セブルス・スネイプ――彼はこの数日間毎日ここへやって来ており、のいる部屋に短い間ながらも滞在していた――が、興奮し顔をこんなに綻ばせているのをムーディは初めて見た。
厨房にやって来た彼はが目覚めたと言い、周りの者が騒ぎ立つ最中、その中に決して加わろうとはしなかった。
彼はとても忙しい。
彼がまだここでと共にいることを求めていることは、ムーディには分かっていた。
セブルスはムーディ相手に目配せをしてから、マントを翻らせて厨房から出て行った。
モリーが急いで厨房から出て行くのを見送り、ムーディは息を吐いて椅子にどっかりと座った。
その足元で白い生き物が丸まっていた。
23/緑の目のヒーラー
のいる部屋には人が近づかなかったし、子供たちにもまだ近づくなと言っていた。
が闇の勢力の陣地から救出されたことは皆が知っていたし、彼女が酷い拷問を受けて身体がボロボロになっていることも、皆が知っていた。
今のを、人に会わせることができない。
のいる部屋に近づくのは、彼女と親しくしているセブルス、この屋敷で時間がたっぷりあるシリウス、それとの世話をするためにモリーが献身的に訪れるだけだった。
ムーディ自身、あそこまで傷つけられたの姿は初めて見た。
ただ、聖マンゴでこのような状況の彼女をヒーラーに見せることはできなかった。
ダンブルドアからも禁止されていた――まさか、禁呪でズタズタに傷つけられたをヒーラーに見せられるわけがない。
モリーと入れ替わりにのいる部屋に入ったムーディは、がベッドの上で人形のように微動だにしないのを見た。
ベッドに近づきながら声をかけた。
「スネイプに何かされたか?」
は瞬きを一つして、ムーディにゆっくりと顔を向けた。
唇を小さく開いて、小鳥が鳴くような声量で言葉を放った。
「いいえ。何かされると、思ったのに。こんなに弱った私を前にして、心を開かれるかと思ったの。でも――」
「人並みにお前が目覚めたことに喜んで立ち去った、というところか」
「ええ。彼は、彼自身の閉心術さえ疎かになるほど、私のことを心配していたわ」
ムーディは怪訝な顔になって眉を寄せた。
対して、は表情を変えずに淡々と言葉を述べていた。
ムーディには、が表情を変える気力さえないのか、それとも本当に淡々とこの事象を見つめているのか、分からなかった。
「私も、驚いたわ」
「あいつが? 心を緩めただと?」
「ええ。死喰い人の彼として、考えられない」
ムーディは難しい顔をして、ベッドの傍で杖をついて立ったまま顎を撫でた。
「……死喰い人らしくない行動だ。わしは、あいつが弱ったお前から情報を奪ったのではないか、と思っていたのだが」
「……そうね」
ぽつりとがそう述べると、沈黙が訪れた。
ムーディはの言葉を受けて色々と考えていたが、はたとを見下ろし、語るべきことが沢山あることを思い出した。
「何もなかったのならば、スネイプのことはまあ良い。まずは、お前が監禁されてから何も事態に変化は起こっていない、ということを伝えておこう」
の唇が引き締められ、表情が弱った病人から闇祓いのものへと引き締まった。
声が低くなり、神妙に言葉を吐いた。
「じゃあ……私は、情報を吐いていないかもしれないわね。彼らがすぐに動き出すような情報を、私は持っていたから」
言葉は不思議と部屋に響き、ムーディは小さく会釈をして目を細めてを眺めた。
「その可能性は高いと思えるが――お前は、お前自身の自我に自信はあるか?」
は顎を上げて視線を天井に向け、少し考えた後、声の強さは前とは変わっていないものの落ち着いて述べた。
「……ええ……多分……いえ、私が救出された時を見た貴方に客観的に判断して欲しいわ」
ムーディは、のその言い方、そして今までの様子を合わせ、は身体は傷つけられたものの正気は十分に保っていただろうと判断した。
たった三日間で思考力はそうそう回復できるものではないし、気が狂った人間が数日で落ち着いた物言いができるとは思えなかった。
今のは十分に落ち着いてベッドで寝ていた。
「何事にも絶対というものはないが、情報を吐いた可能性は低いように思える」
「――良かった」
は安堵したように僅かに表情を綻ばせてそうとだけ呟くと、黙り込んだ。
ムーディは、セブルスが言っていたことを思い出した。
「もう喋らなくても良い。話を聞いていろ。
今のお前は蛇の毒の解毒剤は服用せず、血液補充剤だけ投与されている――解毒剤はまだ見つかってはいない。
身体の衰弱具合も異常だ。当分ここから動くんじゃない。治療はこちらに任せておけ。
魔法省には、お前はマグル界で事故に遭った、と伝えてある。ダンブルドアによって情報操作は済んでいる」
は小さく会釈をした。
「それから、気になっているだろうから言っておくと、このニーズルはスネイプの所に現れて――お前の救出に協力すると言った」
ムーディの足元から白いニーズルはベッドに駆け上り、の枕元で足を止めた。
は目だけでその姿を追った。
一人と一匹の視線が意味ありげに交わされた。
あの出来事――がニーズルに裏切られ、ムーディの異変に気付くことができず、三校対抗試合の第三の課題の時に死喰い人の前に引きずり出された――から約半年が経っていた。
ニーズルはあれ以来の側、闇の勢力の中にいたのだろうか、とは思った。
「代わりに、ここにずっと幽閉されることをダンブルドアと契約したようだが」
(ニーズルは主人に忠実な生き物だと忘れていただろう?)
