杖が空を切る音と同時に呪文の詠唱、そして慣れた手付きで杖を振り切った。


「Expecto patronum!」


強い光が発せられて、その刺激に目が反射的に閉じられる。
ドラコが目を開くと、目の前の黒いものは消えていた。


「大丈夫?」


は急いで倒れ込んでいる少年に駆け寄り、助け起こす。
しかし同時に自分がびしょ濡れだった事を思い出して、無言呪文でそれを拭い、灯りを杖に灯す。

それをしつつ、少年を膝に寝かせて、その額に手を遣った。


「チョコレート、もし持ってたら、この子に食べさせてあげて。そうしたら元気が出るわ」


そう言って杖を軽く振ると、その灯っていた光は空中に高く上がって、そのコンパートメントを明るく灯した。
子供達の控えめな歓声が上がる。

はその子達の方を振り返り、暫しじっと見つめると、その中の誰かが声を上げた。


「分かりました」

「よし、じゃあ、後は大人しくして汽車が動き出すのを待ってて。もう少しで動く筈だから」


はまた、膝の上の子を介抱するように撫で、微笑を見せた。
そして膝の上から彼を壁に背凭れさせて、は立ち上がった。


「頼むわ」


早口で言い残して、は彼らに背を向けた。





ウィーズリーの双子はにんまりと笑いを見せていた。


「……間違いないな」

「ああ、そうだ。間違いない」


彼らは幼い時に魔法省であった出来事を思い出していた。
あの魔女の正体についてだ。

魔法のこなし方も、容姿も、喋り方も、その記憶に彼女は酷似していた。
心からジョージは言った。


「今年は楽しくなりそうだ」


フレッドは足元のドラコを見て、彼女が言い残していった言葉を思い出した。
しかしそのドラコ本人は、真っ赤な顔をして蹲っていて……さっきまであんなに青褪めていたのが嘘のようだ。
……あの年上の女性にでも、惚れたのだろうか?

ジョージもまたにんまりと笑って、さっき彼女に返事をした責任として、自分の蛙チョコを彼にあげなければと思った。

ドラコはふいにその不穏な視線に気付いて、後ずさったが、後ろは壁だ。

しかしドラコは何かの縁があって、双子以上に、さっきの女性の素性を知っていたのだ。





さっき会った子達は、皆知っている。

ドラコ・マルフォイは勿論の事、ウィーズリーの双子、フレッド、ジョージについては昔の記憶が焼き付いている。
幼かった彼らがもうこんなに大きくなるとは。
確かに面影は残っていたので、判断する事は出来たが……

私も歳を取ったものだ、と溜息混じりに思いながらも、姿現しをしてまた吸魂鬼の前に相い立つ。

そしてまた守護霊の呪文でそれを退散させて、自分の中でカウントをする。
後二人。

此処には酷く気分の悪そうな子はいなかったが、最低限の処置を教え、そのまま意識を機関車の最後尾へやった。

其処にいたはずの吸魂鬼の気配が、消えたのだ。

……彼か?
素性の知れない大人の魔法使いの存在を思い描き、そうだと自分で納得する。
とにかく、敵対する者が減ったのは確かだ。

また一つの灯りを空中に上げ、最後に運転席へ向かった。


「Expecto……patronum!」


半ば自棄で杖を振ると、当初より大分光の落ちた守護霊が、吸魂鬼を機関車の外へ追いやる。

上がった息のままでは運転手に指示を出し、運転手は電灯を灯した。
順々に後ろまで光の羅列が続いて行く。
またが出発するよう声を上げ、運転手が慌てふためいて操作すると、機関車はゆるゆると動き出した。


