10/人狼と満月














九月の月末の満月の夜である。

月が昇る。
満月は真夜中に南中し、神々しいまでの白い光を放っていた。
周りの星はその光に掻き消され、太った月が空に鎮座している。

は窓からそれを見上げながら、人のいないホグワーツの廊下を歩いていた。

一週間前から日々リーマスには脱狼薬を渡していて、その効果が今日表れる。
バサバサと足元でマントが音を立てる。

すると、は耳が自分のものではない物音を拾って来て、足を止めた。

月だけが光源で、奥まった所は見えない闇の中で、は目を閉じた。

手は自然に杖へと伸びた。
此処はホグワーツだ、という事は分かっているつもりだが、長年培った反射行動が易々と消える訳はない。

振り返り様に杖を真っ向に向けた。
そして次に、その人物を判別した。


「……教授?」

か……」


お互いの視線がかち合う。
は驚いて目を見開き、セブルスも不穏な気配を察知していたのか、杖をの胸元に向けていた。
しかしの杖は、紛いなく彼の眉間にある。


「お互い、武装解除といこうか」

「……そうね」


奇妙な劇を演じている様な状況に、は杖を下ろした。
セブルスも同様にする。
そしては何事もなかったように、セブルスを見上げた。

二人の真っ黒なマントは、闇に溶け込んでいる。

するとぱっとセブルスの杖先に灯りが灯った。
もそれを見て同様にしようとするが、一瞬躊躇して、杖を掴まずに腕を出す。
手の平から赤い炎が生まれた。

二人分の影が、廊下に伸びる。

今まで、何かの意地か、二人は交代でリーマスの部屋へ薬を届けに行っていた。
だからこの様に二人で廊下を歩く事はなかったのだ。

しかし今日は……。


「薬の効果、巧くいってたら良いわね」

「ああ」


薬を作った責任者として、彼が同行するのは当然だと思う。
そしては自身の能力を携えて、リーマスの元へと行く。


「でも大丈夫でしょうね。私と、貴方が、作ったもの」

「当然だ」


は少し冗談を含んでそれを言ったつもりだが、自信満々すぎる答えを聞いて苦笑いをした。

二人は隣り合わせで自然に会話を始め、防衛術の教師の私室へと足は向かう。
早く利発とした足音と、ゆったりとした足音が交差する。
暗いホグワーツの廊下で、喧嘩でない話をしながら、共に歩く彼らは珍しかった。

言葉は壁に響いて、夜の空気に輪郭がぼやけている。
二人の真っ暗なマントに、共に持つ灯りが映っていた。















は闇の魔術に対する防衛術の教授の私室のドアを、叩いた。
返事がないのは分かっているので、は遠慮なく其処を開く。

そこには誰もいなかった……と見えたが。
は進み、机の下を屈んで見た。


「気分はどう?」


にっこり微笑んで言った先には、狼である。
ふさふさとした毛並みの、牙を生やした、大きな狼だ。

セブルスは狼になったリーマスと話しているの言葉を聞いて、そこらの椅子に腰をかけながら、羊皮紙にその情報を書き綴っていた。
変身に苦痛はあるものの、それ以降に苦痛はなく、薬も正常に効用している、と。

しかし――

セブルスは、目の前でいかにも凶暴そうな狼と話し込んでいるを見る。
普通に話しているのに、彼女は言葉を今話す事が出来ないルーピンの心中が分かるらしい。
彼女の言う能力は本当だった、という事だ。


「薬が苦くて不味いって」


がふいに顔を上げて、セブルスに声を掛けた。


「我慢しろ」

「とても辛いらしくて」

「我慢しろ」

「そうよね」


そう言うと狼は悲しげに、耳を丸めた。
やはり、彼はリーマス・ルーピンらしい。

は聞く事を聞き終わってからは、楽しげに話をしている。
人狼となっている魔法使いと、雑談とは。
しかし話している相手も、椅子の上に人間らしくなく蹲りながら、どうも楽しそうに見えた。


