それはグリフィンドール対レイブンクローのクィディッチの試合の、前の日だった。
は夕刻までフーチ先生と共に、ハリーに返されたファイアボルトの監視と、ハリーの警護をしていた。
しかし、真夜中――
29/奇妙な病気
は壁に手をついて、一歩一歩ゆっくりと足を進めていた。
その様子は明らかにおかしい。
身体はとても重そうで、いつも伸びている背骨が曲がっている。
また、荒い息が白く立ち上っている。
この時期のホグワーツ城は、まだまだ寒い。
不意に頭痛が起こり、顔を顰める。
「った……」
掠れて小さく呟かれた言葉は、思いの他に揺らぎのない空気に広がっていく。
の視界には床があったが、それも揺れて、滲んでいた。
ベッドの中でふと目覚めた時から、頭痛が止まらない。
発熱しているようだ。
身体はだるくて重くて、身体の節々が痛かった。
辛うじてマントだけは羽織り、何とかブーツを履いて、は医務室に向かおうとしていた。
隣はセブルスの部屋だが、彼は今夜はとても忙しい。
明日に授業の隙間を縫って、ロンドンへ学会へ飛ぶのだ。
地面が揺れて立っていられなくなって、は壁に一時身を預ける。
ゆっくりと体重を壁に寄せ、息を吐く。
暑い……。
手で顔の汗を拭いて、何となく自分の首元に手をやってみた。
血が大きく音を立てて流れている。
首は汗でじっとりと濡れている。
余程発熱しているらしい。
熱でぼうっとなった頭のまま、は壁から身を離して、歩き始めようとする。
一歩歩いたところでまた酷く地面が揺れる。
それに気持ち悪さを覚えながらも、次の瞬間に身体から平衡感覚が抜け落ちたように感じた。
身体が言うことをきかずに傾く。
手は縋るものを探すが、はその場にしゃがみ込んでしまう。
世界が回っている。
じっとりと肌に張り付いている服が気持ち悪い。
身体が重い。
もう、これ以上動けない――
身体の火照りを覚える。
しかし額には絶えず冷たい感覚があって、其処だけは心地良い。
しかし身体は変わらず軋む様に痛かったし、頭痛がそんなに治っているわけでもなかった。
真っ暗な視界だ。
何とか気を奮い立たせて、は瞼を上げようとする。
開けたばかりで焦点の合わない滲んだ視界が、少しずつクリアになっていく。
この天井は知っている。
そして眼球を動かすと、其処にもよく見慣れている男がいた。
「……セブ?」
声は思っているよりしゃがれていた。
セブルスは表情を少し緩めて、カーテンの向こうへ何かを呼びかけている。
はその間に本能的に、自分の身体を探っていた。
腰と、大腿を。
「――杖は!?」
は咄嗟に身を起こす。
それが其処に確認されなかったからだ。
セブルスは呆気に取られた顔をしていたが、はっと正気を取り戻した。
「寝ろ」
「ぎゃっ……」
をベッドに押し付けてシーツを被せる。
その動作は病人を労わってか優しいものだったが、はそれに鈍い頭痛を覚え、顔を顰める。
「痛い……」
「今までずっと寝ていたのに、起きたらすぐにこれか? 心配して損をした」
セブルスはこれ見よがしに眉間に皺を寄せる。
病人相手なのだから、もっと労わって欲しい。
セブルスはベッドの隣にあるテーブルから、二本の杖を取り上げ、それをの目前に持って来る。
「此処に置いてある。良いな?」
「分かった」
はそれを目で捉えて、元の場所に置かれるのを確認した。
セブルスはの性はよくわきまえている。
彼女は職業病とも言える、被害妄想の気がある。
ベッドを区切ってあるカーテンが開いた。
「先生、具合はいかがですか?」
「あ、マダム……具合は良いとは言えませんけど、まあ、前より落ち着いてはいるかな……」
「そうですか……」
マダム・ポンフリーが現れる。
セブルスはマダムの場所を作るように、足を一歩動かした。
マダムはセブルスのいた場所に立って、じっとの様子を見る。
「お薬です。飲めますか?」
「はい」
はゆっくりと身を起こして、薬のグラスを受け取った。
は何ともなしにそれを喉に流し込む。
「……解熱剤ですか」
「今までも何度か打ったのですけど、あまり効き目がなくて。でもこれなら確実に効くはずです。
このままの体温でいたら、貴方がもたなくなるわ」
マダムは内心、こんな時まで舌で成分解析をするに嘆息していた。
そしてかなり苦いはずの薬を一息で飲んだに対して、流石だと思う。
そしてはたと、隣にいる男を見てみた。
彼は減らず口を叩きながらも、心配そうにを見ている。
はまたゆっくりとベッドに潜り込む。
「大丈夫です。こういうのは、数年に一度周期的にあって……数日ですっきり治ります」
「あなたの言葉が本当ならば、何かの疾患の因子があなたの身体にある、ということですね。
そういうことが度々あるのなら、一度施設の整った病院で調べてもらった方が良いと思いますが……」