は肩で息をしていた。
そのままどさりと適当な座れる場所に、座り込む。
そして一時目を瞑る。

右腕がズキンと痛みを告げていて、左腕で庇った。

が目を開けると、其処にはあの販売員の魔女が水を入れたコップを持って、立っていた。
それを差し出されたのでは遠慮なく、一気に飲み干す。


「――まあ、これで一先ず安心でしょう」

「……無茶するわ」

「無茶しないと、こんな職業、やってられませんよ」


はあっけらかんと笑い、空のコップを魔女の手に渡した。


「でも、後心配なのは、子供たちの吸魂鬼の影響ですね。会った子達には対処法を教えましたが、後は全然。
 そこで頼みがあるんですが、チョコレートを子供達に配って来て貰えますか?」

「チョコレート?」

「吸魂鬼への対処方です」


元気が出るんですよ、とが言うと、魔女はカートを持ち出して準備をし始める。
は空中から羊皮紙と羽ペンを取り出した。


「それと、申し訳ないですが、梟の準備をして頂けますか?」















はさらさらと綺麗な筆記体で、手紙を書き付けていた。
ダンブルドア校長への手紙だ。
早い内に、これを知らせておかなければならない。

手元で梟が嘴をカチカチと鳴らしていた。

その時、急に扉を叩く音がした。


「すみません、さっきの騒動について――」


入って来た男と、は振り返り様に、目がかち合った。

青白く、病人のような顔色をした男だった。
白髪交じりの鳶色の髪に、継ぎの当たったローブを着て、どこかやつれている。
力勝負をすれば、きっと女であっても自分が勝つだろうと思った。

は数度瞬いて、再度彼を見て上半身の捩れを直す。
そして真正面に向かい合い、ゆっくり微笑んだ。


「リーマス・J・ルーピン教授ですね?」

「そうです。……あなたはMs.では?」


は意表を突かれて驚く。
彼は穏やかな笑みを顔に浮かべていた。


「私の事をご存知なんですか?」

「勿論。これからお世話になりますからね」


はその言葉に含まれている裏の意味を受け取って、少し苦味を含んだ笑いをする。
しかし相手はそれより苦味の少ない微笑を見せた。


「いえ、こちらこそ、これから宜しくお願いします」

「私がそれを頼まなければならない立場なんですが……」


そう言いながら、お互い握手を交わした。

彼は人狼だ。
はたと、こんな事してはいけないのだろうが、興味本位で彼の目を覗き込んだ。
別に開心術を使おうという訳ではない。

見た所、失礼だとは思うけれど、随分苦労をなさった様だった。
しかし沢山の人狼を見てきたが、こんな優しい目を表面上にでもしている者は、見た事がない。
その事実に少し自分の中の固定観念が少し揺らぐ。

