08/Potions――S.S.














その女はいつもの年季の入った洒落っ気のない黒いマントに、無造作に黒髪を落していた。
そしてまた、いつもの様に小生意気に腕を組んで、歳もそんなに変わらないだろうに薄い化粧の若い顔を見せ、黒い瞳が動く。

そして彼女は、無表情だった。


「何か?」

「ええ、勉強をさせて頂こうと思って」

「何の?」

「教職について」


は黒板の真後ろの地下牢の壁に背を預けていて、セブルスは黒板の前にいる。
遠い距離を開けての会話は、楽しいものとは言えない内容だった。


「今朝の新聞で、シリウス・ブラックが発見されたと報じていたが」

「勿論、昨日の夜に行ったわ。
 世間が期待するような証拠は、一切出てこなかったし、私達が期待するようなものも一切なかったわ」


心配は無用よ、教授。
は笑みを作った。


「其処はホグワーツから遠くはない所だったの。
 だからこそよ……次は三年生の、スリザリンとグリフィンドールの授業よね?」


それが示唆しているものが分からないほど、セブルスは鈍感ではなかったし、きっと何を言っても煩いだろうのでそこで口を噤んだ。
そのまま彼女はじっと其処に佇んでいて、地下牢に入って来た生徒達すらその存在に気付かない程だった。














シリウス・ブラックが発見されたと昨晩の遅くに聞いて、夜を徹してその調査にあたった。
しかしその結果は、さっき彼に言った通りのもので、今朝の日刊預言者新聞が告げた通りだ。

ブラックは此処を目指している。

紛い様のない事実に、そして狙われている少年に、はじっと視線を沿わせた。
勿論今こうしているからといって、ブラックに対して何かしら効果があるとは思っていない。
単に運良く与えられた「教師」という役割を少し位、果たしてみたい、と思うのは罪なのか。

それに単純に、このセブルス・スネイプという人がどのように授業をしているのか、という興味もあった。


――ホグワーツってこういうものなのか?

は彼の授業の様子を見て、その疑問を持った。

生徒達からは全く彼について、良い噂を聞かないのに、合点がいった。
自ら嫌われるように授業をしているのでは? 、と思うほどだ。

寮監というものは此処まで、自分の寮を贔屓するものなのか。
……うーん……。

でもマクゴナガル先生とかはそんな事は決してなさそうだし、と思って、単にこれがこの男の性格なのだと思う。
ドラコについて少しばかりか態度が甘い気がする。
まあ、後ろに大きな彼の父親の存在が見え隠れするので、それも仕方がないかと思うのだが。

ドラコが大袈裟に腕に包帯を巻き、教室に入って来て、事もあろうにハリーとロンの隣に鍋を置いたのにも舌を巻いた。
この先が簡単に読める。
ドラコはハリーやロンに自分の鍋の世話をさせ、買わなくても良かっただろう、苛立ちを買っていいた。

この子は――

別に、それを指図したこの男を批判する気はない。
ドラコは調子に乗りに乗った様子だった。

は軽く溜息を吐いた。





は大きくなったネビルの姿に、最初目を剥いた。
あー……最後に会ったのは、確かそんなに前ではなかった気がするけど。
成長期の子供に感心する。

はネビルが、妙に教授に突っかかれているのに、多少眉を寄せた。
最初は嫌味な奴だという思いからだったが、徐々に思慮深げにの目が細められる。

そしてじっと、彼のハリー・ポッターに対する対応を観察した。

は冷静に見つめていた。

何かが引っ掛かる。




「オレンジ色か。ロングボトム」


セブルス・スネイプが持ち上げた柄杓の液体は、確かにオレンジ色だった。
そうか、ネビルは魔法薬学が苦手なのか。


「オレンジ色。
 君、教えて頂きたいものだが、君の分厚い頭蓋骨を突き抜けて入っていくものがあるのかね?
 我輩ははっきり言ったはずだ。ネズミの脾臓は一つで良いと。聞こえなかったのか?
 ヒルの汁はほんの少しで良いと、明確に申し上げたつもりだが?
 ロングボトム、一体我輩はどうすれば君に理解して頂けるのかな?」


は瞳を曇らせた。
妙な引っ掛かりを覚えながらも、そしてネビルの不器用さを思いながらも、やはりその嫌味を聞き流せない。
果たして少しばかりの苛立ちを覚える。

ネビルは赤くなって、今にも涙を零しそうだった。
可哀想に――


「先生、お願いです。私に手伝わせて下さい。ネビルにちゃんと直させます――」


ハーマイオニー・グレンジャー、何て良い子なんだ……。
はまた感銘を受けて彼女の姿を見送る。
彼女がこう言うのなら大丈夫だろう、と思ってまた気配を潜ませる決意をするが。


「君にでしゃばるように頼んだ覚えはないがね、Miss.グレンジャー。
 ロングボトム、このクラスの最後にこの薬を君のヒキガエルに数滴飲ませて、どうなるか見てみることにする。
 そうすれば、多分君もまともにやろう、という気になるだろう」


