21/愚かな女














よりもルシウスの方が薬の効き目は良かった。
彼は躊躇をかなぐり捨てることに成功したようで、目の前の女の身体を以前より激しく弄っていった。
皮膚に与えられる感覚を享受しつつ、は止まらない右肩の出血が気にかかっていた。
頭がぼんやりするのは薬のせいなのか、出血のせいなのか、はたまたルシウスの愛撫のせいなのか、判断がつかなかった。
ルシウスから多少治療は受けたものの、やはり長い間この意識を留めていることは不可能なように思えた。
絶望的な感覚を覚えたが、はできるだけそれから目を逸らそうとした。
目の前には男の影が覆い被さっていた。
まだ決定的なことはされていないものの、このままでいたら、結果として何をされるのかは明らかだった。

そんなことをが考えていると、ふいに部屋の扉が開き、続いて足音が聞こえた。
ルシウスは手を止めて顔を上げる。
は視線だけを動かして、来訪した人物を窺った。


「ルシウス。卿が呼んでいる」


が有無を言わさない調子で言った。
ルシウスは身体を起こして、部屋の中ほどまで足を進めたと向き合うようにした。
先ほどまでの体勢のせいで解れた彼のプラチナ・ブロンドが、上等なローブの肩に落ちた。
躊躇いを含んだ口調で言った。


「……しかし……」

「この状況は卿も知っている。その上で、だ」

「……了解しました」

「薬は置いていってくれ」


ルシウスはの言う通りの行動を取った。
自らの服は乱していなかったので、ルシウスはすぐさま部屋から立ち去って行った。
最後にちらりとを振り返りはしたが、その表情は催淫剤に浮かされているだけのものではなかった。
あくまで彼はこちらのことを気にかけているようだった。
はもぞもぞと動いて、衣服の乱れを直そうとしていたが、側にやって来たにそうしていた腕を掴まれた。


「酷い血の臭いがする」


の右肩の患部を露出させると、そこをじっと眺めた。
すると、彼女は赤い舌を傷に沿わせ始めた。
は痛みで悲鳴を上げかけたが何とか震えつつも堪え、目を瞑って彼女が唇をそこから離すのを待った。
が唇を離すと、は喘ぎつつも、ふいに現れてこの状況を打破した彼女に話しかけた。


「どうして止めさせたの?」

「薬の減り方を見ると、既に催淫剤は服用しているみたいだな。となると、あのまま続けたかったのか?」

「そんなわけない。どうして……」

「ルシウスから役回りが変わっただけだ」


え?、との言葉を消化せずにいる内に、は無駄のない動きであっという間にの唇を奪った。
は目を見開き驚き、思わずの身体を腕で押し返そうとすると、右肩から血が線を引いて流れ落ち始めた。
舌は生臭い鉄の味がした。
を押し返すことができず、唇が離された時には頭に血が上って頬を赤くさせていた。
全く予想だにしていなかったことに、の頭は混乱していた。


「……な……なに、貴方はそういう趣味があるの……?」

「男も女も似たようなものだろう?」


には決してそうとは思えなかった。


「それに、可愛がり甲斐のありそうな身体をしているじゃないか」


の視線に晒されている素肌を、ははっと腕で隠した。
は笑った。


「女同士なのにどうした?」

「だ、だって貴方が……」

「私が? 私が何かしたか?」

「貴方が……!」


はベッドの上にのりかかり、ベッドの上で彼女から離れようとじりじりと後ずさるを追い詰めていった。
背中に薄汚れた壁が当たってこれ以上逃れようがなくなると、は襲い掛かる魔女を怯えた鼠のように見つめた。


「というのは、冗談なのだが」

「……は?」


は呆気に取られた。
は至極真面目な表情のままそう述べると、白くて滑々とした指をへと伸ばした。
はびくりと身体を跳ねさせるが、の指はのくすんだ頬を撫でるだけだった。
は彼女の指の柔らかい感覚と綺麗に伸びた長い爪の感覚を頬に感じ、おずおずと言葉を放った。


