37/リーマス・ルーピン去る














まさか、今の状態の私が、野生化した人狼に適うとは思ってない。

様々な気配がする森の中から人狼の気配を探すことは、そこそこの時間を要した。
まず、森が広過ぎるのだ。
狼に間合いを詰めることが出来る頃には、満月は色を薄め、地平線へと近付いていた。

絶好のタイミングを探す。

神経は張り詰めたままだ。
音を立てずに狼に近付く……人間の臭いが向こうに伝わらないだろうという所まで、は近寄った。

は黒い小柄な杖を左手でぎゅっと握り締め、狼を見て、月を見る。
草木の臭いがする、それと血と肉の臭い。

は空を見上げてチャンスを見逃すまいとする。
じっと、待った。
半分、月が沈み掛けてくる……でもまだだ……。


――月が完全に雲に隠れた!


真っ暗な中、は飛び出し、狼の身体に魔法を命中させた。


の身体に、苦しんでいる狼の足掻きの爪が、避けられずに二本当たる。
しかし、はじっと、目の前で狼が人間へと変わる様子を見つめた。

影が小さくなる――小さくなる――

僅かな光の中、獰猛な獣が人間へ変わっていく。
もう一度月が彼を照らした時、彼は完全に一人の魔法使いへと戻って、地面に倒れていた。

やっとは杖を持つ手を緩める。

良かった、異形戻しの術がうまく効いた……。


は軽く杖を振る。
リーマスの身体に衣服が巻きついた。

そしてはリーマスの元へ歩み、膝を着く。
蘇生の呪文を唱えようとした時、リーマスが目を開いた。

リーマスの目がを捉える。
そして、もその目を受け止めた。


……」


リーマスは膝を立てて、立ち上がる。

身体に傷はついている、しかしそれほど悪い所はないらしい。
リーマスはげっそりとした青い顔をへと向ける。
しかしは、立ち上がらなかった。


「満月が落ちる前に変化を解いたから、来月はきついかもしれないわ」

「有り難う」


リーマスは微笑んだ。
その微笑みは、儚げに見える。

リーマスは立とうとしないを見て、また地面へ座った。


「……まさか、僕に噛まれていないよね?」

「勿論よ」


しかしは無表情だ。
そして、肩が大きく上下している。

リーマスは、の尋常ではない包帯の巻かれ方を見ていた。
治療がしてある、ということは自分がつけた傷ではない――


「リーマス」

「何だい?」

「馬鹿なこと、しないでよ」

「……」


は初めて表情を変える。
目が、強くリーマスを捉える。


「私も、油断してた。貴方は悪くない……と、私は思ってる」

「有り難う、

「やめて、そんな言い方。約束して。馬鹿なことはしないって」

、すまない。それは約束出来ないよ」


は眉を寄せた。
リーマスの目は、断固たる意思を持っていた。
は地面に落ちていた手で、無意識に土を握る。

爪の間に土が入る。


「ブラックは逃げたわ。無実は証明出来ていないけれど……これから、どうにでもなる。だからリーマス、自棄にならないで」


リーマスは驚いて目を広げた。
シリウスが逃げたって?
しかし、の言っている言葉は嘘だとは思えない。

の目は真に迫るものだったけれど、リーマスの方が強かった。


「僕は元々、自棄になっていないよ」

「……」


は口をぎゅっと閉じた。


「ごめんね、


は地面にうずくまって、じっと地面を見つめていた。
黒いマントが無防備に地面に投げ出されている。

の項が下にガクリと落ちて、リーマスはそれを支えた。
リーマスがを見てみると、は目を瞑っていて――

リーマスはの呼吸と脈を確かめた。
しかし、それはどちらとも正常だ。
むしろ、の呼吸はさっきよりも規則正しい。

の緩んだ手に持たれていた杖が手から離れて、小さく転がった。
リーマスはそれを手に持つ。
そして、のベルトに挟む。


「寝ている、のか……」


丈夫なへ、初めてリーマスは苦笑を漏らした。
自分の腕の中で、細身の身体が規則正しく寝息を立てている。

彼女を運ばないと……。


リーマスはへ感謝を覚えた。
しかし彼女の思いに、応えることは出来ない。

そう、前に決めていた。










*











身体がとても重い――頭も、腕も、足も――心臓さえ鉛のようだ。

しかし段々と、身体に血を通わせる脈の音が鮮明になってきた。
手、指先、首筋が生きている。

重い瞼を思い切って開けると、一瞬の内に光が目の中に入ってきた。
の瞳孔が光を遮ってキュッと狭まる。

しかし、目はまだトロリとしていて、天井が完全な四角になるまで時間がかかった。
ぼんやりとさっきまでのことを思い出している……。
声帯が掠れる。


「……そうだ……全部、うまくいった……?」

「お早いお目覚めですね」


言葉が来るとは思わず、驚いてその言葉の主を見る。
――マダム・ポンフリーが其処にいた。

ベッドには、昼間の高い日が煌々と日差しを差している。


「こんなに早く起きられるとは、思ってもいませんでしたよ。では、睡眠薬でも注射して……」

「って、本当に注射器持ってるんですか!」

「大声を上げないで下さい。それに、私が注射器を持っていて何が悪いんですか?」

「え……ちょ……っと、眠る前にちょっと質問させて下さい!」


は慌てて、マダムの手を止める。
このまま眠るわけにはいかない!


