13/ホッグズ・ヘッド
案の定、シリウスがルシウスに目撃されてから一週間後に「シリウス・ブラックがロンドンに隠れている」との記事が予言者新聞に掲載された。
同時に、スタージス・ポドモアがウィゼンガモットによりアズカバンに六ヶ月収監との判決が下ったという記事も掲載された。
きっと数日以内に、今度はさらに「教育令二十三号」だなと考えると、かなり気が滅入った。
魔法界の行く末を憂える暇があるならば、実際に行動を続けるしかない。
パーシーからのリークも現在は順調に続いており、魔法省はまだ大きな動きを見せていなかった。
例えば、「・」を排除しようとするような動きは、未だ見えない。
そして、の脳裏にはもう一つ不安要素があった。
グリモールド・プレイスでクリーチャーと共に住んでいる、シリウス・ブラックについてだ。
日に日に彼の様子が尋常ではなくなっていく様子を目の当たりにしていると、いつか気が狂って思いもよらない行動を取るのではないかと、不安になるのだ。
十数年間のフラストレーションを彼は未だに晴らしていない。
だからといって、はやはり彼とあまり関わりたいとは思えなかった。
彼と関わった挙句に馬鹿みたいな振る舞いをされたことも気に食わなかったし、セブルスについての悪口を聞くのも堪らなく嫌だった。
しかし、はその不安を完全に無視することはできなかった。
九月の中頃のグリモールド・プレイスでの会議の後に、リーマス・ルーピンの姿を認めて、思わずはシリウスがこちらを見ていないことを確認してから話しかけた。
「リーマス、ちょっと話したいことがあって……」
「奇遇だね。僕もだ」
リーマスは彼らしくもなくピリピリとした気配を纏っていた。
普段の任務のせいかもしれない。
が彼を見つめると、リーマスははっと気づいたように笑みを浮かべてを誘った。
彼の風貌は日に日に疲れ果てているように見えた。
それは、騎士団のメンバー全員に言えるのかもしれない。
以前にセブルスの身体に抱きついた時も、実はその痩せ方に驚いていたのだ。
「話は何かな?」
人気のない部屋に辿り着いてから、二人は椅子に腰かけた。
このような部屋を選んだということは、リーマスもシリウスに聞かれたくない話をしたいのだろうかと思った。
「ブラックについてよ。彼の精神状態は大丈夫なの? クリーチャー以外には貴方にしか聞けないのよ」
リーマスは唇を引き締めて、深刻な顔をした。
「……実はと言うと、僕は以前に彼が暖炉でホグワーツのハリーたちと連絡を取ったのを知っている」
「……なんですって?」
思わず低い声が喉から出た。
「大きくは言っていないが、一部の者は知っている」
「問題は起きなかったのね? ホグワーツの暖炉はまだ監視されていなかったのね?」
「その点は大丈夫だ」
は大きく息を吐いて肩を下げた。
なんと、彼は既に行動を起こしてしまっていたのだ!
リーマスもと同様の感情を抱いているらしく、喉の奥から深く深く息を吐いた。
この様子だと、彼も私を相談相手としてこの件が話したかったのかもしれないと、は思う。
「彼の気持ちは全く分からないわけではないんだ。ずっとこの屋敷の外に出れないというのは、かなり辛いことだろう。だが……」
「私も同情はしているわ。でも、このままではいけない。何とか気晴らしさせてあげないと」
「ああ。だが、僕もこの屋敷にずっといるわけにはいかないんだ。
できるだけここに来るようにはしているんだが、思うようにはいかない」
リーマスはじっとを見据えた。
何事かとが何らかの応答をする前に、リーマスが言葉を放つ。
「君もシリウスの心配をしてくれているんだね? じゃあ、お願いがある。彼に気晴らしをさせて欲しい」
が言葉を挟む隙間を与えず、リーマスは矢継ぎ早に言った。
「君が以前にセブルスを中傷されて怒っていることや、キングズ・クロスで彼が君の言葉を聞かずに勝手に振る舞った一件のことも知っている。
君が怒るのは当然のことだ。だが、シリウスにとって、、君がどう振る舞うかというのはかなり重要な問題なんだ」
「……どうしてこんなことになったのかしら」
どうして本当にこんなことになったのだろうか。
は思い返す。
セブルスがあてつけに、シリウスに見せびらかしてキスをしたのが悪かったのだろうか?
