クリスマスの真夜中のホグワーツ城。
身を切るような冷え冷えとした空気の中、二つの明かりが其処にあった。
22/転機
杖に光を灯している二つの姿が城内を歩いている。
二人分の靴音と、二人分のマントの翻る音が混ざっている。
「クリスマスに見回りって、運が悪いわよね」
「ああ」
はニコニコして隣のセブルスに話しかけていた。
しかしセブルスはむっつりしている。
はそれでも相変わらず、部屋を出て見回りを始めた時からずっと微笑んでいた。
約束を何度も破った負い目を心の中に持っていたからだ。
何の用事があったのだとしても、どれほど彼を裏切っただろうか。
それにただでさえ時間が遅かったというのに、さらに見回りがあるなんて。
忘れていたこっちも悪いのだが……。
セブルスはこの陥った状況に、心の中で溜息を吐いていた。
待ちぼうけをどれだけしたことか。
そしてふと、隣で歩いているの横顔をチラリと見てみた。
酔いは完全に冷めたようだったが、彼女はどうも風呂に入ってきたらしい。
石鹸の匂いが漂ってくる。
髪がサラサラと肩で流れていた。
すると薄く口紅を引いた唇が動いた。
「どうしたの?」
「いや」
「あ、そう?」
は短い返答でまあ納得したらしい。
そして変わりなく言葉を紡ぎ始める。
「何か改めて考えると、何か不思議よね、貴方とこうしているの」
「何故だ?」
「前……えーと、四ヶ月位前かな? あんなに私貴方のこと嫌いだったのに、今となってはこれよ?」
「それはお前の意思の変化だろう」
はそれを聞いて、何かを思い出したかのように顎に指を当てた。
「ま、ね。でもまあ貴方が悪かったでしょ、あれは」
「もう一度謝って欲しいのか?」
セブルスは溜息を吐きながら言った。
は急いでそれを否定する。
「過ぎたことだし、もう良いわよ。今更何言ったってどうしようもないし。
傷は残ったけど、まあ反対にそれがあったから、今私が此処にいるって言うか……」
セブルスは今のの台詞が捉えられず、眉間に皺を作る。
「どういう意味だ?」
「え?」
意外そうにがセブルスを見た。
そしては当然のように言う。
「昔、貴方に大怪我負わされて、その後に丁度ヴォルデモートが凋落したでしょ?
その大変な時期に動けなくって、貴方にさんざんな目に合わされたって話よ。
それでブラックも捕まえられなくって私は今此処にいるから……」
セブルスは無表情に言った。
こう言うしかなかった。
今まであえて、口にしなかったのに。
「――我輩に唇を奪われて怒っているのではなかったのか……?」
「へ?」
奇妙な沈黙があった。
二人はお互いに、じっと目を見つめ合う。
するとが先に笑い声を上げ始めた。
「な……私そんなに女々しくないわよっ! 別にそんなこと……!
え? じゃあ何? ずっと私達食い違ってたの……っ!?」
堪え切れずに笑い、滑稽さに涙さえ流しそうだった。
鳩尾を押さえて、肩が激しく上下している。
そんなに比べ、セブルスは爆笑する訳もなく、脱力して肩を下げただけだった。
馬鹿らしい、と額を押さえる。
しかし爆笑するをみて、微かに苦笑のような表情を浮かべた。
「……その様だな、」
爆笑は収まったものの、まだ肩を揺らして笑っているに対し、セブルスはそれだけ言った。
は目尻に溜まった涙を拭い、隣のセブルスを見上げる。
彼が唇を緩めさせもしないのを見て、はまた笑ってしまう。
それを咎めるようなセブルスの視線が降って来て、はやっと笑いを止めようとする。
の笑いが止まると、辺りは静寂に満ちた。
そして話題に上っている過去のことをふと思い出す。
もう何年前だろうか、もう十二年……?