、あなた、私の治療を受けると昨晩約束しましたよね?」

「しました! だからちゃんと治療受けるので……質問させて下さい。ロン――子供達は、無事ですか?」

「ええ。さっき退院しましたよ。あなたより随分と軽症でしたから。では……」

「待って!」


はマダムの手を止めるような仕草をして、懇願する。
注射はとても太かった。
こんなものを注射されたら、何日目を覚まさないか知れない。


「リーマスは……?」


マダムは黙った。
の顔は真剣で、じっとマダムの目を見つめている。


「ルーピン先生は、今朝一番に辞職なさいました。スネイプ先生が、朝食の席で彼が人狼だと漏らしてしまわれて……」


マダムはこの言葉を言おうかどうか、迷っていたのだ。
そう言ったら、次にがどういう行動を取ろうとするのか、目に見えていたからだ。
しかし嘘を吐くことは出来ない……あんなに真剣な顔をされて。

は眉を寄せて、暫し考えに耽っている様子だった。
するとはまたマダムへ視線を上げる。


「今頃、校門におられるでしょうね」


の何かを言いたげだった口は、マダムの言葉によって閉じられた。
そしてマダムへ少し驚いた視線を送る。


「行って……良いんですか?」

「これまでの経験で分かっています。あなたは、そうせずには、いられないんでしょう?」


それに、少し外へ行っただけで彼女の病状が悪くなる、というわけではない。
今のは、外へ飛び出したくて仕方がない鳥のようだった。

マダムは、をほとんど睨みつけるような視線で、見た。


「用が済んだらすぐに戻って来なさい」

「本当に――感謝します」


はベッドから飛び出す。
立ち上がったは、いつものマントを身に着けていた。

そして一直線で医務室を出て行ってしまう。

マダムはの黒い後姿を見送り、さっきまで彼女が寝ていたベッドを整えた。
ここまで世話の焼ける患者を、今まで診たことがあっただろうか?















は半ば走るように門へと歩いて行く。
生徒はとても少ない。
そうか、今日はホグズミードの日だった。

たまにいる生徒は、の姿を驚きの目で見つめた。
明らかに大怪我をしているのだ。

しかしはその視線に軽く応え、トントンと軽く階段を下りて行く……。

すると玄関ホールに、見慣れた男の姿を見つけた。


「セブルス!」


彼は窓側に佇んでいた。
そして外を見つめている。
しかしその顔は、機嫌が良さそうだと言えそうなものではない。

がその窓を覗いて見ると、窓の左側にはハリーとロンとハーマイオニーの姿があった。
そして、遠くには校門へ歩いて行くリーマスの姿が。

セブルスは驚いた顔でに振り返った。


? どうして此処に……」

「来て!」


はセブルスの腕を掴み、引き摺って行く。
セブルスは、の今朝の死んだように眠っていた様子を見ていたので、そのの気力に驚いた。
そしてそのまま素直に校門へ連れて行かれる。















「リーマス!」


は大声で呼びかけた。
すると目の前にいた男の影が止まり、へ振り向く。

その顔は小さく微笑んでいた。


……来てくれたんだ」

「ええ。この人も連れて来たわ」


この人、とは視線でセブルスを指す。
セブルスはじっとりとリーマスを見ている。


「身体は? まさか、もう大丈夫っていうわけじゃないだろう? なのに……」

「見送りに来たの」


はリーマスの言葉を遮る。


「そうか、セブルスも見送りに来てくれたんだ。有難う」


リーマスは、とセブルスに対して微笑んだ。
はそれに微笑んで返したが、やはりセブルスは何も動かない。
に握られているマントの裾だけが、彼を此処に繋ぎ止めていた。

校門から、爽やかな風が吹きつける。


「やっぱり……そうするのね」

「ああ。には、そう言っておいたつもりだったんだけど」

「ええ、そうだったわ。でも――セブルス、謝ってよ」

「どうして我輩が謝らねばならん?」


セブルスは腕を組み、本当に嫌そうな顔をしていた。


「セブルスが正論だよ。それにセブルスがそう言わなくても、僕は元々自分で辞職するつもりだった」

「リーマス――」


は眉を寄せ、じっとリーマスの目を見つめる。
の目は憂いを含んでいた。


「人狼の人々は、やっぱり、そこまでしなくちゃいけないの?」

「どの親も、人狼に自分の子供を教えて欲しい、とは思っていないよ。
 それに僕は昨晩してはならないことをした――自我を忘れて森の中を走り回っていただなんて。
 セブルスがそれに怒るのも当然だ」


