22/猫との遭遇














アーサーが大蛇に襲われた次の日、聖マンゴへハリーやウィーズリー一家を連れてきたムーディは、子供たちと入れ替わりに病室に入ると、アーサーが一心にこちらを見つめていることに気づいた。
病室にはアーサー、モリー、トンクス、ムーディと他の患者たちしかいなかった。
ムーディはアーサーが何を話したいのか心得て、ベッドの周りのカーテンを引いた。


「マッド=アイ、彼女は……」

「案ずるな、アーサー。彼女はプロだ。お前に心配されるほど落ちぶれてはいない」

「しかし……!」

「師匠がこう言うんだ、信用しろ。お前は自分の身体のことだけを考えていろ」


はっきりとしたムーディの言い様に、トンクスが眉を少し寄せてちらりとムーディを見やった。
そして、声を潜めてムーディの言うことを補足するように言葉を続けた。


「あの後、念のため、私が本部へ彼女の所在を確かめに行ったの……魔法省にもどこにも彼女はいないわ。ダンブルドアも、彼女が今は闇の勢力の手にいると判断してる」

「当然だ! 何といったって、彼女は私を庇って……!」

「ダンブルドアはどうなさっているの?」


モリーが引き締まった表情で言葉を挟んだ。
ムーディは渋い顔で答えた。


「「対処策を考慮中」だ。とりあえず、お前と彼女の魔法省に不在である理由は思いついたらしい」

「そんな……こうしている間も……!」


トンクスは驚いた風に目を見開き、呟いた。
アーサーとモリーも同様の表情をしており、彼らの視線を一身に浴びているムーディはこめかみをかいた。


「――場所が分からない限りはどうしようもない。ただ、何もしていないわけではない。この場で何もかもを話すことはしないが、信用しろ」


自らも不安を抱えているものの、他人を相手にムーディはこう言うしかなかった。
アーサー・ウィーズリーを不安がらせることはしたくはなかった。
なにしろ、彼女はプロで彼は素人なのでこの状況は仕方がないのだから、不必要に怪我を負っている彼を刺激したくなかった。
彼女は闇の勢力と妙な因縁があり、ヴォルデモートも強い魔力を持つ彼女を簡単に殺しはしないという確信はあったものの、拷問に彼女が一人でどれほど耐えられるものか、分からなかった。
ムーディは袖の下で拳を握りしめ、誰にも悟られないように唇を噛んだ。

の所在については、瞬く間にグリモールド・プレイスの人々の耳に渡った。
直近の会議で議題には上がったものの、について直接的な情報を持つ騎士団員など誰もいなかった。
その場にセブルスはいなかった。
ムーディは、セブルス・スネイプだけが唯一何か情報を得られる可能性があると判断していたので、できるだけ早く彼に会おうとした。
このままでは無益な会議を続けることしかできない。





スネイプの様子がおかしいと、ホグワーツの生徒たちの間で噂になっていた。
普段、油断も隙もないというような風体をしている彼だが、最近の彼は授業中に減点も加点もせず、淡々と授業を行うだけだった。
また、いつもは授業終了ほんの直前まで授業を行うのだが、授業終了時間より数分前に授業を終えることが増えた。
そして、どこかいつものこの教授の緊迫した雰囲気が緩み、どこか気が抜けている感じがするのだ。

が監禁されたと発覚してからほんの数日しか経っていなかったが、セブルスの気持ちはここ十数年以来の激しい動揺を見せていた。
そして彼自身、大きく動くことは決してできなかった。
そもそも、今までセブルスを抜いて計画してきたため存在さえ知らなかった作戦に、今さら口を挟んだりすることはできない。
闇の帝王がそれを許すとは思えなかった。
激しい葛藤がセブルスの中で渦巻き、日頃の仕事はこなしているものの、とても珍しく彼の動揺は外に見え隠れしていた。

授業を終えて自室の扉を開けて、その中に足を踏み込んだ。
足の進ませ方もいつもより余裕がなく、扉を閉めたセブルスはその部屋に異様なものがあることに気づいた。
その物体を目に収めたセブルスは、思わず目を見開いた。