当時のことを思い出すと、疑問が口をついてきた。
「どうしてあの時キスしたの?」
セブルスは眼下にいるを見下ろした。
しかしはあくまでいつまでと変わらない様子で、飄々としている。
「どうしてキスしたのよ? 貴方なら、もう少し良い退避の仕方、考えれば簡単に見付けられたでしょう?」
なかなか答えないセブルスに、は首を傾げる。
彼女は純粋にこれを疑問に思っているらしい、とセブルスは思った。
しかしすぐに答えられるはずもなく時が過ぎる。
「ねえ、どうし――うわっ!?」
セブルスは唐突に隣の人影が、いきなり下へ凹んだような気がした。
セブルスは隣を急いで見る。
目線は下へ行く……。
「何をしている?」
「……見たら分かるでしょ」
はマントを階段に広げて、屈み込んでいた。
膝を曲げて階段に座り込んでいる。
その足元は階段にスッポリ嵌っていた。
セブルスは呆れて言う。
「ホグワーツの教師が階段に嵌って、どうするつもりだ?」
「だって……! 貴方は学生の時から此処にいるんでしょ?
私はまだ数ヶ月しか此処にいないし――これでも大分慣れたつもりだったんだけど――
って、冷静に私を見てないで、ちょっと位助けてよ」
は嵌った片足を庇って手摺を持ちながら立ち上がり、片手をセブルスに差し出した。
差し伸ばされた手の平をセブルスは仕方がないと握り、階段の下からぐいっと引っ張る。
お互いの体温が重なった。
は助けて貰えることに安堵感を抱いたが、すぐには引っ張られる感覚に、少し危機感を持つ。
「え……わっ! ちょ、引っ張り過ぎっ……!!」
力が強過ぎる!
ズボリと足が階段から抜けた。
足元には何もなくなり、其処にあるのは空気だった。
身体には勢いがついていて、そのまま引っ張られるままに階段から落下する形になる。
マントが空気を受けてはためく。
は重力の流れに従って、全身を強か階段に打ちつけるのを恐れ、ぎゅっと目を瞑った。
今更それを避ける手立てはこの状況で思いつかない。
ボスッ
「……え?」
予想していた痛みを感じない。
鈍い音と共に、冷たい空気の中に温かいものを感じた。
目の前に何かがある。
は目を見開く。
目の前は真っ暗だった。
「……階段から落ちる馬鹿が何処にいる」
頭の上から低い声が降って来た。
「スネイプ……?」
は少し足を退いて、顔を上げた。
の背中にセブルスの腕が回されていて、手は未だ二人の間で繋がれている状況だ。
黒いマントが二つ重なり、はスッポリと抱え込まれていた。
今更、抱え込まれるほどの彼の身体の大きさに、は気付く。
そして礼を言う。
「有り難う」
目の前の身体を押し、離れようとする。
しかしそれがすぐに離れない。
力を入れてぐっと押してみると、セブルスはそれに初めて気付いたように、を支えていた腕を焦っていきなり外す。
「え?」
不意打ちのそれに、の身体が揺らいだ。
背中で頼っていた腕が唐突に消えたのだ。
重心がパタリと後ろに倒れる。
瞬間に平衡感覚を失う。
口をついて言葉が出た。
「待って待って待って、助けて……っ!」
は倒れるのに足を動かして抗うが、全く功を奏さない。
力を結構入れていたのが不味かった。
は言葉の通り、藁をも縋るように腕を伸ばした。
その手は確実にセブルスの身体を捉えた。
「ちょっと待てっ……!?」
セブルスも焦ってそう言うものの……。
ゴン!
