先ほどまでの言い争いは凄かった。
修羅場を目にして、トンクスの気持ちは興奮していた。
まさか、が悲劇のヒロインとなり恋慕されている男二人を収める立場になるだなんて状況を、見れるとは思っていなかったのだ。
それに、あのセブルスの迫力が凄いこと。
シリウスの憎悪の表情が凄いこと。
あの場の三人の新しい面が見えて、トンクスは興味津々だった。
願わくば、己の恋の行方が明るければ言い分はないのだけれど。
ちらりとリーマスの姿を目に収めた。
彼はいつも通りだった。
16/繊細な問題
トンクス、リーマス、アーサーとモリーは厨房にいた。
リーマスは今晩はこの屋敷に泊まるらしく、玄関ホールでの諍いを見て苦笑をしてから、また厨房へ戻って来たのだ。
後の三人も同様に大騒ぎが起こっている玄関ホールから戻ってきていた。
「……マッド=アイはまだ戻って来ないわね」
モリーは苦い笑みを浮かべながら呟いた。
ムーディは、を含めた三人の動向をじっと見つめていた。
のことが絡むと、この魔法使いは普段とは気が違ったようにヒステリックにとてもとてもに過保護になる。
きっとあの場を収めてくれるだろうと確信して、彼らはここへ戻って来たのだ。
ムーディの旅行マントはまだ厨房の椅子にかかっている。
「彼に任せていたら、どうにかしてくれるだろう。の保護者だからな」
アーサーも同様に苦笑して言った。
トンクスは唇を尖らせる。
「凄くびっくりしたよ……まさかあのがあんなことをするだなんて」
「基本的に、今まで彼女はマッド=アイの目があって、男日照りだったはずなんだがなあ」
「二人の男に言い寄られているなんてね。はセブルス一本みたいだけど。羨ましいなあ」
トンクスの視線がリーマスへ向けられると、リーマスはいつものように小さく微笑んだ。
あくまでも己のペースを崩そうとしないリーマスに対しトンクスが口を開こうとした時、厨房のドアが開いた。
「……片付いたぞ」
「お疲れ様、アラスター」
アーサーが笑みを浮かべる。
ムーディは苦虫を噛み潰したかのような表情をして、大股で厨房へ足を進めた。
「どうしてああいう状況になったんだか……」
ムーディは大きく溜め息を吐くと、自分の旅行用マントを勢いよく手に取った。
そして、右手の人差し指を天井へ向けた。
「ブラックの小僧は自身の部屋にいる。わしは帰るぞ」
「シリウスを苛めたの? アラスター」
「苛めてなどおらん。事情を聴いただけだ」
あなたが事情を聴くだけでそれは苛めになるだろう、とトンクスは思った。
それも「」関連の事情聴取である。
とても恐ろしい。
「とセブルスは?」
「どこかに行きよった。後は知らん」
後ろ向きに手を振ると、ムーディはそのまま厨房を突っ切って扉の外へ出て行った。
その姿を見て、アーサーは小さく息を吐く。
「アラスター相手にも、あんまりこの話題をしてはならないようだな。ただでさえ、とセブルスについても快く思っていないようだったから」
「グリモールド・プレイスは、とても繊細な問題を抱えてしまったようね。恋愛の縺れだなんて」
モリーは肩を下してそう述べ、厨房の後片付けを終えて身支度を整えるとアーサーへ視線をやった。
アーサーはその視線を受け取ると立ち上がり、夫婦二人は帰宅準備を始めた。
「じゃあ、私たちは帰るよ。何かあったらシリウスによろしく」
「お疲れ様」
「気を付けて」
トンクスとリーマスがそれぞれ声をかけるのを確認して手を振ると、夫婦は厨房の外へ出て扉を閉めた。
少し歩みを進めて扉から離れると、アーサーはモリーへ語りかける。
「もう一つの恋愛絡みの繊細な問題を厨房に残してきたな」
モリーは苦笑した。
「トンクスのためにはこうした方が良いのよ。こうでもしないと、リーマスは全く彼女を取り合わないわ。見ていて可哀想よ」
「トンクス、君は帰らないのかい?」
厨房に二人取り残された後、すぐに声をかけてきたのはリーマスであった。
トンクスは唇の端を上げて答える。
「明日は早く出勤しなくちゃならなくて、ここに泊まろうと思っているの」
「そうかい。じゃあ、早く寝ないとね」
