18/境界線
教育令二十四号により、ホグワーツでの学生組織が解散されることとなった。
ホッグズ・ヘッドの一件の後にすぐこのような省令が発令されたということは、アンブリッジが彼らの動向を耳に入れたということだろう。
シリウスがホグワーツのハリーたちに暖炉を使って連絡を取ろうとした時――今回はちゃんと他の団員に了承を取って――彼はアンブリッジに捕まえられかけたらしい。
なんとか逃げ延びることができたらしく、シリウスはとても安堵した表情を見せていた。
ふくろう郵便は言うまでもなく、煙突飛行ネットワークも完全に監視の目が張られているのだ。
そして、すぐに二十五号――高等尋問官は教職員以上の権限を持つ――が発令された。
ホグワーツでアンブリッジに何らかの問題が起こったのであろうことが、明らかに分かった。
グリモールド・プレイスでは、引き続き恋愛の縺れが繰り広げられていた。
トンクスとリーマスは傍目から見ると以前より険悪になっていたが、それはリーマスがトンクスと向き合い始めたことを暗示していた。
セブルスは相変わらずほとんどここに姿を現していなかった。
シリウスとは、普通の友人関係を結んでいるように傍からは見えた。
シリウスは図書室の一件以来、にもう以前のように過剰に接触しようとはしていなかった。
*
アリア・ボードはアトリウムで・の姿を見かけ、カツカツとヒールの音を鳴らせながら彼女の後を追った。
列に並び同じエレベーターに乗り込むと、ちらりと視線をと合わせた。
は表情を全く変えずにアリアの目を見つめてから、すぐに視線を逸らして平然とマントの下で腕を組んだ。
とアリアが通常ならば下りるべき魔法法執行部のある地下二階を過ぎ、三階、四階……五階でとアリア以外の者全員がいなくなった。
「あなたと話したいことがあるの。今日は仕事が終わってから時間は空いている?」
「九時ぐらいならなんとか」
矢継ぎ早な言葉が交わされると、アリアはマントからペン――マグル製だろうか――と紙切れを取り出し、何かを書きつけての手の平に押し付けた。
「ここへ」
は首を動かし、この場で初めてまともにアリアの顔を眺めた。
彼女の顔はつい前に仕事の一件で見たものと変わりがなかったが、思わず失笑する。
「……こんな所でないとまともに話すらできないなんてね」
アリアも同様に顔を歪ませたが、とは違って言葉を選ぶようにゆっくりと唇を開いた。
「魔法省内で仕事以外であなたと好んで話そうなんて人はいないわ。……また今夜にそのことについて話しましょう」
は「私も相当嫌われたものね」と憎まれ口を叩こうかと思ったものの、彼女が話しているのはそういうことではないことは知っていた。
何事もなかったかのように颯爽と地下六階でエレベーターを降りたアリアを見送り、はエレベーターの壁に背を預けた。
黒のマントが靡き、は視線を空に向けて思索を始めた。
扉の閉まったエレベーターはさらに下層へ降りて行った。
魔法省から随分と遠くにあるマグルのパブに入ったは、アリアがいつもの地味な警察部隊の制服ではなく、華やかなマグルの服を身に着けているのを見て驚いた。
布がいくつも重なり、色目も鮮やかで素肌を出しており、魔法界では受け入れられないようなセンスの服装であった。
そういえば彼女は確かマグル出身だった――生粋の魔法族がマグルのセンスを理解するのはなかなか難しい。
例えば生粋の魔法族であるは、マグル界に出る時は大抵はスーツやジーンズ、カッターシャツくらいしか着ることがない。
下手な服装をして目立つのを防ぐためだ。
アリアはの地味で飾りっ気のない格好を見て、少し眉を顰めて素直に言葉を放った。
「……普段通り、飾りっ気のない恰好ね」
「仕事以外でマグル界に出ることは少ないもの、派手な服なんて持っていないわ」
「へえ。ま、あなたらしい恰好と言えばそれらしい恰好ね」
「一般的な魔法使いレベルで考えたら、私の格好はまともな方だわ」
アリアはぶっと吹き出すと、カウンターでと一緒に注文を済ませた。
アリアはエールを頼んだが、がソフトドリンクを注文すると、バーテンは少し奇妙そうな視線でを見た。
「それで、話っていうのは?」
スタッフがフィッシュアンドチップスとステーキ・アンド・キドニー・パイをテーブルに置いていくと、は低く声を出した。
アリアはフライドポテトを手でつまみ、それを口に入れてから答えた。
堰が切れたように言葉は溢れ出した。
「あなたが今も魔法省に所属していること、私は信じられないわ。誰もあなたに近づこうとしない。
「狂った眼の弟子の頭が狂った」「師匠の被害妄想が弟子に伝染」とか、好き勝手に言われているのは周知でしょ?