「……った……っ!」
やはりは、階段に強か背を打ちつけた。
思い切り顔を顰める。
痛みがジンジンと背骨を走る。
何とか反射で後頭部を打つのは避けたが、背を打つのも結構辛いものがある。
痛みが一段落してから、は倒れる時に反射的に閉じていた目をうっすらと開ける。
また目の前に黒いものが見えた。
そしてまだ自分は、その黒いものを掴んでいる。
杖が落ちたのだろうか、朧な光がどこからか漏れて、その輪郭を露にしている。
「ごめんっ。思いっ切り引っ張っちゃったわ、スネイプ……! 貴方がいきなり腕を外すんだからっ……」
見た所、目の前の彼に怪我はなさそうだった。
はそれに安堵して、掴んでいた手を外して、痛む背中を堪えて苦笑しながら身を起こそうとする。
「本当、ごめんなさい。え? 何処か怪我した?」
「いや……」
上から退かないセブルスに、は心配して話しかける。
からはセブルスの表情は見えない。
「じゃあ、どうしたの?」
「」
「うん?」
セブルスにはの表情が見えている。
彼女がこの状況で、あくまで普通の表情をしているのが。
セブルスはの上に乗りかかっているというのに。
普通、多少動揺しても良いのではないか。
「お前は男か」
「へ? 女だけど」
「ああ、そうだったな」
「何が言いたいの?」
は釈然としないという顔をしている。
そして改めて身体を起こしかける。
すると彼女は、上から大きな溜息の音を聞いた。
「何よ?」
「ただお前に呆れただけだ」
「はあ?」
すると、は手首が握られるのを感じた。
それに気付くと同時に、手首がきつく階段に押し付けられる。
起き上がりかけていた身体が階段に横たわる。
セブルスはこれは手が早過ぎるかもしれないと思ったが、言葉がこの女に効くとも思えない。
セブルスは内心、とても色々な意味で呆れていた。
「何っ――」
「お前もれっきとした女だろう?」
は手首の戒めを解こうとするが、体重がかけられているらしく、動かない。
が上げる息が、張り詰めた空気に薄白く立ち上る。
セブルスは意思を決めた目をしていた。
この状況に陥らせたのは、彼女だ。
いつもより声が低い。
「お前からこの状況に導いたのだろう? 状況は把握出来ているのか?」
はきつく眉を寄せた。
口が何かを言おうとして動くが、その前にセブルスがまた語りかける。
「自覚はないのか知らんが、無防備過ぎたな」
「……え……何……」
の声は、呟くように小さい。
あまり頭が回っていないらしい。
不確定要素がの思考の中に混ざり、混雑して、思考が止まりかけている。
彼の言っていることの意味が捉えられない。
目をパチクリとさせ、ただ目の前の影を見つめている。
「確か、何故キスをしたのかと聞いていたな」
の口が半開きのまま、止まっている。
セブルスは低く唸る。
「答えを教えてやろう」
目の前の自分より一回り大きな影が、大きくなってくるのをはゆっくりと見る。
身動きの取れない身体と、目の前の黒い影。
は、昔の感覚を思い出した。
それが、今とぴったりと被るのだ。
の目は開きっぱなしだ。
昔に、前に、これと同じ記憶がある……この先はどうだっただろう?
もやもやとした記憶を探っている間に影が近付いて来る。
すると、の身体は反応する。
頭じゃなくて身体が覚えているようだった。
この先は――
頭に昔の記憶のビジョンが鮮明に現れた。
あの時のことが目にも鮮やかに目の前に蘇り、それが今の目前にあるものとシンクロする。
はっと、目が覚めた。
「止めなさい! スネイ――」
自分に触れるか触れないかほどにまで寄って来た黒い影を、ギリギリになっては睨む。
しかしもう時は遅いのに気付き、はぎゅっと目を閉じた。
唇を裏で歯で噛み締めて、必死で塞いだ。
唇に唇を押し当てられる。
は身を捩るが、両手が拘束されていて逃げられない。
必死で唇を噛み締めた。
何とか手首を自由にしようと足掻くが、思い通りにはいかない。
数センチ手首が上がるが、それもすぐに押さえつけられる。
足まで押さえつけられていて、思うように動かせられない。
――嫌だ……!
