05/衝撃的デビュー
ホグワーツ魔法魔術学校の大広間は、水を打ったような静けさだった。
ダンブルドアが吸魂鬼についての注意を深刻な顔で促し、生徒達はしんと静まりかえっていた。
ダンブルドアは辺りを見回し、そしてニコリと微笑んだ。
「楽しい話に移ろうかの。
今学期から嬉しい事に、新任の先生を三人、お迎えする事になった」
三人、と。
教職員席には一つ、空席があった。
「まず、ルーピン先生。
有難い事に、空席になっている闇の魔術に対する防衛術の担当をお引き受け下さった」
儀礼的な拍手が起こった。
しかし一部のグリフィンドールの席からは、大きな拍手が沸き上がる。
「もう一人の新任の先生は……
ケトルバーン先生は魔法生物飼育学の先生じゃったが、残念ながら前年度末をもって退職なさる事になった。
手足が一本でも残っている内に、余生を楽しまれたいとの事じゃ。
そこで後任じゃが、嬉しい事に、他ならぬルビウス・ハグリッドが、現職の森番役に加えて教鞭を取って下さる事になった」
その言葉で、グリフィンドールを筆頭に割れんばかりの拍手が沸き起こった。
ハグリッドは喜色に満ち溢れた様子で、涙をさえ目に溜めていた。
拍手の中、ある生徒がふいに気が付いた。
毎年の事から考えて、科目に対して先生はこれで全て揃っている筈だ。
なのに、現実に教職員の席には一つ、空席がある。
その考えは生徒の中を交錯し、いつの間にかザワザワと皆囁き合っていた。
そしてはたと、さっきのホグワーツ特急での出来事を思い出すのだ。
あれは誰だったのか、と。
ダンブルドアは遅い彼女を少しの間待ちつつも、痺れを切らしたような隣の副校長の目線を、のらりくらり遣り過ごしていた。
子供達のザワザワが広がりつつあって、それを快く思わないのは分かるが……
もうすぐ彼女は来る。
大広間の正面の扉が重い音を立てて動いた。
生徒のざわつきはその一瞬で消えて、ザッと音にならない音を立てて、全員の視線がそっちへ向けられた。
ダンブルドアは微笑んだ。
その扉が完全に開き切ると同時、その姿が大広間の明かりに照らされた。
「――申し訳ありません。
もう少し裏手から回って来ようと思ったのですが、まだあまりこの城の詳細が分からなくて。
正面から入って来ることになってしまいました……」
その女性は、凛とした声で、苦笑していた。
それは誰もが知ったホグワーツ特急で現れた姿と、そっくりだった。
天井は暗い雲だらけの空を映し、天気は酷く荒れていた。
空に一瞬光が差し、ゴロゴロと鳴る。
黒だらけの容姿に、肌の白さが映えていた。
真っ黒な目は余す所なくその場を、見据えていた。
全身ずぶ濡れで、肩に届く黒髪から、黒いマントからポトポトと水滴が流れ落ちている。
彼女の醸し出す独特な雰囲気、そしてその容姿に、生徒の中には魅入られる者がいた。
「大分遅くなってしまいました。すみません……」
「いや、丁度良いタイミングじゃった」
彼女はその言葉に微笑み、歩き出すと、それに合わせて生徒の顔が動く。
そして次の瞬間、彼女が歩くにつれて落して来た雨水も、そして彼女を濡らしていた雨水も、蒸発したかのように消え失せた。
まるで魔法のように――魔法だが――彼女の髪はサラサラと彼女の頬を撫で、マントがはためいた。
静寂の中を彼女は、ブーツとマントの音だけを立てて、歩いた。
教職員席の前で一度教員に頭を下げ、彼らが頭を下げるのを見て、は生徒達に向き直った。
「紹介しよう。
新任の三人目の先生は、魔法薬学の助教授を引き受けて下さる事になった、・先生です。
彼女は魔法省の闇祓いで、ホグワーツの警備、吸魂鬼の整備も担当して下さる。
もしも、それについて困った事があったならば、彼女に聞く事が一番手っ取り早いじゃろう」
は小さく頭を下げた。
その拍子、静まり返った大広間から、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
はそれに心底驚いたが、じきに微笑を浮かべた。
拍手が終わり掛ける時、はダンブルドアに低く語り掛ける。
低い声で囁き合ったその声を、誰も聞き取る事は出来なかった。
さっきまでの事についての報告について、ダンブルドアは「ご苦労」と一声掛けて、を労った。
