04/血統














「それで、どうなんだ?」


椅子にゆったりと腰掛け、義足を楽に下ろしてくつろいでいるムーディは、事も無げに述べた。
厨房――現時点で、グリモールド・プレイスで人がくつろげる場所などここだけだ――に、とムーディはいた。
は積み上げられている羊皮紙の整理をしていた。
騎士団の会合で用いたものだ。

は気だるそうに顔を上げ、ムーディと視線をばっちりと合わせた。
暫し考えた後、唇を開く。


「彼と会う時は、常にどちらも閉心術をしているわ。つい前も、そうするよう確認し合ったばかりよ」


が初めてグリモールド・プレイスにやって来た時、とセブルスはそう確認し合った。
お互い防御手段を常に身に付けている方が良い――セブルスの言葉は、現状をよりはっきりとさせた。
二人とも、既に閉心術を身に付けることは言葉を交わさずとも行っていた。


「この頃会っているのか?」

「いいえ。あの時以来まだ会ってないんだけど……」


とても忙しい彼と顔を合わすのは、とても難しかった。
ムーディは先ほどのの言葉すら疑わしい、とでも言いたげだ。
は唇を尖らせる。


「大丈夫よ。貴方に言われなくても、お互いの立場の危うさは自覚しているわ。
 お互い変な干渉はしないように、気をつけるし。……あ、この関係、ルシウスが闇の陣営にも曝露しちゃったらしいわ。
 それで、ヴォルデモートもこの関係を推奨してるみたい。私から何か聞き出せるかも、って」


ますます険しくなったムーディの表情。
しかし、これが現実なのだから仕方がない。
下手にこんなことを隠していて、後からうじうじと言われるのはいやだ。


「――しかし、あの男がお前の心を開こうと思えば、容易く開けるのではないか」

「アラスター。私は、そうされる前に相手の杖を奪うわ。あの領域の魔法は彼には適わないのは分かってる」

「常に相手に気を張っているということか?」

「私、いつだって気を張ってるわよ」


さも当然かのようには言う。
ムーディは一瞬理解に苦しむような表情をした。


「セブルスのこと、疑ってるのね。これでも、ダンブルドアは彼はこちら側だって言っているのに」

「結局、お前はどう思っているんだ?」

「分からないわよ。彼がどちら側に寝返ったとしても、納得できる。だから、こうして防御策を講じているのよ」


肘をテーブルに着いて、ムーディは重く息を吐いた。
まさか、ここまでだとは思ってはいなかったのだ。
よく分からない相手と付き合っているだと?
自分の弟子はあまりにもとぼけている。
じわりじわりと感じ続けていた疑問が、弾ける。


「お前たちはそんな状況で満足しているのか?」

「え?」

「ずっと、お互い神経を張り巡らせ、相手のことも何も分からず、何が楽しい?」


この師匠のそのような感覚を初めて耳にした。
は完全に白旗を上げたムーディを楽しげに見つめ、また楽しげに口を開く。


「お互い閉心術を身につけて、もしかしたら来るかもしれない開心術に構えながら、ベッドの上にいるだなんて。随分とスリリングだと思わない?」

「……本気で言っているのか?」

「本気よ。相手のことを全部知っていることと、恋愛って、別に関係ないと思うの」


ムーディは全く違う見解を持っているらしい。
魔法の目はくるくると回り続けている。


「私たちのことについて心配する気持ちも分かるけど、私のことを信頼して欲しいの。
 リスクは分かってる。私たち、馬鹿じゃないわ。貴方にはちょっと分かりづらいこともあると思うだろうけど……」


は、初めて顔をくしゃりとさせて苦笑した。
少し声を潜める。


「これでも、お互い、得るところはあるの。もっとも、これ以上歩み寄ることもできないんだけど」


この条件下では、これ以上は現実的に不可能だ。
もっとも、こうなる前からある程度の隔たりはあった。
あの人の本当の思惑なんて、分からない。
一時的な思考は簡単に辿ることはできるのだけれど。