「お前は……」










*










とはあれ以降接触せず、ルシウスとも会うことはなかった。
部屋で拘束され――拘束するのはヴォルデモートの趣味なのだろうか――幾度となく磔の呪文による拷問を受けた。
闇祓いや魔法省、騎士団の情報を吐けと迫られる。
ただ、ヴォルデモートの言葉で彼らが何を知っていて何を知らないのかは知ることができたが、そんなことは徐々にどうでも良いこととなった。
また、そのようなことに気を払っていることなどできなくなった。
拷問が終わる度々に「まだ意識がある」と自分に言い聞かせて、なんとか生きていることを確認した。
どうやらワームテールが世話役のようで食事を持ってくる度に話しかけるものの、彼は決してそれに応えることはせずに素早くそそくさと部屋を出て行った。
恐らく、私と何も口をきくなと言われているのだろう。
彼から何か情報が漏れるのではないか、と思っていたの目論見は叶わなかった。
拷問以外の時は、なんとか食物を胃に流し込み、神経が昂ぶり睡眠すらまともに取れない状態で身体を癒すために目を瞑り、転がっているだけだった。
部屋に窓はなく分厚い壁が四方にあるのみで、監禁されてからどれほどの時間が経ったか全く分からず、昼夜問わずの拷問に永遠とも思える時間を過ごしていた。

身体がここまで衰弱した状況にいるのは初めてであった。
もう身体も頭も動くことを拒否していた。
次こそはもう駄目だ次こそはもう駄目だと何度も思いつつ、は幾度となく困難を潜り抜けていた。
ただ、次こそはもう駄目だ――嫌な汗が全身に纏わりつき、神経の節々が慢性的に悲鳴を上げ、身体がずっと震えている。
頭が働かない……こうなったらもうそろそろ諦め時ではないのか、と言う声が自分の中から生まれた。
この建物には闇の帝王がおり、今の私ではどうしたってあの扉を開くことは不可能だ。
逃げられない。
情報を吐くくらいならば、自ら命を絶つべきだ――そう思った瞬間、寝転がっていた腹に何か重いものが落ちてきた。


「うっ……」


なにか、そう、小動物くらいの重みだ。
その物体は腹の上でもとても柔らかいように感じられた。
命の危機を感じる衝動ではないので咄嗟には身体を起こしてそれを確認することはせず、のろのろと腕を上げて手探りで腹の上をまさぐった。
どこか覚えのあるフサフサとした生き物の温かい感触がした。


(起きろ)


この声にもとても覚えがあった――。


(逃げるぞ。さっさと起き上がれ)


は鋭い痛みを感じながらも渾身の力で身体を起こし、腹の上に乗っている物体を視界に収めた。
長く白い毛並みをした真っ黒な瞳のニーズルが、の杖を二本咥えていた。
この状況に何らかの感覚を覚える前に、は半年振りに遭遇したニーズルが咥えていた杖を自らの手に奪い取った。
ニーズルはが杖を手に取ったことを確認すると、無表情な瞳を一つ瞬きさせた。


(ポート・キーのように私に掴まれ。絶対に離すな。絶対にだ)


は目の前に唐突に表れたニーズルをあてにして良いものか一瞬迷ったものの、この状況下でこれ以外に縋るものはないし、このままでもどの道全てが終わってしまうので、ニーズルの尻尾を両手で握りしめた。
が尻尾を握りしめるとニーズルは身体をビクンとさせ、ちらりとの手元を振り返った。


(……よし。行くぞ)


次の瞬間、自分の背後に風景が駆け抜けていくポート・キーに似た感覚が訪れた。
今の状態のには厳しいものだったが、は尻尾を握りしめることからニーズルの身体を抱き締める手法に変えて、なんとかニーズルから手を離さなかった。
どこからか落下するような感覚を覚えると、次には全身に衝撃がおとずれて、鼻は今までの埃っぽさとは異なる気持ちの良い新鮮な匂いを嗅いだ。
が目を薄っすらと開くと、険しい表情をしたムーディの顔が上方にあった。
ニーズルを抱き締めたまま、はムーディの腕に抱えられていた。


「姿眩しをする」


ムーディは端的に言葉を放つと、を抱えたまま今度はグリモールド・プレイスの前に姿を現した。
そのままムーディは義足とは思えない速さで玄関へと向かい、二人と一匹は屋敷の中へと入った。
重い音が立って扉が閉まった瞬間、の緊張感は全て掻き消えた。
以前に見慣れていた風景がの周りにあった。


「私の記憶の限りでは、何も吐いてない」


の掻き消えそうな囁きをムーディはしっかりと耳に入れていた。


「何をされた?」

「磔の呪文、服従の呪文、開心術……」


の言葉が止まると、ムーディはの目の上に手の平を当てて視界を塞ぐようにした。
温かいかさついた皮膚の感触がの瞼に感じられた。


「了解した。休め」


視界の暗闇に牽引されるようにの意識は飛び、身体から完全に力が抜けて、ニーズルはするりと彼女の腕から抜け出した。















顔に何かの感触がした。
感触がしているのが唇だと感じるのに、鈍った頭は随分と時間を要した。
頭は徐々にクリアになってきて、四肢は力が抜けたそのままに僅かに瞼だけを動かしてみると、ぼやけた視界に知った人が見えた。
黒いシルエットが鮮明に目に映った。
瞼をもう少し開けて視界の焦点が合うと、その人と視線が合った。