トンクスはにこにこしながらリーマスへ話しかけた。
「ねえ、前に私がしていた話を覚えてる? ダイアゴン横丁に美味しいパフェのお店ができたの。
リーマス、甘いものが好きでしょ? 私の周りにそういう人は少なくって、一緒に行きたいなあって」
リーマスの内心では先ほどの光景が繰り返されていた。
確かに、は「シリウス」と彼を呼んでいた。
彼女は先にこちらが提示した条件をクリアしていたのだ。
ということは、こちらも交換条件をクリアしなくてはならない――。
リーマスがじっと考え込んでいるのを見て、トンクスは首を傾げた。
「リーマス?」
「に頼まれたんだ」
トンクスは眉を寄せた。
リーマスはそんなトンクスの様子はお構いなしに、言葉を続ける。
それが義務だとでも言いたげに。
「と取引をしてね。僕が提示した条件と引き換えに、彼女の提示した条件を僕は聞いた。
――もう良いだろう、トンクス――は僕に君としっかりと向き合って欲しい、と言ってきた」
「がそんなこと……」
「そして、は僕が提示した条件をクリアした。僕は君に向き合わなければならない」
リーマスは顔を起こして、じっとトンクスの顔を見つめた。
ショッキングピンクの短い髪と、色白の頬、目はくりくりと好奇心で輝いている。
表情は驚きで俄かに固まっていた。
「本音を言おう。君は僕のような者と関わるべき魔女じゃない」
「……どうして?」
「年寄りの貧乏な人狼なんて、若くて才能ある君が時間を費やすのに勿体ない存在だ。君は僕には勿体ないよ」
トンクスは目を見開いた。
そして瞬きを何回か繰り返すと、リーマスを見つめながら彼女の唇はゆっくりと言葉を吐く。
「……それはあなたが決めることじゃないわ。年齢なんか関係ないし、お金も関係ないし、人狼であるかなんか関係ない。
私は今のあなたに興味を持っていて、もっとあなたのことを知りたいと思っているだけなの。そういう願望は叶えられないものなの?」
「人狼であるかなんか関係ない? 世間で僕たちのような存在がどういう扱いを受けているか、知っているかい?」
「知っているわ。でも、そんなこと、私には関係ないわ」
「よく関係がないだなんて言えるね。君は若いから――」
「年齢なんて関係ないって、最初に言ったでしょ?」
トンクスは、リーマスがこのように毒を吐いている姿を初めて見た。
こちらに都合の良い言葉を吐くのではなく、彼自身の意思で毒のある言葉を述べているのだ。
そのこと自体に感銘を抱いた。
そして、彼はこちらの言葉をもう受け流してもいなかった。
その証拠に、リーマスはこちらを少し睨みつけてきた。
「君は何も分かっていない。人狼は魔法界の爪弾き者だ。必要以上に関わるべきではない」
「世間の評価なんて私には関係ないわ。あなたはリーマス・ルーピンよ。人狼という言葉だけ括られる魔法使いじゃない」
「綺麗ごとで言えばそうなるだろうね」
「リーマス。私、あなたのことがもっと知りたいのよ」
リーマスは困ったような表情をした。
目の前の若い魔女をどうしたらうまく説得できるのか、思案しているようだった。
トンクスは、彼がこちらの意見を全く飲むつもりはないことを認めざるを得なかった。
しかし、トンクスの表情は自然に笑んだ。
「でも、良かった。初めてあなたが本音を喋って私と向き合ってくれて。にお礼を言わないとね」
「……僕の本音を聞いても君は僕に幻滅しないのか」
「そりゃそうよ。だって、私、あなたのことが知りたかったんだもの。の方があなたと仲が良くて嫉妬していたんだから」
リーマスは大きな息を吐いて、ちらりとトンクスを見た。
その視線でトンクスは察する。
あえてにっこり微笑んで喋ってみた。
「今日は、あなたがもう私に傍にいて欲しくなさそうだから退散するけど、私は諦めていないからね」
「……トンクス。君が早く現実を見据えてくれることを願っているよ」
「あなたこそ、早く現実を見据えて欲しいわ」
リーマスが大袈裟に眉を顰めるのを見てからトンクスは手を振って、厨房を出た。
扉を閉めると、顔は自然に笑んで胸が大きく鼓動を始めた。
良かった!