彼の練達された閉心術に歯向かうことなんかできない。
彼は少なくとも、ヴォルデモートか、ダンブルドアを手玉に取っているのだ。

ムーディは、こちらを哀れむかのような心配するかのような複雑な視線を向けてきた。
やめてくれ。
は笑って、視線を振り払う。
唸るように、ムーディは眉を寄せて言った。


「……これで、本当に、良いんだな」

「ええ。心配してくれてありがとう。自分の始末は、自分でつけるわ。貴方から耳に蛸ができるほど、そう言われ続けてきたもの」


笑みを振り払って、は真顔を作った。
危ない橋を渡り続けなければならないことは、もう覚悟している。
が無言で頷くと、ムーディも遅れてまた頷いた。

部屋の外へ出たは、階段を登り、玄関ホールへ出る。
感覚に何かが掠る。
思わず、はその方向へ足を進めて、そこにいた彼へ視線を合わせるよう身を屈め、愛想良く話しかけた。


「こんにちは。初めまして、といいます。いつもご苦労様」


いつか顔を合わせたいと思っていた、屋敷しもべ妖精がそこにいた。
長い耳にフサフサとした毛を生やし、ボロをまとった老齢の屋敷しもべ妖精は、愛想の良いとは対照的に、無愛想に大きな目でをジロリと眺めた。


「……あなたは、純血でございますか?」


第一声の意味をは暫し考える。


「ええ」

「――裏切り者め」


屋敷しもべ妖精はから顔を背け暗闇を見つめ、吐き捨てるように小さく呟いた。
その言葉は、の耳にたやすく入った。
は困ったような表情をする。


「私、何かを裏切ったかしら?」

「血を。純血の血を裏切っておられます」

「じゃあ、貴方の主人も裏切り者なのね?」


屋敷しもべ妖精は、主人の悪口を明様に言おうとはしなかったが、その表情から、シリウスのことをどう思っているのかは簡単に読み取れた。
シリウスやその他の人々が、このしもべ妖精を邪険に考えていた理由が分かった。
は困った顔を崩さない。
小さく首を傾げる。


「貴方の名前は?」


屋敷しもべ妖精は、そんなことに答える必要はないとばかりに、ぼろぼろの布に包んだ何かを大事そうに抱えて、から逃げて行った。
その後ろ姿を見つめ、ここの上階にいるだろうシリウスのことを考えて、は肩を下ろした。










*










次にグリモールド・プレイスに訪れた時、は熱烈な歓迎を受けた。
扉を開いた途端、鼓膜がピンと張り、人間の叫び声が耳の穴一杯に入ってきた。

ホール中の肖像画が、叫び声を上げ、喚き散らしている。
は少し狼狽しながらも、扉を所定の形式で閉じた。
どうやら騒音の最中に来てしまったらしい。

は、数人の騎士団員が途方に暮れたように眺めている注目の的へ足を進める。
叫び声を上げている肖像画の中の一つの前で、シリウスとリーマスが奮闘している。
そこに備え付けられているカーテンを、何とか閉めようとしていた。
それは、以前、リーマスに見て欲しいと言われた肖像画だ。

なるほど、こういうことだったのか。
永久粘着呪文のかけられた等身大の肖像画が雑言を喚き散らすのを見て、妙に納得した。
そして、シリウスが、その肖像画に対してまた喚き散らしている。
見ているだけで嫌になる光景だ。

肖像画相手に怒鳴っているシリウスは放っておいて、はリーマスへ近づく。
その過程で、は肖像画の黒い帽子を被った女性の姿を見た。
まとっているドレスには目を見開くものがあったが、そこにいた女性には品位の欠片もなかった。
黄色い皮膚を引き攣らせながら、血走った目を見開き、涎を垂らし、長い爪を振り回している。
はその言葉の意味を理解しようとすることもなく、耳に手を当てた状態で、辺りの騒音に負けないよう大声でリーマスに問うた。


「どうにかならないの!? というか、これは……」

「この糞婆! 黙れ!」

「汚らわしい! この屋敷から出て行け! 雑種が我が祖先の屋敷にのさばっているなど、血の気がよだつ!」


え?
は肖像画の言葉を聞き、この女性の格好、そして肖像画の立派さについて考えた。


「シリウスの母親だよ!」


リーマスは大声でそう答え、苦笑した。
は衝撃を受けたかのような表情になり、肖像画を見上げた。
これが――。
は、明様に侮蔑に満ちた表情をした。
肖像画につかつかと歩み寄ってそれをしかと見上げ、凛とした口調でこう述べた。


