19/神秘部の扉














夜の任務は睡魔との戦いであった。
しんと静まり返った静かな夜だった。
アーサー・ウィーズリーは神秘部の扉の前で、透明マントを被ってうとうとしていた。
しっかりせねばと思うものの、昼間の魔法省での勤務を終え、この場にじっとしているだけという騎士団の任務で眠気をもよおしてしまうのは、人間の身体として仕方のないことだった。

ある瞬間に、はっとアーサーは何かの気配に気づき身体を起こすと、その拍子に銀色の透明マントが身体からずり落ちた。
しっかと目を開くと、目の前にこちらに進んでくる滑らかな大蛇がいた――アーサーの手は反射的に杖を抜いた。
アーサーが何かを考える前に、すぐさま大蛇は彼に襲い掛かった。
アーサーは腰を鋭い牙で貫かれ、手に持った杖が衝撃で床を転がり、鋭い痛みが走って喉は苦痛で呻き声を漏らした。
真っ赤な血が床に垂れ、床をどんどんと染めていく。
立っていられずに、身体は壁を背にどすんと崩れ落ちた。
動けない。
身体が痺れる。
激しい痛みと出血――襲い掛かる蛇の牙を感じながら、このままここで死ぬのだろうかという思いがアーサーの頭を走馬灯のように駆け巡った。

すると、何故か急に蛇の攻撃は止まり、なんとか顔を上げると、そこには先ほどまで存在していなかった人物が現れていた――背の高い長い金髪の魔女がこちらに歩み寄っている――彼女は……まさか……。
魔女は床に転がっていた血に塗れたアーサーの杖を彼に持たせた。
アーサーは彼女の色の薄い青い瞳を見た。
陶器のような不自然なほど白くてなめらかな頬が印象的だった。


を呼び出してもらえないかな?」


アーサーが動かないのを見ると、彼女は形の整った眉を寄せて困った顔をして再度述べた。
先ほどの何気ない口調とは変わって、その声には冷徹な響きが含まれていた。


「アーサー・ウィーズリー、君に彼女を呼び出してもらうために、この程度の攻撃にしたのだよ。大丈夫、彼女は今一人だ。
 君の守護霊が現れても不都合なことは起きない。この命令に従わないのならば、もう一度牙の味を味わってもらうことになるが、それでも良いか?」















クリスマスが近付いてきたある日の深夜、は闇祓い本部にいた。
周りは出払っており、本部にはの視界に入る範囲には誰もいなかった。
が書類を捲る音と羽ペンで文字を綴る音だけが響いていた。

ブロデリック・ボードは入院していた。
アリア・ボードが他国へ出張をしている間に、彼女の夫のブロデリックの魔法省の言う仕事上の「事故」は起き、彼は錯乱状態となって聖マンゴへ運ばれたのだ。
現在、アリアはまだイギリスへと戻って来ていない……仕事上、どうしても戻れないのだ。
そもそも、彼女は先月からずっとイギリスにいなかった。
とて、ずっとその一人の無言者の様子を確認することはできなかった。
騎士団でこの人物の話題を上げて対策を試みたものの、妻の「様子がおかしい」という報告は大きく受け止められなかった。
ただ、神秘部により注意を払うという方針は強化された。
数日後にアリア・ボードは帰国するので、その時に一緒に聖マンゴへお見舞いに行き、今後について話をする約束をしていた。
このような事態になった以上、騎士団もこの件に関して重く取り扱ってくれるだろうことは目に見えた。
彼の様子を見てしかるべき対処を講じるつもりだ。
無言者についてのこのような事態は、軽く見ることはできなかった。

はたと書類から目を上げると、の目の前に思いがけないものが見えた――アーサー・ウィーズリーの守護霊だった。
気のせいか、その姿はいつもより薄い色をしていて、揺らいでいる感じがした。
驚きで目を大きく見開き、は辺りに誰もいないことを素早く確かめた。
こんなものを見せるわけにはいかない。
それにしても、どうして彼はこんなものを今私に送ったのだ……確か、彼は今日は――。


「神秘部にいる。すぐに来て欲しい」


守護霊は弱弱しくそれだけ告げると、姿を消した。
紛れもなくSOSのサインだった。
彼は、今日は神秘部の扉の前で透明マントを被る係であった。
はすぐさま立ち上がると、マントを翻して駆け足でエレベーターへと向かった。
――何があったんだ?
背中に嫌な汗が流れた。





エレベーターを降り、杖を手に持ち念のためにできるだけ物音を立てずに神秘部のドアへと向かうと、知っている気配を感じた……彼女だ。
これが彼女でなければ壁に隠れて奇襲を狙うところだったが、それが無駄であることは分かっているので、は足音を立てて杖を構えながらあっさりと廊下の角から姿を現した。
小細工が無駄であることは以前に身に染みていた。