ダンブルドアに誘われるままに席に向かうと、其処は、セブルス・スネイプとリーマス・ルーピンとの間だった。
は内心毒づきながらも其処に座り、宴会が始まると、リーマス・ルーピンと表面上仲が良さ気に談笑し合った。
*
「あの人、僕、会った事があるよ!」
「え……? いつの事なの、ハリー?」
ハーマイオニーは思いがけない言葉に驚いて、ハリーに尋ねた。
此処はグリフィンドールの席である。
「一年前の……ほら、ダイアゴン横丁で、ウィーズリーおじさんとマルフォイのお父さんが喧嘩した日だよ。
僕、あの人にノクターン横丁で助けられたんだ」
ハリーは驚いていた。
過去の記憶が引っ張り出されて、それが今、リンクしている。
そしてハリーはさっきから沈黙しているロンを、訝しく思った。
ハーマイオニーも同様だったらしく、二人の視線が向けられたロンは、ぽかんとしていた顔を引き締め、口を開いた。
「・、魔法省の闇祓いだよ。まさかこんな所に、この人がいるなんて……!」
「闇祓いって?」
ハリーが前から持っていたらしい疑問に、ロンは表情を変える事無く言う。
「闇の魔法使い捕獲人の事だよ。
あの人はその中でも抜きん出て強くて、有名なんだ。
パパと友達らしいよ――それで、確か、往年の闇祓いの――」
「マッド=アイ・ムーディの弟子。
さる十数年前、彼らでアズカバンの独房を半分埋めたらしい」
「それでいてあの見た目だろ? そりゃ、有名になるのも納得がいく」
「フレッド、ジョージ」
後ろからの言葉に、三人とも振り向いた。
其処には何故か、得意満面でいる双子の姿があった。
妙に上機嫌そうだ。
「彼女はすげえぞ。この頃の大きな闇の魔法使いの確保の事件は、大抵彼女が絡んでる」
「魔法省随一の魔法の使い手、とまで言われてるらしいぜ」
ハーマイオニーはまじまじと教職員席にいる話題のその人を見て、双子を見た。
「詳しいわね。二人とも」
「そりゃ、会った事があるんだよ」
「俺達がこーんなに小さかった頃、親父の仕事に付いて行った時にね」
「こーんなに」と自分の胸の辺りで高さを作りながら、嬉々として放す彼らに、妙な不安感をハリーは持った。
案の定彼らは口を止める事を知らなかった。
それを云々と聞き流しながら、ハリーはハーマイオニーに問い掛ける。
「じゃ……どうしてその人が此処にいるの?」
「校長先生がホグワーツの警護だって、仰っていたじゃない。
恐らく、魔法省からブラックの逮捕の為に来たんじゃないかしら? それと――」
ハーマイオニーとロンは、ハリーに目を向けた。
ハリーはこくりと頷く。
ウィーズリーおじさんからの話からしたら、彼女は恐らく、ハリー・ポッターの警護をしにやって来たのだ。
「それと、何にしても、彼女、魔法薬学の助教授だって? よりによって其処とはな」
「多分このホグワーツにいる為の名目だろうし、授業に関与してくるのか分からないが、もし関与してくる、となると……
魔法薬学の授業が珍しく楽しみだ」
「あの人が、スネイプをどうにかしてくれるって言うの?」
「さあなあ……」
ロンの言葉にフレッドとジョージは顔を見合わせた。
しかし彼女が魔法薬学の助教授になる事で、スネイプの授業が何か変わるかもしれない、と今思い始めた生徒は確かに存在している。
そういう生徒達は興奮した顔で囁き合っていた。
フレッドとジョージはにやりと笑い合い、彼らの盟友のリー・ジョーダンの元へ向かった。
今や教師となった彼女に、歓迎をする準備をしなくては。
反対側のスリザリンの席では、ドラコがじっとパンを取る手も固まらせて、教職員席を見ていた。
頬は何処かしらピンク色だ。
その脇にいるグラップとゴイルはドラコの様子に首を傾げながらも、彼らは食べる手を緩める事はしなかった。
その隣の生徒は、真面目な顔で、教職員席をちらりちらりと見ながら、またその隣の生徒と話し合っている。
スリザリンの上級生の中にはそうしている生徒が、度々見られた。
皆が皆低く声を潜めている。
彼らが見ているのは紛いなく、今や彼らの教師となった闇祓いの・だ。
リーマスは隣にいる彼女へ目を向けた。
スリザリンの不穏な目線にも気付いている筈なのに、至って平然と彼女はナイフを動かしている。
それに自然な動作なのに、妙に品がある食べ方だ。