ハーマイオニーは真っ赤になって、ネビルは真っ青になった。
はちらりとネビル作成の縮み薬を見て、動物虐待だな、と思った。
それにしてもセブルス・スネイプ、噂通りの陰険さ。

じゃあ私がでしゃばってやろうじゃないの。

は決然とした面持ちで、きゅっと神経を張り詰めた。















は、まだ自分の中で引っ掛かって、行き場なく渦巻いているものを押し留め、腕を組んで目をネビルに焦点を合わせた。
マントが静かに波打った。

縮み薬は製造上で不具合を起こせば、毒になるという事は、セブルス・スネイプは知っている筈だ。
見ず知らずの蛙だが、目の前で小さな命が消えるのも惜しい。
ゆっくりと丁寧に教えたら、ネビルだって、出来る筈だ。

口元で小さく呪文を唱えた。


(驚かないで。キョロキョロしないで。私は、後ろにいるから。でも振り向かないで)


ネビルは頭の中に響いた声に驚いた。
その声は穏やかで、どこかで聞いた事のあるようなものだった。
一瞬気がおかしくなったのかと思ったが、次の言葉でそれが事実だと確認した。


(ネビル、よ。実は後ろにいてね。ああ、振り向かないで。
 セブルス・スネイプに気付かれないように、私が教えるから、焦らないで落ち着いて動いて)


彼女が数日前、大広間の席にいて、ネビルはとても驚いていた。
確かに彼女は魔法薬学の助教授だと言われていた。
だから……。


ハーマイオニーはネビルが、自分がそれ程指示を与えていなくても、順序良く仕上げていくのを不思議に思った。
三年来の付き合いだから、彼がどうなのかという位は、知っていたつもりなのに。

まるで、見えない誰かがネビルに直に指示を与えているようだ、とハーマイオニーは思った。










*











は自分の魔法が巧くいった事に安心し、顔を上げた。
呪文を解く。


「諸君、此処へ集まりたまえ」


わざわざ生徒を集め、セブルスは蛙を摘み上げた。
まめな男である。
ネビルは縮こまってはいたが、それでも前のような恐怖の色はなかった。

私が直に教えただけはある、とは思う。


「ロングボトムのヒキガエルがどうなるか、よく見たまえ。
 何とか「縮み薬」が出来上がっていれば、ヒキガエルがおたまじゃくしになる。
 もし、造り方を間違えていれば――我輩は間違いなくこっちの方だと思うが――ヒキガエルは毒にやられる筈だ」


はいはい、とは心の中で相槌を打つ。
セブルスの言動を見てまたの心中に、引っ掛かりが出来たのに、自身が眉を寄せた。
それをじっと考え込もうとするが、はっと気付いて、蛙の運命の行き先を見守る。


ポン


は唇の両端を上げた。
おたまじゃくしに口惜しそうにセブルスは小瓶の液体を掛けると、それはすぐに元に戻った。

蛙はピョンピョンと楽しそうに飛び跳ねる。
喜色満面のグリフィンドール生の中、セブルスの非情な言葉が響いた。


「グリフィンドール、五点減点」


一瞬の空白の間が訪れる。


「手伝うなと言った筈だ、Miss.グレンジャー。授業終了」


はにこりと下心がありげに、微笑んだ。
そして次の瞬間急に声を上げたのだ。


「いいえ、私が手伝いました、スネイプ教授」


ざっと生徒全員の顔がに向いた。
皆一様にぽかんとした驚いた様子で、とセブルスだけがその中で飄々としていた。

生徒達はいつから彼女が此処にいたのだ、と疑問を抱き、それに気付かなかった自分を疑う。
ドラコだけは今までの自分の行動を見られていたのか!? 、と思って真っ青になっていた。

セブルスは苦虫を噛み潰したような表情だった。


「あなたはずっと其処におられませんでしたか?」

「ええ。でも、教えていたんですもの」


は後ろの壁からやっと身を離して、真っ直ぐな首筋で、微笑みながらセブルスに歩み寄った。
靴音が響き渡る。
セブルスに似た黒いマントが翻る。


「貴方のご様子から、私が不用意に出るのを嫌うだろうと思って、遠慮させて貰いました。
 気に障られましたか?」


の目はじっとセブルスの目を見ていた。
セブルスは、意志の強い目をじっと見つめた。


「いや。しかし、何か一言、頂きたかったものですな」

「貴方は薬の精製に戸惑っている生徒に、丁寧に教える時間もない位、忙しそうでしたので」


そう言うと、殆どセブルスの手前までは辿り着いていた。

そしてずっと、地下牢を見渡した。
色々な生徒の面々が目に入った。

そして最後にこの男の表情をちらりと確認しようとすると、目が合った。
彼はやはり良い顔をしていなかった。
はそれに軽く微笑みを作ると、口を開く。

視線が合ったセブルスは、怪訝そうにしていた。


「自らのペットで縮み薬の効果を目に明らかにしてくれた事に対し、グリフィンドールに五点」


グリフィンドールの生徒から、遠慮なく歓声が上がった。
この先生は、スネイプを打ち負かしてくれたのだ!

