05/額縁の中の蛇














辺りに人がいなくなるまで闇祓い本部にいることは、珍しいことではなかった。
ムーディに従っていた第二次ヴォルデモート恐慌時代から、そうすることは当たり前だと骨の髄から躾けられていたは、今でもそれを止めることはなかった。
この仕事が好きか嫌いかという問題ではなかった。

そろそろ帰宅しようかと準備を整えるは、同じ本部にまだ一人の魔法使いがいることを分かっていた。
この本部の本部長である。
彼はまだ奥のデスクで、仕事をしていた。


「ルーファス、まだ残るの?」

「気にしないでくれ」


その言葉に従って、はそそくさとマントを着込んで、本部から出ようとした。
扉を押そうとしたその時。


「いや、一つ君に言いたいことがあった」


くるりとすぐさま歩く方向を変えたは、スクリムジョールの元へ真っ直ぐ向かった。
ルーファス・スクリムジョール。
黄褐色の髪を持つ容貌から年老いたライオンに似ていると言われる彼は、眼鏡の下の鋭い目を羊皮紙に向けていた。

が来たのを確認すると、その目をへ向けた。
それは、父親が愛娘へ向ける視線に少し似ていた。


「君についての良からぬ噂を聞いた。君は耳に挟んでいるか?」

「ええ」


飄々としたの態度に、スクリムジョールは表情を歪めた。


「その様子では、その噂を私の前で否定するつもりもないようだな」

「……貴方相手ではね」

「噂を聞く前から、感付いてはいた。しかし、トンクスやシャックルボルトを仲間に引き込むのは止めて欲しかったね」

「それは、アラスターに言ってよ」


キングズリーもトンクスも、元はといえばムーディの影響によるところが大きい。
は単にその手伝いをしたに過ぎなかった。
スクリムジョールは手にしていた羽ペンをインク壷に戻し、目を瞑って息を吐いた。


「アンブリッジが、大臣の横で君のことを相当こき下ろしているらしい。そこから、私もその噂を聞きつけた。何かしたのか?」

「彼女相手には何もしてないわ。でも、あの人、私のこと嫌ってるみたいだし、不思議じゃないわ。良いネタを見つけた、って思ってるんじゃない?」

「他の誰かには何かをしたというわけだ。しかし、大臣は君相手には何も動いていない」

「大臣には相当気に入られているみたいね」


淡々とした物言いに、またスクリムジョールは息を吐きたくなる。
彼女相手にこのような感情を抱くことは、珍しいことではなかったので、スクリムジョールはそうはしなかったが。
ムーディの師匠からまでの流れで、彼はそういうことには慣れっこになっていた。


「気に入られている内はまだ良い。それがいつまで続くと思う? 大臣からは何のお達しも来ていないが、その前に、上司として言っておこう」


二人の視線が正面から噛み合った。


「このままでは、魔法省にいられなくなる。ダンブルドアと離れる気がないのなら、せめて行動を自粛した方が良い。
 少なくとも、今の時期は無茶だ。もう少し好機を待って――」

「あら、不思議ね、ルーファス。貴方は、だらだらと待つよりも切り込む時は切り込め、って言っていたじゃない」

「それとこれとは話が違う」

「私には違うことだとは思えないの」


まるで、スクリムジョールをからかうような表情を、はしていた。
スクリムジョールは少し苛立ったが、それでも平静を心がけた。


「私には、前歴のあるダンブルドアの元にいる方が、貴方が言うような何もしない魔法省の元にいるより、良いと思えるの。
 ダンブルドアの全てを肯定しているわけじゃないけれど、彼は確かに賢者だわ」

「ムーディがそう言っていた――というわけではなさそうだな。君自身がそう判断したのか」

「ごめんなさい。貴方の元だけにいることができなくて」


と言いながら、には申し訳なさそうなところは全くなかった。
しかし、スクリムジョールはそんなことを意にも介してないように、ただを視界におさめて考えていた。
の意思を崩すことはできないということは、今までのことから分かっていた。
……やはり、彼女も、ムーディと同じ道を進むのか。

それを口惜しく思いながらも、スクリムジョールは、その事実を踏まえてどう動くべきかを考えている。
目の前に飄々と立っている
彼女は、これからどうするのが一番良いだろう。