、聞く事は聞き終わったのなら行くぞ」

「え。でも、今――って、ちょっと待って!」


マントを翻して部屋を出て行こうとするセブルスを、は急いで追い掛けようとした。
振り返り様にリーマスに断りを入れてから、は駆け足で追いかける。

扉がバタンと閉まってから。


「雑談しちゃいけないの?」

「ルーピンとて、狼になった自分を見られるのは嫌だろう?」

「それなら雑談なんか、向こうだってしようとしないわよ」


はきつい口調でセブルスに問い掛ける。
顔を彼の視線に上げて、上目使いだ。

セブルスはその視線を逸らす。


「彼だって、ずっとあそこでじっとしているなんて、精神衛生上悪いわよ」

「……お前は、人狼を恐れる事はないのだな」

「前に随分と人狼とは会ってるわ。貴方もでしょう」

「ああ、確かに。しかし、まだ薬の効用を確かめていない人狼に、不用意に近付くのは危険だ。
 噛まれてしまってからでは遅い」

「彼は彼自身の理性があったわ!
 それに、私は噛まれないわ! 噛まれそうになったら、それまでに阻止するもの」


は確固たる意思でそう言う。
セブルスは、ちらりとその視線を見てみた。
そして微笑を漏らす。

はセブルスのその行動に、目を剥いた。


「――そうだったな。お前という女は、並みの魔法使いより遥かに強い」

「……そう、だけど……え? 貴方……」


がそのセブルスの表情に戸惑っている間に、セブルスはいつもの表情に戻る。
は目をパチクリとさせて、今のが現実だったのかと疑う。
しかし今それを解明する手段もなく、は少しだけ唇を噛んで、顔を前に戻した。

しかし彼の微笑んでいる顔は、妙に親しみが持てた。















もどう?」

「……あ、有難う」


目の前で紅茶に砂糖をざばざば入れているリーマスを見て、は控え目に呟いた。
これはいつも以上だ。
砂糖の飽和溶液だ。
ぜったい紅茶の味なんか分からないって、それじゃあ。

は目の前の、砂糖の陶器の入れ物をじっと見て、控え目にスプーンに四分の一ほどの砂糖を入れた。
入れないと悪いような気がして。
彼と一緒に紅茶を飲む時は、これが恒例だった。

差し出されたクッキーを手に取り、齧る。

彼はの運んで来た朝食を少しずつながらも完食し、何故か紅茶を引っ張り出して来た。
嬉々として甘い甘いクッキーを口に運んでいる。
さっき、メープルシロップをたっぷり塗ったトーストを食べたというのに……。

しかしそれで、さっきまでとても青白いと思っていた顔の血色が少し良くなっているように見えたので、まあ良いかと思う。

甘いものが彼の動力源なのか。
は紅茶を啜って、甘い味を喉に流し込む。

別に甘いものは嫌いじゃないけど、やはり限度というものがあるだろう。


「その様子じゃ、気分も良さそうね」

「君達のお陰だよ」

「いえいえ」


はクッキーを貪り食うリーマスを観察している。
何気ない仕草でいるを、リーマスはひょいと見る。


「ねえ、ところで、って恋人いるの?」

「――は?」


が途端に変な顔になった。
それがおかしくて、リーマスは少し微笑む。
そんなにとぼけた様な、目を見開いて、驚いた顔をしてくれなくても良いじゃないか。


「いきなり、何……?」

「別に気になっただけだけど。美人だし、……独身だったよね?
 それともそれを聞かれたら困る話だったかな?」


はクスクスと笑い出した。


「まさか。いないわよ」

「こんな美人を放っておくなんて、周りの男は目が節穴だったのかな」

「あら、お世辞。なら貴方が貰ってくれるの?」

「僕には勿体無いよ」


は可笑しな冗談を聞いた様に、絶えず肩を揺らしている。


「誰がこんな闇祓い、貰ってくれるの?」


それをそうして笑って言う辺り、彼女は既に達観していると見える。
そういう事に興味はあまり、なさそうだった。
それは今までの彼女の行動からも、そう言えるだろう。


が出て行った後、リーマスは考える。

良かったね、セブルス。
彼女は今フリーだ。

自分が狼になっていた時、と会話をしていた時の、彼の不機嫌な顔ったらありゃしない。
それに自分自身、勘は鋭い方だと思っている。

動物の勘と言うのか。

リーマスはゆっくりと背凭れに寄りかかる。


彼が人を好きになる、なんて珍しいことだろう。
彼はそれをきっと、自覚しているのだろう。

まあ、他人の恋路の事だから深く考える必要はない。
しかしそれを見ているのは、とても楽しいものだ。

それにしても――それが、彼女とは。

見た目は良いし、性格も悪くないが、問題は経歴と大きな師匠の存在である。
リーマスは楽しげに紅茶を口に運んだ。










*











は靴をトントンと床に叩いて、私室に鍵をかけた。
地下であるので明かりがなく、は後ろのポケットから杖を取り出して、灯りをつける。

夜の空気を肺に入れながら、は外へと向かった。
地上へ出ると、其処には欠け始めた月が森の上に浮いている。

月の光に照らされたの格好は珍しいものだった。
髪を緩く括って、地味なTシャツをざっくり着ている。
白っぽいジャージを履いて足元はスニーカーだ。

これらは全てマグル界に出た時、安く買ったもので、便利そうだと思ったものばかりだ。
魔法使いとは言えど、身体が資本だ。
職業上、これを鍛えるのは必然だ。

は灯りを消して杖を仕舞い、軽く土を蹴って、走り出した。

身体が鈍るのを食い止めたいのもあるが、まあ、これで夜のパトロールにでもなったら良い。
この頃身体を動かしてなかったので、少しばかり身体が重いと感じて、はスピードを上げた。

禁じられた森をぐるりと回る。

息が上がり、汗が顔に滲んだ。
杖はジャージの後ろのポケットに、二本ささっている。

感覚は森の中の生き物達を察知し、目は広がる視界に誰も人間がいないのを感じていた。

するとふいに感覚に陰りが来る。
はそれに合わせて、森の中に視線をやった。

じっと暗い中を見つめると……月の光が助けとなり、人物を判別する。

は足を緩めた。
余りにもこの偶然を、愚弄したくなったからだ。
どうしてまたこの人なんだろう。

どうしてセブルス・スネイプがこんな時間にこの森にいるのか。
はそれを訝しく思いながらも、マントを翻している彼をその視線で見つめる――いや、早く視線を離した方が良いんじゃないか?