はそれに嬉しそうにしながら、セブルスに向き直った。


「初めて、加点なんかしたわ。でも私にはする権利があるでしょう?」


はこういう事、加点をするとか、を一度してみたかったものだった。

黒いマントが大小二つ、奇妙な光景だった。
大きい方のマントは小さく息を吐いた。










*











先生、凄い! まさかスネイプを打ち負かすなんて……!」

「まあまあ、軽いものよ」


はふざけながらも、グリフィンドールの生徒達に囲まれていた。
特にハリーからは、尊敬にも似た視線を投げ掛けられているようだった。
は視界の端に、ネビルの姿を認めた。


「ネビル!」


はそっちへ駆け寄る。
ネビルは驚いたように、の姿を見た。


「ネビル、前に会ってからそんなに経ってないのに、大きくなったわねー」

――いや、先生。さっきはどうも有難う御座いました」

「他人行儀ね」


が苦笑をして言った言葉に、ネビルは少し怒って頬を膨らませた。


「……だって、まさか此処で先生になるなんて、本当に僕は驚いて――」

「御免。驚かせて悪かったわ」


は笑いながらネビルの頭を撫でた。
あんなに小さかった少年が、今では私と肩を並べようとしている。

親しそうな二人の様子に、周りは少しざわついた。
ハーマイオニーが聞く。


「お知り合いなんですか?」

「ネビルのお婆様と付き合いがあってね」


は断った。
ネビルはそれで少しほっとしたような様子だった。

そしてははたと視線を元に戻すと、ハーマイオニーの姿は忽然と消えていた。
は冷静に辺りを見渡す。
それに気付いた子はいないようだった。

タイムターナーの使い方は難しいわよね。

は冷静な表情の下で、そう思っていた。


「さ、早く昼食に行かないと。いつまでの此処にはいたくないでしょう?」


そう言って生徒達を散らし始める。
がふいに目をやった所に丁度セブルスがいて、彼と目線が合った。
は曖昧に微笑むと、セブルスはその微笑をかわした。


「あれ、ハーマイオニーは?」

「彼女、先に行ったわよ」

「そうなんですか……」


ハリーの問いに答えて、は彼らを見送った。






は生徒を全て散らしてから、はくるりと反転して、セブルスに向かった。


「何か手伝いましょうか?」


返事はなかったが、は適当だと思える瓶を手に取って、それを棚に戻す。
棚の場所と薬品、材料は全て覚えていた。

それを全て終えると、は袖を捲って、水盤で実験器具を洗い始める。
それはセブルスの隣だったが、お互い言葉を交わす事はなかった。

水の跳ねる音だけがそこにあった。
冷たい水が体温を奪う。


「フランク・ロングボトムか?」


は瞬いた。


「……分かるの?」

「これでも、十二年前の戦争には程々に関わっていたのでね」

「――そうね」


は目線を流れる水に戻した。


「公私混同かね?」

「私は、この手で、あの事件で襲撃された家の中から、ネビルを救い出したのよ。
 多少の公私混同は許して貰いたいと勝手に思ってるのだけど」

「道理に合わない」

「……ええ、そうね。でも貴方も大分公私混同していると思うけれど」

「お前ほどではないぞ」

「グリフィンドールが嫌いなのは分かるけど、露骨過ぎ」

「我輩はそれで通っている」


それもそうか。
今回で、彼のキャラクターを掴んだ気がする。

はぼんやりと考えていたら、前の引っ掛かりが急に胸の前に現れた。
胸に残しておいたら、とても気持ち悪い。

だからそれを何とか言葉にしようとする。
自分でもその意味ははっきりとは分かってはいない。
だけど、それが、彼に対して肯定を位置づける事は何となく、分かってはいたが、言うのを止めようとは思わなかった。


「――でも貴方も――貴方も、思ってなかったの? 私の様に。
 貴方は……もしかしたら、ネビルと同様にハリーに対してあんなにきつい対応、してるのは――」




目の前で何かの束が横切って、は条件反射でそれを受け止めた。
ハラリと一枚舞うのをは無言呪文で止めて、束の上に置いた。


「我輩の研究室に持って行って、寮別に整理しておけ」

「……レポートね」


羊皮紙の束をは魔法で、綺麗に束ね直した。
グラリと揺れるそれをは器用に、支え持つ。
セブルスは元の作業へ戻っていた。


「……また、呼び捨てか。私はちゃんと敬称を付ける様にしたのに」

「煩い。どうこう言わず、黙って自分の仕事をしろ」

「……はーい」


は息を吐いてその言葉に従った。

珍しく素直にはレポートを抱いて、その部屋から出て行こうとする時、振り返った。
ドアの隙間からこの教授を見る。

――何か私達仲良さそうに喋ってなかったか?

……いやいや。
有り得ない。

は自分にそう言って、地下牢を立ち去った。



























2008/1/1






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