人狼の多くは、今までは敵だったからだ。

しかしそれにしても、その目はに測れないものを含んでいた。
その目が、読めないのだ。


「どうなさったんですか?」

「いいえ……それより、吸魂鬼の事です。
 一人、追い払って頂きましたよね? 有難う御座います」


彼はがそれを知っている事に、驚いた顔を一瞬したが、それも一瞬だった。
彼は相変わらず柔和な表情を見せている。


「生徒を守るのが、教師の仕事ですから」

「それはもっともです。……私も今年、教師ですし」


苦虫を噛み潰したような顔をしてがそう言った。
それに応えて彼は少し表情を崩し、唇に微笑を見せた。

そしては思い出したように、単刀直入に本題に進む。


「それで、今校長に手紙を書いているのですが……」


彼は羊皮紙を覗き込んだ。


「それは早く書かれた方が良いですね」

「ええ」


そう言っては続きを右手で書き始める。
手と繋がっている腕が痛むが、それを察せられる事は出来ない。

彼はそれをじっと見ていて、内容を確認しているようだった。
そして最後に自分の記名をし、それを彼に差し出す。


「どうでしょう?」

「文句の付け所がないですよ」

「有難う御座います」


一瞬彼の言い様に妙なものを感じたが、は梟を飛ばした。
妙に愛想の良い男だ。
それが彼の性根を物語っているのかは、今の所分別が付かない。


「君が、この中の吸魂鬼を散らしてくれたんですよね」


リーマス・ルーピンは黒い雲を見上げながら言う。
は、彼が先程と少し口調が変わったような気がして少し首を傾けるが、そうすると彼と目がまた合った。

どちらともそれを外そうとしない。

は少し外したいと思える自分を、叱咤した。

するとまたふいに微笑を浮かべて、納得したように言葉を空に向かって発した。


「お礼を言いたいんです。有難う御座います」

「……いえ」


その言葉に色々な意味が含まれているような気がして、は気の抜けた返事しか返せなかった。
それを深めて分析していく事は、今、出来ないような気がして。


「でも、Ms.。それは隠すべきではないと思いますが」


急に彼は表情と、纏う空気を変えた。
真剣みを帯びた顔で、正面から見据えられる。

どきりとして少し眉を顰めた。
するといきなり身体に手を掛けられる。


「え……」


は身体を引くが、掛けられた手は退かない。
半ば強引に右肩のマントを後ろに払い、彼が掴んだものは――


「――こんな腕で、平気で立っていて」


呆れた顔で、袖を捲り上げられると、其処には血をたっぷりと吸っている真っ赤な包帯が現れた。

そういう間に、ぼとりと血が落ちた。


「……しなくてはいけないこともありましたし、すぐに治療という訳には……」

「このままだったら倒れるよ?」


は平静を保ったが、鋭い目線に少しだけ怯む。
すると彼は杖を取り出し、呪文を唱えた。
痛みが和らぐ。


「ありが――」

「お礼を言う前に、どうして自分でやらなかったんです?
 君がそれを出来ない訳がない。
 それにこれはただの傷じゃない、という事位分かっている筈です。
 なら、すぐに処置しないとどうなるかは目に見えている」

「……でも私は――」

「でも、も、何もない」


は閉口した。
間違った事は決して、言われていなかった。

大きな魔法を使うと呪いの患部が肥大する。
すぐに処置をしないと酷くなるのは、分かっていた。

でも反論したかったが、その鋭い目に射止められて、出来ない。


「すぐにホグワーツに行って治療をしないと」


この調子ならこのまま説教されながら連れて行かれ、じみじみと治療をされるしかないのだろうか。
それは遠慮したい。
説教は真っ平だ。

初対面の相手ながら、私的な利益を求めて思惑を巡らせた。


「ええ、分かりました。じゃあホグワーツに行って来ます」


がそれを素直に応じるとは思っていなかったらしく、意外そうな目が向けられた。
は袖を元に戻し、マントを払う。


「おかしいですか?」

「そういう訳では……」

「じゃあそんなに意外そうに見ないで下さい。それと、この後ハリー・ポッターをお願いします」


私が此処にいる大きな理由は、この少年についてだから。

は黒いフード目深に被り、左手に杖を持った。
杖を持つ行動に彼は眉を寄せた。

フードの下の赤い唇の端がくい、と上がり、リーマスはますます疑念を深める。
しかしそのままは茶化して手を振って、リーマスが詰問する間もなく其処から立ち去った。

リーマスはもう彼女に何も言う事も出来ないが、何か言いたげな目で、その空を見ていた。
恐らく――


姿を現すと、外は相変わらず冷たい雨が降っている。
体温が奪われているのを感じながらも、は歩く。

よし、これから、吸魂鬼をちゃんと指定の場所に落ち着かせなければ。





その後リーマス・ルーピンはホグズミード駅に着くまで、機関車内で吸魂鬼をみるみる間に散らしていった魔女について、多くの質問を生徒から受けた。
しかしハリー・ポッター相手にも彼はこう答えた。


「私もそんな人知らないなあ。
 でも話を聞いて、私も会えるものなら会ってみたい、と思っているのだがね」


リーマスは様々な意味で、宴会が楽しみだと思った。



























2007/12/15






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