何処か、学生時代のシリウス・ブラックを思い出させるような。
リーマスは汽車の中から感じていたその感覚に首を傾げつつも、彼女とあまり何事にも差し障りのない話をしていた。
そしてその隣の魔法薬学の教授は、何も言う事無く、黙々と食事をしていた。
食事も解散の時刻となり、生徒達は続々と大広間を出て行く。
「おめでとう! ハグリッド!」
近くで聞こえた声に、は分かっていたが顔を上げた。
豊かな栗色の髪の女の子。
そして赤毛の男の子、アーサーが言っていたには、恐らくロナルドだ。
そして、ハリー・ポッター。
副校長が三人相手に急かすよう合図した時、はハリーと目が合った。
ハリーはきょとんとした顔をこっちに向け、は笑って手を振った。
覚えていてくれていたら、嬉しいのだけれど。
*
は黙々と歩を進めていた。
歓迎会の席を生徒の後に外し、後数時間後に職員会議がある。
子供たちの楽しげな声の響きが、何処からか流れて来る。
地下への道は、どうしても彼と一緒になる。
白い大理石の階段を見送り、は目の前にいる人を見て溜息を吐いた。
どうして。
かつての敵である男と、どうしてのんびり歩いているんだ。
まだルーピン先生辺りなら、何らかの話も出来ただろうに。
沈黙があまりにも長いし、大広間での席もこれからずっと隣だろうし、話し掛けてみようかなと思う気持ちも生まれはするが、それは理性によって叶わないものになる。
昔に変な因縁を作り過ぎた。
は視線を目の前の人から外して、壁の石の模様へ向ける。
廊下に響いているのは、布の擦れる音と、靴の踏み鳴らされる音だけだ。
呼吸の音まで聞こえるかも、と思える程の沈黙で、は居心地の悪さを少しは感じずにはいられない。
壁の石の組み方が変わって、廊下が広々として来る。
何処からかスリザリン生かハッフルパフ生なのかは分からないが、生徒の声が響いて来た。
「脱狼薬の材料が全て揃った。
助教授と名乗るからには、それ相応の事はして貰う。会議が終わったらすぐに来い、」
いきなり頭上から降って来た低い声に、はビクリとして顔を上げた。
目の前に黒い背中が広がり、自分の呼称に顔を多少顰める。
「――分かったわ。
でも、呼び捨ては止めて貰えませんか、セブルス・スネイプ?」
せめて「Miss.」だの、「Ms.」だのを付ければ良い。
変わらず靴底の立てる音を反響させながら、二人は惑う事無く歩き続けながら言葉を交わす。
「ならばお前もその呼び方を止めろ」
「フルネーム……いけないの?」
「誰が、人を呼ぶのにいちいちフルネームで呼ぶのだ?」
「御免なさい、癖で。昔、よく貴方の事をこう呼んでいたから……」
妙な沈黙が起こった。
「それならば我輩も、それが当て嵌まる。しかしいつまで根に持つつもりだ?」
「染み付いたものは、いつまで経っても消えないわ」
「そうか。ならばお前は、我輩とこれ以上いたくないのなら、血の染み付いたその腕でさっさとブラックを捕まえたらどうだ」
「私はそうしているつもりよ」
「さっきの失態は?」
はたとの足が止まり、自然にセブルスの足も止まる。
は目を細めた。
「吸魂鬼がこんな行動を取るなんて、知らなかった。確かにこれは、私のミスだわ」
「闇祓いも口ほどにない」
「のうのうと、城で子供達を待っていただけの貴方に言われたくはないわ――セブルス・スネイプ」
はマントの下で腕を組み、最後の言葉に力を入れて言った。
そして自分よりも幾分も背が高い相手を、半分、睨み付けた。
セブルスはの方へ振り返る。
二人の黒い目が敵意を持って噛み合う。
「その役目を担ったのはお前だろう。単なる一教師の我輩には、それは荷が重過ぎる役目だったのでね、」
「単なる一教師があまり口を出すものじゃないわ、セブルス・スネイプ」
セブルスは眉を寄せた。
そしてを見下ろしながら、息を吐くように言う。
「闇祓い、か。その中でもお前は実力者なのだろう? それがこんな様か」
「そうよ。悪い?」
は下から完全にセブルスを睨み、視線は決して緩まない。
「ならば、マッド=アイ・ムーディの腹も知れるな」
軽く言われたその言葉。
実際、前までの言葉と同様、単なる嫌味の応酬として言っただけだった。
次の瞬間、セブルスは自分の眉間にぴたりと狂いなく差されている杖先を見た。