神秘部の扉の前で、が腕で担ぎ上げた血まみれのアーサーの首に、もう片方の腕で杖を当てていた。
そして、その側に大きな蛇――ヴォルデモートの蛇――がおり、蛇はこちらについと顔を向けて赤い舌をチロチロと動かした。
アーサーの血はのローブを伝い、地面に途切れなく垂れ落ちるほどであった。
を見て微笑んだ。
その様子で、はこれが彼女の企みであったと思い知った。
彼女はアーサーに私を呼ばせたのだ。


「アーサーを離しなさい」


の瞳孔が少し開き、の姿をしっかと捉えた。
唇は笑みを描きながらも、眉はのその言葉に呆れたかのように垂れ下がる。


「一言目にそれとは――よく見てみろ。私は彼に杖を当てているが、「彼女」はいつでもお前に飛び掛かることができる。この場ではお前は圧倒的に不利だ、お嬢さん」


大蛇はの方へ威嚇をしながらじりじりと近付いていた。
その口、特に牙は血に塗れ、床へ血を点々と落としていた。
は大蛇へ視線を向け、唇を引き締めた。
は白のローブをアーサーの血で濡らしながら、嬉々とそのようなの様子を眺めていた。


「しかし、無駄な足掻きをせずにさっさとここに姿を現したのは好判断だった。さあ、杖を地面へ落とすんだ」

「…………言いなりになっては……」

「貴方は黙っていて。それ以上動いては駄目」


アーサーの言葉を聞き、彼が「死んではいない」ことを確認できて内心はほっとした。
しかし、この出血の状況のままでは彼の命は長くは持たないことは目に見えた。
早く彼女の腕から解放しないとならない。
は身を屈めて杖を床へ置いた。
カランと軽い音がした。


「他の杖もだ」


はローブの下からもう一本杖を取り出し、それもまた床に転がした。


「わざわざ私を呼ぶように仕向けて、何が望みなの?」


は端的に答えた。


「お前だ」


は一瞬怪訝な表情になったが、すぐに真顔になって口を開いた。


「悪趣味だわ」

「お前が反抗すれば、この男の命は保障しない」


の頭の中で去年のクィディッチ・ワールドカップでの出来事が思い出された。
あの時も、同じようにの悪巧みにより、は子供たちを守って記憶を失ったのだ。
つくづく彼女は悪い手を使うものだと思い、は自分が言いなりにならなければ確実にがアーサーの命を奪うのが分かった。


「彼を離して。話はそれからよ」

「私が彼を殺して何かメリットがあるとでも? 元々この男には興味はない。、お前が言う通りにすれば何も問題はない」


つまり、私をつる餌としてアーサーをこんな目に遭わせたのか、と思うとの中に怒りがもち上がった。
怒りを抑えた強い口調では再度言った。


「彼を離しなさい!」


目の前に大蛇が飛び掛かってくるのが見え、は咄嗟に杖を持たずに魔法を使い、蛇は平衡感覚を崩して狙いが逸れる。
視線を動かすとがこちらに杖を向けているのが見え、杖を拾い上げる暇もなく呪文を唱えてなんとか応戦した。
その時、視界の端で蛇が素早く動いて死角に入るのが確認できたが、それに対応することができず、肩に鋭い痛みが走った。
背後から右肩を噛まれ反射的にの身体が竦んだ時に、は素早くに止めを刺した。
の呪文を身に受け、は視界が真っ暗になって身体が床に転がり、思考を手放した。
世界が止まった。















「抵抗したら君を殺すと言ったのに、往生際の悪い女だとは思わないか?」


はアーサーの身体を離して、慇懃にも彼が元々座っていた壁へ背を立て掛けた。
アーサーには彼女の表情は読めなかった。
このまま殺されるのだろうか、それとも……。


「すまなかったね。君に危害を加えたかったわけじゃない。欲しいものは手に入ったし、そろそろ退散するよ」


先ほど彼を殺すと言った人間が発するには、奇妙な言葉だった。
しゃあしゃあとはそう言って、立ち上がって彼のいる場所から移動しようとしていた。
アーサーは薄れゆく意識の中で、彼女の言葉を信じればとりあえず命の危機はないようだと感じ、必死で声を発しようとした。