それもないとは言えないけれど、セブルスにとってはそれよりも私怨の方が強かったに違いない。
はそう思った。
そして、または、リーマスに自分がサポート出来なかったことを謝ろうとしたが、リーマスの顔を見て口をぎゅっと閉めた。

彼はそんなことは望んでいない。
感情の伴わない義務にかられて口が勝手に話し出すのを、リーマスの哀しげな顔を見て、やっとのことで止めたのだ。

人狼に対する世間の目は、知っていた。
いや、知っているつもりだった。
分かっていると思っていたけれど。

リーマスを目の前にして、今まで感じたことのなかった感情が心に満ちる。
私は全てを知っている、と一年前の私は何の理由もなく信じていた。


、僕に傷を付けられなかった?」

「全然よ」

「本当?」

「本当」


リーマスはそれを確かめるように、の肩を持った。
リーマスの顔には、まだ若いのに皺が寄っている。
今は、特にだ。


「……良かった。君に傷を付けたくはなかったからね」


は微笑んで応える。
セブルスは、渋い顔をしている。


「……大丈夫なの? 生活していける?」

に心配してもらうようなことはないよ。今までの生活に戻るだけだ。
 じゃあ――本当に有難う、、セブルス。もう馬車が来てるよ」


既に校門には馬車が着いていた。
はその言葉に頷いて応えて、セブルスは僅かにそっちに視線を送った。


「また、会いましょ、リーマス」

「ああ」


リーマスはの肩をもう一度、緩く掴み直す。
そして自らの方へ少しだけ歩んで、の頬に軽くキスする。

は少し驚く。
しかし次の瞬間、身体は強く後ろに引かれていた。
それに従わざるを得ない。

腕を強く掴まれている感覚がする。


「嫌だなあ、挨拶だよ、セブルス」

「早く此処から立ち去れ、ルーピン」

「そうするつもりだよ。じゃあ、二人とも仲良くね」


リーマスは軽く手を振って、道を下っていく。
古いつぎはぎの旅行用ローブが靡いていた。

多分、頭の上の人は激しくリーマスを睨んでる。


「……セブルス……離して」


離してくれない手に、は言う。
動けないじゃないか。


「ねえ、いい加減にしてよ」


はセブルスへ顔を上げる。
視線が合う。
昨晩から、まともに視線を合わせてなかった。

の心の中で軽い苛立ちが巣食っていた。


「校長の計らいと言動を見て、貴方も本当は分かってるんでしょ? 意地でそう言わないだけで……」


その言葉の響きが消えると共に、セブルスはプイと視線を逸らした。
そしてスタスタと歩き始める。
は眉を上げる。


「ねえ! 本当は、貴方分かってるんでしょ、ブラックについて……昨日のことについて! 私が嘘を吐いていると思っているの?」


腕はまだ握られたままだ。
はセブルスに引き摺られる。

何も言わないセブルスにはぎゅっと唇を噛み、眉を上げる。


「それに、どうしてわざわざ今朝にリーマスのことを言ったの?」

「それについては、我輩がそうしたことは正論だったとルーピンが言っただろう」

「でも……貴方の悪意が感じられるのは、私の検討違いなのかしら? それにやっぱり、どうして今それを……」

「何か問題でもあるのか?」


セブルスはの方を振り向き、足を止める。
また二人の目がかち合う。
しかしは嫌味に一言。


「後々貴方も知る所になるでしょ」


セブルスは露骨に眉を顰めるが、口を噤んだ。
そしての腕を引いて足を進める。

はちらりと、校庭に座っているハリーとロンとハーマイオニーを見た。

二人は玄関ホールへと足を進める。

するとセブルスは足を止めた。
それに従って、も足を止め、セブルスを見上げる。

は、自分の頬に手が当てられるのに抵抗をしなかった。


「ルーピンと離れてから――息が上がってきているな。それに……」


セブルスは指での額や頬に浮かんでいる汗を拭いた。


「その冷や汗は何だ?」


は音を立てて息を吐き、肩をすとんと落とした。
貴方には、負ける。

はセブルスを引っ張って、壁の方へ連れて行く。
そしては壁へ凭れかかった。
腕はセブルスのマントへ、抱きつくように腕を回す。

目を瞑る。

ハアハアという荒い呼吸音が誰もいないホールに響く。
セブルスはの上下する肩と背をゆっくりとさすり、苦痛を和らげようとする。

そうしているとが身を起こすように動いたので、セブルスは彼女の体重を自分へやった。
そしての身体を立たせる。


「辛いか?」

「ちょっとだけ……」


は自分の足で歩き始めた。
ちょっとだけ、なんてはずはない。

セブルスはの負担を出来るだけなくすように肩を貸して、二人は医務室へ向かった。

はベッドに着くと、途端に深く眠り始めた。



























2008/8/15






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