「これ、治してから考えます」
「ええ、そうですね。それと、先生、スネイプ先生に感謝なさって下さい」
は気だるげに目線を上げる。
目がセブルスの姿を捉える。
マダムもセブルスの方を見やった。
「どうして我輩に声をかけなかった? 単身で廊下に倒れているなど、それを発見したこっちの身にもなってみろ」
「だって……貴方、とても忙しそうだったんだもの」
「そんな理由なのか?」
「そんな理由って……何よ!?」
マダムはとセブルスを交互に見て、はあと息を吐く。
そしてそのまま何も言わず、カーテンの向こうに出て行く。
しかし二人はそのことにも気付いてはいない。
「貴方がやってきたこと、邪魔したくなかったの!」
「しかし、物事には限度というものがあるだろう? 優先順位を――」
セブルスは言葉を言いかけて、口を噤んだ。
代わって肩を下ろし、をじっと見下ろした。
「こっちの身にもなってみろ。廊下に出てみたら、お前が倒れている。それも身体がとても熱い。どうなるかと思った」
には、セブルスの黒い瞳が重く感じられた。
は眉を下げる。
素直に言葉が出た。
「……ごめん」
「分かったのなら良い」
一言謝ってから、口を閉じる。
セブルスは改めて、横たわっているに視線を寄せる。
喋っていたら病人のようには思えないが、喋るのを止めたらは明らかに病人だった。
息は熱く、頬は高潮している。
汗が頬を伝って、眉は苦しそうに少し歪んでいる。
「ごめんね、世話かけて」
「お前が謝る道理はない」
は潤んだ目のままでほんの軽く微笑む。
「セブ、行って。時間が勿体無い」
「何処に?」
セブルスはの発した言葉に疑問を抱く。
は荒い息の下で、声を発していた。
しかしその目は、病人に似つかわしくない鋭さを持っていた。
「ロンドン。今まで私手伝ったんだから、下らないことしたら許さないわよ」
「――学会か」
「そう。今までの私の助力を泡にする気?」
強い声を、が頑張って搾り出している。
セブルスはその場にじっと立って、口を開いた。
「分かった。しかし、その間はお前も無理をしないことを約束しろ」
「約束する」
「……契約成立だな」
はにっと笑った。
そして続いて口を開いた。
目は、からりと晴れている窓の外へ向かっている。
「校長とか……このことについて、連絡はしてくれた?」
「ああ、問題ない。――ポッターにも伝わっているはずだ」
セブルスは苦々しげにその名を言う。
はそういうセブルスに微笑ましく思った。
今日はクィディッチの試合で、は吸魂鬼を持ち場から動かさないよう、見張る役目を負っていた。
この前のハリーの箒から落下した事故の対策だ。
しかし今、それが自分の身で行えるとは到底思ってない。
「うん、じゃ、行って」
セブルスは最後に軽くの頬へ口付けてから、ベッドに背を向け、歩き始める。
最後にちらりとの方を振り返ってから、セブルスはカーテンを閉めて立ち去った。
「お手柄ですね、先生。お陰で酷くならない内に治療が出来ました。
ご心配なさらずに。彼女は抵抗力がありますし、きっとすぐに治るでしょう」
「頼みます。彼女は無茶をする傾向があるので、ちゃんと治療を受けさせて下さい」
「勿論です」
マダムはカルテを書く手を休め、セブルスを見上げる。
「で? 彼女は昨日までに何か異変はありましたか?」
「いえ、特に……」
セブルスは記憶を探って考え込む。
マダムはそれを見つめる。
ふいにセブルスはその視線に疑問を持つ。
何らかの他意を感じる。
マダムは机の上で肘をついて、頬に手を添えた。
「で、彼女とはどうなの?」
「どういう意味です?」
「そのままの意味です。
夜中にあなたが珍しく焦ってを担いで来て、更にさっきの貴方達のやり取りを見て、気付かないほど鈍感ではありません」
マダムは視線を奥のがいるベッドへやり、そしてセブルスへ戻す。
セブルスは表情を変えずにいたが、マダムの様子を見てその弁解は出来ないと判断し、マダムの前の椅子に座った。
このことについて話す必要がある。
「正直意外でしたが、案外納得も出来ますね。まあ、生徒へ悪影響がなかったら、別に私はどうこう言う気はないですけど」
「他言して欲しくないのですが……」
「どうして?」
「彼女が嫌がっているんです」
「そうなんですか。いえ、そうでしょうね……」
マダムはまたのいる方へちらりと視線をやってから、目の前のセブルスと向かい合った。
表情は至っていつもと変わりなく、冷静だ。
「あなた達の愛の遍歴には興味はありますけど、まさかあなたがそれを語ってくれるとは思っていませんとも。
だから、私が言いたいことは一つだけです」
「何ですか?」
「あなた、彼女のブレーキになるつもりなんでしょうね?」
