無性に腹が立つ。
この頃ずっと、そうだ。
ダンブルドアがグリンデンバルドを討ってからのこの生ぬるい空気、人々の安堵感、それらにむかっ腹が立つ。
01/嘘のような本当
アラスター・ムーディは紙袋を抱え、道を歩いていた。
紙袋の中で、先ほど酒屋で買った安い酒の瓶が音を立てている。
一本、二本、三本……一人で飲むのには多すぎる瓶を、彼は抱えていた。
安い酒が一番だ。
高い酒など、それを飲む奴の気が知れない。
急ぎ足で角を曲がる。
ダイアゴン横丁から外れ、ノクターン横丁へ繋がる道へ入る。
ただ、目的地へ行くため近道をするだけだ。
彼の職業からしても、あまりこの辺りへ足を踏み入れたくはなかった――厄介ごとはごめんだ。
大股で歩く彼に、酒は泡立つ。
ドイツでグリンデンバルドがダンブルドアによって捕らえられたのは、数週間前のことだった。
それは、くしくもマグルの世界大戦が終わったのと同時期だった。
これはただの偶然か?
いや、偶然ではない。
――あの師匠が、やっとのことでダンブルドアを動かしたのだ。
ダンブルドアとグリンデンバルドは、青年の頃に友人だったらしい。
ただの友人だったら、まだ良い。
師匠の話によると、ダンブルドアは彼について、「友人以上」の感情を持っていたらしい……。
――あの、糞爺――。
ムーディは鼻を鳴らした。
これが真実だった。
あの爺、きっと師匠が言わなければ、グリンデンバルドを捕まえに行こうとはしなかっただろう。
羊の皮を被った狼め。
善人面をして、あれだけ大量殺戮を行ったグリンデンバルドを、恋心のために向かい合うことを長年避けていただと?
イギリスに脅威が迫って、やっとのことでダンブルドアはグリンデンバルドと対峙した。
それも、師匠が長年に渡ってなだめすかしてだ。
最悪だ。
天才と名の知れている魔法使いが、こんな男だったとは――。
しかし、ムーディを今煩わせているものは、このことだけではなかった。
その「師匠」が問題なのだ。
あの女、まさか五十にもなって結婚するとは思っていなかったのだ。
グリンデンバルドによる脅威の小康期に、あっさりと家の都合とやらで結婚してしまった。
その前に、何の言伝もなく。
いきなり結婚式の招待状が送られてきた時の驚きようは、筆舌しがたい。
元々、見た目の年齢は不詳でこざぱっりとしていて、男にも女に好かれていた人だったが、そんなことを匂わす行動は一切なかった。
ムーディが言うからには、それは間違いなかった。
胸の中で渦巻く苛立ちと戸惑いは、穏やかになった世界で顕著になった。
数ヶ月前まで、このようにのん気に酒を買いに行くこともなかなか出来なかったのだ。
忙殺されていた苛立ちは、今この場で燃え立ってくる。
……だから酒だ。
ムーディはまた足を急がせる。
早く用事を済ませ、帰りたいのだ。
しかし、鍛えられた感覚は不穏な気配を察知し、それをムーディへ知らせた。
手をマントの中の杖へ滑らせ、五感はその対象へ鋭く向けられる。
――二十メートルほど先に、複数の男にからまれている女がいる。
奇襲でなかったことに胸を撫で下ろす。
こんな戦争終わりの治安が悪い場所に一人で来る女が悪い。
そう思い、道を変えて行こうと足を側の曲がり角へ向けた。
瞬間、ムーディの頭の中で師匠の言っていたことが反復される。
「仮にでも税金で食べているんだから、困っている人がいたら助けてあげなきゃいけない」。
ムーディは眉を寄せた。
続きの言葉が頭の中で再現される。
「君は薄情だからねえ……アラスター」。
そう言って人を馬鹿にしたような微笑を見せていたあの人。
「……くそっ」
ムーディは酒の瓶を抱えたまま、片手に杖を握って、足の行く先を変えた。