「魔法使い屈指の旧家であるブラック家の血筋にふさわしい気品は、どこにいったのですか!?」


騒音の最中だったが、その言葉は案外聞き取りやすく響いた。
周りにいた者のキョトンとした視線が、全てへ向けられた。
シリウスですら肖像画から視線を外し、驚いたようにを見つめた。

今、何て言った?
耳を疑う。
しかし、はそのまま表情を変えず、また耳を疑うようなことを述べる。


「肖像画になって何をのたまおうが自由ですが、品のない振る舞いを行うことは、貴方自身ではなく、ブラック家の評価を下げることをお忘れなく。私は、失望しました」


肖像画の中の魔女、ヴァルブルガ・ブラックの反応を見る前に、は深く溜息を吐いてカーテンを引き切り、肖像画を隔離した。
辺りの騎士団員たちはそれを確認すると、ホール中の肖像画へ失神呪文をかけ始める。
次第に辺りは静まっていく。

シリウスは、奇妙なものを見るかのような視線でを見ていた。
はまだ侮蔑の視線を肖像画へ送っており、そんなシリウスなど視界に挟んでいなかった。


「なあ……」

「何?」


は肖像画から真っ直ぐに目線を外さない。
カーテンの奥の魔女を睨んでいるかのようだ。


「お前、純血主義者なのか?」

「……純血であろうとマグルだろうと、変わらないわ。あんな振る舞いに対して、何か言わざるをえないでしょ?」


シリウスは疑いを捨てきることはできなかった。
彼女は確かに、ブラック家の魔女であるヴァルブルガ・ブラックに対して叱責したのだ。
そうだと彼女が分かっていなかった時、はそんなことをしようともしていなかった。
そうと知った途端、彼女は侮蔑の視線を肖像画へ送り始めた。

リーマスも、に対して異常な感情を抱かずいられなかった。
は辺りが異様な雰囲気になったのを感じ、辺りを見回して、ふうとまた溜息を吐いてその場を出ていった。

シリウスとリーマスは目を見合わせて、首を捻った。
彼女に限って、純血主義だなんてありえないことは分かっている。
だからこそ、疑念が生まれるのだ。















の頭の中で、先ほどの肖像画の魔女の様子が回っていた。
繰り返される罵詈雑言、下品な有様、罵ることしか知らない口……。
考えられない。
あれが、純血の血筋の振る舞いか?

自分の母親の挙動が、どうしても頭の中で過ぎった。
彼女は、どんな時でも品を重んじ、綺麗な所作を常に心がけていた。
その様子を尊敬をもって見続けてきていたは、そういった行動そのものが血統の表れだと信じていた。
無駄を省いた研ぎ澄まされた物腰――実際に行うことが道義的に良くとも悪くとも――それを、誇るべき最上級のものだと信じてきていた。

母親のことを考えると、数日前に行ったアズカバンでのことが思い出され、脊髄に痺れが走った。
嫌なことを忘れようとするものの、先ほどの肖像画の挙動のことがどうしても思い出されて、自分の母親のことを振り払うことができない。

ナルシッサ・マルフォイを見てみろ。
彼女は、信念がどうであれ、所作はとても美しい。
ルシウスだってそうだ――なのに、あのブラック家の魔女はどうだろう?

