14/囚人の遺物
意識が浮上し目をゆっくりと開けると、眩しい光が差して目を顰める。
くぐもった視界に、頭が全く回転しない。
身体がとても重く、だるい。
ぼんやりとそのまま時を過ごしていたが、腕を動かした拍子に其処に鈍痛を感じた途端、は目を開き切った。
そして辺りを見回す。
未だはっきりとは見えないが、此処は医務室である事は間違いない。
口を開けることを思い出し、は身体を起こしながら、声帯を震わせた。
「すみません、あの……!」
「あら、起きられたんですか?」
はベッドの上に身体を起こし切って、マダムと対面する。
マダムは入り口からの方へ歩み寄り、は急いでまた尋ねる。
「今、何時ですか?」
「丁度、朝の九時です。さあ、これを飲んでもう一眠りして下さい。校長先生からもそうお達しが来てますよ」
大分寝たな、とが思っている間に、目の前に褐色の液体が入ったグラスが差し出された。
指にひんやりとグラスを感じる。
は受け取って、その匂いを嗅いだ。
「骨の接合の薬ですね。そんなに骨折れてました?」
「ええ。飲んで早く寝てください」
の飄々とした言葉に、マダムは立腹のようで、その言葉は冷たかった。
そしてじっと、がそれを飲むまで監視するようだった。
は苦笑して、それを慣れた風に喉に流し込む。
口を軽く拭い、グラスをマダムに返した。
マダムはそれを受け取る。
……。
「……帰られないんですか?」
「貴方にこの場で寝てもらうまで、帰る気はありませんよ」
「ちゃんと寝ますよ。それに、そんなに見てもらってる方が眠り難いです。
それに、他の患者さんとか、マダムだって多忙でしょうに」
「大丈夫ですよ。あなたに心配してもらう程ではありません」
マダムはそう言っての身体をベッドに倒し、毛布をに被せる。
は為されるがままになるしか、出来なかった。
その目が、怖いのだ。
「あの……えっと、聖マンゴにお知り合いが?」
「ええ」
の察する通りだった。
私が――治療もそこそこに病院を抜け出す常習犯だってこと――を、知られている。
ホグワーツでは今まで案外真面目に医務室通って、右腕を治してたのに、心外だ。
は笑ったが、マダムは表情を崩さなかった。
今にもベッドから逃げようとするを、逃がそうとはしないようだ。
しかしには、大人しく此処にいるという選択肢なんてなかった。
「寝ますから、最後に一つだけ聞かせて下さい」
「何です?」
「あの人――教授、外にいますよね?」
「ええ。スネイプ先生が外に。
とてもあなたのことを心配していたようでしたが、あなたが寝静まるまでは迎え入れないでおこうと思って」
二人揃ったら何かを引き起こす、とでも思われているようだった。
は彼の気配を医務室の外に感じ、この頃縁があるなあ、と一人思った。
では利用させて頂こう。
「あの、出来れば……彼を此処に入れてもらえませんか?」
は控え目な口調で目線を緩める。
下に向かった視線を、マダムの方へゆっくりと上げた。
その目は、今までこのホグワーツでがしたことのない目だった。
軽く潤んで微かに恋情が浮いている。
マダムはそれを察するものの、眉を寄せた。
まさか、と。
しかしの目は、まさにそのもので。
は軽く首を傾げ、マダムを見上げた。
マダムはその視線にやられて、のベッドに踵を返し、医務室の入り口へ歩いて行く。
マダムが背を向けた途端、はにやりと強気に微笑んだ。
何だ、軽いじゃないか。
マダムの背中を見送ってから、はパジャマに目を遣ってそれをいつものマントに変えた。
するりとベッドを抜け出して、右足と右腕の感覚を確かめてから、上機嫌で医務室を出て行く。
勿論、マダムやあの教授のいないルートを通って。
「スネイプ先生、お聞きしたいことがあるのですが」
「はい?」
「先生とは何かあったんですか?」
「どういう意味です?」
マダムはちらりとセブルスを見る。
何を恍けてるんだ、と思う。
「彼女との関係は?」
「教授と助教授ですが……」
「さっき彼女が、貴方に恋をしているような視線を送って来たのだけれど?」
「は?」
セブルスは反射で眉間に皺寄せた。
マダムはセブルスの方を、しらっとした目線で見ていた。
セブルスとて、もうとの付き合いは二ヶ月程になる。
そう簡単に騙されるものではない。
セブルスはの真意に辿り着く。
「――あの女――!」
セブルスは恐ろしい声色で呟いた。
そして医務室に駆け込み、がいたベッドに駆け寄る。
マダムは訳が分からずに付いて行くと、目にしたのは空のベッドだった。
は節々痛む身体に鞭打ち、階段を下る。
この重い身体が面倒だ。
幸い人通りのそんなに多くない場所だったから、生徒のの格好に驚く様子も、それ程多くはなかった。
ローブから見える所の多くに、包帯がぐるぐる巻かれているのだ。
特に酷いのが右足首で、は足を庇いながら歩く。
右腕はローブの下に隠れていた。
