34/月光下の白い魔女
クルックシャンクスが先導で、その後にリーマスとロンがペティグリューと鎖で繋がっている。
その後ろでが杖を構えており、そのまた後ろでブラックがセブルスを杖で宙に浮かせていた。
ハリーとハーマイオニーが一番最後にいる。
は後ろでセブルスの頭がガンガンと天井に当たっているのを、半笑いで見た。
「、あれで良いの?」
「え?」
リーマスはの耳元で言った。
リーマスは、目でセブルスを指している。
ああ、とは納得した。
「自業自得よね」
リーマスはセブルスに同情するような顔をして、から離れた。
クルックシャンクスが暴れ柳の瘤を押さえて、一行は全員外に出た。
校庭は真っ暗だった。
足元に草の感覚がして、冷たく清清しい空気が肌に弾ける。
遠くに見えるホグワーツ城が薄っすらとした光で包まれていた。
あそこに向かわなければ。
一行は無言で皆歩いた。
はペティグリューから目を離さなかった。
――この時、は一つ、大切なことを忘れていた――
聞こえるのはぺティグリューの小動物めいた息遣い、そして泣き声だけだった。
風すら吹いていない。
窓の明かりが少しずつ大きくなってくる……城が近くなってきた……。
は草の臭いが鼻をついて、ふと気を緩めた。
その時、目の前で光が広がってくる。
あ……。
月の光が雲の間から差し込んできていた。
今夜は、満月だ。
それが草の地面を金色に染める。
はそれを見て、敏感に反応した。
「リーマス! 脱狼薬!」
目の前のリーマスの驚いた顔が、最後だった。
リーマスは急に立ち止まり、硬直した。
彼の姿へ月の光が差していく……。
はまず、リーマスと、ロンとペティグリューが繋がっていた鎖を杖で捻じ切った。
ロンとペティグリューをリーマスから切り離す。
そうすると、目の前のリーマスに向き直る。
満月は無情にも姿を完全に現した。
その光が一行に降りかかる。
は一つ舌打ちをした。
リーマスは唸り声を上げ、全身の姿を変え始めた。
背中は奇妙に盛り上がり、身体中から毛が生え始める。
丸くなった手から鉤爪が生え始める。
狼はバキバキと牙を鳴らしながら立ち上がった。
月に照らされたその光景は、ある意味恐ろしく、ある意味美しかった。
後ろの方でブラックが、逃げろ、と子供達に言っている。
「退け!」
ブラックはにそう言い、熊のように大きな黒犬に変身して狼に飛びかかった。
狼は目線をへ向けていた。
人間の肉を望んでいるのだ。
狼は牙を剥き、へ飛びかかる。
黒犬はそれを防ごうとするが、間に合わない。
「Stupefy!」
は呪文を唱え、杖を振った。
強い失神の呪文で狼は空中で一瞬固まった。
そしてもう一度杖を振る。
狼が完全に痺れると同時、黒犬は狼の首に食らいつき、から遠ざける。
二匹は牙と鉤爪で組み合い、お互い傷付け合う。
「ブラック、任せた!」
はそう言って振り返りもせずに、ハリーらの元へ行く。
するとハリーが大声を上げた。
「あいつが逃げた! ペティグリューが変身した!」
は目で、ロンが倒れているのを確認した。
鼠の尻尾が手錠の穴をかいくぐり、草むらの中へ逃げていく。
ブラックはハリーの声に応じて、足音を響かせて校庭を走る。
は――鼠を追っていきそうになる足を、留めた。
は地面に膝を着き、杖をロンへ当てた。
ロンは半目で口をダラリと開けている……大丈夫だ、死にはしない。
「医務室へ連れて行って。それと、セブルスも頼むわ。
クルックシャンクス、という名前だったわね、その猫が向こうに倒れてる。助けてあげて」
早口では言う。
手はテキパキと動いていたが、表情に余裕はなかった。
治療を終えては立ち上がり、杖を腰へ収めた。
そして目線を森の方へやりながら、ローブの裾に足の方から手を入れる。
其処から黒い、小柄な杖が現れた。
は、それを手に掴み、目線を子供達へやる。
「貴方の言った、鼠を追え、という言葉に従うわ」
は黒いマントを翻し、子供達に後ろを向いて駆け出した。
ハリーは疑問符を飛ばした。
どういう意味だ?
此処で鼠を追うのは簡単だった。
こんな独特の気配、見逃すことはないのだ。
的が小さくすばしっこいので、は呪文を放たない。
ひたすら草を掻き分けて走る鼠を、追う。
目の前に大きな森がある。
この中に隠れる気か――森の中に入られてしまったら、暗がりの中で、更に沢山の気配に紛れ、見付けることが出来なくなるかもしれない。
早く捕まえなくては……!