あなたが行っている大胆な行動は省中に知れ渡っているのに、誰も面と向かってあなたに何も言わないし、大臣も黙認している。
大臣が黙っているから高官連中もあなたに向かって何もしないんだわ」
は真顔でさも当然かのように答えた。
「大胆? 私は私が信じていることに基づいて行動しているし、大したことはしていないわ」
「そうね。でも、些細な言動で魔法省から追い出される現在、あなたは随分と大胆な行動を取っているわ――いえ、わざとそうしているのよね」
アリアの探りかけるような口調と視線に、はふうと息を吐いた。
彼女はこのようなことを話したかったのだと心の中で確認して、じっとアリアの目を見つめて眉を上げた。
「……貴方のような魔法省に不信感を持っている人間が、目立っている私に接触するのを待つためにね」
のナイフのような切れ味の良い言葉に対して、アリアは心外そうにおどけた。
「私が魔法省に不信感を持っているって?」
は白けた目でアリアを見つめ、はっきりとした発音できっぱりと述べた。
「そうじゃないと、この狂った「私」なんかに接触しようと思わないはずよ? 私は今現在とっても目立っているもの」
今度はアリアが息を吐く番だった。
こめかみを軽く掻いたアリアは、エールの入ったグラスを置いた。
の飄々とした姿を見て、アリアはこの魔女はかつてからこのような譲らない頑固な性格だったことを思い出した。
そして、表情を整え、低い声で今度は本音の言葉を紡いだ。
「――以前の恐慌時代に実戦を経ているまともな精神をした魔法使いは、現状に多少の違和感を持つのが当然だわ。みんな表には見せていないけれど」
「ルーファス・スクリムジョールもアメリア・ボーンズも、今の魔法省には失望していたわ」
「……そうでしょうね。彼らがそうしてくれていなきゃ、私みたいな下っ端は困るわ。彼らがあなたみたいな言動をしてくれていなくて、本当に良かった」
はぴくりと眉を上げたものの、アリアはまるで気にしない様子だった。
アリアは意味ありげに目線をちらりとの方へ上げた。
「ま、あなたがこんな言動をしてくれているから魔法省に違和感を持った、という知り合いもいるわ。・の名前は偉大ね」
「――ダンブルドアの名前には負けるけどね」
「魔法省はあなたの名前を挙げてバッシングしていないもの。
魔法省が誇る闇祓いがそのような発言をしているということ自体、伏せておきたいのでしょうね。
まあ元々、あのダンブルドアの言うことを疑え、ということがおかしいと思ってた。まさか、あのアルバス・ダンブルドアがこんなことについて嘘を吐くと思う?