その姿に圧巻され、生徒も、あまりそのことをに聞くことは出来ないようだった。
ブラックと出会っただろう張本人が其処にいるというのに。
が様子を窺っていると、生徒の間はその話題で持ちきりのようだった。
すると不意打ちに呼びかけられる。
「」
険悪な口調だった。
そしてこの声、この呼称で呼ぶのは、彼しかいない。
は振り返った。
「この頃貴方と、本当に縁があるわね。
前なんか一週間位喋ることがなかったりしたのに、この頃異様だわ……何故かしら……?」
は思案する顔になるが、それもそこそこに。
「どうしたの? スネイプ」
「どうしたもこうしたも、あると思うか?」
真っ黒な蝙蝠のようなマントを翻したセブルスに、は物凄い剣幕で思い切り睨まれる。
生徒達はそれを避けた。
其処だけ綺麗に、その場を無視する流れが出来る。
機嫌が悪そうだ。
減点をされては堪らない。
はそれに対して、訳が分からなそうに眉を寄せた。
「え……っと。医務室から逃げて来たことよね? 別にそれはいつものことだけど」
「それだけか?」
「えぇと。……それだけ、かな……?」
どうして彼がここまで怒っているのか、には分からなかった。
どうして彼を怒らせたのだろう?
訳が分からない。
睨み下ろされ、は自分の身体が小さくなったように感じた。
しかし――
「――いつもの事よ、こんなの。
別に死ぬわけじゃないし、寝たら治るわよ。大丈夫、そんな心配してくれなくても。
それより、今職員会議してるんでしょ? 行かなくちゃ。私がブラックを逃がした張本人だもの」
「お前は我輩が思っている以上に馬鹿だったようだな」
「え?」
「だから、女がてらに身体に傷が残るのだ」
「私はそんなに――気にしてないけど……」
「十分に体力を回復しないと、するべきことも出来なくなる。
十分に右腕の治療をしていなかったからこそ、今の状況になったのだろう?」
は黙った。
しかしすぐに、はセブルスの目を強く見上げる。
「私の此処にいる存在価値はそれしかないもの。
身体に怠けて、今することをしなかったら、それこそ後に響くわ。
貴方に干渉されてそれを変えることは出来ないわ、闇祓いという職種に就いている限りは」
セブルスはその目に、の意思を此処で変える事は出来ないと、呆れるほどに確信した。
風船が破裂したような物言いで、はにこりと微笑む。
セブルスが諦めたようにしているのに、とても満足そうだ。
「じゃ、職員室に行きましょうか、きっと会議してるでしょ?」
「ああ。分かった」
は身体の至る所に包帯を巻き、動き難い状態だった。
それを好都合に、セブルスは飄々とを昨夜と同様に抱え上げた。
はそれを全く予想だにしていなかったらしく、防ぐことは出来なかった。
黒いマントが重なり合う。
生徒達は反射的に立ち止まって、それを目を見開けて見た。
現実に在り得ないことが現実に起こっている。
も目を見開けた。
「ちょっ……何すんの!?」
は視線を睨みに変えて、上にセブルスを捕らえた。
しかしこれもセブルスは既に慣れていた。
「こうした方が早く行けるぞ。それにこれ以上、怪我人を歩かせる訳にはいかん」
「待って待って、生徒に見られてる。無理無理、恥ずかしいって。
誤解を招くようなことはするべきじゃないわ」
は焦って焦って、じたじたとセブルスの腕の上で騒ぐ。
「何の誤解だ?」
「言って欲しい?」
はフフンと笑う。
セブルスにとってはそれは見当違いのものであった。
セブルスは好都合とばかりに足を進め始める。
は声を荒げる。
「もう――降ろしてよ!」
「では、降ろさせてみたらどうだ? お前なら簡単だろう?」
「……そういう問題じゃあ……」
「降りられないのだろう? 流石にお前も今日は身体が痛む。偉そうな口を叩かず、黙って好意に甘えておけ」
「……昨日みたいのならそうするけど、今日は周りに人が――!」
何はともあれ、この一行は確実に生徒の注目を集めながら、職員室へ向かっていた。
周りの生徒はその様子に目が離せない。
がセブルスの上で喚きながら、セブルスがそれを嫌味で受け止めながら行く様子は、奇妙なものだった。
そしてまた、それは一部の生徒達にあらぬ噂を抱かせる原因になった。
*
部屋の様子はいつもと変わらない。
ホルマリン漬けの生き物が部屋を取り囲み、本棚が多く置かれている。
部屋の雰囲気は陰気なもので、地下であるせいか、其処は暗かった。
「で、何故お前が此処にいるのかね?」
「言いたいことがあるからよ」
職員会議が終わってからセブルスはそのまま授業へ向かったが、はいつの間にか一人でどこかしらへ行ってしまっていた。
それではマダム・ポンフリーに怒られるとは思ったものの、何しろ授業があるから、それは放っておいたのだが。
授業が終わって戻って来ると、は我が物顔でセブルスの私室のソファーを陣取っていた。