視界の端で、遠くに見えていた木の幹が近付いてくる。
森の始まりを告げる、森の一番外側にある木の幹の間を潜る。
鬱蒼とした葉っぱが月の光を遮り、幾分も暗くなってしまう。
地面には切り絵のような光の筋が現れた。
鼠が光の筋を通る様は、鼠が光のゲートを越えていくようだ。
まずい。
は、少し重さを感じ始めた足を奮い立たせる。
そして同時に杖を持つ手にも、力を込めた……一発で決めてやる。
緑の匂いがする空気を吸い、杖を大きく振る。
それは見事に鼠に命中した。
鼠が尻尾をくるりと丸めてコロリと転がり、は走りを緩める。
そして立ち止まる。
はそれを手に取ろうと、腕を伸ばし身体を屈めた。
しかし掴めなかった。
手の平にはカスリと風の感触がした。
小動物の感触がするはずだった手が、空気を掴む――は眉を寄せ、睨んで、顔を上げた。
小さな鼠が、黒い外套のポケットに収められようとしていた。
鼠は白く細い指によって掴まれていた。
指の先の、真っ赤な爪が目に焼き付く。
この感覚、紛うはずない。
「惜しい。詰めが甘かったな」
はここ最近見せたことのない表情をしていた。
それは、十数年前にが頻繁にしていたもの……は身体を起こし、杖をぎゅっと握り締めた。
握り締めた手には、汗がじっとりと滲み出している。
「久し振りだ、。師匠殿は元気か?」
「ええ。お陰様で」
目は既に闇に慣れていた。
此処は木の幹に囲まれている小さな広場だった。
サワサワと音を立てる葉は、月の光で薄っすらと緑色に見える。
血のような赤い唇が半月を描いた。
黒いフードで顔が半分覆われている。
フードとスラリとした頬の輪郭の間から、溢れんばかりの金髪が月に照らされて、光っていた。
フードの中の目は、を余す所なく見据えているようだ。
「あのお嬢さんが、見違えたな」
「それは有り難う」
益々赤い唇が弧を描く。
それにおおよその魔法使いなら、ゾクリと背を震わすだろう。
だって動揺していないわけではない。
彼女と会うのは、十二年振りだ。
「貴方は、変わっていないようね」
黒い外套を着た人物は、やっとそのフードを、黒い布で包まれた腕で脱ぎ去った。
ゆったりとした生地は緩い風を立てて、外套の背中に落ちた。
澄んだ青色の玉がを見つめた。
輝かんばかりの艶やかな金髪が、緩やかにウェーブして肩に乗っている。
赤い化粧が施された唇と爪が、彼女の美しさを際立たせる。
しかし切れ長の瞳は、鋭い。
彼女の背はより高く、ゆったりとその場に立っている。
黒い外套の隙間からは、白いローブが垣間見れた。
・――死喰い人だ。
は色彩のない髪と目で、彼女と対峙していた。
は、はっと気付き、眉を寄せる。
此処に彼女がいる、そう考えれば、不可思議なことの様々な説明が出来るのだ。
「貴方が、私の振りをしてシリウス・ブラックを追い立てたの?」
「確かに、それは私だ。ブラックの愚かな長男坊は、いとも簡単にお前に噛み付いてくれたよ」
「あの時私の身体の調子が悪かったことを、どうやって知ったの?」
「うん? 何の話だ?」
「どうやって知ったの?」
はにやにやと笑って、答えようとしない。
彼女が今までの本当の内幕だったのだ。
「今日、私の感覚を鈍らせたのも貴方ね。何のためにホグワーツにいるの?」
「何のため、と言われると――現在劣勢下の闇の帝王の配下では、私しか動けるものがいないものでな。
世間の状況を探るためだ。それに、このホグワーツに……」
は自らのポケットを指した。
「愚かなかつて同輩がいることを知ってな。このような輩も、手駒になることは可能だ。
こんな奴も手数に入れたいほどに、今闇の帝王は困窮している」
「ヴォルデモート卿は壮健とは言えないようね」
「ああ……申し訳ないが、この鼠は我々が頂く」
「ブラックの長男坊に罪を被せて?」
「ああ」
の微笑みと共に、も唇の端だけで微笑んだ。
「そうはさせないわ。鼠は返してもらう」
はの強気な発言に、眉を上げた。
そしてじっとを見つめる。
「随分な自信だ。腕は上がったのか?」
「十数年前よりかはね」
「そうか」
は麗しい金髪を掻き分け、黒い外套を割る。
すると中から、彼女の好む白いローブが現れた。
「では、腕試しといくかな? まあ、私にはお前は腕が上がっているようには見えないが……」
「――時間が止まっている貴方に、そう言われたくはないわ」
はそう言いながらも、冷や汗がじっとりと額を濡らすのを止められなかった。
心臓がバクバクと大きく鼓動している。
は杖を握り締めた。
は余裕綽々な表情でゆったりと杖を取り出した。
睨み付けてくるの視線を、悠々と受け止めている。
細い指に杖が絡み取られる。
――最後に杖を交わした時も、実力の差は歴然としていた。
でも、今は……!
