28.3/理性と欲求














あの後、朝になってはこう言った。
「私のお願いを聞いてくれてありがとう」と。
そう言った時、彼女は少し恥ずかしそうに照れ臭そうに目元を染めて、手持ち無沙汰にシーツを弄っていた。
その新たに見た彼女の一面が可愛らしくて、そちらに手を伸ばすと、彼女は怯えた猫のように身を逸らせた。


「……今日は、貴方に触られたくないの。いえ! 違うわ! 貴方が嫌いだとかそういうのじゃなくって……」


顔を背けたままちらりと視線をこちらに向ける。


「昨日、十分触ったじゃない……」


そう言う彼女に、「己を試してみた結果はどうだったか」と尋ねた。
は耳まで真っ赤にして、昨日のあの冷静だった様は何だったのか、開けた口から言葉がうまく出せないようだった。
四苦八苦考えた挙句、は胸に手を当ててセブルスへ視線を上げた。

その顔はまるで邪心のない盾も持たない虚勢も張らない子供のようで、その顔でこちらに寄ってきたをセブルスは見つめた。
己の胸に当てていた手を外し、それをセブルスの胸に当てて、そっと顔を寄せて触れるだけの唇へのキスをした。
ピンク色の火照りを見せる頬のままで言う。


「これは……大丈夫」


口調はまるで甘える子供のようで、の中で何かが変化したのが明白だった。
そのままにセブルスはそっとの滑らかな髪を撫で、そこへ唇を落とした。





彼が帰って行った。
は目を瞑って大きく息を吐いて、今にも暴動を起こしそうな心臓を宥める作業に取り掛かった。
駄目だ駄目だ駄目だ――慣れないことをするものではない。
心臓は夜にキスをされた時からずっと自己主張が激しかった。
先ほど彼へ――をした時、心臓が口から飛び出すかと思った。

だるい身体を引きずって、身体にシーツを巻きつけてキッチンへと向かい、冷たい水を飲み干した。
魔法を使うのがこんなにだるく感じられるのは、初めてだった。
自分の中の感覚が統率されていない今、魔法を使うのは大変骨がいる作業だった。
そのまま床へへたり込んだは、シーツを身体に抱いた。


ああ――私は、あの人のことを憎からず――むしろ、好ましく感じているのだ――。


私の身体と心は拒否反応を示さず、自ら触れることを拒まなかった。
むしろ、触れられることに関しては、こちらから望むほど――。

私を求める腕に完全な闇の印をつけた人相手に、私は彼と似たような感情で、触れようとしているのだ。









*










それから、はセブルスの側にいる時間を増やした。
そして、その主な目的――彼への観察をし、彼がたまにこちらに触れるのをされるがままにした。
触れると言っても、子供のじゃれ合いのようなものである。
間近で観察をするのは……勿論、彼が本当に死喰い人のような振る舞いをしていないのか、確認するためだ。

ある日、彼のテーブルの上にワインがのっているのを見た。
ワインの瓶は優美な曲線を描いていた。


「ルシウスからの土産だ……飲むか?」

「私が飲めないの、知ってるでしょ? 遠慮するわ」


セブルスはそのワイン瓶を手に取りの近くに座り、ワイングラスにそれを流し込む。
それを口に含んだかと思えば、そのままへと口付けた。
喉へ流れる熱い液体を戻すこともできず、胃にそれが落ちると、顔がかっと熱くなった。


「な……なんのつもり……!?」


顔の熱さから、絶対に顔はもう真っ赤だろうと、自身思った。
それ位を考えることのできる思考力は、まだ奪われてはいないようだった。
セブルスは飄々と、の様子を観察しながら答えた。


「どういうつもりだと思う?」

「そんな……! 私……」


もう一度、セブルスが同じ行動をするのを、はいつものように動かない身体で受け入れるしかなかった。
頭が重い。
エタノールの臭いが鼻をついた。
僅かに漏れ出ての唇を濡らすワインをセブルスが舐め取る。

セブルスが改めて顔を上げると、の目は潤み、火照った顔をしていた。
表情は緩み、身体にも力が入らないように、ぼんやりと座り込んでいる。


「私……貴方に言わなくちゃならないこと、忘れてた」


急にそんなことを言い出しても、セブルスはおかしいとは思わなかった。
そうしてもおかしくないくらい、の目は据わり、酔っ払いの兆候が見えていた。
下戸は嘘じゃなかったのだとセブルスは感心した。