「省内を探ることを、止める気はないようだな」

「だってそれをしなかったら、私、騎士団に何の貢献もできなくなるわ」


しかし、自分が何を言っても、彼女は行動を変えないだろうことは分かっていた。
ムーディが言うことには必ず従うだが、その他の者の意見はあまりにも冷静に判断を下す。


「――風当たりが強くなるぞ」

「多分ね」


魔法省というものに全く固執していないらしいは、笑みさえを見せた。
その様子はムーディを彷彿とさせるものだった。
だからこそ魔法省は彼らを手放すことができないし、彼らを手放したいと判断するのだ。

はにやりと笑った。


「ルーファス。このこと、密告しないの? 随分な手柄をあげられるわよ?」

「闇祓いを三人失っても良いほど、闇祓い本部の人手は多くはない。それに、私もあの大臣を支持しているわけではない」

「じゃあ、貴方はどうしたいの?」


騎士団に関わることもなく、魔法省に全て従うわけでもない。
スクリムジョールは特に表情を変えることもなく、さらりと、さも当然かのように言った。


「時を待っている」


スクリムジョールは、今のの行動を否定することはなかった。
の行動の意図はとても理解しやすいものであったし、真っ向から否定しようとは思わない。
それは、ムーディと彼の師匠がそうした時と同じだった。
それほど、魔法省の組織が腐っていると、彼は判断していた。

は、そう言うスクリムジョールの意図が分からなかった。
眉を寄せる。


「あまり無茶はするな。君の存在を失うことはしたくない」

「ありがとう。言葉だけ貰っておくわね」


一言多いは微笑み、そのままスクリムジョールに背を向けた。
彼は、たちが魔法省に不利になるようなことはしないだろう。
そのことは分かっているから、安心だ。
ただ、彼が内心何を考えているのかは、よく分からない。










*










グリモールド・プレイスに、ウィーズリーの子供たちとハーマイオニーがやって来る日時が決まった。
大人たちは慌てた様子で屋敷の掃除に一層力を入れたが、広大な屋敷から埃を全て払うことは容易いことではなかった。
至る所にある怪しい物品、グールお化け、ドクシーなどのここに居住している魔法生物を全て退治するのは、不可能に見えた。

せめて、寝室だけでも、とはある日モリーに掃除道具を押し付けられた。
厨房で寛いでいた時である。
目の前に差し出されたものを見て、は呟く。


「……掃除の魔法は苦手なんですけ――」

「どうかしたのかしら?」

「いいえ、料理の魔法よりかは得意だったわ」


モリーの笑みの裏に見えるどす黒い感情に、はそう言わざるをえなかった。
随分と切羽詰まっているらしい。
そういえば、以前、キングズリーも掃除をしたと言っていたっけ。

ドクシーキラーやらが詰め込まれた容器を持ち、は指定された部屋へ向かう。
三階の階段を上って右側の部屋だ。
蛇の頭の形をした取っ手を回す。

部屋に入った途端、むせ返るような黴の臭いがした。
壁紙はほとんど剥がれかけているような状態で、殺風景な部屋に一つのキャンパスがかけられていた。
無駄に天井が高い。

どうやら、ドクシーキラーはいらないようだ、とは持ってきた容器を床に置いた。
魔法使いらしく掃除をしようではないか。
は杖を手に取り、袖をめくり上げた。

これ位、掃除の魔法使いが得意な魔法使いならば、ほんの数分で終わらすだろう。


と思っていたものの、やはりの戦闘に秀でた杖は、ベッドの上の埃を綺麗に払うことは慣れていなかった。
普段行うことのない杖の振り方に悪戦苦闘し、長年こびりついた汚れを大体払い終えた頃には、数十分ほどの時間が経っていた。
視界に入るマント中についてしまった埃を払い落とし、それを消して、はふうと息を吐いた。

慣れないことはするもんじゃない。
そう心に刻んだは、この念のこもった部屋から出て行こうとする。


「ちょっと、そこの方」

「あ、すみません。まだ汚れが残ってましたか?」


は杖を手に取り、この部屋にただ一つある肖像画の元へ足を進めた。
先ほどまで空っぽだった肖像画の中には、顎鬚を生やした魔法使いの姿があった。
まだ磨きが足りないのを見て、は杖を振る。