あの人が闇の帝王が復活したと嘘を吐いて魔法省大臣の席を奪おうとしているだなんて、ありえないわ。
本気で魔法省大臣になりたいのならば、ダンブルドアならもっとスマートな方法を使うでしょうよ」
「それを信じさせるようにした予言者新聞の力は凄いわ。魔法省のメディア介入は行き過ぎてる」
「……ファッジは狂っているわね」
普段の鬱憤を晴らすかのように畳み掛けているアリアの頬は、酒のせいか興奮のせいか僅かに赤味を見せていた。
それをちらりと見てから、は声を強くした。
「まさか、騎士団に入りたいだなんて言うんじゃないでしょう? 普段の愚痴を言いたかっただけでもないでしょう? どうして私をここに呼んだの?」
「念のため言っておくと、私はあなたのことを魔法省に売る気は全くないし、あなた達と深く関わろうとも思っていないわ。
このまま、魔法警察部隊に所属していたいからね。いつかファッジの嘘も剥がれるだろうし」
「了解したわ」
アリアの白い喉がごくりと動いた。
深い青の瞳がの黒い瞳を捉え、唇が動き出す。
「あなた達は神秘部と何か関わっているの?」
はじっとアリアを見つめたまま、決して唇を開かなかった。
ただ、まるで拳銃で心臓を打ち抜かれたような感覚を覚えていた。
言葉を投げかけても動かないを見て、アリアは再び口を開いた。
「……神秘部の前にいつも誰かがいる。こんな噂を耳に挟んだの。まともに取り合おうとする人は少なかったけど。
それと、私の夫の――様子がおかしいの。彼は決して私に対して仕事の話はしないから、私は何も分からないのよ」
「貴方の夫は……」
「神秘部に勤めているわ」
「無言者だったわね」
彼女の夫はブロデリック・ボード――神秘部に勤めている無言者だ。
彼女は不死鳥の騎士団や闇の勢力が神秘部と関わっているとしたら、彼女の夫がそれに巻き込まれるのを防ぎたいと考えているのだ。
真っ直ぐにこちらを見つめるアリアの目を逸らせず、は内心どうしようか迷った。
不死鳥の騎士団の情報を漏らすわけにはいかない。
ただ、アリアもそれを弁えてここにいるのだということは分かっていた。
「様子がおかしいというのは……」
「別に、服従の呪文にかかっている兆候がある、というわけじゃないわ。
あの人の姿を十数年見続けてきたけれど、初めて彼があんなに感情的に錯乱して動揺しているのを見たのよ。
何事にも決して動じない人なのに――それに、彼の動揺に対して何を尋ねても口を閉じているということは、それは仕事関連の事柄に間違いがないの」
「……そう……」
彼女の期待のこもった視線にどう答えたら良いのか迷った挙句、は目を伏せて言葉を漏らした。
「油断はしない方が良いわ。何かあったらまた私に連絡して」
「――ありがとう」
アリアは吐息交じりの言葉を漏らし、にっこりと緩やかに微笑んだ。
「ねえ、どうしてあなたがあんな行動をしていて魔法省であんまり意地悪されないか分かってる?」
「え?」
「分かっていないようね。教えてあげる」
アリアはふふんと我が物顔で言った。
「、あなたが魔法省内で一番魔力があると言われているからよ」
「……つまり……」
「怖がられているってこと」
は首を傾げ、視線を自分の胸の方へ向けた。
表情は固まって唇はへの字を描いていた。
「私……そんなに怖いの?」
あまりにも意外そうな言葉にアリアは思わず吹き出した。
「そりゃ、呪いにも実戦も精通している魔法使いが多少怖いのは当然だわ」
無言で手を止めて黙り込んだに対し、アリアは最後のテーキ・アンド・キドニー・パイをフォークで刺して口に運んだ。
は自身のことがいまいちよく分かっていないらしいようだった。
「あなたの口がまだ当分塞がれないよう、祈っておくわね」
「……ありがとう」
は身に着けた能力について喜ぶべきなのだろうが、喜び切れない感覚を抱いていた。
武力で抑圧するなどヴォルデモートと一緒だ……私が望んでいるものではない。
はまじまじと手の平を見つめた。
しかし、この長年かけて身に着けた能力と名声が自身を守っていることは、間違いようのない事実だった。
この能力と名声があるから、魔法省大臣は私を魔法省という囲いから逃がさない。
魔法省はメディアを統制することにより、バッシングこそはしていないものの、「闇祓い」としての・が省外に声を上げるのを規制していた。