「前に、貴方から応えて欲しいって言われてたじゃない……それを、ずっと後回しにするのは嫌だったの」


舌がうまく回らないらしく、言葉は舌足らずだった。


「私も、貴方と同じ気持ちでいるわ」


酔わせたとしても、まさかここまでのことをすぐに言われるだなんて思っていなくて、セブルスは驚いた。
同時に、酔わせたことに後悔した。
こんな状況でこのようなことを告白されるだなんて――きっと、彼女は朝になったら何も覚えていないに決まっている!


「嘘じゃないわ。ねえ、セブ。私も貴方と同じことを考えてる」


はセブルスの左腕を持ち上げ、そこを撫でた。
そして、次に自分の左腕を、そして自分の心臓を撫でた。


「信じてくれる……?」


その行動が含む意味を感じ取って、セブルスは心を突かれたような気がした。
彼女にそこまでを知られていた、感じられていたなどとは、予想していなかった。
開心術を使ったわけでもないのに。


「……ああ」


は邪気なくにっこりと微笑んだ。
こんな風に子供のように微笑むのを、セブルスは初めて見た。
と、急に目の前のがこちらに強く抱き付いて来たのが見え、セブルスは身体を硬直させた。


「セブ……寂しいの」


それは、父親に縋る子供のようだった。
そういえば、彼女が、自分が酒癖が悪いと言っていた気がする。
だから、自分は飲まないのだと。
……彼女の言う通りにしていた方が、良かったのかもしれない。


「一人にしないで」


身体を完全に密着させるようにしているを引っ剥がすのは、無理に見えた。
彼女は酔っ払いに不似合いな力で、全力で抱き付いている。
すると、もどかしそうに自分のマントを脱ぐと、再度その腕でセブルスの身体を包んで、その胸に顔を埋めた。
先ほどよりリアルにの身体を感じて、セブルスの胸が小さく跳ねた。

の手がセブルスの背中を這うように動き、の顔がセブルスの肩へと動いて、そこへ唇を下ろしたのが分かった。
服の上への接吻は続き、の身体は完全のセブルスの元へと移った。


「……?」


耳元でそう囁いてやると、の身体はビクリと震え顔を起こして、二人の目線がぴったりと合った。
目元が赤く染まり、何かに浮かされているかのような瞳で――酒に浮かされているのは間違いないが――こちらを見つめてくる。

彼女の細い肢体とその熱さを確かに感じ、彼女に正気に戻れなどと言っても無駄なことは万も承知。
何しろこうするように促したのは己だった。
己の一手に全てが委ねられていると思うと、セブルスは唇を無意識に引き締めた。
このままに流されたいというのが己の欲求であったが、目の前の彼女は――。


「私のこと……嫌いなの?」

「そんな訳があるか」

「じゃあ、どうして私を離すの? 貴方もどこかへ行ってしまうの? 私が届かない場所へ」


の目から涙が落ちるのを見て、セブルスは驚愕した。
急いで涙を拭いてやり、その身体を抱き締めてやる。
そうすると、は飼い主に抱き締められたペットのように、身体から力を抜いた。
背中をそっとさすってやる。
まるで、子供をあやす父親のようだった。

は、ふいにセブルスの手を掴み、それを己の腰へと導いた。
――こんなことは初めてだ――。
本当の子供なら有り得ない行動をするは、続けてセブルスの顎に手をやって、まるで慣れたように唇を押し付ける。
口内に残るアルコールが二人共に行き渡り、終った頃にはは平衡感覚がもう保てないかのように、セブルスの身体へ倒れ込んだ。
の身体が熱い――アルコールと、彼女自身から発する熱のせいだ。


「私のこと……嫌いなの?」


押し付けられる胸の膨らみ、腰周りの張った肉の感覚、己の身体の上にのりかかる熱。
それらに眩暈を起こしそうになる。


「嫌いじゃない」

「好きなの?」

「ああ」

「じゃあ、私の近くにいて。離さないで。遠くへ行かないで。寂しいの」


それが隠された彼女の本心であるのか、それとも酔っ払いの戯言なのか、判別がつかなかった。


「貴方なのか私なのか分からなくなるまで、私の側に来て、私の側にいて」















重たい瞼を持ち上げると、そこは見慣れた感もあるセブルスのベッドだった。
――え?
身体を身動ぎさせ、頭を持ち上げようとすると、激しい頭痛にみまわれた。
目を瞑って頭に手を当てる。
なんだ……なにかしたっけ……?