がそんなことを考えていると、リーマスは至極当然かのようにこう述べた。
「シリウスにとって君は、牢獄の鍵を開けてくれた特別な魔女なんだよ。覚えはあるだろう?」
は首を振った。
「私はかつて彼を牢獄に放り込んだわ」
「そんな昔のこと、彼は気にしてはいないし覚えてもいないよ」
彼、シリウス・ブラックがこちらに執着を見せる理由はそういうところにもあったのかと、は目から鱗が取れるようだった。
そういう過去の関わりを考慮に入れると、確かに私と彼は特別な接点を持っていることになる。
セブルスと私がそうであるように。
「キングズ・クロスの一件以来、君はシリウスに口さえきいていない。
せめて、普通に振る舞ってあげて欲しいんだ。きっとそれはシリウスの気晴らしになる」
目線を下げて拗ねたように黙り込んだ。
リーマスは眉を下げて、子供のように塞ぎ込んでいるをまるで教師かのようにじっと見つめた。
「嫌っているような振る舞いをしながら、君はシリウスの心配をしてくれているじゃないか」
「……別に、私は彼が嫌いなわけではないのよ」
「不用意な行動が気に食わないだけだよね」
「そうよ」
はぎゅっと目を瞑ってこめかみに手を当てて、ゆっくりと息を吐く。
心の整理をしているようだった。
目を開いて視線をリーマスの方へ上げると、唇だけで小さく微笑んだ。
ずっと子供のように駄々をこねてはいられまい。
「……分かったわ。私も貴方にお願いしたいことがあるの。聞いてくれるかしら?」
「引き換え条件かい?」
「ええ」
はこめかみに当てていた手を膝へ下ろし、背筋を伸ばした。
「トンクスについてのことなんだけれど」
リーマスはビクリと反応し、急に表情を強張らせた。
こちらを見る視線の色が変わる。
リーマスのとても珍しい言動を捉えて、の表情は人を食ったものに様変わりする。
先ほどまでとは完全に形勢が逆転していた。
「貴方、トンクスについて――」
「彼女の言動はとても分かりやすい。君が言いたいのはこういうことだろう?」
リーマスはが聞いたことのない声を出した。
喉の浅いところから出ているというのか、いつもとは全く異なる深みのない焦りの含まれた声。
聞き取りやすいが、その言葉はとても早い。
は人を食ったような表情を整え直して顔の筋肉を引き締めて、きちんとした表情で言葉を放とうとする。
「それなら話は早いわ」
「君は、僕の気持ちを察してくれていると思っていたよ。彼女のは、単なる若気の至りだ。君からも説得してくれるかい?」
吐き捨てるかのようにそう述べたリーマスは、から露骨に顔を背けて視線を逸らした。
はそうするリーマスを変わらずに見つめ続ける。
「貴方が彼女に説得しようとしているところなんて、見たことがなかったわよ」
「気づかない振りをしていた方が良いだろう?」
「……それは、彼女を傷つけるだけよ」
現在の自分は確実にリーマスの触れてはならないところに触れようとしているのだ、ということが分かった。
だが、今の状態のままトンクスを放っておくことはできなかった。
彼女はつい最近、リーマスに猛烈アタックを始めた。
傍目に見たら、誰だって分かる。
トンクスはリーマスが好きなのだ。
しかし、リーマスはそういうトンクスをいつもの笑みで当たり障りなく受け流していた。
トンクスのもどかしさはとても分かるし、自身そのようなリーマスの態度は適当なものではないと思っていた。
「どうしてだい? 彼女は若くて才能溢れる魔女だ。こんな、年寄りのくたびれた人狼に構っている暇などないだろう?」
「貴方が年寄りだったら、私もお祖母さんね」
「君は違う。君は若々しいしとても美しい」
美しい、だなんて普段の会話で言う人間がいるものかと思った。
は息を吐いた。
二年前のリーマスの私とセブルスの恋の成り行きを見ていた態度とは、まるで異なる。
彼の生き様を少しの間だが見てきて、彼の生き方は少しは知っているつもりだ。
だが、だからこそ、これが彼の触れて欲しくないところだったとしても、意見を述べざるを得なかった。
