28.2/甘美な試行
「お茶でもしていかないか」
私が今まで通りの彼の脱狼薬作りという仕事を手伝った後に、彼は何気なくそう声をかけた。
彼が杖を振ると、テーブルの上に可愛らしいケーキののった飾り気のない皿が二枚現れる。
それをじっと見つめて、私はこんなことは初めてだと心の中で唱えた。
甘いものが嫌いなわけではない。
「屋敷しもべ妖精に?」
「ああ」
「どうせなら……いただいていくけれど」
はすとんとソファに腰掛けると、目の前にセブルスは座った。
二人は代わり映えのない他愛もない話をし、ケーキは姿を消していく。
真っ白な滑らかなクリームを口に運ぶと、本能的に感じるお菓子特有の幸福感が私を包んでいく。
「――お前は、もう警戒心をなくしたようだな」
ふいに、セブルスがこちらを測るような目つきをして呟いた。
は黙々とフォークを動かしながら答える。
目線は涼しげだ。
「どういう意味で、かしら?」
「数日前までは、こちらの一挙一動に警戒していただろう」
「何も知らない少女でもあるまいし、二度あったらそんなのもうどうでも良くなって」
「どうでも良い?」
「警戒するのも馬鹿みたいだわ。二度あったら、三度も四度も同じ……」
そう言って目線を上げたは、己が失言を犯したことに気づいた。
セブルスのこちらへの眼つきが変わった。
例えるならば、獲物を標的にした猛禽類のような目だった。
嫌な汗が背中を伝った。
運良くケーキを食べ終えていた。
「じゃあ、私はこれで失礼――」
「待て」
まるで、その声に縫いとめられたかのように、の浮き上がりかけた身体はソファーに落ち込んだ。
「まだ話したいことがある」
「……そう、ケーキは餌だったのね」
は唇を小さく歪める。
セブルスの目を直接に見ないように目線を少しだけ下げた。
彼がこちらを想う理由が以前に分かったから、その行動も必死さを増した。
それはあの最中の彼のものと酷似していた。
黒いローブの下の身体のあちこちが何故か疼いた。
「……こちらを見ないのか?」
「その、獲物を狩る獣のような目を止めて」
「我輩はそんな目をしているのか?」
「ええ。……男の人はみんなそういうものなのかしら」
刺々しい言葉を浴びせると、セブルスは目を少し緩めたように見えて、はセブルスに向き直った。
「前のものが気に入らなかったのか?」
の目が見開き、頬にさっと赤みが差した。
「それとこれとは話が別よ! 関係ない!」
「では……」
「あの時からそんなに日数が経っていないのに、どうしてまたそんなことを……私がそれが理解できないわ」
赤い顔のまま、は続けてぼそぼそと言った。
「貴方のことは嫌いじゃないわ。だからといって、そういうことを繰り返すのは……」
額に手を当て、瞳を伏せて何かを思い悩んでいるかの様子で言葉を搾り出す。
手の平はぎゅっと握られている。
「よく考えてみて。私は、前の時、本当に嫌だったら簡単に逃げられたのよ。その前だって……本気になったら逃げられた。
そうしなかった私のことを思い出して。今だって……そうよ」
ふと視線を上げると、側に立っているセブルスを目に留め、己の頬に手を伸ばすセブルスの手をは振り払わなかった。
彼に触れられるのは既に珍しいことではなくなっており、彼のその行動は不快さと反対のことを生み出すことを知っていた。
「……セブ」
誰もそう呼んだことを聞いたことがない彼の愛称を呼んだ。
しかし、言葉の響きには甘いものは含まれず、代わりにこの状況を打破するような意志の強いものがあった。
「部屋に戻って良い?」
セブルスの手は頬から離れなかった。
「ああ」
しかし、はセブルスが次の一言を紡ぐまで動こうとしなかった。
「もし気が向いたら……こちらに来てくれるかね?」
「……分かったわ」
夜に貴方の部屋に行くことは有り得ないけれどね。
は決して口に出さなかった。
の目が開いた。
ここは自室のベッドで、私はここで安全に眠っているはずだった。
であるはずなのに、その私の身体の上に乗りかかっている人がいる。
「……情けない。貴方相手に警戒心をなくした結果だわ。扉も簡単に開けられてしまったようだし……」
「寝首をかいてやろうか」
その人は意地悪く言った。