「私は君に覚えがあるのだが、私と会ったことを覚えているかね?」


はまじまじと肖像画の中の人を見た。
そして、眉を寄せる。


「……肖像画と顔を合わせる機会は多いですから、確かなことは言えません。私も少し、覚えがあるような気がするのですが……」

「ほう、ただの肖像画の中の人物を覚えていると?」

「記憶には引っかかっているんですけれど。ごめんなさい」


肖像画の中の魔法使いは、愉快そうだった。
細かな装飾の施された額縁を隅々まで綺麗にしながら、は話しかけてくる彼に対応する。


「君の血筋は?」

「それに答える義務はないです」

「アルバスは、君は純血だと言っていたが」

「――ホグワーツの校長室でお会いしましたか?」


ブラック家の屋敷にかかっている肖像画の魔法使いについては、その性格を承知していた。
純血主義の塊である。

しかし、彼の一言で、はホグワーツの校長室で、ダンブルドアの背後に沢山かかっていた肖像画のことを思い出した。
歴代の校長の肖像画は、現校長に従うために置かれている。
思わず目を見開いてそう言ったに対し、彼は感心したように頷いた。


「感心した。君の目端は素晴らしい」

「ブラック家に連なる家系で、ホグワーツの校長に就任された方がおられたのは、初めて知りました。よろしければお名前を教えていただけませんか?」

「それは、君自身で調べることができるだろう。私は、君の名を知りたい」


彼の目は真っ直ぐにへ向けられた。
額縁を拭くのを終えたは、少し困ったように表情を歪めた。
それを視界に収めた彼は、面白がるようにまた言う。


「名乗るのがいやなら、せめて出身校名を教えてもらおうか。君のような優秀な生徒がホグワーツにいた覚えは、あまりないのだよ」

「……いやです。貴方にそこまで話す義理はないです」

「では、名前は?」


今ここで拒否したところで、ダンブルドアから容易くその情報が手に入ることは分かっていた。
は目の前の彼を睨み付けるような風情で、言った。


です」

「ファーストネームはどうかは分からないが、ファミリーネームは間違いなく偽名だ。純血にそのような家名はない。本当の名は?」

「私の名前はこれしかありませんよ。何かの間違いでは?」

「間違いなどありえない。そんな奇妙な名前の純血の家系はない」

「記憶間違いをされているのでは?」


強気に出ることを決めたは、彼に向かって微笑んだ。


「貴方はこちらが求めても名乗りもしないのに、私はこちらから名乗ったんですよ。これ以上何を求められるんですか?」

「……確かに、失礼なことをした。しかし――」

「親しい人は、私をと呼びます。そう呼んでいただいても結構ですよ」


相手は、生きていた頃の記憶の残存だ。
適当にあしらうは、また笑みを見せた。
顎鬚の魔法使いは、諦めたように息を吐いた。
自分は、単なる記憶の残存であると思い知っているかのような風情で、ただ額縁の外のを眺める。


「君も、シリウスと同じく裏切り者だというわけか。アルバスの言葉を信じるのならば」

「そういうことになるんでしょうね。この部屋は、ウィーズリー家の子とハリー・ポッターの寝室になる予定です。見守ってやってくださいね」

「ハリー・ポッター? それがここに?」

「ええ」


彼はこれ以上ないほどに眉を寄せた。
嫌がる彼を差し置いて、はまた嫌がらせのように笑みを見せた。


「よろしくお願いします」


そそくさと部屋から出て行くの背後から、声がかけられた。
楽しげで嫌みったらしい口調だった。


「マントで埃を引き摺っている。君の掃除する様子を見るのは、とても楽しかったよ」


はびくりと足元を見下ろし、杖を振った。
マントの端についていた埃が消える。
顔を上げると、彼の意地悪そうな顔は喜色に満ちていた。


「貴方の退屈しのぎになって、良かったです」


マントを大きく翻し、は出て行った。
靴音は心なしか大きい。

フィニアス・ナイジェラスは、が出て行った後も笑いを止めることができなかった。
ダンブルドアへの良い話のネタになる。



























2009/11/13






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