「……冗談って?」

「ルシウスから役回りが変わった、というのは冗談だ。ヴォルデモート卿はこのような拷問は不要だと判断した。
 まあ、現在緊急にルシウスを呼ぶ用事ができたからというのも一つの理由だが、あの方は普通の尋問でお前は落ちると判断している」


は軽く首を傾け、今度は指をの頬から顎へと滑らせ、猫をあやすかのようにくすぐるようにした。


「もっとも、私はその前にお前は出血で死んでしまうと思っているが」


は、ルシウスが既に何かしでかしたのか、と小さく呟くとの肌をくすぐっていた指で己のローブを探った。
指先で二つの小瓶を持ち出すと、それをの前で揺らした。
片方は透明の液体で、もう片方は薄い緑色の液体だった。
透明の液体は揺らされると光を反射し、キラキラとへ向かって光を放った。


「ルシウスが少しお前の血を補給したようだが、これは欲しいかな?」

「……血液補充薬?」

「それと、解毒剤だ」


が不可解そうに顔を顰めると、は喉の奥で笑った。


「尋問相手は生かさねばならないのだよ。必要な情報を手に入れるまでね」

「私が何も吐かずに死んでしまうと?」

「このままだと、数時間以内に意識が混濁するだろう。そんな相手に開心術をしてもまともな記憶は得られない」


は獲物を目の前に差し出された獣のような目をしていた。
じっと食い入るように、の持っている小瓶を見つめている。
そしてふいに、小瓶からに目線を上げた。


「……思っていたより毒が効きすぎたってこと?」

「そして、思っていたよりお前がしぶとかった。しかし、これを服用したところでお前が拷問で苦しむ時間が永遠に伸びていくだけ、とも取れる」


はすぐさま視線を小瓶に戻しており、は内心ほくそ笑んでいた。


「さて、自らこれを飲むか?」

「……ええ」


毒殺されはしないだろうし、この状況下で彼らがこちらをさらに弱らせるものを飲ませようとはしないと思った。
また、血液補充薬の芳香や特徴ははっきりと覚えているから、これが確かにそのものであるかその物を渡されれば判断ができる。
解毒剤についても同様に粗方の特徴は心得ていた。
二本の小瓶が手渡されると、は封を開けて中身の液体を念入りに確認した。
色、芳香、少量摂取した際の味などからこの薬剤が確かにそれであると確認すると、はそれを経口で摂取した。
の動向を黙って見つめていた。


「やっぱり、催淫剤はあまり効いていないようだな」

「……そう、だけど……」

「つまらない」


がはっと眉を寄せると、は唇に笑みを作った。
はじっとの目を見つめた。
彼女の目に先ほどのようなルシウスのような色は見えないが。


「さっき、どうしてキスしたの?」

「美しいものを愛でるのは自明なことだ」

「……」


二人の視線が交わされ合ったまま、は再度身を乗り出してに手を伸ばし、そっとその黒い髪を撫でた。
足元のベッドのシーツが皺を寄せた。
は怪訝な表情で目を見開いたまま硬直し、に触れられても動かなかった。
の動かない指から、二本の小瓶を回収した。


「男も女も関係ない」


小さく開いたままのの唇は、小さく息を繰り返していた。
の頬を撫で、の柔らかな唇は小さく呪文を囁いての額に小さく口付けを落とした。
の頬をの光を放つようなブロンドが撫でた。


「とりあえずこれで大丈夫だろう」


は身体の痺れが少しましになり、徐々に身体が暖まっていくのを感じた。
先ほど飲んだ薬と、の呪文が作用をし始めたようだった。
は手の平での身体が暖まったのを確かめると、小瓶をローブに仕舞いの身体から離れてベッドに腰掛けた。
がまだ動こうとしないのを見て、は相変わらず唇に笑みを浮かべながらに声をかけた。


「やはり媚薬が効いているのか? それなら――」

「効いてません」


は堅い表情のまま硬質な声を上げると、やけにこちらに構おうとして来る魔女を睨み付けた。
きっと彼女は性的嗜好は抜きにして、この状況を面白がっているだけなのだろう、とは思った。
彼女の性的嗜好は理解しがたい。
は喉で笑うと杖を振り、の破れたローブを補修した。


