38/平穏への思い
は数日間こんこんと眠り続けた。
そして、マダムも驚くほどの回復力で、は蛇の毒に打ち勝った。
しかしその後も、は一生の中でこれほど真面目に治療に専念したことはないというほどに、大人しくベッドにいた。
マダムと約束していたのだ。
「それでは、これであなたを病棟から出すことにします。この後も毎日此処に来て下さい」
「はい」
マダムはカルテを書いている。
はその隣の椅子に座って、包帯の少なくなった身体でいつもの服装をしている。
包帯の取れた所にも薄い傷跡が残っていたが、それもきっと消えるだろう。
「それと、注意点としては、無理な魔法は右腕で行わないように。出来るだけ左腕でして下さい。
また、激しい全身運動は避けること。私が良いと言うまで、良いですね?」
「分かりました」
の右腕はまだ完全に痺れが取れていなかった。
しかし、日常生活にはあまり差し支えがない程度だ。
そうであるのに外見は前と変わらず案外ピンピンとした様子でいるに、マダムは目を寄せる。
「あなたにとっては、この怪我も日常茶飯事なのかもしれないけれど……」
「まあ、珍しいことじゃないですね」
「闇祓い、というものは皆こんなものなのかしら? あなたの師匠だって――」
「いえ、あの師匠と私はちょっと特殊な部類かも……」
は腕を組んで眉を寄せて、考えるように言った。
「そうでしょうね」
マダムは鼻息荒く言う。
は苦笑する。
この面倒を診てもらった数日、どれだけ小言を言われただろう。
は目線を自分の膝へ下げた。
マダムは変わらずカルテを書いていたが、は心の中で意を決する。
絶対に言っておかなければならないことが、あるのだ。
この数日、ずっと気になっていた。
「マダム、私の左腕はご覧になられましたよね?」
セブルスも、あんな時に、このことまで気が回ったはずがない。
マダムは絶対に目にしたはずだ。
私の左腕の闇の印を。
マダムは羽ペンを動かしながら、に少し目を上げる。
「ええ。貴方の全身に渡る傷は、酷いものだったわ」
「なら、貴方は――」
「私の役目は、貴方の怪我を治すことです。それ以上もそれ以下もありません」
「……でも……」
「貴方の長年に渡る傷は、酷いものだった。無茶ばかりしてきたのでしょう?」
マダムはカルテを書き終え、羽ペンをインク壷に立てた。
そして身体をの方向へ向け、何事もなかったような顔で言う。
「それで、話はそれだけですか?」
は目を瞬く。
そしてマダムの目をじっと見つめるけれど、マダムは何も返してこない。
は唇が笑みの形になるのを、止められなかった。
そして椅子から立ち上がる。
「本当に、有り難う御座います。マダムにはずっとお世話になって……」
「いいえ、それほどでも」
マダムも少し笑んで答えた。
「しかし、もう少し自分の身体を大切になさい、と私は貴方に忠告しておきたいですね」
「――はい」
はもはや苦い笑いしか出来なかった。
湖の側のキラキラとした芝生の上。
空は快晴で、空気はなんとも気持ちが良い。
湖の畔にあの三人組の姿があった。
「あーっ……終わった!」
はその隣に何気に座って、大きく伸びをした。
黄緑色の芝生に黒いマントが乗っている。
「貴方達もご苦労様。医務室に幽閉されてたから、なかなか貴方達に会えなかったのよね」
「そんなに酷い怪我をされたんですか?」
「まあね」
「先生がペティグリューにそんなにされるなんて……」
「あ、それ、違う」
ロンの言葉にが言う。
ハーマイオニーが、そう思っていたとばかりにに顔を向ける。
「やっぱり、何かあったんですよね、先生?」
「ええ」
は三人を見渡した。
やっぱり、彼らには真実を話しておく必要があると思う。
そして……。
「死喰い人って知ってる? 闇の帝王の配下のことよ。俗に言う、闇の魔法使いのこと。それに会ったのよ」
「ホグワーツの領地で姿現しは出来ないはずだし、そんなに易々と領地の中に入れないはずです」
「それが、腕の特別良い魔法使いだと違うのよ」
はハーマイオニーへ目をやる。
「今学期の初めから、色々手を引いていたらしいわ。
彼女とは長い付き合いで、今まで決闘で勝てたことがなかった――今回こそは、と思ってたんだけど。
申し訳ないわ。ペティグリューを奪われた」
小さく頭を下げる。
ハリーとロンとハーマイオニーは、のその行動に戸惑う。
ロンがやけっぱちに呟く。
「先生を倒すなんて、なんて奴だよ」
「力のある魔法使いは、この世にごまんといるわ」
「でも……」
ははあと溜息を吐いて、芝生の上で三角座りをした。
いじける子供の格好だ。
「世界は広いの。……それで好きなだけ痛めつけられてさあ、見て、この様よ。自信失っちゃったわ……」
はそう言った途端に、はっと気付く。
「って、貴方達言われても困るわよね。それで、後リーマスについて言っておきたいことがあるんだけど」
は気を取り直して、周りを見渡した。
良かった、さっきの本音はあまり気にされていないらしい。
むしろ、リーマスについての話題にハリーは食いついていた。
「リーマスは此処に就職した時から、そう決めていたらしいわ。生徒達に危険を与えたら辞職をするって」
「でも、ルーピン先生は――!」
「ええ、良い先生よ。
でも彼は人狼である以上、仕事をする上でそれについて果たさなくちゃならない義務がある……自らのハンデを何とかカバーしなくちゃならないの。
今の社会の現状はそういうものだわ。それにそういう契約で、リーマスはこの職業に就いたはずよ」
はじっと湖を見つめている。
大イカがぷかぷかと泳いでいる。
「私もそれに手助けをする役目があった。だから、今回のことは私の落ち度とも言えるわ」
「でもそんなの……不条理です」
「狼に変身したリーマスが貴方達を傷付けなかった現実に、私は感謝したわ。
リーマスはそれを一番心配していたと思う。
そんな可能性を作ってしまった自分を許せなかったから、リーマスは辞職をしたのだと、私は思ってる」
は眉を寄せた。
「それに、人狼に対する偏見の目が、リーマスを此処にいさせない」
人狼が満月以外は無害だ、というのは教科書にも載っている。
しかし、満月の状態下の人狼に向き合える魔法使いは限られている。
今回のリーマスの就職も、奇跡的なことが重なったから実現出来たのだ。
脱狼薬の精製出来る人物が職場にいて、満月の状態下の人狼に向き合える魔法使いも職場にいるだなんて。
そしてその職場のボスが、人狼を迎え入れるのに友好的だなんて。
そのような条件が揃っていなければ、人狼は働くことが出来ない。
人狼は社会的弱者である。
今まで人狼は、職業柄、フェンリール・グレイバックを筆頭とする者しか知らなかった。
リーマス・ルーピンとの出会いは、にとって革新的であった。
は三人へ顔を向けた。
三人とも、顔を下げて押し黙っている。
は立ち上がる。
黒いマントが風に靡いて、音を立てる。
この風がとても心地良い。
ああ、もうそろそろ此処で過ごす時間も終わりだ。
名残惜しいような気もするけれど、私には他の場所でするべきことがある。
は一つ彼らへ声をかけて、立ち去った。
2008/8/24
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