が口を開こうとすると、ニーズルの小さな足がの口元に押し付けられた。
この小さな生き物まで私が言葉を放つのを止めるのか、とは喉を詰まらせた。
(勘違いするな。私はあちら側に嫌気が差したから、直近の居場所に戻ろうとしただけだ。
私はお前のいる場所もお前の杖のある場所も、お前を救出することができる能力も持ち合わせていた。ただ、スネイプに意思を伝えるのには骨が折れたが)
このニーズルは類稀なる能力を持っていた。
明晰な頭脳は元より、自在に姿を消して好む場所で姿を現すことができるのだ。
ホグワーツの中でさえも、まるで屋敷しもべ妖精のように、このニーズルはその能力を発揮できた。
そんなニーズルにとって、闇の勢力の陣地からを移動させるくらい簡単なことだったのだろう。
「貴方はを裏切って――」
(だから、勘違いをするな。・は私の主人ではない。彼女の主従は蛇だ。私の主人はバーティミウス・クラウチと……お前だけだ)
以前の光景がの頭に蘇った。
目から光を失って項垂れたクラウチJr.を見つめていたニーズル――私はこのニーズルと擦れ違い、それから会うことはなかった。
ニーズルと私は違う方向へ進むのだと思っていた。
ニーズルは主人に忠実な生き物だから、主人が誓いを立てていたものに従っていくのだと思っていた。
しかし、このニーズルは今現在の枕元に座っていた。
「――どうして――」
(喋るな)
は眉を寄せた。
ニーズルの言葉に従うつもりは毛頭なかった。
「どうして、貴方は私のところへ戻って来たの?」
表情の分かりにくいニーズルが、仕方がないとでもいうように表情を歪めた気がした。
こうでもしないとはいつまでも言葉を吐き続けるだろうから、ニーズルは重い口を開いて低く思いを伝えた。
決して、進んでこのことを他人に……それもに話そうとは思っていなかったが。
(……ヴォルデモート卿は、魔法省に虐げられている魔法生物を救うとのたまっておきながら、あいつの心情はそれとは正反対だった。
それを知ったからには、以前の主人が死んだことも加え、あそこにはいられない)
ニーズルはに話すことはもうないとベッドから降りようとしたが、そうした身体が何かに捕まえられた。
そして、次の瞬間に何かにぎゅっと抱かれた。
「ありがとう」
はニーズルを胸に抱き締めた。
この小さな魔法生物は、闇の勢力を裏切り、この屋敷に囚われるという特典もつけられた状況で、私を助けてくれたのだ。
この屋敷に囚われるということは、すなわち、裏切ったことによる闇の勢力から追跡からの保護を求めたということだ。
ダンブルドアも、騎士団に一度関わった生き物をここから外に出すのを嫌っているのだろう、と予想できた。
そのような障壁を弁えた上で、ヴォルデモートを裏切ることができる魔法使いなどほとんどいない状況で、この小さな生き物は自身の信念に則りそれをやり遂げたのだ。
「貴方を失望させないよう努力するわ」
魔法省のアトリウムにある魔法族の和の泉を一度見た者ならば、分かる。
多くの魔法使いは、魔法生物を己たちと同列の生き物と見ていない。
魔法省の動向もまさにそうであった――反人狼法制定もその例だ。
そして、ヴォルデモートは、魔法省に不満のある魔法生物たちを支配下に治めようとしている。
癌は足元にあるのだ。
ニーズルは、抱き締められた腕の中で、目を閉じてそう言ったを見据えていた。
スネイプがニーズルがを助けると言っていると述べた時、ムーディは彼の頭がおかしくなったかと思った。
しかし、そのニーズルの姿を見た時、確かにこのニーズルは特殊な能力を持ったのペットであったと思い出した。
このニーズルは老いぼれよりスネイプに接近した方が話が早い、と判断したようだった。
ダンブルドア相手と話がややこしいこともあったが、現実、はニーズルに助けられてこの場にいる――ニーズルを抱き締めるを見てムーディは安堵で息を吐いた。
闇の勢力に加担した魔法生物を再度こちらに引き込むなど、全く予想していなかった作戦である。
彼女らが先ほどから何の会話をしているのかはムーディには全く分からなかったが、ニーズルに助けたいと思わせた自身が、ムーディにとっては一番の功労者のように思えた。
ニーズルを抱いたままのを部屋に残したまま、ムーディは部屋から出た。
途中湯気の立つ鍋を持ったモリーと擦れ違い、そのまま足を進めた。
――セブルス・スネイプのことがとても気にかかった――。
彼は、一体何者なのだ?