光が大きく炸裂した。
双方から打って出た魔法が真ん中でぶつかり、ジュウと草を焼いた。
は無言でが次に打ってくる手を見る。
が放った魔法をまた容易く受け止め、光が弾ける。
次にがの放った緑の光線を防御すると、大きな音が立った。
鼓膜にビン、と響くような爆発音。
その間に、がの後ろに回って杖を振るったのを、は簡単に受け止めて、呪文を唱える。
それは歌のように軽やかな呪文だった。
金色の光の閃光が走る。
は早口で低く、さっきののものとは異質である呪文を唱えて、回避する。
前以上の爆発音が鳴って、風が木を大きく揺らした。
葉が枝から取れて、空へ飛んでいく――の髪が風を受けて靡く。
「相変わらず、闇魔法だけは達者なようだ」
「貴方こそ、相変わらず光魔法がうまい」
は呆れたように言い、は普通の顔でそう言い放った。
お互い、属している陣営と魔力の質が逆なのは、周知の事実だった。
「しかし、お前の実力はそんなものか」
は呆れ口調のままだ。
「お前がまだ手を抜いているのは、分かっているつもりだ。
しかし――失望したな。まだ、以前の方が良い位だ。腕が鈍っている……何だ、楽しませてくれると期待して損した」
はそれで思い切り眉を寄せた。
「手加減は止めようか」
鋭い刃のような風が、杖を振る間もなしにに叩き付けられた。
はもろにそれを浴びて、立ったままマントが切り裂かれる。
は黙ったまま、杖を軽く振ったのみだ。
は肩から腹にかけての傷と流れる血を感じながら、足に力を入れる。
また魔法が放たれる。
防ごうと杖を振るう。
それは確かに防げたものの、次の瞬間にまた目に見えないような速さの光の閃光がやって来て、防ぎ切れずに胸に閃光が当たる。
ドッという気味の悪い音。
ゲホッと喉から身体の空気が吐き出される。
身体の神経が一瞬痺れ、胸が膿んだような痛み。
――これじゃあ十二年前と同じじゃないか……!
は顔を上げて、大きく杖を振って呪文を唱える。
はそれをかわしながら魔法を放って、を撹乱させようとする。
しかしはまたそれを防ぎ、呪文を唱えた。
は困ったように二つの鋭い魔法を見て、杖を上げる。
呆気なくそれは掻き消えた。
――ガンッ!
次の瞬間は吹っ飛ばされて、背中をしたたか木にぶつけた。
は面倒臭げに杖を振るっていた。
杖をこっちにスラリと構えている。
彼女は無言だったけれども、に杖を振ることによって鋭い目は益々鋭さを増して、口元は笑っていた。
「相変わらず、逃げるのだけはまあまあだな。しかし――」
は、杖を円を描くように滑らかに動かした。
ブスリ
ナイフが腹を貫いたような感覚……恐らくこれは感覚のみで、傷付けられてはいまい。
磔の呪文の応用のものだろう。
そして、また違うナイフによって身体を本当に傷付けられ、温い血が噴出したのが分かった。
無詠唱でこんな魔法をするなんて――
「――十二年前から今まで、落ちぶれたヴォルデモート卿の側にずっと従っている私が、魔法省でのうのうとしていたお前に負けると思うか?」
身体が崩れて、膝に硬い土を感じる。
黒い髪が目の前を遮る。
そうしている時も身体を切られる痛みがする。
腹の痛みは全くそのままだ。
気管を通る空気が、不規則になる。
「?」
その言葉に、は再度目を上げる。
どんな目で私は彼女を睨んでいるんだろう。
「くそっ……!」
立ち上がる。
身体なんか構わない。
ゆったりと立っている彼女に、負けたくない。
言葉にし難い感情が込み上げる。
呪文を半ば叫ぶように唱え、それがを掠るのが見えると、また続けて相乗効果のある攻撃魔法を唱える。
いつものように放つことが出来たのに、それも容易く受け止められる。
また反撃しようとすると、よく効き慣れた赤い光の失神呪文が炸裂する。
痺れる身体。
「――ああ――あっちの湖の方で、何かが見える。吸魂鬼か?」
もちらりとそっちへ視線を向けた。
血でへばり付いた髪を除け、やっとそれに気付いた――ハリー?
彼が……守護霊で抵抗している?
「シリウス・ブラックがキスされそうになっているようだ……それを止めようとしているのは、ハリー・ポッター?」
ハリーが二人いる。
現在と、未来のハリーだ。
「助けに行ってやりたいものだろう? でもそれも無理な話だ……この状況では、な、?」
は楽しげだった。
しかし、ハリー・ポッターと言った時の彼女の目に、強いものが含まれているのを感じた。
彼女がずっとヴォルデモートに従っているのなら、それも当然だろう。
彼女はわざと、私を苛立たせるような言葉を吐いている。
バチッ!
の身体が弾かれる。
反動で身体から体液が流れ出るのが分かる。
光の下にいたら、どんなに赤い身体をしているのだろう。
身体中に鋭い痛みがある。
は咳き込んで苦しそうに胸を押さえるが――途中で止めて、を睨みながら立ち上がる。
の意識は遠くに向かっていた。
湖の方で、ハリーがパトローナスを呼び出している、完璧なそれを……。
大丈夫だ。
私が心配するようなことは、全くない。
は遠くへの意識を消し、間髪を入れずに反撃しようとする。
とっくにの手は血で汚れ、杖もまた血で黒ずんでいた。
2008/8/6
next
top