「……! 聞こえるか――」


血相を変えてあまりに必死な形相のセブルスに、の頬は綻んで自然に笑みを作った。


「ええ。聞こえているわ。キスで目覚めるなんておとぎ話みたいじゃないの」


掠れた囁きがの唇から出た。
自身思うように声が出ないことに少し驚いた。
声帯の使い方を忘れてしまったかのようにしっかりと声は出せず、唇はかさついて動かず、舌は鉛のように感じられた。
普段の会話では耳に入れてもらえないだろう小さな声だったが、セブルスはの声で表情を多少緩めた。


「――良かった――本当に良かった――」


は、左手がずっとセブルスの手に握られていたことにやっと気づいた。
セブルスはの手を握りしめたまま、ベッドに寝ている身体をかき抱くように腕を広げて抱き締めた。
は驚いた。
まるで、彼が死に別れた人間と再会したかのような、あまりにも普段の彼らしくない必死の雰囲気を醸し出していたからだ。
こんなセブルスは今まで見たことがなかった。
このように、自分の内面を隠すことなく外に表現している彼は初めて見た――どうして――二年前に私が倒れた時はこんな風ではなかったのに。
確かに、シリウス・ブラック相手とヴォルデモート相手では心配の度合いも異なるのだろうが、それにしても今の彼の状況は異常だった。
また、この状況下でセブルスが目の前にいることには咄嗟に別の懸念を抱いていたのだが、その懸念は必要がないものだったらしいと判断した。


「セブ。大丈夫よ」


がこう言うと、セブルスは顔を上げて手の平での頬をゆっくりと撫でながら、じっとの目を見つめた。
彼に目を見つめられる条件反射としては身構えたが、やはりそんなことは全く必要がないようだった――彼はいつものように彼自身の感情を閉じることさえしていなかった。


「ちゃんと戻って来たわ。だから、そんなに心配しないで」

「……我輩は何もできなかった」


セブルスの顔に葛藤の感情の色が生まれ、は彼が本当に私のことに対して苦しみを覚えていたのだ、と思い知った。


「そりゃあそうよ。貴方が私を救い出せたわけがない。何も貴方が気に病むことはないわ」

「……しかし……」

「どうしたの? 私は気も狂わずに五体満足でここにいるわ。どうしてそんなに動揺しているの?」


セブルスはようやくいつもの彼らしくない様相をしていることに気づいたようで、きゅっと唇を引き締めるといつものように閉心術を自らに施したようだった。
先ほどまでの動揺も表情からは消えたが、やはり彼の感情の動きはその雰囲気から見え隠れしていた。


「身体はどうだ? お前はあれから三日間ずっと寝ていたんだ」

「……三日?」

「そうだ」


は絶句したものの、少し考えてから再度を言葉を放つ。


「時間をかければ元通りになると思うわ」

「……本当に、お前は信じられないほどに丈夫だな」


セブルスは大きく息を吐くとようやく微笑みを見せて、の前髪を撫でてから額に唇を下した。
そして低く囁いた。


「無事に戻って来てくれて感謝する」


は小さく目を見開き、僅かに唇を開いて言葉を紡いだ。


「……私も、貴方が傍にいてくれて感謝しているわ。忙しいんでしょ? いつからここにいたの?」

「そんなことを衰弱しているお前が気にするのではない。心配するのは当然のことだ」

「……ありがとう」


は微笑み、ベッドの下で繋がれている手に力を込めた。


「私も、今回は運が良かったと思ってる。……戻って来れて本当に良かった」


はじっとセブルスを見つめると、セブルスはその意図を介したようでに身体を傾けると、は繋いでいた手を解きのろのろと力の入らない腕を上げてセブルスの身体を抱いた。
セブルスは力の入らないの腕を介護するかのように自らの腕を使い、の背中を起こしてやり、二人は抱き合った。
目を瞑って彼の身体を感じ、温かさを感じると、大きな安堵の息が漏れた。
生きてまたここに戻って来れるだなんて、私は本当に悪運が強い女だと自分自身を感心した。


