ホグズミードへの許可証を貰えなかったハリーは、上級生のいないがらりとしたホグワーツの中、リーマスに誘われて彼の部屋に来ていた。
目の前でリーマスは、セブルスから貰った怪しげな薬を飲んでいる。
薬からはもくもくと煙が出ていた。
「スネイプ先生と一緒の職場で仕事が出来るのは本当にラッキーだ。
これを調合出来る魔法使いは少ない」
そう言っている場合なのだろうか?
ハリーは、ゴブレットをリーマスの手から叩き落したい衝動に駆られた。
その薬は、本当に、大丈夫なのか?
「スネイプ先生は闇の魔術にとっても関心があるんです」
「そう?」
リーマスは軽く答えて、あいも変わらず薬を一口一口飲んでいる。
ハリーは思い切って口を開ける。
「人によっては――スネイプ先生は、闇の魔術に対する防衛術の座を手に入れる為なら、何でもするだろうって、そう言う人がいます」
ハリーの中の焦りに答えるように、その場にノックが響いた。
12/ホグズミード行きの朝
「どうぞ」
「あら、ハリー? いたの?」
「先生」
扉が開いて現れたのは、まさにその人だった。
真っ黒のマントを相変わらず着込み、笑みを見せている。
「お取り込み中かしら? それなら出直すけど」
「いや、良いよ、。それにさっきセブルスから薬は貰ったし――」
「……え……?」
ハリーが疑問の声を上げたので、はそっちに目を向ける。
「どうしたの?」
「いえ。あの薬――」
真っ黒な瞳が、立ったままでいる高い所から微笑んだ。
何もかも分かっているかのような目だ。
「――毒は入ってないわよ?
スネイプ先生と私で作ったんだから。流石にあの人でも、リーマスに毒を盛ろうとはしないわよ」
ハリーはを見上げると、其処には腕を組んだの姿がある。
この人は何でもお見通しなのだ、とハリーは思った。
リーマスはその様子を楽しそうに、そして苦笑しながら見ていた。
「ハリー、彼女に何か隠し事をするだけ無駄だよ。すぐに見抜かれてしまうからね」
「その言い方、酷いわよ、リーマス」
「そうかな?」
「ええ――ところで、早く薬を飲んでしまいなさい。折角こんな複雑なやつ作ったんだから。
冷めたら効果なくなって、スネイプに怒られるわよ?」
「はいはい……」
はリーマスに鋭い視線を向け、リーマスはその視線にくすくすと微笑みながら薬を飲んだ。
それにしても彼女と彼は、仲が良さそうである。
ハリーはその様子を興味深げに見ていた。
リーマスはそのハリーの様子を見て、空になったゴブレットをデスクの上に置く。
「酷い味だ。ハリー、これから先生と話があるから……後で宴会で会おう」
「はい」
ハリーはまた空の紅茶のカップをゴブレットの隣に置いて、立ち去った。
ゴブレットからは、空になった筈なのに、まだ煙が出ていた。
リーマスはハリーが出て行ったドアを、見ていた。
はそんなリーマスをそのままの位置で観察し、一緒にハリーの出て行ったドアを見る。
「――この子。考えが的確だわ」
「……セブルスが僕の薬に毒を入れるって言うのが?」
が言った言葉に、リーマスが答える。
はクスリと笑った。
「まあね。それにしても――ブラック、そろそろ動いて来るでしょうね」
「やっぱり、僕が考えている事はお見通しって訳だ」
はハリーが座っていた所に、腰掛ける。
リーマスと正面から向かった。
「早く捕まえないと。ホグズミードにも行けない、この子が可哀想だわ」
リーマスは今考えていた事をに繰り返されて、参ったとばかりに苦笑した。
その苦笑の中には、その他の意も含まれていた。
はそれを敏感に感じ取った。
そして不思議に思う。
しかし、それを言葉にはしない。
「君なら捕まえられるよ」
「何人の人にそう言われたか……」
「僕もそう願ってる」
は肩を下ろしながらも、表面上にこやかに話しているリーマスに引っ掛かりを持った。
まだ杖腕の怪我が完治してないから、それは無理――と言おうとしたが、その引っ掛かりが心に残って言えなかった。
その瞳に複雑なものを感じて。
すると、それはするりとなくなってしまうのだ。
「あ――そう言えば、ブラックって確か貴方と同世代じゃないの?
ホグワーツで一緒でしょ? なら、何か彼について知ってる事――」
「ああ、セブルスもそうだね」
条件反射で軽く眉を寄せる。
「スネイプも?」
「あれ? いつの間に呼び捨てする仲になったんだい?