「お前の恋人が助けに来ることはないということは、お前も予想はしているだろうな」


は直されたローブを見ていたところから、ぴくりと顔を上げた。
の表情は緩んでも引き締まってもおらず、感情の読み取りにくいものだった。


「私は彼とお前の関係がいまいちよく分かっていないのだが、ともかく、彼はここに来ることはないよ。彼はこの件から遠ざけている」


は反射的に、挑戦的に言葉を返した。


「勿論そう思っているわ」

「私は甚だお前たちの関係が疑問でね」


急にこの魔女は何を話し出すのだとは訝しく思った。
彼女はこの話をこの場でして、何を私から引き出そうとしているのか、何を私に与えようとしているのだろうか、全く理解ができなかった。
セブルスと私の何が気にかかるのだろうか?


「……闇祓いと死喰い人という観念から見たら、そうでしょうね。でも――」

「前もって忠告してあげるが、セブルス・スネイプを信用するものじゃない。お前のためを考えるのなら」


はきっぱりとそう述べた。
の眉の間に皺ができて、の言葉を十分咀嚼してから、ゆっくりと言葉を返した。


「……そう言うには理由があるのでしょうね?」

「勿論。お前が知らないことを私は知っている。なにしろ、彼との付き合いは長いからな」

「私が知らなくて貴方が知っていることは、私には教えてくれないの?」

「ああ」

「どうして?」


はにやにやとした表情で口を決して開かなかった。
は彼女を睨み付けたが、そんなことでの口が開かれるわけがなく、溜息を吐いた。


「……そういうことなら、私は貴方の言葉を信用することはできないわ」

「結構。好きにすれば良い。ただ、私はお前にこのことは伝えた」


の言い方にむず痒いところを感じ、は唇を噛んだ。
彼女は一体何の戯れがしたいのだ?
痺れを切らして、低く言葉を放った。


「貴方は何が言いたいの?」

「セブルス・スネイプはヴォルデモート以上に恋人に不向きな男だ、ということだよ」


がこの言葉をどう飲み込んだら良いのか分からずに固まっている内に、はベッドに腰掛けたまま何か思い出したように手を叩いた。


「それと、お前にもう一つ伝えておきたいことがあった。私から頼みがある。ヴォルデモート卿を殺して欲しい」


先ほどまでの問答は頭から吹っ飛び、の表情は呆気に取られたものに変化した。
まるで雷をに打たれたかのような衝撃がの身体に走り、目を剥く。
はそれ程までにの言葉に驚いたのだが、その言葉を発した当の本人はそのの変化を見て笑いさえしていた。
何を言って良いのか分からなくなったものの、は硬直した表情のままなんとか一つの言葉を捻り出した。


「冗談でしょう?」

「冗談ではない」


彼女が冗談ではないと言うのならば冗談ではないのだと判断するものの、にはの言ったことが信じられなかった。
いや、どうして信じられるのだろう?
知らず知らずの内に、の身体に嫌な汗が滲んでいた。
ベッドの上に座り込んだまま、の顔の筋肉は当人の混乱と同様にぎくしゃくと動いていた。


「……どうして? どうして貴方がそんなことを私に頼むの? 貴方は死喰い人ではないの?」


の口は上ずった声を出した。
闇の女帝と呼ばれ、ヴォルデモート卿に常に付き従っている彼女は、さも当然かのように答えた。


「私は死喰い人だと自認したことは未だかつてない。
 私は、彼がこれ以上に手を汚し魂を穢し、呪文によって身を切り刻み変形させ、心臓を悪魔に捧げて生きるのを好ましく思わないだけだ」


の言うことを、とりあえず信じようとした。
汗が背中を伝ってローブを濡らした。


「――じゃあ、貴方がそれをすれば良い話ではないの? 貴方は闇の帝王に加担しているのに、彼がいなくなることを望むだなんて矛盾している」

「彼に反駁して傍から離れるくらいならば、自ら舌を噛んだ方がましだ」


この場で初めて、は顔を顰めた。
その表情には心を掴まれた。
一瞬、彼女の目が生気を失ったかのように感じられたからだ。
また、彼女が咄嗟に放った言葉は有無を言わさない殺伐とした雰囲気を纏っていた。