「寝ていなさい」


教師然とした態度のセブルスが、きちんと服を着て、扉からやって来た。
の身体を寝かせると、冷たい飲み物をへ飲ませる。
はじっとその飲み物を見てから、されるがままにそれを飲み込む。
セブルスは空のコップを受け取ると、側の椅子に座って、興味深げにを観察していた。
も、自分の何も身に付けていない身体を見て、彼を見て、眉を寄せた。


「――昨日のことを何か覚えているか?」


もったいぶったような口調でセブルスが言う。
は頭痛に遮られながらも記憶を遡るが……まるで記憶が靄にかかったようだった。


「私……何かしたの?」

「先ほど飲ませたのは、二日酔いの薬だ」

「……お酒?」

「――すまない。我輩が無理に飲ませた」


正直にセブルスが謝る。
は改めて状況を見つめてみる。
そうなると……酒の勢いにまかせて……なるようになってしまったのだろう。
は表情を曇らせた。


「本当に申し訳なかった。あそこまでのものとは――思ってなかった」

「私の酒癖は酷いらしいわ」

「そうだ。もうお前に酒は薦めない」

「お願いするわ」


ガンガンとなる頭はもうごめんだ。
セブルスは、まだを眺めていた。
は、自分がまだ何も身に着けていないことを思い出し、どうにかして欲しいと声をかけようとすると。


「昨日のことは何も覚えていないんだな?」

「ええ……そうね」


セブルスが大きく溜息を吐いた。
何か私はまずいことをしたのだろうか、とは眉を寄せる。
セブルスは多くのことを尋ねる気はなかったが、一つ、どうしても確かめておきたいことがあった。


「昨日、お前は我輩に、以前から我輩が答えを求めていたことについて答えた」

「――それって……」

「それはなかったことにした方が良さそうだな」


の顔に緊張の影が過ぎり、その唇が引き締まった。
視線は少し迷いながらも、まっすぐにセブルスへ上がった。


「私は……何と言ったの?」

「「自分も同じ気持ちである」と。それから、お前はこっちに抱き付いて、一晩離さなかった。少しでも離すものなら、側にいて欲しいと泣いてねだった」

「――っ――」


は視線を逸らし、昨日の失態を後悔するように目を瞑った。
手の平で顔を隠すかのようにする。
隠し切れない頬が、微かに朱に染まった。
そこから繋がる首、肩が露にこちらに見えており、セブルスは何ともいえない感覚を得た。


「……ご迷惑をおかけしたようね」

「迷惑というほどのものではなかったから、安心しろ。むしろ、その答えが酔っ払いの戯言であったかの方が気にかかる」

「――違うわ。戯言じゃない。それは私の本心よ」


は体勢を変えなかった。
顔を隠しているせいで、その表情は窺い知れない。


「その前の時点で……分かってるかと思ってた。この前、酒に酔っていない、理性のある私から貴方にキスしたじゃない」


答えがないので、はそろそろと顔を覆っていた手を外した。
驚いたような顔をしたセブルスがそこにいた。
以前まではぐらかせていたことをこんなにはっきり言うなど、私の言葉が思いもよらないものだったのかもしれない。


「私の側にいて。貴方の気持ちは分かってる。私も貴方と同じ気持ちよ」


――昨日の言葉は嘘ではなかったのだ!
ひたすら側にいて欲しいと願った彼女は、幻の影ではなかったらしい。


「……分かった」

「本当に分かっているの? 分からないのなら、もう一度キスしてあげましょうか?」


生意気な口調でそう言ったは、堪え切れずに笑い出した。
つられて、セブルスも笑みを零した。


「大丈夫だ。既にそれは昨日にもらっている」

「……え」




























2010/12/27






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