死喰い人で騎士団員であることは間違いないが、彼の忠誠心は本当はどちらへ向いているのだろう?
ダンブルドアは盲目的に彼を信じているようだったが、ムーディにはそういうことはできなかった。
ただ、のことを心配している今まで見てきた彼の様相は本物で、彼はという闇祓い相手に愛情を抱いていることは間違いはない。
ただ……自らの心の施錠を緩め、弱ったの心を見なかったセブルス・スネイプという死喰い人を、どのように判断したら良いか、ムーディには分からなかった。
恐らくも同じ心境なのだろうと思い、このような関係を続ける彼女に対して何とも言えない感覚を抱いた。
も、己と同様に彼についての情報をあまり持っていないだろう、と予想していた。
しかし、それでも彼女は彼の側にいることを望んでいるのだ。
*
クリスマス前のある日に手紙を受け取り、その手紙の差出人に彼は眉を寄せることとなった。
手紙の内容はよくある往診の依頼だった――それが病院を通じてではなくて個人的なものであるということを、除けば。
往診の場所と時間だけを指定した一方的な手紙を断るには、指定された日時までの時間がなかった。
いや、今から急いでふくろうを飛ばせば間に合うかもしれないが、偶然にも彼には指定された日時に勤務も特別な用事もなかった。
ただ、ヒーラーは今のこの時期に彼らと深く関わりたいとは思っていなかった。
しかし、直感的に断りたいとは思うものの、実際に断る意欲は彼にはなかった。
指定された場所には小さな一戸建てがあり、その表札を見て、ここが・の自宅だということを確かめた。
詳しいことは彼には分からなかったが、きっとこの家の周りには恐ろしいほどの防御の魔法がかけられているのだろう、と他人事のように思った。
今、自分が訪ねてくる時だけはその魔法が解除されているのだろう。
呼び鈴を鳴らすと、以前の手紙の差出人その人が玄関に迎え出てくれた。
「こんにちは、マッド=アイ」
銀縁眼鏡をかけたヒーラーは、むっつりと出迎えた相手に対して愛想良く挨拶をした。
「待っていたぞ。早く中へ」
久々に会った素っ気ない対応のムーディに対し、ヒーラーはこの人は変わらないなあと思ったが、それを決して外には出さなかった。
ムーディに誘われるがままに家の中へ足を踏み込むと、扉が閉まった途端に背後で魔法が弾ける音がした。
思わず振り返ると、その扉は呪詛で固く閉じられたように見えた。
ヒーラーの背中を嫌な汗が流れて、やはり闇祓いなどと関わるものではない、と思った。
この言葉を今まで何度繰り返しただろう。
「一つお尋ねしたいのですが、往診の依頼をされる際は病院の方に連絡をするのが一般的な手段だと、ご存知ですか?」
「ああ」
ムーディはちらりと振り返ると、まるで刺すような視線をヒーラーへ向けた。
「まさか、病院に知らせたのではあるまいな?」
「……いいえ」
「それで良い」
正規の手段の依頼ではないのにわざわざやって来たヒーラー相手に、なんという態度だとヒーラーは舌を巻いた。
――手紙を受け取った時、ヒーラーにも察するところがあったのだ。
だが、こういうことは大病院に所属していないヒーラーに依頼して欲しいと思った。
少なくとも、ヒーラー自身は聖マンゴという英国で一番の病院に勤めており、このような事柄にぴったりな立場だとは思えなかった。
……恐らく、彼らは正規の手段で病院へ行くことができないのだ。
生活感の全くない家の中をムーディに連れられるまま歩き、二階の寝室まで連れて来られた。
扉を開かれて中へと促されるとヒーラーは足を進め、そこで寝ている人物へ目を向けた。
思った通り、・がベッドで寝ていた。
ムーディが自分に依頼をしてくるにはそういうことだろうと予想はしていたが――ヒーラーは彼女の様子を眺めると、次第に顔色が変わり、ベッドの傍へ駆け寄った。