私の言葉に一定の価値があると考えているのだ……そして魔法省から追放するには、私の能力は彼らにとって有用なのだろう。
恐らく、魔法省がダンブルドアに対してのように私にバッシングを始めた時に、この立場と名声はなくなるのだろう。
――その時こそ魔法省を立ち去る時だ。
そもそも、そのようなものは好んで身につけたものではないのだ。
*
「どうして分かってくれないの?」
の足は曲がり角で止まった。
トンクスの叫び声が聞こえ、は足を止めたまま上半身だけを壁から覗かせた。
リーマスとトンクスが壁際に立っていた。
トンクスの表情はこちらからは見えないが、リーマスがトンクスに迫られて渋い顔をしているのははっきりと分かった。
これ以上立ち聞きするのも趣味が悪いと思ってはその場から立ち去ろうとしたが、次の言葉でその足は止まった。
「人狼だからって何が駄目なの? 少なくとも私は何も気にしていないのよ? 他人より、あなた自身がそういう思いに囚われ過ぎているんじゃないの?」
随分な修羅場に足を踏み込んでしまったようだと、は足を止めたまま思った。
耳は理性の言うことをきかずに、興味本位でリーマスの次の言葉を待った。
「……トンクス」
リーマスの言葉はトンクスと比べて穏やかで、子供を諌めるような響きがあった。
「またあなたは私を子供扱いして、宥めるのね。私は子供じゃないわ! リーマス――」
「君を僕と同じ領域に引き込むわけにはいかないんだ」
「そんな言葉は何度も聞いたわ! リーマス、外面じゃなくて、あなた自身の言葉を聞きたいのよ!」
「これが僕自身の言葉だ」
「あなたは――」
トンクスは目の前のリーマスに平手打ちでもするかと思ったが、そうとはせずにリーマスから顔を背けた。
「あなたは、何も分かってない」
次に聞こえたのは、強い足音とマントがなびく音、そして小さな嗚咽だった。
足音が遠ざかり、はまたちらりと修羅場の現場を覗いた。
リーマスが顔に苦々しい苦悩を浮かべていた――こんな表情の彼を見るのは初めてだった。
次の瞬間、リーマスとの視線はぴたりと合い、思わずの背筋に冷たいものが流れて口は反射的に堅い言葉を吐いた。
「……ごめんなさい。立ち聞きする気はなかったのだけれど、偶然……」
「君にそんな趣味はないことは分かってるよ」
リーマスは苦悩の表情を消し、弱弱しく笑んだ。
がリーマスの方へ歩みを進めるにつれて、その笑みはまた苦悩の表情へと変化していく。
は彼がこんな表情をこちらに見せること自体に、驚いた。
「リーマス、貴方――トンクスのこと――」
「君がいらないことを交換条件を出すから、こういうことになってしまったんだ」
拗ねたような表情で、まるで子供の用に呟いた。
全く普段の「彼」らしくなかった。
「……私はシリウスと大体うまくやってるわ」
「君の人付き合いの上手さを借りたいよ」
「リーマス。私は、そういう問題ではないと思うけれど」
「――これ以上、僕の個人的なことに踏み込んでくれないでもらえるかな」
普段の「彼」の様子――人と距離を置く雰囲気をいつも以上に全身から醸し出し、リーマスはぴしゃりと述べた。
「分かったわ……ごめんなさい」
リーマスは潔く謝るの方を見て、またこめかみに手を当てて眉を寄せ、苦悩の仕草を見せた。
少しの間リーマスはそのポーズのまま動かなかった。
は確信をさらに深めた――実は、リーマスもトンクスのことを好ましく思っているのではないか、と。
そうでなければ、彼がここまで思い悩むことはないはずだ。
「……すまない。さっきの言葉は忘れて欲しい。今の僕はどうかしているみたいだ」
溜息を吐きながらこちらを見てリーマスはそう言ったが、その視線がきちんとこちらを捉えているとは思わなかった。
「早くベッドに入った方が良いわ」
「そうだね。……、君も、今夜のことは忘れてくれ」
「分かったわ」
にこりとが微笑むと、リーマスも小さく微笑みを浮かべてから、くるりと身を翻して歩いて行った。
その背中を見つつ、今の彼に私が何を言おうともそれは毒として働くだろうという思いを強めた。
これは、彼自身が解決すべき問題だろう。
私の予測が当たっているのかどうかは分からないが、何も言うことはできない。
私は彼の引く境界線も、彼の今までの人生も知らないのだから。
2011/9/18
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