は……」


はその場で視線だけをちらりとアーサーへ寄越した。


「君は自分の心配をした方が良い。いくら攻撃の手が緩かったとしても、そのまま長時間発見されなければ、君はきっと死んでしまう。この蛇の牙には毒があってね」


はアーサーの身体から遠くに転がっている彼の杖を一瞥し、またアーサーへ視線を戻した。
今も血は多量に流れ落ち、彼は朦朧しているように見えた。


「解毒剤を見つけられることを願っているよ」


無表情のままはそれだけ述べると、さっさと歩き始めた。
ちらりと自分のローブが血で汚れているのを確認したが、何も見ていないかのような姿勢で足を進める。
の杖を拾い集め、自分のポケットへ収めると、床に崩れ落ちているを見下ろした。
は目を瞑って、マントとローブの黒い布の固まりと混ざり合っていた。
屈んでその頬をするりと撫でると、杖を使ってその身体を浮かしてアーサー相手にしたように、の身体を腕に抱えた。
ローブが翻った時に、の鼻はツンとした鉄の臭いを感じた。
の身体からも血液は絶えず流れ出ていた。
細い身体を抱え上げ、神秘部周辺の様子を窺っていた蛇が側に戻ってくるのを認め、はアーサーに背を向けながら呟いた。


「それでは、彼女はお借りするよ」


姿を眩ませた。










*










身を引き裂かれるような感覚が身体を走り、身体が跳ねて反射で手足はなんとか痛みを軽減しようと動くけれど、それは叶うことがなかった。
の目がしっかと開き、薄汚れた天井から、薄暗い室内へ視線は移動した。
身体は椅子に座っている状態だが、手足は椅子に括りつけられているのだろうか全く動く気配を見せず、強く力を入れても束縛がさらにきつくなるだけだった。
最大限まで痛点を刺激されて神経がいかれた感覚が消えないまま、は目の前の二人の魔法使いを視界に入れた。


「目覚めはいかがかな?」


ヴォルデモートは肘掛け椅子に座ったまま杖をこちらへと向けていた。
はその側に付き従うようにただ立っていた。
彼女の表情は見えない。


「……磔の呪文で起こされたのは初めてよ」


はなんとか痺れる唇と舌を使い、上手に言葉を発することができた。
ヴォルデモートは喉で笑うと、杖を下ろして黒いローブに包まれた腕を組んだ。
至極ご機嫌そうな様子で真っ赤な瞳でを見つめながら、言葉を続ける。
は閉心術を必死で行った。


「以前はよくも俺様に傷をつけて逃げ去ったものだ……俺様がどれだけお前にそれを後悔させたかったか、想像できるか?」


半年前、はヴォルデモートの腕にマグルの拳銃を放ち、死喰い人の集団の中から逃げることに成功していた。
ヴォルデモートはその時の傷跡をこれ見よがしに撫でていた。
はこの状況にそぐわず、冷静に言った。
実際、彼女はとても「場馴れ」していた。


「あなたが私を呼んだ目的は、私を痛めつけたかっただけということなの?」

「それだけではないことは、お前が一番知っているだろう」


途端に開心術が襲い掛かってきたものの、が必死で防いでいる内にヴォルデモートの術は消えた。
がそれを不思議に思っている内に、ヴォルデモートは面白がるように言った。


「――なるほど。セブルスの受け売りか」


違う――これは、多くはアリアによる特訓の成果だった。
セブルスとはこのようなことは全く行っていなかった。
このような、お互いを詮索するようなことは、決して彼とはできなかった。
は息を荒げながら、じっとヴォルデモートを睨みつけながら言葉を放った。


「私は大した情報は持ってはいないわ。ダンブルドアが秘密主義なのはご存知でしょう? セブルスが知っている以上の情報は私は知らない」

「まさか本気でそう言っているわけではないだろう?」


ヴォルデモートがそう言ってにやりと微笑むと、がふいに口を開いた。


「ダンブルドアが「あの」セブルス・スネイプに何もかも話すわけがない。改めて言わなくとも、闇祓いや魔法省、騎士団の動向まで知っているお前は、素晴らしい尋問相手だ」


するりと大蛇が部屋の中に入り込んできた。
大蛇はヴォルデモートの腕に巻きついたかと思うと顔をへ差し出し、が頭を撫でると気持ち良さそうに目を細めた。
は右肩が生暖かく濡れているのを思い出した。
今も乾いている形跡がない。


「ナギニの毒は傷口を塞がない。解毒剤を服用しないと……賢いお前だから、どうなるか分かるだろう?
 そして、お前は賢いから、私たちがどのような情報を欲しているかも理解しているはずだ」


ヴォルデモートが満足げな表情で腕を解き、再度杖を取り出してそれを指先で弄んだ。
赤い瞳を細めて呟いた。


「死ぬか生きるかはお前次第だ」










*










アラスター・ムーディは自宅におり、そろそろ寝ようかとした時、ふいに目の前に守護霊が現れた。
騎士団の仕事らしい。
こんな時間に迷惑なことだと、その守護霊の言葉に耳を傾けた――モリー・ウィーズリーの守護霊だった。
その言葉を聞くとムーディの顔色は変わり、急いで旅行マントを羽織って聖マンゴへ向かった。