彼女の顔色を見て、脈と体温を確かめ、やつれ具合を目の当たりにした。
このような症状を表す人たちを、ヒーラーは今までに診たことがあった。
「今すぐ入院させなさい」
ヒーラーの高圧的な言葉に、ムーディは壁に背を預けて腕を組んだまま苦笑した。
「それができるものなら、とっくにそうしている」
「あなたたちの立場や状況は私は存じませんが、彼女は家で養生させるべき状況にいません。彼女のためを思うのならば……」
「ごめんなさい、先生。それはできません」
は閉じていた目を開けて、浅い息の元で小さく言った。
ヒーラーは視線をへ戻し、彼女のとても弱い声に、やはり彼女が危急な状況にいるという確信を強くした。
今まで長い間この弟子を診続けてきたが、彼女がここまで弱っているのは初めて見たのだ――恐ろしく丈夫な彼女がこんな風になるだなんて――。
「先生も理由は分かっておられるはずでしょう?」
ヒーラーにとっては不謹慎な患者の言葉を聞いて、彼は酷く眉を顰めた。
「激しい拷問を受けたあなたは、外に出て人の目に触れてはいけない、ということですか」
は先ほどのムーディそっくりに苦笑した。
「……政治的外聞、魔法省と地下組織の衝突など、一人の人間の身体と比較したらへったくれみたいなものだと、私は思いますがね」
は、このヒーラーがここまで感情を露わに怒っているのを初めて見た。
彼はいつだって朗らかだった。
ヒーラーの言葉の選択は比較的柔らかいものの、眼鏡の下の眼差しは鋭く、勢いをそのままに彼は言葉を続けた。
「拷問を受けたのは事実でしょう。ならば、外に出て「こんなことがあった」と言い触らしたらどうですか」
「専門外のヒーラーが口を挟むんじゃない」
今まで傍観していたムーディが強い口調で言うとヒーラーは振り返り、二人の視線は火花を散らして噛み合った。
ムーディは小さく息を吐いて視線を緩めると、腕を組んで視線を下に向けてヒーラーから目を逸らした。
「そんなことをしてもファッジに潰されるのがオチだ。情報統制を知っているだろう?
の立場がさらに危うくなるだけだ。外に出ることはできない」
ムーディの言葉を聞き、ヒーラーは上がっていた眉を下げて表情を曇らせた。
口を閉じてから目を瞑り息を吐き、自らを抑えようとしているように眼鏡を押さえると、再度目を開いた。
そこにはいつも通りの彼がいた。
「門外漢が失礼いたしました」
「無理なことを頼んでいることは知っている。言い値で金は払おう」
瞬間にぎゅっとヒーラーは眉を寄せたが、今度の唇は冷静だった。
「正規の料金で結構です」
「口止め料を含んでいるのだが」
「患者の個人的情報を守ることは、ヒーラーとして当然のことです」
「……お前には、ここに来たということをすっかり忘れてもらわねばならない。いかなる状況に陥っても、このことを口に出すことは許さん」
ムーディは目を細め、腕を組んで動かずに低く唱えた。
義眼だけがクルクルとヒーラーを見透かすかのように動いていた。
「そういう意味での金だ」
ヒーラーは、まざまざと自分がこのような事柄に慣れていない――そもそも慣れたいなど思っていないが――ことを思い知らされて、とても嫌な気分になった。
このようなこととは決して関わりたくなかったし、このような世界を目にしたくはなかった。
小さく息を吐くと、ヒーラーは低い口調で冷静に述べた。
「……分かりました。正規の料金の二倍、いただきましょう。それから、一つお訊きしたいことがあるのですが」
「なんだ?」
「どうして私を呼ばれたのですか?」
ムーディは当然だと言わんばかりに答えた。
「お前以外に、ここに来てくれそうなまともなヒーラーはおらん」
思いがけず、ヒーラーの胸の中で優越感と喜びがごった混ざったような感覚が生まれ、ヒーラーはそれを抑えた。
そして、己の行うべきことを見据えて、目下の一人の患者へ目を向けた。