「!」


ほら、視線が合ってしまった。
はそれで完全に足を止めた。
さっきとは違う、冷や汗が流れた。

確かに視線が合っている。
このまま無視して、走り去ってしまおうかと思ったが、はそれが出来るほどに神経が太くなかった。

ザクザクと森に足を進めた。
セブルスはから視線を外し、元にしていた作業を始める。

はそれを見て、彼が薬草を摘んでいるのだと分かった。

がセブルスに近付くと、セブルスはそれを自らのローブのポケットに入れて、に向き直った。


「こんな所で、こんな時間に、何をしてるんですか?」

「その質問をそのままお返ししよう」


セブルスはを眺める。

いつものだぼっとしたローブではなくて、身体のラインをいつもより表している。
マントを脱いだ彼女は、思いの他、小柄に見えているが、筋肉の付いたしっかりとした体付きが見えた。


「珍しい格好をしているじゃないか」

「運動していたのよ。パトロールもかねて……貴方は、これを摘みに来ていたのね」


はセブルスの足元を見た。
自生している魔法植物、これは栽培が難しい種である。

はこんな所で、こんな時間に、彼に会った事に少々冷や汗を流していた。
間が悪い。
それに、どうも、この頃彼には縁があるようだ。

セブルスは無言だった。
話題が、ない。
沈黙にが耐えられない。


「――ねぇ、あの――」

「こんな時間でお前が何をしようとも勝手だが、不用意に出歩くのは止めておいたほうが良い。
 深夜にこの森に入る時は、お前でも、パトロールをすると言うのなら、杖を持っていた方が良いと思うが」

「あ――っ。そうね」


は尻のポケットから杖を取り出した。
セブルスは、其処にもう一本あるのを見て、溜息を吐いた。

はじっとそれを見ていた。
これは、自分を、心配してくれたのだろうか?

心の中が揺れ動いていた。
この奇妙な状況も、この要因になるのかもしれない。
試しに言ってみる。
これは完全に、言葉になっていた。


「優しいのね」

「――どうした、気持ちが悪い。夜の空気に当てられたか?」

「ええ、冗談よ」

「……不用意にその様な事を言うな」


思い切り眉を寄せられてしまった。
「気持ち悪い」と言われても眉を寄せて、セブルスを見上げる。

……あれ、動揺してる?

月明かりに照らされた彼は、の鋭い観察力で、そう結論を出される。
はその結論に思いを巡らした。

セブルスはを視線から外していた。
見ていると、どうも向こうから視線を合わして来る。
狼狽している様子を見られたくはなく、意識的にを捉えようとしない。

不味い。

思っている以上に自分自身がこの女に懸想しているような状況に、益々狼狽する。

前々からそれは、自覚はしていたが。
表面に表したくなかったし、あえて改めてそれを自覚する必要はなかった。
この女には相当嫌われているようだからだ。

――格好が不味いのだ。

いつもは見せない妙に整った手足が、不味い。
白く月に照らされている状況が、不味い。
睫毛に縁取られた黒い目を、こっちに向けるな。

セブルスは内心を落ち着かせてから、に向き直った。


「――ねえ、貴方ってさ、やっぱり何というか……」



「うん? あ、いや、それより……」

「パトロールを続けろ。我輩は城へ戻る。
 無駄口を叩いている暇があるほど、我輩は暇ではないのでね」

「なっ……!」


私が暇人だと言いたいのか!?

は簡単にセブルスへと突っ掛かり、セブルスといつものように嫌味の応酬をする。
そしてその後は一人で城へ戻った。
ふんと顔をそっぽ向けて、セブルスと反対へ走り去る。

セブルスががいなくなった森の中で、一人溜息を吐いた。

それを自覚せざるを得なくなった。
我ながら、面倒な事をしてしまった、と思うし、これは全く望みのない事なのだ。
望んで無駄な事を思い描くほどに、不要な事はない。

それに――

セブルスは渦巻く心中を押さえ込み、そのまま森を立ち去った。

は怒りながら森の周りを走っていたが、ふいに、さっき思い巡らしていた事を思い出して、怒りを消して、今までの出来事を思い出して、考えた。
煌々と照る満月の下、は後ろを振り返った。

























2008/1/6






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