シリウス・ブラックの母親らしいあの魔女は、確かに彼と似た所を持っているようだった。
しかしシリウスだって、あんな風に身を貶めることはしない。
彼は正常だ。

痺れる頭を抱え、何とか厨房に辿り着いたは、誰もいないそこへ座る。
上階の喧騒はもう聞こえてこない。
何とか襲いかかる悪夢を振り払おうと、先ほどのことを一先ず忘れようと、懸命になる。


「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」


さっさと上の片付けをしてきたらしいシリウスが、の隣に座る。
はっとは目線を起こし、時間が思っていたより経っていたことを知って、シリウスが心配そうに伸ばしてきた腕を振り払った。


「何でもないわ。気にしないで。……ところで」


この場には、とシリウスしかいなかった。
他の者はまだ上にいるのだろう。
さっきの様子をシリウスにしか知られていないことに、は感謝した。


「この屋敷のしもべ妖精の名前って、何なの?」

「クリーチャーだが……何か、あいつに嫌味でも言われたか?」

「いいえ。それより、そのことについて貴方に言いたいことがあって」

「俺に?」


いつもの様子を装ったは、鼓動がゆっくりと正常に戻るのを確認する。


「屋敷しもべ妖精を、主人が守り、手を尽くして可愛がるのは、当然のことでしょ? 昔から何回も母親にそう言われてこなかった?」

「……いや、俺の母親はさっきのあれだ」

「そうね。でも、どこかで聞いたことはあるでしょ?」

「そんなこと聞いたことも掠ったこともない」


は目を見開いた。
シリウスには、嘘を吐いているような様子はなかった。
喉から掠れた声が出る。


「――嘘でしょ?」

「お前、おかしいぞ。どこに、屋敷しもべ妖精を丁重に扱う魔法使いがいる? 見たことがあるか?」


シリウスは呆れ果てながらも、腑に落ちない。
は本気で驚いていた。
彼女は、常識とまるきり外れた感覚を持っているらしい。

は眉を寄せ、昔の記憶と、確かに屋敷しもべ妖精を丁重に扱う魔法使いをあまり見たことがないことを思い返す。
矛盾している。
ということは、私がずっと抱いていた常識は、的外れなものだったのか?


「……でも、よく考えて、ブラック。彼らはこちらに誠心誠意尽くしてくれているのよ。それ相手に、どうして邪険に扱えるの?
 それに、主人として、あまり従者に酷い態度をしていたら、いつかそのしっぺ返しを食らうわ」


シリウスは聞いたこともない考え方に、暫し眉を寄せた。
彼女はどこで育ったんだ?
考え方の根本からがおかしい。
普通の魔法使いが考えるものとは、随分と異なっている。


「あいつらはそれで満足なんだ。下手に構ってやっても、あいつらにとっては迷惑なんだよ」

「彼らだって、私たちと同じ感情を持つ生き物よ。そんな考え方じゃ駄目よ」

「主人は俺だ。お前が関与しなくて良い」

「そういう考え方じゃ、主人としては全く――」

。何かの主人になったことがあるの? 随分とそういうことに詳しそうだけど」


は言葉を止めて、いつの間にかやって来ていたリーマスの方を見た。
リーマスはにこにことシリウスとの口論を眺めていた。
は、また言葉を慎重に選んだ。


「一般論よ。リーマスはそうとは思わない?」

「確かに一理あると思うよ。あんまり聞かない考え方だけどね。
 確か、ダンブルドアもシリウスにそう言っていたよね。クリーチャーを丁重に扱って欲しいって」

「……まあな」


シリウスは、リーマスを睨みつけた。
しかし、リーマスの含みのある視線はシリウスに向けられたままだ。

その後、騎士団員がぞろぞろと厨房に入って来て、この話題は消え失せた。
会議が終わって騎士団員が厨房から出て行き、も帰途につくと、シリウスは先ほどの話題を思い出して、後片付けをしているリーマス相手に呟く。
リーマスもこの屋敷に住んでいた。


って、少しおかしいと思わないか?」

「基本的に、一般的な感覚からずれているのは僕らも同じだよ」

「それ以上に、変わっているよな。彼女は純血だったか?」

「自称、純血だと言っていたよ」

なんて家名、聞いたこともない」

「だから、自称、だよ」

「……それって大丈夫なのか?」


訝しげに言った。
リーマスは、目を細めてシリウスを見る。


「君がそれを疑うなんて、おかしいね。二年前、に逃がしてもらったんだろう?」

「それはそうだが……」

「マッド=アイの弟子であるに疑いを持つのかい?」

「……リーマス。分かってるよ、彼女に限ってそれはありえない」


だから、疑念が捨てられないのだ。



























2009/11/4






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