「右肩の蛇の牙の傷は、アーサー・ウィーズリーと同じものだ」
「……なるほど」
アーサー・ウィーズリーの一件は耳に留めていた。
魔法省内で蛇に噛まれただとか、どうだとか、聖マンゴのヒーラーと魔法省とが一悶着をしたと聞いた。
未だ解毒剤は見つからないと同僚が愚痴を零していたのを思い出し、ヒーラーはごくりと喉を鳴らした。
彼らの期待に応えねばならない。
ヒーラーとしての役割を果たすのだ。
「処方はお教えした通りですが……本当に、このままここで養生なさるのですね?」
「それ以外に選択肢はない」
「彼女の回復力をもってしても、厳しいですよ」
「分かっている」
以前と変わらずつっけんどんにそう言うムーディに対し、ヒーラーは息を吐いた。
気を失うように眠っているがベッドにいた。
現在可能な限りの範囲の治療は行ったが、彼女の症状はすぐに治るものではない。
ムーディ相手に治療の呪文を教えたが、やはりそれは本職の者が行うものより劣るのは明らかだろう。
それに、毒に対しての直接的な処置もされておらず、肩の傷はまだ塞がっていない。
血液は流れ続けている。
ヒーラーは、言葉を紡ごうと一旦開けた口を閉じることができなかった。
「……また依頼をしてくだされば、往診しますよ」
こんなことを言うのは止めておいた方が良いとヒーラーの中の理性は叫んでいたが、彼の中の何かがこう言わずにはいられなかった。
初めてムーディは表情を和らげて、唇を緩めた。
「機会があればまた頼もう」
ヒーラーは微笑でそれに応えて、治療を終えて寝室から出た。
ムーディに連れられて玄関までやって来ると、ムーディはヒーラーに振り返って銀貨の詰まった袋を重たい音を鳴らしながら渡した。
中身を確認するように促され、ヒーラーは袋に手を突っ込んで中身をきちんと確認した。
「わしが言ったことを覚えているな」
脅すように物騒な声色が降ってきた。
ヒーラーは袋を締めてマントの中に仕舞い、ゆっくりと視線を上げてムーディと向き合った。
「……私がこのことを誰かに述べたとしたら、あなたに殺されるということですか?」
「その通りだ」
「肝に銘じておきます」
ムーディが杖を振ると、ヒーラーの背後の扉で魔法が弾けた。
「ご苦労だった」
「お大事に」
ヒーラーはそそくさと身体を翻し、玄関の扉のドアノブを捻って外へと出た。
夜の澄み切った空気を感じながら、家から離れたある程度の所まで足を進めると、姿眩ましをした。
その瞬間、先ほどまで滞在していた家の周辺に魔法が仕掛けられるのを確かに目にした。
見慣れた道へと姿を現し、ヒーラーは顔が一気に蒼褪めるのを止められなかった。
・が拷問されあのような状態になるということは、やはりダンブルドアの言う通りだったのだ。
闇の魔法使いが席巻を始めているのだ――の衰弱した様子が再度目に浮かび、ヒーラーはとても恐ろしくなった。
彼女はきっと、とても恐ろしいことをされたのだ。
先ほどまでの、ムーディの取る今まで一度も見たことのなかった態度が蘇り、彼の恐怖はさらにかき立てられた。
今の魔法界は、もう既に以前までのものではなくなったのだ。
ヒーラーの胸の奥で、解毒剤を同僚が見つけたらそれをくすねて彼女へ投与しよう、という思いはどうしても消えることはなかった。
不死鳥の騎士団が解毒剤を入手しようと画策しているかは知らないが、ヒーラーは思想や立場を別にして、彼女を助けたくて仕方がなかった。
ヒーラー自身は、現状の魔法界の状況下で魔法省にもダンブルドアの主張にも声を上げて賛同する気はなかった。
ただ、悪いことをしたわけでもないのにあんな目に遭った彼女を放っておくことはできない、という強い思いがあった。
2012/1/23
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