「私がどうこう言える立場にないのは知っているわ。私はトンクスの感情が「若気の至り」なのかどうかも分からないし、貴方の感情も知らない。
だけど、私が言っておきたいのは、貴方は真っ向からトンクスに向き合うべきだと思うの。貴方がトンクスの感情について考えるのは、それからの話よ。
貴方はトンクスが土俵に上がることすら許していないし、視界にすら入れていない。とても残酷だと思わない?」
「僕は彼女に相応しい魔法使いではない。彼女は僕に関わらない方が良いんだ。友人以上の関係は不要だよ」
「リーマス、それは自己完結よ」
「……君は、僕にトンクスと向き合うことを交換条件に出すのか」
その言葉が今までが見たことのない拒絶感と悲壮感を含んでいたので、はすぐに言葉を紡げなかった。
リーマスの視線はとても冷え冷えとして、こちらを突き刺している。
ああ、やっぱりここは触れてはならないところだったのだ、とは背中を流れる冷や汗を感じた。
心臓を突かれているかのようだった。
「――いいえ、単なる「お願い」よ。ブラックのこととは状況が違うもの。彼の状況は緊急だわ」
「……そうか」
リーマスは深く息を吐いた。
彼のまとう雰囲気はいつもの和やかなものとはかけ離れていて、迂闊に近寄れないかのようなプレッシャーを放っていた。
これが彼が今まで生きてきた中で身に着けたものなのかと、は思った。
そして、彼はいつもこれを決して外に出さずに保っているのだ。
「」
「何?」
「僕から、もう一つ聞きたいことがある」
リーマスはもう現在身にまとっている雰囲気を繕おうともしなかった。
「……君のボガートを見たよ。あれは死喰い人かい?」
彼も、こちらの触れてはならないところを突こうとしていた――これは彼の仕返しなのだ。
パーティの後、確かにリーマスはがボガートと対面した時に同じ部屋にいた。
彼はきっとその仮面をちらりと見て、その時のの様子を見て、そうと察したのだろう。
は唇を少しだけ噛んでから、再度唇を開いた。
つい先ほどはこちらから彼を追い詰めたのだ、逃げるまい。
「死喰い人は同じ仮面を被っているけれど、中身はそれぞれ違うのよ」
リーマスは一拍置いてから、薄く笑みを浮かべた。
「……そうか。こんなことを聞いてすまない。他言はしないよ」
「ありがとう」
とリーマスはお互いに視線を合わせると、二人は同時に気が抜けたように顔の筋肉を緩めた。
*
髪と目の色を明るくして女らしい恰好をしたら誰も私とは分からない、と言うと多くの人は「そんなわけはない」と言うが、実際の姿を見せると彼らは絶対に納得する。
化粧と服装で女は大化けするのだ。
ポリジュース薬の力を借りるまでもない。
はそのような成りで、ベールを被って魔女の変装をしたマンダンガス・フレッチャーを伴ってホグズミード村へと向かった。
今日はホグワーツの「ホグズミード行き」の週末なのだ。
ハリー・ポッターを初めとする子供たちが無茶な行動をしないよう、監視をせねばならない。
マンダンガス・フレッチャーとはあまり良い意味で関わったことはなかったのだが、案外と息は合っていて、うまく尾行をすることができた。
彼らの歩く道から行き先はホッグズ・ヘッドしかないと判断すると、マンダンガスは先に店へ入っておくことにして、が彼らの跡をつけた。
案の定、彼らはホッグズ・ヘッドへと入って行った。
少し時間をおいてからも店へと入ろうと様子を窺っていたら、なんとその店へホグワーツの生徒が二十人ほどぞろぞろと入って行くのだ。
寮を問わないホグワーツの生徒たちが一斉にこのようなパブに入るのは目立って仕方がないし、異常だった。
生徒が店へ入るのが一段落してから、も店へと入りカウンターに座った。
バーテン――アバーフォース・ダンブルドアが物言いたげに視線を寄越した。
「バタービールを」
「生憎、バタービールは売り切れてね」
アバーフォースが視線を促した先に、ホグワーツの生徒たちが全員バタービールを携えているのが見えた。