あの人の言う通りに振舞うなんて、癪だ。
「おい」
ムーディは横柄に話しかけた。
三人の男は、片手に紙袋を抱えて片手に杖を持つ滑稽な男を見て、嘲笑した。
「放せ」
単語だけを述べて、ムーディはつかつかと男たちに近付いて行く。
嘲笑していた男たちは、ムーディの目つきを見て少しだけたじろいだ……目つきがとても悪い。
しかし、たった一人の男に何ができると思い、まだ顔に微笑を湛えて話しかける。
「兄ちゃん、威勢が良いねえ」
「そういうの好きだぜ」
「お前たちは耳が聞こえないのか? 放せと言っている」
ムーディの鋭い黒い目は、射るように男たちを見ていた。
男たちの目の前まで歩き、ムーディは紙袋を持ったまま器用に腕を組んだ。
ふてぶてしい態度で男たちを見据える。
その態度に、男たちは癪に触ったようだった。
横腹にくりだされた拳を、ムーディは身体を半歩ずらすことでひらりと避けた。
「魔法使いなら、拳など使わず、魔法を使え」
次に腹に勢いよく向けられた脛を、ムーディは腕で防御した。
肉がぶつかって鈍い音が立つ。
「下手な体術など、見苦しくて堪らない」
にやりと微笑んだムーディ。
一斉に杖を構えて襲いかかってくる男たちを見て、杖をやっと抜いた。
小さく口元で呪文を唱え、閃光がその場に満ちた。
「はん。サンドバックにもならない」
ムーディは足で男の身体を蹴り、その顔を確かめる。
必要以上に、その三人ともの身体を足で激しく蹴っていた。
その身体から、不吉な鈍い音が立つくらいに。
ただの腹いせだ。
もう少し手応えのある相手だったら、もっと思い切りに楽しめたのだが。
三人の男を地面に伏し、そのまま立ち去ろうとしたムーディの背に、若い声がかけられた。
「本当にありがとうございました。あの……」
ムーディは片手だけ上げて、そのまま足を進める。
「あの!」
ムーディは応じることはない。
「あのっ!!」
ムーディの足が止まった。
マントがぴんと張って、これ以上足を進めることが出来なくなった。
ムーディは心底面倒臭そうな顔で、後ろに振り返った。
目線を随分と下ろしたところに、マントを引っ掴んでいる若い女がいた。
爛々とした大きな目が自分を見上げている。
「あなたにとても感謝しています」
「俺のことを感謝しているのなら、今すぐその手を放せ」
先ほど男たちにかけていた声と同じトーンの声を、ムーディは放った。
ムーディはとても機嫌が悪かった。
経験上、それですぐに女は手を放すものだと思っていた。
しかし、女はにこにこと笑みを絶やさずに言った。
「お酒、弁償させてください」
酒の割れた瓶が、道に散らばっていた。
大して大切でもなかった酒だ。
ふとした拍子に落としてしまったのだろう。
ムーディは低い脅すようなトーンのまま、また言葉を話す。
「不要だ。俺の過失だ」
「私がここにいなかったら、落とされることはなかったでしょう?」
「いらん。さっきのは、単なる気紛れだ」
ムーディは女の手を振り払った。
そして、女を振り払うように大きく歩き出す。
普通の人間ならば、簡単に迷惑だと思っていることが見て取れる。
しかし、女はまだムーディの後を小走りでつける。
「とても、魔法に熟練されているんですね。私なんて、魔法はからっきしなんで……」
「それで、よくこの界隈に入り込んだものだな」
ムーディの皮肉にすら、女は気づかないようだった。
「迷ってしまったんです。あの、ここはダイアゴン横丁ですか?」
ムーディは足を止めて、目を見開けて眼下の女を見つめた。
淡い栗色の髪の毛を跳ねさせた背の低い女は、純朴な目でこちらを見上げている。
一歩進んだ所にある店のショーウインドーの骸骨の頭が、目に見えないのか?