「貴方の目的はきっとそれとは違うはずよ」
も意地悪く返した。
僅かな灯りが隣の部屋から漏れて、彼の姿形のシルエットを作っていた。
自身の無防備な格好と状況に、呆れにも似た嘆息が漏れた。
セブルスはそれを自分に向けられたものだと感じたらしく、そうするをじっと見つめるだけに至った。
「……貴方の目的は?」
セブルスは応えず、この状況下で自分を飄々と見上げるの姿にいつかのクリスマスのことを思い出した。
拘束しているわけでもないのに逃げようとする動作を見せないの頬に触れる。
そうしても、は身動ぎもしない。
じっとセブルスを見つめているだけだった。
ふいに、すうとの唇が開いた。
「そんなに悠長に構えていたら、私は逃げちゃうわよ」
セブルスはが被っていた毛布を剥がした。
パジャマから覗く首元に、が常に身に付けているネックレスの姿を確認し、鎖を引き出してペンダントトップに口付けた。
は、セブルスのこちらを見る視線を身に浴びながら、目の前の人を観察していた。
唇はペンダントトップから鎖へ、そしてそれを身に付けている首筋へ及んだ。
それでも、は冷静にセブルスを見ていた。
「ねえ」
セブルスは動きを止めて、の顔へ目を向ける。
こんな時に声をかけられたのは初めてだった。
はそっと右腕を上げて、セブルスの顔に触れずに沿わせるようにした。
の顔に逡巡の影が一瞬過ぎったが、自らセブルスに触れてその唇の側を指で撫でた。
そして自分へと近づける。
ある程度まで近づけると手を止めた。
の僅かに開いた熟れた唇を、セブルスは細めた目で見た。
真っ暗な中、の唇から発せられる少し早い小さな呼吸音を耳にした。
「……どうした?」
低い声がいつもよりも掠れて空気に響く。
「……自分を……試してみようかと思って」
女の凛としたよく響く声が終るか終らないかの前に、柔らかな唇は覆い尽くされた。
以前とは全く異なり、女はなんとかそれを受け入れようとしている様子だった。
強くこちらを求めてくる様子はなかったが、縋るものを探した手はセブルスの腕を掴んだ。
しかしこちらを縋る手も、徐々に力を失ってただの飾りになっていく。
薄い布の下の胸が大きく上下し、彼女が熱を持っていくのがありありと分かった。
度々唇を離す時の自分の生々しい呼吸音と衣擦れの音が耳を焼きつけ、は聴覚からも自分が犯されていくのが分かった。
しかし、そう意識ができたのは初めの内だけで、その後は何も考えることができずに身体を横たわらせ、熱を上げる心臓を感じて本能的な行動を繰り返すだけだった。
熱は心臓から手足へと広がり、じんじんとした疼きをもたらす。
唇はもう無理だと言う言葉を時々漏らすが、それが聞き遂げられることはなかった。
ようやく唇が離されると、は激しく胸を上下させ焦点の合わない目を開いて、とてものろのろと自分の身体を心臓を中心にかき抱くようにした。
身体がここまでいうことをきかなくなるのは初めてかもしれなかった。
前からキスをされると頭がかき乱され、ぼうっとしたものだが、今は胸がとても痛い――いや、痛いとは違うのかもしれない。
感情がその痛さ、熱さと入り混じっているように感じられた。
いや、もしかしたら、感情からこの疼きはきているのかもしれない。
全く回らない頭で朦朧とそうとだけ考え、は目の前の男に身体を差し出すことしかできなかった。
「……セブ……」
その声にはいつものらしくないものが多く含まれていて、セブルスは内心胸を跳ねさせた。
初めて聞く甘えるような響きがセブルスの耳を覆う。
「なんだ?」
「もう……好きにして」
それは、最初に彼女を組み敷いた時と同じ言葉だった。
彼女は「好きにしろ」と言い、こちらを突き放した。
セブルスは眉を僅かに寄せての目と視線を合わせた。
「――お前はどうして欲しい?」
全身の血がグラグラと沸騰したかのように感じ、胸を痛ませ、汗を滲ませるは縋るように言う。
「私を元に戻して」
手はセブルスの腕へと触れた。
一時の間があった。
「了解した」
その声は暗闇に響いた。
2010/12/25
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