「私には、貴方の言っていることが分からないわ」


は恐れながらもこう言うことしかできなかった。
は顔を以前の無表情に変化させ、口調を和らがせてこんこんと言葉を放った。


「分かってもらおうとは思っていない。、お前は私が頼む前からそうしたいと願っていたのだろう? では、大人しく了解の返事だけをしてくれ」


の言う通り、それは今更彼女から頼まれるべきことではなかった。
ただ、は、先ほどのような言葉を放ったの心情がとても気にかかっていた。
しかし、の唇は勝手にが望み自分の望みでもある言葉を放っていた。


「分かったわ」

「頼む」


は微笑むと立ち上がって、用が終わったとばかりにそそくさと部屋から出て行こうとした。
その背中に向かっては思わず声を上げた。


「教えて――貴方はどうして――!」

「私が愛しているのはトム・リドルだ。ヴォルデモートではない。こう言ったら、お前の気持ちは収まるかな?」


は機敏に振り向いた。
白いローブが綺麗に広がると、それは彼女の足元に落ちた。
お世辞にも綺麗とは言えない部屋の汚いベッドに座り、黒い衣服を身に着け肩から血を流す魔女を、は見下ろした。
彼女はこちらに縋るような視線を見せていた。
情けない表情だ、とは思った。


「愛している人物が人外への道を進もうとしたら、それを止めたいと思うのが当然だろう?」


が疑問に思っていることが手に取るように分かったから、言葉を続けた。


「そして、愛している人物を自分の手にかけたくないと思うのが、人の心だと思わないか?」


の目が軽く開いたのを、は見た。


、お前がセブルス・スネイプのことを本当に愛しているならば、この気持ちは分かると思うのだが」


の言葉を待たずに、部屋から出て行った。
足音が遠ざかると、は目を見開いたままに身体から力が抜けて、ベッドに深く腰かけた。
その反動で埃が辺りに散った。
はかさついている唇を手で覆い、唸った。


――貴方は――」


先ほどの彼女の言葉が頭の中で渦巻いた。
彼女がセブルスについて言及していた言葉さえ、それに加わった。


「貴方は、「ヴォルデモート」が殺されて欲しいのね」


は囁いた。
「ヴォルデモート」がいなくなった時、彼女の目前には「トム・リドル」が現れるのだろうか。
について多くのことは知らないが、は無性に胸が痛んだ。
このような状況でこんなことをする必要はないし、するべきではないと思っているものの、胸がチクチク痛むのをどうしようもできなかった。
はこのように人を深く愛する人だから、私とセブルスのことについてあそこまで突っかかったのだろうと予想できた。
だが、それは、全く次元が異なる話だ、とは思った。
私は、魂がバラバラになった状況の恋人を見つけ出し、それを何年間も傍で守り抜くなんてことは、決してできない。















あんなことを他人に言うなどらしくないと思ったが、彼女には思い入れが多少あるため、ついついあのようなことを言ってしまった。
は後悔したが、今更どうしようもないと思って考えることを止めた。
「彼」について、このように自分の内心を他人に語るなど、初めてかもしれなかった。
彼女が――あのセブルス・スネイプを愛しているというから、口が滑ったのだろう。
セブルス・スネイプを愛してしまった愚かで可哀想な女――きっと同族意識が働いたのだろうと、は自嘲の笑みを浮かべた。
は、がセブルスと恋仲になったと聞いた時から、さらに彼女が気に入っていた。
だから戯れに接吻をしてみたのだ。
はきっとここから脱出するだろうとは直感的に思っていたから、先ほどのような言葉をに向けたが、にとってはの行く末がどうなろうとあまり興味はなかった。
彼女がここで腐ろうと、特に興味はなかった。
――一番愚かな女が己だということは、は随分前から骨の髄から心得ていた。

さあ、セブルスがこの状況でどのような態度を取るのかが楽しみだ。
彼にとっては悪夢との再会だろう。



























2011/10/27






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