はさっきまでの出来事を忘れたように、さっぱりした顔でセブルスを見上げる。
「お邪魔かしら?」
「そういう訳ではないが、どうして此処に?」
「だから、言いたいことがあるからよ」
彼女が自ら此処に入ってくるのは、珍しい。
セブルスは、彼女にとってこの部屋にかけられた魔法など容易いものだ、と知っていた。
以前こういうこともあったから、セブルスはが此処にいてもそれほど驚くことはなかった。
はセブルスが身を翻したのを訝しげに見たが、次に彼が湯気の出たカップを持ってやって来るのを見て、少し笑む。
「歓迎してくれるのね」
「まあな」
セブルスは二つのカップをテーブルに置き、の対面に座った。
はソーサーの上に置かれたカップを、じっと見た。
セブルスはすぐさま察する。
「毒等入れた覚えはない」
「仕事柄よ。っていうか、師匠譲り?」
するとはカップから視線を外し、カップに手を触れないまま。
「さっきの会議について、吐き出したいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「分かった」
はマントの下で腕を組み、少し難しい顔をした。
セブルスも同様の顔をして、話に構える。
「ハリーさ、自分がブラックに狙われてるって、知ってるのよね」
「――それなら、さっきまで我輩達が交わしていた議論は――」
「結構無駄よね。
まあ、ハリーに妙に先生が付き纏ったり、クィディッチに制限がされたりしたら、彼もすぐに気付くでしょうけど」
議論、というのはハリー・ポッターにブラックから狙われているということを告げず、どのように彼を守るのか、というものだった。
セブルスは眉間の皺を深くした。
はソファーの上で苦笑し、言葉を続ける。
「それを自覚しているのなら、彼がどう行動するのか、見物ね。
ブラックはまた彼の身に近付いたのだし。
でも――若いし――そういうことを考えずに彼は動くかもしれないから、そこで私達がフォローしなくちゃいけないのよね。
それに幸い、彼はブラックの最悪の仕業を知っていないわ」
が一端言葉を切る。
そして次にすぐ喋り始めないのを見て、彼女の言いたかったとりあえずの主要な話はそこで終わったらしいと確認する。
セブルスは口を開いた。
「我輩からも、言っておきたいことがあるのだが」
「ん? 何?」
「左腕の件だ」
セブルスがそう言うと、は急に表情を変える。
先程よりも深刻そうだ。
そして自分の左腕を急いで持ち上げ、確認した。
「マダムには其処を見せないよう、フォローしておいた。
彼女は其処に昔に酷い呪詛を負って、骨と皮膚が変形して治すことも出来ず、流石に人目に晒すのも不都合が起きるので、ずっと其処を隠していると」
「……凄い……言われようね……でも、有難う。じゃあ私もこれからその言い訳にするわ」
は彼が闇の印について気を使ってくれた事が、嬉しかった。
気の利く男だ。
左腕は、がいつもはめている黒のアームウォーマーで変わらず覆われている。
今までその時々に理由を作ってきたのだが、その理由ならば誰も此処を見ようとはしないだろう。
「常に隠しているのだな」
「まあ、いつ何時、何があるか分からないし。貴方は?」
「……お前ほどまでは……」
「まあ貴方は案外知られてるし、良いんじゃない? 私、闇祓いがこれ、結構不味いもの」
冗談じゃなく不味いことだろう。
も流石にそれを自覚しているようで、捲り上げていた左腕を、元に戻した。
セブルスは、その言葉を言った時、もう一つ気にかかっていたことがあった。
「身体の傷は治そうとはしないのか? 治そうとすれば治るものもあるだろうに」
「ってことは、私が治療されてる時見てたの?」
「……」
「ま、良いけど」
言葉を継げないセブルスを見て、は笑った。
案外可愛いじゃないか。
こんな表情をする彼はなかなか見れるものではない。
「……マダムに、追い払われるまでは……」
「ふーん。だからさっき、「女がてらに身体に傷が残ってる」って言ったんだ」
「悪意はなかったのだが――」
「分かってるわ。で、どうだった? これじゃあ嫁に行けないかしら?」
あっけらかんと言う彼女は男前で、セブルスは言葉を発する事がすぐさま出来ない。
はからかっているつもりなのだが、セブルスはそうとは受け取れないらしい。
「傷を治さない理由は、マッド=アイがそれを治そうとしないのと同じよ。
ま、嫁に行く気もそんなにないし、大丈夫よ」
「――傷を治さなくても、そんなに悪くはない、と我輩は――」
「それは有難う」
はセブルスの言葉をお世辞にとって、微笑んだ。
セブルスは小さく溜息を吐く。
真意はなかなか伝わらないらしい。
改めての方を見る。
仕切り直しだ。
「それで、どうしてお前はそれを我輩に? お前の用件は最初だけだろう?」
はそれで気付いたようだった。
口元に手を当てて、声色を下げて呟く。
「……何でだろう?