「……可能な限りは」
「可能な限り、じゃなくて、はっきりとイエスと言いなさい、イエスと」
マダムは息を吐いて足を組んだ。
細い目でセブルスを見る。
彼は学生時代から変わってない。
セブルスはセブルスで、尋問されているような状況に酷く胸騒ぎがしていた。
「彼女には、あなたの言っている通り、無茶をする傾向があります。
聖マンゴからの知り合いからも、数々の彼女の悪行――いえ、無茶をした話を聞いています。
無茶をする女性の話は多く聞きますけど、の場合は、男性以上に何でもやり遂げてしまうのがまずいですね。
そうなるとブレーキの役割をしてくれる存在が必要になります」
「――その通りですね」
セブルスは今まで自分が確かにブレーキになってきたことを、思い出していた。
何度彼女の無茶を止めたことだろう。
「そうでしょう? なら、あなた、どうします?」
「今までもブレーキになっていたのを思い出しました。
これからもきっと、そうなるでしょう。そうしないと、こっちもハラハラさせられます」
マダムはふうん、とセブルスを見る。
「じゃあこれからも? ずっと?」
「それは……」
セブルスは押し黙った。
だから男らしくない男だ、とマダムは思う。
今まで彼が何をしてきているのかは自分には分からないけれど、恋人を放るのは良くない。
には女性同士として、共通するものが存在している。
「まあ良いでしょう。あなたもこれからやるべきことがあるのでしょう? 行って下さい」
「……有り難う御座います」
セブルスは立ち上がって、軽く頭を下げた。
そして医務室から出て行く。
マダムはそれを見送ってから立ち上がり、白衣を払う。
セブルスの心配を緩和しなくては。
マダムは、あの手がかかる患者の元へ歩いて行った。
セブルスは医務室を出て、息を吐いた。
安堵の溜息だ。
あれ以上の言及をされたら、とても苦しいことになっていた。
セブルスはさっきのマダムの言及の内容を思い返し、胸がざわついたが、それを気にしないことにして廊下を歩いていった。
とにかくは、の言ったことを遂行しよう。
彼女との約束を破るわけにはいかない。
「先生!」
カーテンが勢いよく開く。
ウィーズリーの双子である。
この二人は試合後、が医務室でダウンしているということを聞きつけて、からかいがてらにお見舞いに来た。
あの病気のしなさそうな先生がダウンしているだなんて、こんな機会は滅多にない。
カーテンを開くと窓から光が漏れて、の姿のシルエットを映し出した。
それはベッドから身体を起こして、二人の方を見ている。
「おめでとう。クィディッチで勝ったのよね?」
「……何だ、病気だって聞いていたからもっとぐったりしてるかと思ってたのに」
「ごめんね、元気そうで」
はいつもと変わらない笑顔をフレッドとジョージに向けていた。
クィディッチの試合の結果は、既に聞いていた。
双子は肩を落としてしょんぼりとした動作で、のベッドの周りへ歩み寄る。
「つまんないなあ。もっと隙を見せて欲しいのに」
「なあ? いつだって余裕そうな笑顔見せてさ」
「だから、ごめんねえ。もう熱下がっちゃってさ。
解熱剤が効いたんだと思うんだけど……って、貴方達お見舞いに来てくれたのなら、私が回復していることに喜んでよ」
明らかに落胆の動作をしている双子に、は苦笑を漏らす。
「で、特に大事は何もなかったのよね?」
「大丈夫だったぜ。この前みたいなことはなかった……」
「じゃあ良かった」
は混じり気のない笑顔を見せた。
フレッドとジョージはそれを見て、彼女はこういうことに喜ぶのだ、と思う。
お見舞いにハニーデュークスで買ってきた菓子なんかで、彼女が喜ぶのか、二人は顔を見合わせた。
彼らは後ろ手にその袋を持っていた。
「それじゃ、そのお菓子いただくわ。たまにそういうものを食べるのも、楽しそう」
フレッドとジョージは嬉々として袋をに渡した。
手の平にその袋を乗せる……やっぱり、この袋はホグズミードのハニーデュークス店のものだ。
しかも触れてみると、包装されて間もないようだ。
――どうやってこれを手に入れたんだろう?
揚々と立ち去っていく二人にこの疑問はぶつけられなかった。
そうなると、その疑問を解決させる手段はなくなってしまう。
昼から熱は下がったまま、上がることはなかったので、マダムから夜は私室で寝ても良いという許可がもらえた。
マダムはの回復力に驚きつつ、呆れていた。
それにどうやらクィディッチの時に騒ぎで怪我をした生徒がいたらしく、は自分の部屋で寝た方が良いという判断だった。
セブルスは明日まで帰って来ない。
2008/3/22
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