今まで敬称で呼んでいたじゃないか」
「あ、それはちょっと……昔のしがらみを捨てて……」
「へー……」
リーマスはをまじまじと見ながら言った。
はその視線がたまらなく嫌になる。
そして、話題を変える為に言葉を吐き捨てる。
これが此処に来た本題なのだ。
「――その彼から、伝言よ。脱狼薬の味の改良をして欲しいのなら、自分以外の魔法使いに頼め、って」
「えぇー。……じゃあ、頼めるかな?」
「私専門じゃないわよ」
「闇祓いなら作れるんじゃ――」
「ポリジュースとか、ゴルパロットとか、毒薬が専門だけど。頼んでみる?」
「遠慮しておくよ」
二人揃って正面向かいで、にっこり微笑んだ。
先程までの会話は、忘れ去られたようだ。
*
大鍋はぐつぐつと煮えくりかえり、辺りには濃厚な匂いが漂っている。
その匂いは絶え間なくを侵す。
「……眠い、眠い、眠い……」
生きる屍の水薬である。
自分に向かってその作用を抑える魔法をかけても良いが、そうしたらこの薬の微妙な加減を手間違える可能性が出て来る。
リーマスと話し込んだ後、はセブルスに前もって言っておいた、地下の研究室を借りた。
単に趣味で作っている、と言えばそうなるが。
器具が此処には全て揃っており、職業上、試しとばかりに作ってみているのだ。
仕事に巧く活用出来ないかな――なんて。
この材料が全て手に入るなんていうのは、滅多にない事である。
は煙から顔を逸らすも、うとうとと頭に靄が掛かる。
「うー……無茶だったかなあ……?」
しかし此処で寝てしまったら、この貴重な原料が勿体無い。
どれだけこの材料に、ガリオンを払ったか。
は根性で重い頭を持ち上げ、最後の材料を探す。
手でやっとそれを掴んで、鍋に投げ入れ、グルグルと頭で回数を数えながら鍋をかき回す。
芳香が変わる。
それを鼻で確認して、煙が少なくなるのを見て、一息吐いた。
「はあ……」
鍋から一端手を離して、数度背伸びをする。
頭が中々覚醒しなくて、大きく深呼吸をした。
すると急に背が緊張で張り詰めた。
身体が何かに反応した。
しかしぼんやりとした脳は、それを正確に裁き切れずに、すぐさま信号を発する事が出来ない。
生きる屍の水薬が血中に溜まっている。
こんな感覚は、にとってとても珍しいものだった。
そして一瞬後に、覚醒する。
ははたと、杖を抜いてピタリとそれにつけた。
マントがバサリと広がる。
「……ボガート?」
目の前にはクルクルと旋回している、それがあった。
は肩を落とす。
何故こんなものの正体が見抜けなかったんだ?
ホグワーツの甘い空気に毒されたか。
緩んだ神経である自分に嫌気が差した。
油断は大敵だというのに……これでは、ブラックも捕まえられない筈だ。
自嘲が心に満ちる。
だから目の前でボガートが姿を変えるのに、不思議と、それを止めようという気持ちにならなかった。
そして同時に気付いた。
「……私、ボガートが私に向かって変身するもの、見た事がないわ……」
興味本位でボガートの変身を見つめた。
ボガートは姿を変えていく。
黒いマント、自分に似ているものが翻った。
は目を細める。
翻った後には、知っている死喰い人の仮面が現れる。
「……何で……?」
怖くとも何ともないじゃないか。
私はこれを、いつも追い、捕らえていた。
言葉は疑問を持って響く。
心の中にはまだ疑惑と共に、興味があった。
はたじろぎもせずに、目を見据えて、立ち尽くしていた。
黒いマント、ボガートの黒いマントから、長い艶やかな黒髪が溢れ出た。
背の高さは自分の程で、女性のようだ。
白い指が黒いマントに映えて現れて、仮面に触れた。
そして仮面を取り去る。
ゆっくりと顔が顕わになる。
額、黒い目、鼻、頬、唇。
何処かで見た事があるものばかりだ。
は瞬き、その顔全体を見渡した。
その顔を知覚する。
身体が空になったような気がして、血流を鮮明に感じた。
心臓が、早く強く急き立った。
身体の鼓動が鮮明に聞こえる。
耳がそのせいで巧く働かない。
声帯が震えた。
「――わた……し――?」
見慣れた顔。
だって、これと同じ顔を私はしているから。
目の前の私は、にっこりと微笑んだ。
とても優雅に。
腰まで届く黒い髪を揺らしながら。
しかし彼女は、まるで死喰い人であった。
喉が縮まった。
魔法を掛けられたように動けず、瞬きが出来ない。
彼女は赤い唇を開いた。
「惨めね」
「――煩いっ。 貴方の、方が……っ!」
「私の方が、何?」
絞り出した声は内容と裏腹、いやそのものかもしれないが、弱弱しかった。
彼女は呆れたようにして、困った顔をしていた。