くるくるとよく動く目によると盲ではないし、聴覚も正常に働いているように見える。
さては、頭に何か問題があるのか?
女は、何かに気づいたかのように顔の表情を綻ばせた。
「あ! もしかしてあなた、闇祓いのアラスター・ムーディさん――」
ムーディはのん気な女の腕を掴み、道を戻り始めた。
歩くスピードが早くて、女はほとんど走るようになる。
「そうですよねっ。だからあんなに……」
「話は後でいくらでもしてやるから、今は黙れ」
闇の魔法使いの巣窟で、無防備な女を連れて歩くのは危険だ。
それに、軽々しくここで闇祓いの名前を出すものではない。
何も分かっていない女を疎ましく思いつつ、ムーディは足を急がせる。
本来ならこんな女あそこに置いておいてもいいものだが、素性が知れてしまってからでは角が立つ。
もし、もしも、この女に何かがあったら、スクリムジョールと師匠になんと嫌味を言われるか。
「グリンゴッツだ」
「重ね重ね、ありがとうございます」
白い大理石の建物の横で、女は深く頭を下げた。
ムーディは、すぐさまそこから立ち去ろうとする。
「弁償させてください」
マントの端を握られる。
「お願いします」
懇願のキラキラとした目で、ムーディはこれは弁償してもらった方が話が早いと判断した。
*
「新聞でたまにあなたの名前を見たことがあるんです」
話を始めようとする女へ、ムーディはじっとりと視線を下ろした。
普段ならば、これで大抵の者は黙るはずなのに。
「とても優秀な闇祓いだって……」
「……それは、どうも」
素っ気無いムーディの言葉に、女は唇を尖らせた。
そうすると、その女はますます幼く見えた。
「さっき、いくらでも話をしてくれる、っておっしゃられていたじゃないですか」
言葉のあやだ。
ムーディはそう反抗したかったが、むしろ、もう面倒臭い。
ムーディは女の言葉をなあなあで返事し続け、そのまま酒屋の中まで辿り着くことに成功した。
鼻歌を歌いながら上機嫌で商品を見る女を見て、ムーディは何故こんなことをしているのだ、と自問自答する。
見ず知らずの女を引き連れて……。
……いや、この一時我慢すれば、この女から逃れることができるのだ。
そう自身に言い包める。
「じゃ、これを……五本くらい」
瓶を持つ手を止められた女は、首を傾げた。
「そんなに高いものじゃなくて良い。前に買ったのは……」
「私の感謝の印です」
「いや、そういうものをもらうことは出来ない。――そう明確に決められている」
ムーディは言葉を付け足した。
嘘だ。
まだ発足して間もない闇祓い本部に、そんなに厳密な規律はない。
それに、どうしてこの女は一番高い酒を選ぶのだ。
「……でも、私は……」
「そう決められているんだ」
女は手元の瓶を見下ろす。
その顔は悲しげだった。
すると、ふいに女は駆け出した。
呆気に取られたムーディをよそに、女はそのまま会計を済ませようとする。
――なんて女だ――!
ムーディは元々居所が悪かった腹の虫の居所がますます悪くなり、女に目もくれずそのまま店を出て行く。
「待って!」
もう振り返らない。
そしてそのまま姿を晦ませようとしたが、耳はまた違う不穏な雑音を聞きつけた。
まさかと思って、振り返る。
酒瓶を抱えた女の後ろから、その店の店主らしき人が駆けて来ている。
その店主は声を大にして叫んでいた。
泥棒!
ムーディは目の前に来た女を見下ろし、呆れと驚きの入り混じった感情のまま大きく息を吐いた。
「もう良い。待っててやるから、好きにしろ」
泥棒の片棒を担いだとでも思われたら、面倒だ。
女はにっこりと微笑んで、満足げだった。
なんて日だ。
2009/3/7
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