「モリーにわしを呼ばせたのはお前か、アルバス」

「当然の人選だと思っておるが」


ホグワーツの校長室で、二人の老人が顔を合わせていた。
ダンブルドアは椅子に座っているが、ムーディは決して椅子に腰かけようとせずに杖と義足で身体を支えていた。
そのようなムーディに対し、ダンブルドアは改めて椅子を勧めようとはしなかった。
ダンブルドアの背後の歴代校長の肖像画は、全て眠っているように見えた。


「それで、どうじゃったかな?」


ムーディは椅子にどんと構えているダンブルドアを忌々しそうに眺め、額をかいてから堰を切ったように言葉を放った。


「アーサーに錯乱しているような様子は見られない。止まらない出血だけは異常だが――本人は蛇に噛まれたと言っていた――それ以外は至って正常だった。
 それから、何より、をいくら呼び出そうとしても彼女は現れない。彼女の家にも誰もいなかった。
 トンクスに闇祓い本部へ向かわせたが、のデスクには使いさしの羽ペンと書類が残っていて、椅子も乱雑に放りっぱなしだった、と。省内にはいなかったらしい」

「彼女は几帳面な方かね?」

「ああ――この状況は異常だ」

「となると、アーサーが言っていたようにに連れて行かれた、と考えるのが一番道理が叶っておるのだな」

「そうだ」


ダンブルドアは弟子が闇の勢力の手に下ったと思われる師匠の姿を眺めた。
彼は、意外に冷静だった。
よく考えれば、このような状況は闇祓いであるこの師弟にとってそこまで稀有なものではなかった。
ダンブルドアがそんなことを考えていると、ムーディはそうしているダンブルドアを咎めるかのような視線を送っていた。
この校長室に着いてから、動揺している様子は見られないものの、ムーディはずっと顔を顰めていた。


「アーサーよりを攫った方が有用なことは目に見えている。彼女は闇の勢力が欲しい情報の宝庫だ――アルバス、そのことは認識していただいているか?」

「勿論だとも。ただ、彼女がとても有能な闇祓いで、闇の魔術に対する防衛に長けていることも知っておる」

「かつて、「あの」ロングボトム夫妻も拷問で正気を失った」


ムーディはダンブルドアを睨みつけるようにして言った。
ダンブルドアは小さく息を吐いて、目を伏せた。


「すまない。ただ……彼女ならば耐性はまだある、という認識をしているだけじゃ。早急に救い出さねばならぬ」

「どうやって? わしには見当もつかん」

「今考えておる。それに、彼女が不在である良い理由も考えねばならん」

「アーサー相手にしたように、な。お前がその方法を考えつくまで、わしはどれだけ待ったら良いか教えてもらえるか?」

「――アラスター、急いてはことを仕損じる」

「知っている。ただ、わしはお前に対して信頼を持っていない」


ダンブルドアは深く息を吐いた。
目の前の男は動揺はしていないものの、酷く急いている――可愛い弟子の危機だから仕方がないのだが、こういう彼を見るのはとても久し振りだった。
少なくとも、この十数年間はこのような彼を見ることはなかった。
ある一人の他人に対してここまで強い感情を持つ彼は、なかなか見ることはできない。
ただ、彼がこの状況下でこの校長室にやって来るだけの信頼を己が持ち得ているということに、ダンブルドアは感謝した。
彼はこの場にいて、こうやって己と話をしているのだ。


「スネイプは? 何と言っている?」

「セブルスにはまだ話しておらん」

「――何故?」


ムーディは低く言葉を放って眉を潜めた。
対してダンブルドアはあくまでも飄々とした態度を取っていた。


「先ほど分かったことをすぐさま彼に話す時間がなかっただけじゃ」

「……は彼と親密な仲で、彼は死喰い人の中にいる。スネイプが何らかの情報を持っているかもしれん」

「わしはそうとは思わんが……」


義眼と普通の目で鋭く睨み付けられたダンブルドアは、薄く笑みを浮かべた。


「では、君がセブルスに報告と話をしてきてもらえるかね?」


この狸爺とムーディは心の中で悪態を吐いた。


「了解した」


ムーディはすぐさまマントを翻し、校長室から出た。
あの忌々しい男と対面するのが、こんな機会になるとは思っていなかった。
しかし、ダンブルドアがあのような態度でいる以上、を救出するための行動をまともに起こせるのは自分しかいないと悟った。
あの狸爺だけに任せておくことはできない。
スネイプに話を聞きに行かねばならない。



























2011/10/6






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