「セブ――私、こんなに動揺している貴方を初めて見たの。ねえ、理由を教えてはくれないの?」


が閉心術のことを言っていることはセブルスは知っていたので、セブルスは誤魔化すという選択肢はなかった。


「貴方の心臓の鼓動がとても速いわ」


二人の胸は重なり合っていた。
抱き合っているためにの肩にセブルスの顎が当たっており、丁度その表情はには見えなかった。
セブルスはに見えない所で目を閉じていた。


「……我輩とて常に平然としていられるわけではない。このような場合では尚更だ」


は目を開いた。


「私の、せい?」

「……ああ」


は腕の力を緩めるとセブルスはの身体を離して、二人は向き合い、視線が重なり合った。


「私のことが、心配だったの?」

「当然だ。閉心術に長けた我輩がその術が疎かになるほどにな。お前はそれに相当する目に遭っただろう?」


セブルスが断固として言い放つと、の唇が引き締まった。
セブルスはが謝罪の言葉を述べようとしているのがありありと分かったので、先にぴしゃりと述べた。


「もう何も言うな。お前は休むんだ。他の者にお前が目覚めたと伝えて来よう」


セブルスは丁寧にをベッドに寝かせ、毛布をかけた。
そしての顔をじっと見つめると、眉を寄せた。


「酷い顔色だ。身体もおかしいだろう。当分この部屋で休むんだ、良いな」

「安心して。私も今の状態ではここから出られないわ」


は見るからに蒼褪めた顔をしており、唇に色がなかった。
また、目をしっかりと開くことさえ辛そうで、元々華奢な身体が病的に細くなっていた。
彼女が本来持っていた力強さが完全に消え失せていた――彼女が相当に辛い状況にいるのは誰の目にも明白だった。
だが、目覚めた以上、彼女は死ぬことはないと彼女との今までの経験からセブルスは確信していた。
ふと、は苦笑した。


「それに、実は……喋っているのも辛いの」

「もうお前は喋るんじゃない」


セブルスは強く言うと、目を細めて再度言葉を紡いだ。


「また近い内に来る」


は小さく微笑むことでそれに応えた。
マントを翻して背を向けて立ち去るセブルス――きっと、本当に限られた時間でここに来てくれていたのだろう――をはじっと見つめて見送った。
セブルスがいなくなると、の胸の中で、セブルスに対して様々な思いが渦を巻いた。
数分と経たない内に再度扉は開いた。


! ああ、本当に目を覚ましたのね! 本当に良かった……」


モリーが安堵で泣きそうな顔をして、大きく足音を立てパタパタとこちらにやって来た。
彼女を見て、はやっと忘れてはならなかったことを思い出した。
に攻撃された時の光景がの中で蘇った……には守らなければならなかった人がいた。


「モリー、アーサーは……!」

「私の夫はあなたよりずっと元気よ。聖マンゴに入院しているけれど、命に全く別状はないわ」


が胸を撫で下ろすと、モリーはベッドの傍に立って持ってきたタオルを絞った。
そして、の額を拭きながら、暖かな感情の籠った眼差しでを見下ろして囁いた。


「あなたはアーサーの命の恩人よ」

「そんな――」

「あなたはもう喋らないで。セブルスから聞いているわ。喋るのすら辛いのでしょう?」


実際、もう唇を動かすことすら辛かったので、は喋りたかったが黙って耳を傾けることにした。


「あなたが攫われた後、すぐにアーサーは病院に運ばれたの。
 蛇の牙の毒の治療法をヒーラーたちが探してくれていて、今は血液補充剤による治療を受けていているわ」


蛇の毒の効果はまだ続いているらしく、右肩に濡れた感覚があることををは思い出し、それを強く感じた。
ヒーラーたちもアーサーの傷の治療法を探しているのならば、そう遠くない内に解毒剤を見つけることができるだろう、とは判断した。


「アーサーがあなたも蛇に噛まれたと言ったのよ。ああ……本当にありがとう、


はモリーの眼差しがこそばゆくって堪らなかった。
当然のことをしたまでだし、はちゃんとアーサーを助けることはできなかったのだ。


「私は――」

「あなたがいなければアーサーは死んでいたわ」


違う、とは思った。
私がいなければ、アーサーはあのように襲われることもなかったのかもしれないのだ。
ただ、そんなことを目の前の興奮しているモリーに言いきかせる気力が今のにはなくて、は口を開かなかった。


「とりあえず、あなたが元気になってもらわないと。何か温かいものを作って来るわ……ずっと寝ていたのだもの。魔法だけでは元気になれないわ。
 無理しないように食べて頂戴。それと、アラスターにここに来るように言ってくるわ」


ははっと目を見開いてモリーを見上げた。
モリーは小さく微笑んだ。


「あなたはきっと彼に話して欲しいことが、沢山あると思うから」



























2011/11/13






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