私はリーマスに嫌われていたわけじゃなかったんだ。
そうではないのなら、まだ脈はある。
リーマスはトンクスが出て行った扉を見つめて、「君のせいで厄介なことになった」と呟いてを恨んだ。
*
ムーディの尋問は酷いものだった。
アズカバンに投獄された時の尋問と比較するのはおかしいかもしれないが、気迫だけはあの時に増さず劣らずであった。
根掘り葉掘り聞こうとするムーディ相手に恐ろしく消耗したシリウスは、自分の部屋のベッドに転がった。
目を瞑ると先ほどまでのやあの男とのやり取りの光景が思い出されたので、シリウスは目を開いた。
そして、はたとはあのムーディの目があるからまともな恋人ができたことが少ないのだろうな、と悟った。
ベッドに目を遣ると、少し前に彼女がここに寝ていただなんて考えられなかった。
白いシーツは真っ白なまま、皺さえ寄っていない。
彼女の黒い装束の名残など、全く見えなかった。
とあの男は「傷の舐め合い」をしているとは語っていた。
同じような経験を持ち真っ当な道を歩んでいない人間同士、通じるところがあるのだと。
真っ当な道を歩んでいないのは俺だって一緒だ。
アズカバンに十二年も投獄され、指名手配犯として有名となっている俺は、彼ら以上に真っ当な人間ではない――何度も考えたが、シリウスの思考の辿り着く先はいつも同じであった。
あの男のように腕に闇の印はないが、身体には投獄の際に刻まれた刺青が残っている。
それを見てすら、彼女は俺を「真っ当な人間」だと言うだろうか。
いや、言えないに決まっている。
彼女はムーディのように身体に傷があるかもしれないが、それは勲章とも言えるだろう。
なにしろ、彼女は有名な腕利きの闇祓いなのだから。
やっと、彼女は自分を一人の男として見てくれると誓ってくれたし、あの修羅場の最中にも「シリウス」と呼ぶのを止めないでいてくれた。
望みはある。
あの狭量な男の様子を彼女も見ていた。
彼女が見限るのも時間の問題だと思えた。
目を瞑ると、今度は彼女がここで抱き締めてくれた時の光景が思い出された。
子供をあやすように彼女はこちらを抱き締め、許容してくれた――あんなことができるのはこちらのことをよく知っている、彼女しかいない。
かつて十二年間判決に疑問を抱き続け、牢獄の扉を解き放ってくれた、強く、賢い彼女しかいない。
彼女があの男を同類として強く求める以上に、こちらも彼女を唯一無二の存在として求めているのだ――彼女しかいないのだ。
にそれを思い知らせないといけない。
きっとあの男とは今頃身体を重ねているのだろうと考えると胸糞悪くなって、吐き気がした。
*
どうしてシリウスは言い争いの最中にあんなことを言ったのだろうか。
彼の繊細な問題に私は直面し、それを他言するまいと思っていたのに、彼からそれを論争に持ち出すだなんて。
それも多少曲解した形で。
はそのことについていくら考えても、きっと彼はセブルスを相手に「衝動」と「反抗心」で言葉を放ったのだろう、という結論にしか達さなかった。
彼は単にセブルスの気分を損ねたかっただけなのだ。
そんなことを考えていると、こちらが気を配っているのが馬鹿みたいに思えてきたが、これ以上シリウスを中傷するのは止めようと思った。
セブルスがシリウスを憎んでいるのを仕方ないと思うように、シリウスについてもそう思おうと思った。
セブルスの独占欲を満足させるのはとても大変だった。
シリウス・ブラックという存在が絡み、セブルスの神経はかなり繊細で敏感になっていた。
私が彼を不安にさせる言動をしたのは間違いないという点については、とても申し訳なく思っていた。
しかし、彼の言葉はあまりに自分勝手で、こちらに対する配慮が欠けていることは間違いがなかった。
だが、シリウスについてのこのような言動は彼の病気なのだ。