セブルスはの両手首を上に集めて左手で繋ぎ止める。
彼女の抵抗に耐えながら、右手での無防備な首筋をなぞった。
「っ!?」
身体が刺激に反応する。
それで緩んだ唇に、セブルスは割り込んだ。
唇が抉じ開けられて、顔がかっと赤くなる。
顎を引いて逃れようとするが、引いた顎をまた無理やり元の位置に戻される。
手馴れた風に口付けされ続ける。
今まで経験した事のないほどの長さに、は軽い酸欠状態に陥っていた。
身体に力が入らず、朦朧とする。
「っは……っ!」
唇が離れ、は大きく息を吐いて、吸う。
湿った息が空気に混ざる。
目を開くと、自分の目が湿っている事に気付いた。
視界がぼんやりしている。
すると上に被さっていたものが下に移動して、胸にじんわりとした痛みを覚えた。
はまたそれに身を緩く捩る。
しかしまだ身体は脱力していて大した抵抗にもならず、の身体はぐったりと階段に委ねられていた。
マントが肌蹴られようとするのが、肌を掠る手の感触で分かった。
は抵抗を見せず、ただただ息を荒げて胸元を上下させていた。
マントの下にあったネックレスが引っ張り出され、露になった。
冷たい金属をもろに感じる。
はぼんやりとした頭で考える。
このネックレスは……。
ネックレスの先についている青い石が光を反射して、目の前のセブルスの身体に丸い跡をつけた。
……このネックレスは、アラスターに貰ったものだ。
は瞬間に自我を取り戻す。
腕に力を入れて手首の拘束を解き放ち、上に乗っている男を退かす。
力強く足を踏み込んで立ち上がる。
パンッ!
立ち上がり際に大きく腕を振るった。
目の前の男に綺麗な音を立てて平手打ちをする。
肩の上下はしていたが、それは前より幾分もましだ。
「呪いでも、かけてやろうかと、杖に手が伸びそうになったのだけど――」
息がまだ荒い。
目の前の人が自分と同様、立ち上がるのを目に捉える。
「それじゃ、あまりにも色気ないじゃない?」
手の平がヒリヒリしている。
「これでもれっきとした女だからね」
グイ、と唇を拭った。
の中で全くの嫌悪の感情だけが渦巻いていた。
はセブルスを睨み付ける。
しかしその顔が真っ赤だろうということは、も分かってはいた。
だけれども、出来るだけ表現出来る限りの嫌悪の表情を作る。
セブルスもを見た。
しかし彼の表情はあまり変わってはいない。
変わったのは、頬が赤く腫れている所だけだ。
は益々それに、感情を荒立たせる。
「……何のつもりかしら? スネイプ」
声は凛と通るが、セブルスは沈黙している。
目だけはを見据えていたが。
の目が潤んでいる。
「からかっているの? それとも……」
言葉が途切れる。
唇をぎゅっと噛んで、耐えられずにセブルスから視線を外す。
乱れた首元を気にせずに、乱れた髪をただ背に流す。
胸の中が複雑に絡まっている。
こんな感情を味わうのは、初めてかもしれない。
もうこれ以上喋れない。
「……もう、やだ。……見損なったわ……」
語尾は掠れていた。
そして踵を返して、セブルスに反対を向く。
そのまま足音を大きく立たせながら、は立ち去って行った。
しかしその寸前に、セブルスはの泣きそうな顔を見ていた。
セブルスは、が思いもがけず涙を見せたことに驚いていた。
だから――言わなければならないと思っていた言葉を、言うことが出来なかった。
罵倒されなじられると予想はしていたが、まさか、彼女が……。
あんなに弱弱しい態度を取るなんて。
してはならなかったことをしてしまったのかもしれない。
理解していると思っていた彼女を、理解し切ってはいなかったのだ。
セブルスは唇を噛む。
の涙を溜めた顔が、頭から離れない。
は自室の扉を開け、その中へ速い歩調で入っていく。
ドアを大きく音を立てて閉めた。
そしてゆっくりドアに背を凭れる。
もう一度唇を拭う。
目線を宙に浮かし、見慣れた部屋の光景を目に写す。
まだ肩が上下していた。
息が荒く、まだ顔が熱い。
「……何やってんのよ、私は……」
冗談だろう?
は赤い跡が残っている胸元にも気が回らず、表情を何かを堪えるように強張らせた。
爪が白くなるほど手を握り締める。
いつもはマントの中にあるネックレスが外に出て、黒いマントの生地に映えていた。
2008/3/15
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