見開かれた冷たい瞳が、抉る様に、セブルスの姿を見ていた。
全身から殺気が出ている様で、その黒い姿は熱い。
彼の昔の記憶が、今、此処に蘇った。
これに見覚えがある。
此処まで洗練されていない、未熟な荒削りなものを――
「別に」
赤い唇がゆっくり動いた。
「私は私について、別に貴方に何を言われたって、良いわ。その分言い返すし、そんなに気にも掛ける必要もないし」
声に淀みはなかった。
凛とした調子に、セブルスは久々の緊張と戦慄を感じ、身体は動かない。
「でも、この人の事を悪く言わないで。私にこれ以上の事をさせないで。貴方にそれが言える権利はない」
語調は荒立つ事はなかった。
しかしそれは、あまりにも強い。
「そうでしょう、Mr.スネイプ――?」
嘲る様にも聞こえる、その言葉。
は奇妙な笑みを顔に浮かべている。
地下牢へと続く廊下の片隅で、それは、異色だった。
「先生?」
ぴんと張り詰めた緊張の中に、違うものが入って来た。
はふいに意識を浮上させると……
「先生?」
「……副校長?」
「わざわざ私の事を確かめて頂かなくても良いですから、何より、杖を下ろして下さい」
ははたと今の状況に気付いた。
眼球を動かすと、周りを色々なタイの色の生徒が取り囲んでいる。
じっと自分達の行動を見つめている。
中にポカンとした顔をしている子供も、多くいたような気がした。
「あ……」
「ですから、杖を下ろしなさい」
「……すみません」
暢気に辺りを見ていたら一喝され、はやっと杖を下ろした。
セブルスはやっと安堵の息を吐く。
――つい、やってしまった。
は内心自嘲する。
頭に血が上っちゃって……後悔はしてないが。
慣れた手付きで杖を自分の腰に納めた。
そして改めて周りを見ると、目の前の副校長に、多くのギャラリー。
注目の的だった。
この状況なら、何よりも……
「申し訳ありません。
職業病、と言っても良いのか分かりませんが、そういう気が私はあって。
ついつい何かの拍子に、杖に手が伸びてしまうんですが――此処に来た以上、自重します」
「反省なさったら良いのですが」
「はい。仮にも私は、此処では教師ですから」
多分相手が言いたいであろう事を先に持ち出す。
副校長は溜息を吐きつつもそれで納得したようで、は肩を撫で下ろす。
隣で、杖を突きつけられた張本人が、面白くなさそうに鼻息を吐いた。
「話が纏まったのならば、この無茶な患者様を引き取らせて頂きますよ、マクゴナガル先生」
「ええ、お願いするわ」
「え……!?」
はいきなりに目の前に現れた校医に、右腕を掴まれる。
今までも彼女には、杖腕の怪我の事でお世話になっていたから、全く親しくない訳ではなかった。
状況を掴みきれていないに対して、マダム・ポンフリーは強い口調で答えを返した。
「ルーピン先生から手紙で全て聞きましたよ」
は、急に痛みのある杖腕を思い出した。
治療は思ったより時間が掛かった。
は急いで急いで、とマダムを急かしたかったが、マダムはそれを叶えさせてくれそうもない剣幕だった。
職員会議に途中出席し、何か含んでいるルーピン教授の表情をしらっと見過ごして、は言いたい事を言い遂げる。
既に大方の教職員には、休みの内に面識は出来ていた。
会議が終わり、は頬杖を着きながら隣にいる男を見た。
――どうしてもこの一年、この男はずっと隣にいるのだろうか。
それに、義務は果たさなければならない、ならば……
隣の男が席を立ち、も同時に立ち上がった。
訝しげな目線がこっちに向けられたが。
「貴方の研究室に行くわ」
セブルスは何でもなしに告げられたこの言葉に、眉を寄せた。
さっきの騒動もその原因に含まれているし、彼女の今までの言動もそれに含まれている。
こんな事、彼女から言い出すなんて、有り得ない。
「助教授、それ相応の事をしなくっちゃ」
都合良く、はさっきの騒動をもう気にはしていなかったし、彼女は義務を果たす事は信条だった。
その夜。
各寮に、世にも奇妙な噂が飛び交った。
それも確かな根拠に基づいた。
そしてその噂を耳にした多くの者が、魔法薬学助教授を名乗る新任の教師へ期待を持った。
2007/12/17
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