誰かに言おうって思ってて、確かリーマスは授業中で……でもそこそこ信用足る人にしか言えなくて――だから、貴方?」
「我輩に尋ねられても困る」
に人差し指で差されて、セブルスは困ったようにする。
そしてがやっと思い出して、手を打った。
「そうよ! 他にも言いたいことがあったわ、私。
昨日の夜、貴方どうしてか私の所に来てくれたじゃない?
その時のことなんだけど――私の事、愛称で呼んでなかった?」
セブルスは吹き出しかけた紅茶を、何とか喉に流し込んだ。
しかしその後、咳き込む。
は反射で自分のカップを持ち上げ、呆れ顔で、首を傾げた。
「何やってんのよ……?」
セブルスは咳き込んだままで、の答えに答える事が出来なかった。
はこんなの半分どうでも良い話だったのに、大分大層な反応が返ってきたと思う。
「……別に、呼んで貰っても別に良いんだけど、何かそんなに動揺することあった?」
セブルスは首を横に振って、否定する。
しかし今の彼の状況と、その態度が、正反対なのだが?
は訳が分からなく思いながら、手に持っていたカップを見下ろした。
じっと紅い液体を見つめ、縁に唇をつける。
「――! 意外と美味し……?」
「」
カップはそのまま、目だけ上げた。
その間には程よく冷めたカップの中身を飲み干す。
セブルスはまだ少し咳き込んではいたが、手を差し出していた。
「何……!?」
は腕を引かれて無理やり立ち上がらせられ、セブルスに抗議の視線を送る。
そしてカップを、ソーサーの上に戻した。
は掴まれている腕を見た。
「医務室へ行くぞ」
そのままぐいぐいと引っ張られてはつんのめる。
「待ってよ、いきなり――! それに、何で今――」
「今じゃないとお前を捕まえられない。嫌なら、また我輩が担ぎ上げて差し上げようか?」
「謹んで遠慮させて頂くわ」
は掴まれていた腕を引き抜いた。
セブルスの握力に勝ち、はふうと息を吐く。
セブルスがに向かって振り返る。
「……分かったわよ。ちゃんと行くから、そんなに引っ張らないでよ。
分かったわ、此処じゃ、闇祓いじゃなくて助教授だもの。ちゃんと治療しないとね」
物分りの良いに、セブルスは訝しく思う。
は目線を上げる。
「マダムに謝罪して、魔法省からお達しが来るまでは、そうする。
そこまで心配してくれてる貴方に免じて、いつもより、大人しくすることにするわ。
まず杖腕でまともに魔法を使えるようにならないと……ね」
未だ杖腕の包帯は血が染まっているだろう。
「それと、もう貴方絶対に、私を担ぐ事は出来ないから。
右腕と右足のの動きは鈍くても、左腕と左足は健在よ。
もしそうされても、私絶対抵抗するし、私杖なくても魔法使えるからね」
余程お姫様抱っこが嫌だったのだろうか?
は確信を持った目で、自信満々に言い遂げた。
セブルスは、包帯を身体の至る所に巻きつけ立っているを見る。
彼にはこれから彼女を医務室に連行する仕事が、否応なく課されるだろう。
それは教授業よりも遥かに難しい仕事だった。
2008/1/26
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