その声は私にそっくりだけれど、比べ物にならないほどに落ち着き、芯があった。
唇を噛んで答えを出せない相手に、彼女は言う。
「闇に堕ちるか。親を見捨てるか。どっちが罪が重いと思う?」
「――私は貴方とは違う!」
彼女は眉を少し歪めた。
そして少し間を置いて言う。
「私は何も臆する所はないわ」
「……私だって……!」
は息を大きく吸って、息を整えようとする。
そして目線を上げる。
彼女はいつの間にか杖を取り出して、にあてがっていた。
それをは、冷静に見ようとした。
そしてまた更に上に目線を上げる。
其処には爛々とした、肉を狩る猛獣の目があった。
「――Avada Ke――」
「Riddkulus!」
は杖を抜いて、鋭く言い放った。
ボガートは消える。
は自分の杖と腕を見て、それを下ろした。
息を大きく吐く。
そしてまた、大きく吸う。
少し上がった息を、それで正常に戻す。
顰めている顔を元に戻すと、いつも通りの自分が其処にいた。
じっと立ち尽くしたままだ。
心臓もいつも通りに鳴っているが、少しだけ、鼓動が大きいような気がする。
はいつの間にか、恐ろしい程に落ち着いた瞳をしていた。
「確かに……。あれが、私が一番恐れているもの、なのかもね」
笑って言った。
言葉は震えてもいなくて、いつものように確かだ。
は目線を一端下に下げて表情を変えたが、また上に上げて、いつもの表情でいつものように言う。
「楽しかったかしら? 教授?」
の背後の扉が音を立てて開く。
其処には、スネイプ・スネイプがいつもと変わりない表情でいた。
は背を向きながら彼に言う。
「別に、口止めしようとは思わないわ。どうして貰っても構わないし、好きにして。……面白かったかしら?」
は振り返った。
そして笑う。
その表情は、全くいつもと変わらず、このまま廊下を歩いていそうだ。
「嘲笑したいでしょ? 別に良いわよ。笑って?」
セブルスは無言だった。
は微笑んだまま、周りの片付けをし始める。
ポツンと二人が部屋に取り残されていた。
セブルスはに向かって歩を進める。
は、彼が背中の真後ろに来たのを感じた。
「……何?」
セブルスは、の無防備な背中を見る。
それは心なしか、いつもより頼りなさげで、小さく見えた。
は薬品棚の前で動きを止めて、直立している。
セブルスに背中から、棚に向かって挟まれていた。
「何よ?」
「お前――」
のいつもと変わりない声色に、セブルスは苛付いた。
そして、いつもと変わりない立ち居振る舞いにも。
落ち着いた声がの声に重なった。
は小さな風を感じた。
そして次に、全身を包むものを感じる。
それは柔らかくふわりと感じられた。
暖かい。
妙な力強さを感じ、自分と異なる黒が視界の中に入る。
は本能的に胸が落ち着いて、安堵と快さを覚える。
ふと目を下げた。
そうすると、自分の身体を掴んでいる腕を発見した。
これには何か見覚えがある。
瞬時にその腕に繋がっている人を脳裏に描いた。
そして今、この状況を再確認すると……。
身体が縦に固まった。
「ぎゃあっ!?」
の回し蹴りがセブルスの鳩尾に命中した。
セブルスはそれに黙ってずり落ち、引き下がるしか術はなかった。
は目を見開き、驚いた形相で、苦痛で蹲っているセブルスに言う。
「なっ……何してんのよ……っ!?」
「お前――独り善がりは、止めろ。何も気にしていないような振りは、長く続かん」
「だっ、だからって、どうしてこんな――」
「落ち着いたか?」
は眉をきゅっと寄せた。
セブルスはお腹を抱え抱え、立ち上がる。
「……驚いたじゃない。すっごい、驚いた」
「そうか」
は目線を下げながら言った。
多少動揺しているような様子だったが、その目はすぐにじっと強さを持って、上がる。
いや、彼女が動揺している、と思ったのが間違いだったか。
「でも、ちょっと考えてよ。仮にも女なんだから」
「――それは――」
「他の女の子にこんな事したら、恨まれるわよ、スネイプ」
「他」という事は、己は当て嵌まらないという事なのか?
はもう、いつもと変わらない表情をしていた。
飄々としているものだ。
セブルスが思考を巡らせている間に、は毅然と部屋を出て行った。
さっきまでの様子はどうしたのだ?
セブルスは異性扱いされていないという事実を確認しながらも、まあ、彼女が元気を出してくれたので良かったとした。
それに、の身体の感覚が、未だ腕に残っていた。
ここまでの蹴りをするのだから、もう大丈夫だろう。
セブルスはお腹を抱えた。
2008/1/7
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