アラスターが被害妄想に陥り、シリウスが過去の幻想に身を震わせ、リーマスがトンクスに向き合えないのと同様に、はそれを直接に責めようとは思わなかった。
そういう点を含めて彼は彼なのだ。
しかし、シリウスに対して私が果たすべき役割をセブルスに邪魔されるわけにはいかないし、セブルスがそのことによって不快になるようなことはしたくなかった。
私はシリウスと普通に仲良くしていかなければならない。
リーマス相手にそうであるように。
今回だって、リーマス相手ならばセブルスはここまで激昂することはなかっただろうと、容易に想像できた。
セブルスが私を信頼さえしてくれれば、この問題は解決すると信じていた。
この問題を解決する方法はこれ以外には考えられなかった。
体内時計は正確で、はいつもの決まった時間に目覚めた。
正直に言うと、ほとんど眠れてはいなかった。
セブルスが離してくれなかったのだ。
鈍い頭とぎしぎしと軋む身体を確かに感じて苦笑をして、は隣に寝ている人物へ目を向けた。
昨晩激しくこちらを求めたこの男は、すやすやと心地良さそうに眠っていた。
「……貴方がこんな姿を見せるのは、私の前だけよね」
自惚れかもしれないがはそうとだけ呟いて、昨晩あれだけ触れた彼の唇に唇を下した。
唇を離す頃には、セブルスの手はの肩に回されていた。
「おはよう」
「……お陰で、随分と寝覚めが良い」
「私の身体は全身悲鳴を上げているわ」
セブルスはちょっと顔を困ったように曇らせると、すまない、と一言呟いた。
一晩明けて随分と冷静になったようだと判断すると、彼の手の平を握って彼を正面に見据えた。
「落ち着いた?」
「……ああ」
「もう二度と私はこんなことはしないわ。シリウスと関わっても、彼とは単なる友人よ。二度とキスなんかしない」
「お前は我輩を裏切ることは死んだってしないのだろう? 当然だ」
普段の彼らしくしっかりとした口調でそう述べられて、は安堵して微笑んだ。
「……なんだ、ちゃんと覚えてるのね」
「正気でも失っていたと思っていたのか?」
「だって、貴方、あまりにも滅茶苦茶だったんだもの」
「……そうか……」
セブルスはの顔を見て息を吐くと、の身体に手を伸ばしてそっと腕で身体を包んだ。
の耳元で声がした。
「……我輩もお前を裏切らない」
彼からこんなことを言われるだなんて、と胸を掴まれるような思いがしたが、それをおくびにも出さずは応えた。
「死んでも?」
急にむっつりと黙り込むセブルス。
はくすくすと笑い出した。
「良かった。いつも通りの貴方だわ」
セブルスは焦ったように身体を離して言葉を継げ始めた。
その表情は普段見せないとてもおかしなものだった。
「い、いや、黙って死にはしない。死ぬ前には何らかの……」
「無理しなくて良いわよ。貴方には、私以上に複雑な貴方なりの事情があるし」
は彼のむき出しの左腕をなぞった。
すると、その手がセブルスに掴まれた。
「決して、お前に黙って死にはしない」
は一瞬何と答えたら良いのか分からなかったが、ゆっくりと微笑んで言葉を紡いだ。
「ありがとう」
全てを二人の間で共有できるなんて思っていないし望んでもいないけれど、少しずつ彼の信頼がこちらに寄せられるのは心地良かった。
多分、彼も同じ心境なのだと思った。
彼からの信頼はあまり多くないとしても、私は彼を信じている。
彼を信じることは今の私にとってちっとも苦しいものではないし、単なる自己満足的なものだから、私は彼を信じたかった。
せめて、未だ平穏な状況を見せている今のような時は。
今はこの状況に溺れていたい。
深く考えずに。
セブルスもこの状況に溺れたいとでも言うように、お互いを埋め合うように口付けを交し合った。
シリウスという存在が私たちに攻撃をしてきてもこれならばきっと大丈夫だと、は確信した。
2011/7/16
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