その視線は「馬鹿ども」とでも言いたげだった。
確かに、このような人気のない場所で談合を開くのは賢い選択だとは思えなかった。
それも、「騎士団員」であるアバーフォース・ダンブルドアのパブで。
「あー……じゃあ……」
「ジュースでも出すかい? お嬢さん」
彼は私が下戸であることを知っていたっけ、その前に彼は私を認識しているのだろうか、と思いつつ、はそれで頷いた。
アバーフォースが立ち去ると、は子供たちの会話に耳を向けた。
なるほど、ハリーを先生にして闇の魔術に対する防衛術の自主訓練をするとのことらしい。
良い考えだとは思うが、なんと魔法省に真っ向に楯突く団体を組織したものだろう――これはきっと論争の種になるだろう。
アンブリッジも魔法省もこれに気づいたら黙っているまい。
アバーフォースは黙ってジュースを置いていくと、カウンターの奥へ下がって行った。
粗方子供たちの話を聞きながらジュースを飲み干すと、子供たちも必要な会話を終えたらしい。
子供たちが一斉にぞろぞろとパブを出て行くと、その少し後にマンダンガスがその後を追うのを確認した。
もう彼に任しておいたら良いだろうと思って、はローブの下をごそごそと探った。
「お代わりを」
アバーフォースにそう声をかけると、彼はこちらに近づいてきてグラスを手に取った。
はその手の傍に手紙を押し付けた。
そして、囁く。
「貴方のお兄さんからです」
彼はじろりとの顔と手紙を一瞥すると、あっという間にそれをポケットに収めた。
「同じので良いかね?」
「ええ」
アバーフォースは新しいジュースを手に戻ってくると、の顔を見据えて言葉を放った。
「お代はいらんよ。兄の手先として使われたようだからな。狂った眼の弟子」
認識されていたのか、とは納得する。
辺りに神経を研ぎ澄まし、こちらに聞き耳を立てているような人物はとりあえずいないようだと判断した。
アバーフォースも囁くような声で話しているので、一番近い人物からもこちらの会話は聞き取れまい。
「子供のお守りのついでですから、気にしないでください」
「お守り、ね……」
アバーフォースは鼻息を吐くと、そのままその場から離れようとした。
「聞きたいことがあります。貴方はどうして私たちが集まっている場所にいらっしゃらないのですか?」
アバーフォースは足を止めて伏せていた目を上げて、胡散臭げにを眺めた。
「貴方のお兄さんは、手紙で貴方と連絡を取っています。私も、貴方と会うのは今日がほとんど初めてです。貴方は……」
「君に話す筋合いのない話だ」
そう言って、もう一度身を翻そうとするが。
「私は知りたいんです」
アバーフォースはうんざりとした顔で、へ振り返った。
振り払っても良かったのだが、飄々とこう述べるはやはり鉄面皮をして、爛々とこちらを見つめていた。
胸の中がかき混ぜられるような思いがして、口は話そうとは全く思っていなかった話を勝手にし始める。
「……狂った眼の師匠とは友人だった。君は彼女を思い出させる。我が儘で自分勝手な女だったよ」
は思ってもいない話を始められて、頭の中に疑問符が浮かんだ。
とりあえず、自分が我が儘で自分勝手だと思われているのは間違いがない、ということだけが分かった。
「話が聞きたければ、客が少ない時に来るんだな」
さっさと飲めとでも言うように視線を寄越され、はグラスを手を取った。
アバーフォースはそれを確認すると、今度こそに背を向けた。
甘酸っぱい味が口の中に広がるのを感じながら、は彼の先ほどの言葉について考えた。
――アラスターの師匠?
全く意識したことのない人物だったし、話を聞いたこともなかった。
アラスター自身がそのような人物の話をしていた覚えは、ほとんどない。
多分、昔話が聞きたければ、私は今度は客が少ない時にホッグズ・ヘッドへ足を運ばねばならないのだろう。
そのことだけは確かだった。
2011/7/9
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